∞開運ひとりごと♪~強運人生一本道∞ ☆(・∀・)!

人の中にはすべてがある。求めよ、されば与えられん
ブログには気づきがある。
私という世界でたった一つの物語

ある言葉を唱えると

2016-04-22 | 日記

まず、この文章を読んでリラックスしてください。

ここからの文章をテンポを保って静かに規則的な呼吸をしながら読んでください。

「あなたは今、清々しい気持ちです。息を吸うたびに、新しいエネルギーを取り込みます。あなたはとても良い気分です。続きを読み進めれば、清々しいエネルギーがあなたの身体の中に心地よく広がっていきます。頭から爪先まで、全身に光が広がっていきます・・・・」

 

 

 

 

 

どうも調子がよくない・・・というときにたった10文字の言葉で運気がいっぺんによくなります。

その言葉を紹介しようと思います。

ある言葉を念仏のように唱えるだけで奇跡的なことが起きてくる言葉らしいことを本で読みました。

 

そんな言葉があるならば辛い人が出てくるわけがないのですが笑

宗教的な言霊というものではなく、普通の人が当たり前に使っている言葉なのです。

ただ、その言葉を繰り返し唱えることが重要とありました。

その言葉を唱え続けると、ほんとうに人生が変わるような衝撃が起こると

 

実際にその言葉唱え続けて、有名になる人もいました。

その言葉に支えられて小さくとも成功を修めた人もいたのです。

病気の人はその病状を少しでも緩和することができます。

 

私もその言葉を聞いて、実は1万回だけうさんくさいという疑念を放出しながらも、やってみました。1日1000回を目安にやってみました。

 

何か変わったことが起きたのか?いえ、期待していましたが、何も起きませんでした。

しかし、私も数々の奇跡をスピリチュアルで実際に体験してきましたので、何もないということはあるわけがないと思っていましたので、もうしばらくやってみました。

 

結果、小さな奇跡を得ることができました。

1日1000回を唱え終わった後のすっきり感ですね。それがありました。

何か嫌なものを受けてしまった時、自分の状態が悪いときに、マインドチェンジという効果を体感できました。ときどき、めんどいなあ~とか、こんなことやっても時間のムダなどという邪念が出てきます。

 

私は信じるものは救われるという言葉を信じて、「儀式化」してやってみました。

それが功を奏したのか、1万回をやってみた最後の日に、普段湧いてこない感動がありました。その後に長い風邪を引きました。スピリチュアルにおいて、風邪というものは神聖なものです。その人の体内の毒素を分解して流す、体内だけでなく、精神に至るまで浄化を起こしているのです。すなわちちょっとした進化です。新しいものを取り入れるときには古いものを捨てなくてはなりませんから、そのために起こる通過点ということです。

このようにたった1万回でこのような小さな変化を起こすことができます。

しかし、私たちはその変化を理解せずに通り過ぎて行くことでしょう。皆、数字に夢中で現実的に目に見える形の変化しか理解しようとしないから、こういうことを時間のムダとかんがえるのです。

なので、嘘だと思いながらでもやってみることで、柔軟な発想を取り入れることができます。

 

例えば、まさか、ありえない、バカだ、くだらない、そんなこと、というようなものの中に解決へのヒントが隠されていることがあります。子供の発想のようなものは面白がってやるから楽しいわけです。その楽しさが人を集める。新しい思考を生み出す。

 

はづき虹映さんは約30万回ぐらいのところで大きな変化があるとおっしゃっていました。

この方によると、現金が知らないところから望んだ金額だけ降って湧いてきたという体験があったそうです。リアルに

そして、私はなぜこの言葉を唱えるとそんなに良い効果があるのか?と考えました。

この言葉には特殊な霊波動が放出されているのだと思います。

この言葉を聞いても送っても受け取っても気分が良くなるからです。

過去からずっとたくさんの人間が使ってきた潜在集合的なエネルギーの記憶がふくまれているからでしょう。

良いものには善いものが集まっていく 

このようにたくさんの言葉の中に依り憑く存在がいます。人間が毎日発する思念の情報は数え切れないほどで、それを無意識に発していると聞きました。

良い言葉ならば最高の自分を信じることができるでしょう。しかし、そのほとんどが無意識にネガティブな言葉を発信し、聞かされることになるそうです。よって、意識的にポジティブな言葉を発信する癖のない人は自然にネガティブな言葉を発信させてしまっている状態になるということです。

これがどれほどに恐ろしいことなのか、分かっている人にはわかっていると思います。

なぜよい言葉を意識的に発信しなければならないのかといえば、上記の理由があるわけです。

 

この言葉を唱えるだけで、徳を積むことができます。

このように断言したら、誰もが実行するでしょうか?その根拠は何か?こう聞きたくなることでしょうね。

私はそれをこのように理解しています。良い言葉には善い物が集まってくる。

だから、自分の発信する言葉によって、善いものが集まってくる。

さらに自分から発するエネルギーが振動共鳴し、オーラが変わっていく。

それを見た善い存在が集まってきて、善い波動を共鳴すればさらに善い状態になるということです。

善い情報を発信している人は生気が充実して、誰から見ても素晴らしく見えることでしょう。

なんだか近くに寄りたくなってくるかもしれません。

ハチが蜜に群がるようにして、集まってくるのです。

よって、周りに良い影響を与えられるならば徳を積むことができるということです。

だからあなたはただ、ある言葉を唱え続けるだけでいいのです。

もちろん唱えるだけでお金が入ってくるわけじゃありませんけれども、良くなっていくことは間違いない事実です。

それはもう分かっていると思いますが、この言葉です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

☆ありがとう

ございます☆

 

