きまぐれ日誌

みどり文庫

マーシャ・ブラウン女史 93歳

2011-08-09 12:54:03 | みどり文庫

 

  2011年7月26日、マーシャ・ブラウン女史に半年ぶりにお会いしました。今夏、アメリカ東海岸の都市は、日本を上回る暑さを記録していますが、西海岸のカリフォルニアは気温20度というさわやかさ。青い空と、輝く太陽と、道沿いに咲きこぼれるブーゲンビリアの花々は、まるで極楽世界のようです。

 色の組み合わせで最も美しいのは、青・赤・緑の三色。

空の青に海の青、木々や草の緑、花々の赤。自然の三色が一つの景色に収まると、これ以上美しい色合わせはないと思わせます。

                         

 7月13日に93歳になられたマーシャは、持病の心臓病などとうまくつきあわれ、お元気にお過ごしです。この冬にお会いした時よりやや足が弱られた感じで、ウオーカーを押して、ゆっくり歩かれ、転ぶのが一番怖いとおっしゃっていました。そのため、外出も極力控えられ、ほとんどご自宅で過ごされています。すぐ近くにある別棟のアトリエにも通うのをやめられたそうで、絵を描くのも運動するのも、すべてご自宅でと、自己管理もしっかりしておいでです。

                                  

 毎日、はがき大の小さな紙に絵筆を走らせておられるそうですが、お会いするたびに頂く絵のアルバムは、以前のものとまったくイメージの違う絵です。

 これは「世界の自然」というような番組で、ブービーの求愛ダンスをご覧になったからだと思われます。 一つの光景からいくつものアイディアが湧き出るようで、小さなアルバムには26枚もの絵が入っていました。       

                       

             

 今回は、私の滞在先に来ていただくことにしたのですが、車で20分の距離といえども往復40分。 93歳のご高齢の方を長い時間拘束するのはよくないから、2時間以内には戻ってこようと心ひそかに決意し、さすれば、1時間20分以内で話を切り上げなければ…と考えつつ1時にお迎えに行きました。        

   

    

 マーシャを乗せて車を運転しながら、ふと私は、自然の大好きなマーシャに海を見せたいと思って、太平洋の海岸線を走りました。

  真っ青な海に太陽がきらめき、銀色に光る海面は波が踊っているようでした。遠出をしないマーシャは、何を見ても歓声を上げ、まるで子どものような喜びぶりでした。

                                              

  

                           

 家に着くと、子ども時代は、ハドソン川で丸一日水遊びをしたとか、二人のお姉さんと湖で泳いだとか、水に関する思い出を一気に話されるのでした。 子ども時代に経験した感動を、今なおしっかりと心にたたみ込んでいて、ふとした瞬間、間欠泉のように吹き上がらせるのだと思いました。                                      

  マーシャは「絵本を語る」(マーシャ・ブラウン著・ブック・グローブ社・上條由美子訳)の中で、すぐれた挿絵を評価する秘訣の一つとして、こう語っています。                                                                        「自分の見たこと、深く心に感じたこと、意識の下にひそんでいる思い、人生に対するさまざまな反応など、すべてが画家に影響を与え、しばしばそれが作品に表れていて、それを見る私たちの中に似たような反応を引き起こすことがあります。絵の中には、その絵を見たときの反応がずっと後まで消えずに残っているものがありますが、一度見ただけですべてがわかってしまうような、ごく限られた経験しか与えてくれないものがあります。」

 画家は一枚の絵の中に、全人間性を注ぎ込んで書いているのだと思います。そういう絵こそ、見る人に何かを感じさせ、繰り返し繰り返し手に取って読みたいと思うのでしょう。

 私はマーシャの絵を毎日見ながら、数年前に訪れたガラパゴスの動物たちを想い、幼いころの海辺の出来事を回想し、それにつながるさまざまなことを、今、心の中にめぐらせています。

  マーシャは三人姉妹の末っ子。一番上のお姉さんは亡くなられましたが、真中のヘレンは95歳でまだまだお元気。「絵本を語る」の中にも、三人一緒に本を読みふけったこと、牧師のお父さんが新任地に移った時、まず最初に訪れたのは図書館だったことなど、よい本に囲まれて育った子ども時代が語られています。                  

 

 marcia2 マーシャは25歳から30歳までの5年間(1943-1948年)ニューヨーク公共図書館(NYPL)で児童図書館員として働いていましたので、児童図書館サービスの基礎を築いたアン・キャロル・ムーア女史(1871-1961)の教えを受けてきました。47歳年上のムーア女史ですが、退職後も児童サービスのパイオニアとして若き図書館員に与えた影響は計り知れないもので、「三びきのやぎのがらがらどん」の原書には、「アン・キャロル・ムーアとトロルに捧げる」という献辞があります。福音館書店の日本版は130刷り以降から載るようになりました。

  アン・キャロル・ムーアと同時代に仕事をしていた人は、おそらくこの世には現存しないでしょう。マーシャは、ムーアが89歳で亡くなる直前にも会われたそうで、「私がムーアを知る最後の一人よ」と言っていました。マーシャは人名・地名・年代などを実に克明に覚えていて、インターネットにあったムーア女史の写真をお見せすると、1906年とあるが、NYPLは1911年にできたのだからおかしいというのです。後で調べてみると、五番街42丁目に開館したのは確かに1911年でした。旧館での写真だったのですね。     http://kids.nypl.org/parents/ocs_centennial_acm.cfm (ムーア女史のネットの記事はここをクリック)    

 

 

 

 現在、マーシャの原画や原稿を保存してあるニューヨーク大学・オーバニー校から、今までの作品の背景や昔のことを書き留めておいてほしいという依頼が来ているそうです。断片的にしか覚えていなくてねぇとおっしゃるが、マーシャなら徐々に思い起こすことでしょう。そして、やっと書く気になってくれたのは、大変うれしいことで、「センチメンタルに書きたくないの」とつぶやいておられました。子ども時代の写真も見つけられたとか・・・。どんな記憶が浮かび上がってくるのか楽しみです。

 

 最近読んだ本は、誕生日にもらった ”I was a dancer" by Jacques d'Amboise という本で、それも思い出記とのこと。93歳とは思えぬ頭脳の明晰さと記憶の確かさを持ち合わせておいでで、何につけても好奇心に満ち満ちた心が、人をして かくも若く、溌剌とさせるのでしょうか?

 marcia3

 

 話し込んでいるうちに、時はまたたく間に過ぎ、もう4時。さて切り上げようとすると、マーシャがジャネットに、ここの家の写真を見せたいから、あっちもこっちも撮ってくれと言い出したので、撮影会となりました。2時間厳守の構えが4時間にも伸びて、ご自宅にお送りした時にはもう5時。お疲れが出やしないかと案じましたが、「疲れたけれど、楽しかった!」と、その夜のメールでお返事くださいました。

 私にとっては「真夏の夜の夢」のような一瞬のひとときでしたが。

 

                        

                           愛用のウォーカー  

                          

                          

                             

   こう書いている時にもマーシャから電話が入り、あなたが帰国する前にもう一度、会おうというお誘い。この一週間は具合が悪くて寝込んでいたというのに、そして今週は来客が押し寄せているというのに、その温かいお心遣いと行動力には、思わず頭が下がります。あの1本1本の線にみなぎるバイタリティーは、人生に溢れるその力から生まれたものといえるでしょう。

 豊かな才能と、人間的な優しさと、知恵と美しさと、すばらしいもの何もかもすべてを、神様はマーシャに贈ったにちがいありません。

 

 

 

 


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