独りウォーキングに出かけてきました
久しぶりで前日からリュックや靴の準備をするも段取りが悪くて時間がかかりました
目的地は岡崎市鴨田町にある
松平家・徳川将軍家菩提寺 成道山松安院 大樹寺
桶狭間の戦いで今川義元が倒れ身の危険を感じた徳川家康が大高城(名古屋市緑区)から逃れた先です
名鉄東岡崎駅から徒歩だと50分
う~ん、どうしようかな~と思いつつ目の前に来た大樹寺行きのバスに飛び乗りました←相変わらず軟弱なワタクシです(*´▽`*)
バスで約15分
バス停から徒歩5分
山門
寛永18年(1641年)徳川家光公建立
楼上には後奈良天皇御宸筆「大樹寺」の勅額が掲げてあり釈迦三尊十六羅漢が安置されているそうです
境内から山門、総門を通して見える岡崎城
大樹寺より家康公生誕の地、岡崎城を拝し、また岡崎城よりお守りいただき、徳川歴代将軍並びに松平ご先祖様を祈念できるよう配置されており、380年の時が流れた現在でもこのビスタラインを遮る建物の建築は禁止されているそうです
鐘楼
多宝塔
本堂
松平家と徳川将軍家の御位牌はこの中の位牌堂に安置されています(有料)
熱を測り、名前と電話番号、住所(市まで)を記入
意図せずガイドさんに案内されることとなりました(笑)
鬱陶しいと思うこともありますが細かいことや一般的には知られていないことなども教えてくださるのはありがたいです
自宅が桶狭間や熱田神宮にほどほど近いということからも色々と話が弾みました
今回お話を聞いて為になったのは家康公の御先祖様である松平家に関するあれこれでした
あまり表舞台には出ませんものね
(大樹寺ホームページより拝借)
御位牌の高さが将軍の背の丈に合わせてあると聞いていましたがガイドさんによれば、どうかな?とのこと
歴代将軍は7歳で亡くなった家継と124㎝の綱吉を除いて大体160㎝弱で松平健みたいにカッコよく馬に乗れるわけはない、と一緒に説明を聞いていた東京から大樹寺を目的に車で来たというご夫婦と笑いました
最後の将軍・慶喜公は大正2年まで生きその時点で将軍ではないので大樹寺に位牌は安置されていません
松平家廟所
一番手前のは徳川家康公です
ガイドさんによれば松平家だけでよかったものを市議会議員さんか誰かが無理やり作ったのだそうです
よくある話しですね^^
(大樹寺ホームページより拝借)
大樹寺のしいの木
家康公が永禄3年(1560年)19歳の時にお手植えさえたという老木で江戸時代の古地図にも所在が記されているそうです
宝物殿収蔵庫は換気設備がないためコロナ対策が出来ず閉鎖中でした
乙川の彼岸花はどんな具合かと立寄りましたがイマイチ…というより無い…
帰宅してからよくよく調べたら見どころはさらに東へ10分ばかり歩いた場所だったようです
残念!
河津桜でも有名らしいので来春リベンジしたいと思います
でも、川べりは気持ちよかったし対岸でギターをかき鳴らす青年の歌声を聞きながら屋外で食べるランチは美味しかったです^^
大樹寺本堂横にあった家康公の像
新しそうです
名鉄東岡崎駅近くにも家康公の像がありました
松平から徳川に改姓した25歳頃の姿とか
それにしてもカッコ良すぎません?
家康の座右の銘
「厭離穢土、欣求浄土」についても詳しく学ぶことができてお勉強になり彼岸花以外は満足のウォーキングでした
でも、本当に久しぶりで歩くだけなのに何となく勘が鈍っているように感じました
気候も良くなってきましたのでプランを立ててあちこち歩こうと思います
自分でプランを立てるのはワタクシのボンヤリ脳みそによい刺激になりますしね
最後に
大樹寺のお寺の掲示板
ありがたや~
マンホールの蓋
帰りの名鉄電車が超満員
JR岡崎駅近くで人身事故とのことでJRから振替の乗客だったです
夕方のニュースで母親を殺害した高校生が線路に飛び込み亡くなったと知りました
そういえば大樹寺にいた時サイレンが煩かったけど、その事件だったのねぇ
何でしょうねぇ(*_*)
今日になって
名鉄ウォーキングのサイトからあちこちクリックしていたら
10/3~12/27 名鉄と岡崎市がタイアップした岡崎家康探訪キャンペーンなるものが始まっていて電車賃が安くなったり色々特典があったみたいです
これまた調査不足でした
これを教訓に次のウォーキングは思いつきは止めてしっかり調べてから行きたいと思いました
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