 

これはあなたを守る魔法の言葉です。

これはあなたを進化させる魔法の言葉です。

これはあなたに奇跡をもたらす言葉です。

いらないものを排除し、新たな気づきをもたらす言葉です。

誰もがこの言葉で魂を洗いました。

誰もがこの言葉で豊かさを受け取りました。

 

・この言葉の意味としてはありえない奇跡のようなことを体感させて頂くことへの感謝。

・実は毎日のように奇跡を起こしてくださっている何者かに対しての感謝

・見えていることも見えていないこともふくめて、受け取っていることへの感謝

・何者かというのは人でも神でもなんでもそうです。あらゆる万物への感謝なのです。

 

漢字では「有難う御座居ます」 御座居ますは「いまここに実在していらっしゃいます」というのだそうですが、これはもうただの言葉ではなく、祈り言葉だとはづきさんもおっしゃっていました。誰が作ったのか知りませんが、これは宗教的な方が祈るときに使ったものが初めではないかと思うんです。言葉などではなく、立派な言霊ですね。

これを使わないなんてもったいないです。けれど、ほとんどの人はこの言葉を機械的に言ってるというか言わされている感覚ではないかと思います。心が入るときがあっても、心の底から入る人はいないでしょう。そんなに深めたような大げさな表現もいらないんですがね笑

ただ、本当の意味を理解して使っている人は少ないでしょうね。私にも分かりません。

けれども、唱え続けていればいつかはその本当の理由が分かるようになるかもしれない。

人生一生涯で100万回を唱えたという人は少ないように思います。

仮に接客て1日100人にありがとうございますを言い続けると、30年で109万5千回です。

1日1000回ならば3年で達成できます。

1人の人が100万回達成した場合、その周りの方も影響受けますから、続々と増えていくと思われます。

グーグルで検索すると、文章において、漢字だと固いのでひらがなの方が良いというものが出てきました。確かに現代での表現は固いですね。しかし、古語での言い回しほど極端でもないので、いいのではないかと思うんです。この有難う御座います。文章ですね。

バランスを考慮するとおかしいですが、この有り難いと御座いますの意味がより明確になって、気持ちがこもりやすい効果はあります。文章でもただ書くのではなく、気持ちを乗せて書くということが大切だと思うからです。

ところで、もう一つすごい言葉があります。それは斎藤一人さんの「ついてる」です。

ついてるついてるついてる・・・

舌噛みそうだし、なんかついてる教とかいう感じで宗教っぽいので、きもちわるがってやらない人も多いと思います。怪しすぎる言葉です。

そこで実際にまた1万回をついてるで実験してみました。

ついてる、ついてる、ついてる、

ん?何がついてるんだ?という疑問が心のなかに浮かびます。

◯んこでもついてるんか?

な下品な!、す・すいません・・・しつれいしました。

ついてるというのは神様、守護霊様、ご先祖様、いろんな表現がありますが、そういう暖かい方々がついて、守ってくださっているんだという気持ちになります。

このように、たった1000回唱えるだけで、熱のようなものが体の周りに感じられました。

少しだけ気力のようなものも出てきました。

 

この言葉は ついてる=ラッキーという表現にもなるのです。

こんな一石二鳥な言葉を使わない方がおかしいです。

そうです。ありがとうございますでもついてるでも、みんなちゃんとした意味付けがあります。

その意味付けがあるから、より素晴らしいのですね。

本当に、どこでもどんなときでもできます。このことを知りさえすればすぐにでもできます。

一度知ったら、これからは永遠にできるんです。

死んでからできますよ。たぶん

 

だったら、もう何でもよくて、私は愛されている。愛されている。

そう繰り返したっていいわけです。

心屋仁之助さんは「どうせ、私は愛されている」というひねくれた表現で本にありました。

人の意識はネガティブだし、ひねくれだから、この方がすごく入りやすいですね。

 

人間は考える葦である。

http://kotowaza-allguide.com/ka/kangaeruashi.html

ことわざ辞典によると、17世紀の哲学者、数学者、物理学者であるパスカルの著書「パンセ」にある言葉で、「人間は一本の葦であり、自然のうちでもっとも弱いものにすぎない。しかし、それは考える葦である」から。人間とは孤独で弱い生き物だが、考えることができることは偉大であり、尊厳があるとした。

 

とありました。考えることができるから、言葉を話すことができるから、人間は偉大なんだ。

 

どんな人にもその偉大なる機能が備わっている。そして、それを自在に使っている。

みんな素晴らしいではないかということです。

平安時代の偉大なる僧侶であり、中国から真言密教を恵果阿闍梨より受け継ぎ、日本にもたらした。高野山真言宗開祖であります「弘法大師」空海は真言は不思議なり、観誦すれば無明を除く

と申されました。これは明るい言葉を唱えることによって、暗い心も明るくなるというような意味だと思いますが、真実の言葉なら、魂の暗闇さえも除くことができるという。

私たちは意識的な言葉も無意識的な言葉にも影響を受ける。

 

言葉には奇跡があるのです。

 

言葉があるから、私たちは幸せになれる。

 

 そう、私は信じています。

 

 


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