きまぐれ日誌

みどり文庫

はないちもんめ

2016-10-09 19:15:23 | みどり文庫

♫ かってうれしい はないちもんめ ♪

      まけてくやしい はないちもんめ ♫

このわらべ唄を知っている人は多いでしょう。でも、「語源は?」と聞かれると、ほとんどの人が知らないと言います。しかし、伝承されているものには、必ずその由来が存在することを知りました。

なんとそれは、ベニ花のふるさと、山形県西置賜(にしおきたま)郡 白鷹(しらたか)町。ベニ花を蘇らせた今野正明氏にそのルーツを教えてもらいました。

ベニ花は「紅色=赤』を作る希少な天然染料。京都に運ばれ、鮮やかな「口紅」や衣装の染料、絵具、お菓子の食染、焼き物の絵付けに使われてきました。

しかし、黄色いベニ花から紅色が抽出されるのはわずか1パーセント。それも「最上紅花 もがみべにばな」のみです。

紅花は、いつ咲くのでしょうか?

半夏ひとつ咲き(はんげ ひとつざき)

夏至から数えて11日目。半夏生のその日、まだ青々とした紅花畑に、たった一輪の花が開きます。これを合図に、紅花畑は、日ごとに開花し、一面鮮やかな黄色に染まります。

 花摘みは7月半ば〜下旬。

トゲがあるので、朝露で葉が柔らかい早朝のうちにやらねばなりません。   

                   

          

三分の一が赤く染まった時、花びらを摘んでバケツに入れ、黄色の染色を洗い流し、発酵させると紅色に変わっていきます。

 空気に触れると自然に赤みを帯びていくそうですが、すべて手作業の工程 は、職人の技と勘が命。

 

      

そのあと、花びらをすりこぎでつぶし、丸めていきます。昔は足で踏みつぶしていたとか。

お煎餅のように平たくしたのが「紅餅」。

「三百輪で紅花一匁」とは、わずか3.75g(一匁)の紅餅1枚を作るために、約300輪もの紅花が必要だというのです。「紅もち」を天日干しにして乾燥させること数日。

この形で、京都や江戸の染屋に納められました。

     

1日に何回も裏返して、両面をしっかり乾燥させなきゃなりませんが、猫の手も借りたいくらい。そこでゴザの隅に、一文銭を10枚積んでおき、「ござのべに餅を全部ひっくり返したら、一文を持っていいよ〜」という習わしができたそうです。

       

 

子どもは小遣い銭欲しさにせっせと裏返し、一文銭を貯めました。何しろ「紅もち」一枚(重さ・いちもんめ)の価格は、「米の百倍、金の十倍」といわれましたから、一文は安い手間賃。たっぷり稼いだお金を、子どもは賭けで遊んだそうです。

昔の子どもの遊びだから、賭けといってもたわいないもの。

下駄を放り上げて、表か裏かで「勝った!負けた!」とか、じゃんけんで「勝った!負けた!」・・・とか

それが「♫ 勝ってうれしい花いちもんめ(一匁) ♪ 負けてくやしい花いちもんめ(一匁)」と歌われ、今日まで伝わってきたそうです。

                 

山形県の代表的な祭り「花笠祭り」の笠に乗せられた紅い花は、実は「紅花=紅もち」なのです。

花笠まつり(毎年7月はじめ)

<伝来の歴史>

紅花の原産地は、遠くエチオピアともいわれ、エジプトからシルクロードをたどって、6世紀頃に日本に伝来したと言われています。山形県では15世紀半ばから栽培が始まったとされていますが、江戸初期には、質・量ともに日本一の紅花産地として栄え、最盛期には50〜60%を山形産が占めました。

「まゆはきを、おもかげにして べに(紅粉)のはな」 芭蕉

 ところが、明治に入って化学染料が輸入されると、ベニ花生産はたちまち衰退してしまいました。

1982年、山形文化を長く支えてきた紅花の功績を称え、山形県の県花として認定されたものの、咲いている様を、山形県内でほとんど見ることができませんでした。

今から22年前の平成6年(1994年)、紅花栽培を復活させようと、白鷹町の8名の有志が、「白鷹紅の花を咲かせる会」を発足させ、種を探しあてて復活させました。今では、栽培面積が10倍まで拡大。平成19年からは、「紅花摘み」や「「紅餅つくり」を体験できる「花摘み猫の手隊」もスタートし、だれでも楽しむことができるようにしました。

その主がこの人・今野正明氏。

伝統の口紅は、江戸創業の伝統の紅屋「伊勢半本店」で求めることができます。

 右側の玉虫色(緑色)のが「小町紅」。水で溶くと赤くなり、筆で唇に塗ります。

薄く一筆点せば淡い桜色に、重ねて点せば鮮やかな紅色になります。

 

伊勢半本店 (東京都南青山)

 

白鷹町は、山形新幹線「赤湯」で「フラワー長井線」に乗り換え、終点「荒砥(あらと)」で下車。

  

 フラワー長井線 赤湯駅発

        





 

 

               終点 荒砥(あらと)駅

 「和紙人形」や「白鷹つむぎ」が展示されていて、小さいながらも博物館のようなステキな駅

         


わらべ唄の語源は、地方によって、他にもいろいろあるかもしれません。

子どもたちが元気に遊ぶ背景には当時の社会があり、その暮らしの一端がわらべ唄となって、今日まで伝えられているのは、面白いものですね。 

                                                                            以 上

 

 

 


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