函館 人生に恋して 愛 そして癒し

人生を愛し、周りの人に癒しを感じさせる、ブログにしたい、

報告近況を久しぶりに

2013年08月17日 13時03分09秒 | Weblog

平成25年8月17日(土)
更新に手が着いていなかった、そんな期間が終わった、、そのいきさつを少し書いておかなければと思います。

お友達のお母さんが骨折をして、函館市立病院への入院をしていまい、
そのために、長い闘病となってしまった、

手術を無事済ませ、回復を見てからは、西堀病院でのリハビリ入院が
ひと月半経過して、数日前にやっとの事で自宅へ戻ることが出来た、

これからは病院でのリハビリよりも実践的な、運動を心がけて行く事になる、

2013年8月17日今日からは、デイサービスに行く事として、
頑張って遊んでくるように、伝えて送り出した、

骨折の経緯、

それはショートステェイにおいて長いすを踏み外してしまい、
右大腿部を損傷した物です

すぐに救急車に乗り函館市立病院へ搬送され骨折が確認されたのです、

手術はそれから数日後に無事済ますことができ、後は回復を待つだけでしたが、
認知症の症状が少し進んでしまい、自分の状態を把握することが出来ず、
輸血の管を引き抜いたり、ベッドを離れたりと、

静かにしていることが出来ないので、拘束を余儀なくされ、
見ていても悲しい状況におかれてしまいました。

一週間ほど経つと少しは落ち着き、拘束が緩やかになったのですが
ベッドを離れることには危険が伴うので、検知装置が装備される事になってしまった、
さて、
拘束の状況ですが、今は、便利な拘束帯があり、胸の上でベッドと固定、したり、
手には大きなグローブをさせて、指が自由に使えないようにと、なっていましたが?

手のグローブは起用に手首から抜いて点滴の針を外していました、そして、
胸の帯も上の方にすり抜けて自由に身体を動かしており、
尿道に設置した導入の管も外すと、そんな夜が続いていました、

人の自由えの願望はとても強い物だと、改めて認識した次第です、

命の危険よりも自由が人に取ってかけがえのない物だと本能的に行動を
起していると思われます。

そんな日が続いて3週間もするとリハビリを始める事になり、
歩行練習、そして初めは車いすへの移動の練習、
車いすでの排泄のための移動を練習、そんなスケジュールで
リハビリが進んでいきました。

頑張り屋さんのお母さんは、私のリハビリも少しずつこなして、
病院の了承を受けない動きも積極的に取り入れていきました。

一月後には、リハビリのための病院へと転院をする事になり、
西堀病院へと移動して行きました。

西堀では函館市立病院良いも進んだメニューでリハビリが行われ、
時間的にも長時間をリハビリに費やしていました。

西堀では拘束は解かれセンサーによる監視を主な物として取り入れられていました、
そんな中で私の訪問は木曜そして日曜日に限られてしまい、私のメニューでのリハビリは少ない時間になってしまっていました、

そして8月の12日に何とか駒場の家に戻る事が出来たのです。。

これからはもっと沢山の時間をかけてリハビリに
取り組んで行く事に成りますが、頑張り屋さんのお母さんは
きっと良い結果を出すことだと思います。

今朝も、ディサービスに行く前に家の前の歩道橋での昇降練習に
寸暇を惜しんで取り組んでいました、

これからも前向きに進んで行くお母さんのサポートを
しっかりとやって行きたいと思って居ます。