きまぐれ日誌

みどり文庫

東日本大震災

2011-03-30 12:15:02 | みどり文庫

  2011年3月11日に起こった東日本大震災はマグニチュード9という巨大地震でした。死者、行方不明者は3万人をこえるといわれていますが、いまだにその数はわかっていません。
 震度6の千葉は天地がひっくり返るかと思うほどゆれました。建物はたおれませんでしたが、ここは埋め立て地のため、路肩(ろかた)はひずみ、道路のあちこちでコンクリートがひび割れし、水や土砂がふき出しました。液状化現象です。小学校の校庭も、公園もぬかるみだらけ。地面の下の水道管が破裂(はれつ)して、まだ水の出ない住宅地域もあります。近くの真砂第四小学校は体育館が被害(ひがい)にあったため、卒業式が母校で出来ず、となりの中学校で行われました。真砂第三小学校も同様です。どちらも、閉校前で最後の卒業式だったというのに!公立の保育所もやられました。

 地震のあったとき、みなさんは、どこで何をしていましたか?千葉市では中学校の卒業式が午前中行われ、喜びの余韻(よいん)がさめやらぬとき。小学生は学校にいたのでしょうか?最初の大きな揺れに始まって、くりかえしやってくる揺れの波。グラグラはその日一日中続き、JRの電車はとうとう動きませんでした。夜になって、東京にお勤めのお父さん、お母さんはどうやって帰宅したのでしょうか?それぞれの家庭に「あの日、あの時のこわかった地震物語」がいくつも生まれたはずです。

 80年から100年に、いや千年に一度といわれる大地震でしたが、実をいうと、日本は地震大国で、昔から大なり小なり、いくつもの地震がありました。昔話にも地震や津波で苦しめられた話があります。昔話は本当にあったことを、「お話」にしているのです。そして、今も昔も天災の前に、人間はまったく無力だと知らされます。このたび三陸海岸をおそった大津波が、村や町を一気にのみこむ恐ろしい映像を見たとき、誰もが茫然(ぼうぜん)とし、ショックとおどろきで打ちのめされました。現代の私たちは地震による津波とわかっていますが、昔の人はいきなり地面が揺れ、大海が暴れて村や人をさらっていった時、どんなにおびえたことでしょう。わけのわからぬまま、言い知れぬ不安感におそわれたはずです。それでも運命に負けず、やってきた災難に堂々と立ち向かい、苦難(くなん)を乗りこえていったのです。


   「てんにのぼったなまず」 たじまゆきひこ作   福音館書店

 主人公は絵描きさんですが、お殿様の絵だけは描こうとしません。ある日小さな村に津波がおしよせます。着の身着のままで隣村に逃げた絵描きさんにあるのは腰に巻いたふんどし一丁。お殿様は、お城に来れば食べ物もあるぞとさそいますが、絵描きさんはことわります。たった一枚残ったふんどしにナマズの絵を描くと、子どもたちは凧のように空に吹かせました。ナマズは天にのぼり、雨をふらせます。山の土砂はくずれて畑にそそぎ、塩水につかった畑の土をそっくり洗い流してくれました。こうして、人々はまた田畑をたがやし、元のように暮らせるようになったというお話です。

 今のように救援隊(きゅうえんたい)が来てくれる時代じゃありません。でも、どんなにむごい目にあおうと、自分の力だけで立ちあがる人間の強さを教えてくれます。昔の人は、電気もガスも水道もなかったから、今みたいにオロオロすることもありませんでした。そして、原子力発電所なんて存在しませんでしたから、放射能の恐怖もまったくありませんでした。むしろ便利な時代ほど、逆に不便なものなのです。

 地震がどうして起こるかを知りたい人には、科学の本を紹介します。
 

   「モグラはかせの地震たんけん」 松岡達英作・絵  ポプラ社

 「備え(そなえ)あれば憂い(うれい)なし」ということわざがありますが、どんなに人間が知恵を働かせようと、自然ははかりしれないほど強大なのです。想定をはるかにこえた津波といいますが、人間が自然のいとなみを予想できなかっただけです。大自然や地球への「畏敬(いけい)=尊敬の念」が足りない証(あかし)です。

 被災(ひさい)されたみなさま、福島第一原子力発電所の事故で避難(ひなん)されているみなさま、まだまだつらいことがあると思いますが、がんばってください。わたしたちもできるかぎりの支援をします。