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きまぐれ日誌

みどり文庫

マーシャ・ブラウンを偲んで

2015-08-11 17:47:48 | みどり文庫

                2010年1月   マーシャ 91才 スタジオにて

  マーシャが天国に旅立たれたのは、春の光がまぶしい2015年4月29日のことでした。7月13日がお誕生日ですから,あともう2ヶ月半で97才でしたのに。       

 マーシャがアメリカ東海岸のコネティカットから、西海岸に移住されたのは、22年前の1993年。75才の時でした。ロスアンジェルスから南に1時間ほど下ったラグーナ・ヒルズは、冬温かく夏涼しく、気候の厳しい東部に比べて別天地のような処です。真っ青な空と輝く太陽に包まれて、マーシャはこの地をこよなく愛していました。マーシャが最もエネルギッシュに仕事をしたニューヨークには、編集者・作家仲間・図書館員など、子どもと本をつなぐために最善の仕事をした素晴らしい人々がたくさんおられて、一番の故郷だったと思いますが、余生を送られた西海岸もまた、安息の地としての故郷であったことでしょう。西の人は東に比べてみんな親切だと多くの人が言うように、アメリカ人のマーシャですらそう思うと言われた時、一瞬驚いたものです。よき隣人友人に恵まれ、音楽と本と絵の世界に浸って、静かで平和な余生を過ごされたと思います。

      

        2011年1月 マーシャ 92才                        

 私がマーシャと日本で出会ったのは、1994年に来日された時でした。5月16日、東京の有楽町朝日ホールで「庭園の中の三人」(*1)と題して大講演(東京子ども図書館主催)をなさった折りです。私は準備段階から「東京子ども図書館20周年を応援する会」のスタッフとしてお手伝いしていましたので、この時はじめて間近に接することが出来ました。その後は、クリスマスカードのやり取りぐらいのおつきあいでしたが、1998年以降私がカリフォルニアをよく訪れるようになってからは、毎回行くたびに会ってくださいました。年3回ほどの訪問でしたが、17年の歳月の間に、お互いに友情と信頼を深めあえたのは,本当に光栄で幸せなことでした。

 マーシャはいつも私を温かく迎えてくれ、毎回お食事をいっしょにした後は,アトリエ(STUDIO)で、何時間もおしゃべりさせてもらいました。私に気を遣って、お食事は中国料理店か日本食レストラン。そんなに高くはない手頃な昼食を共に楽しみ、お支払いも、前はマーシャだったから今回は私というように、交代でしたものです。マーシャは、最後のデザートに抹茶アイスクリームを好んでよく食べました。 

            

            抹茶アイスクリームを食べるマーシャ

 初期の頃の私の英語力は乏しいもので、英語がもっとできていればどんなに多くを聞き出せたことだろう、私が編集者の能力をもっていればどんなに有意義な仕事ができたろうと、17年の歳月の間に何も出来なかったことを悔やみます。そんな私を相手にマーシャは忍耐強く付き合ってくれました。でも、仕事がらみでなかったのが、かえってよかったのかもしれません。

 これだけの有名作家なら,日本ではスター扱いするでしょう。マーシャはそんなことを気にも留めない人でした。その飾り気のない気さくなお人柄は、「子どもを真に愛する人はこんな人に違いない!」という像を私に深く刻み込んでくれました。実際マーシャは子どもが大好きでした。マーシャの絵本を文庫で読んであげた時、子どもはこうだった,ああだったと語ると、それはもう嬉しそうな顔をするのでした。そして,自分の絵本を読んでくれる子どもや大人が存在してこそ、自分の作品が生きるのだといつも言っていました。

              

物語の世界はひとつひとつ違うのだから、画法も違ってくるはずという。

 17年の間には、アフガニスタン戦争もイラク戦争もあり、マーシャは戦火の中の子どもたちに触れては、目に涙を浮かべて悲しい顔を見せました。戦争を起こす者は大嫌いで、湾岸戦争が激しかりし頃「テレビのニュースにブッシュ大統領が出てくると、スイッチを切るの」と言ったときのお顔はとてもこわいものでした。そして、「私は年老いていて、戦争反対に何もできないのだけれど,日本の若者は何をしているのか?」と聞かれた時には、「なんにも・・・」としか応えることができず、恥ずかしく思ったことでした。常に世界に目を向け、パソコンも使い、時事問題に精通し、知的好奇心は果てしないものでした。

 ここ数年は,私の家族ぐるみでお会いすることが多かったのですが、夫や息子や娘に話を合わせてくれるのはマーシャの方でした。そして音楽好きのマーシャは音狂家の夫に、いつもCDをくれたものです。

                                                  

         2013年8月 マーシャ95才

 私が最後にお会いしたのは、今年の1月3日。夫とふたりで昨年の夏以来半年ぶりにマーシャのお宅を訪れました。5年前には胃と食道の境目のヘルニアに苦しまれたり、昨年は心臓のペースメーカーを入れたり、シャワーの先を落として足の甲を骨折なさったりと、毎回お会いできるかどうかも危ぶまれた数年でしたので、お目にかかれるだけでどんなに嬉しかったことでしょう。

 もう96才というお歳だし、ときどき救急車で運ばれて緊急入院ということもおありだったので、面会時間は長くて1時間、できれば30分と決めていました。            

 ことに今回は「ちいさなメリーゴーランド」(瑞雲舎・2015年6月刊)の訳者の小宮由氏から、あとがきに一言をもらえればと頼まれていたので,大事な用件からと真っ先にメッセージのお願いを切り出しました。1946年にアメリカで出版されたこの本はマーシャの処女作品で、絵本作家としてデビューした記念の一冊だからでしょう。溢れる思いをA4の紙の上に滑らせるようにすらすらと書き始め、たちまちのうちに2枚目にかかっていました。美しいハンドライティングの原稿は5分ほどで、見事に仕上がっていました。さっと読み直しておられたときも、ほとんど書き直すところはなく、いきなり清書となりました。お顔色もよく、なんども危機を乗り越えられてきたが,今度も見事に復活されている!やっぱりマーシャは不死鳥!と喜んでいたのです。

ところがこれが絵本にかかわる最後の仕事となってしまいました。作家生活50年のスタートを与えてくれた本(The Little Carousel 「ちいさなメリーゴーランド」) に捧げた「思い出の記」が、ゴ―ルインの仕事になるとは!

         マーシャが書いた「思い出の記」

   「12−3−2015」 とあるのは「1−3−2015」の誤り   

            

  「ちいさなメリーゴーランド」こみやゆう訳     瑞雲舎 2015年6月 発行                             

 今から思うと、その時にはかなり無理をして会って下さっていたのだと思います。ドアーを開けたとき、いっしょにお住まいのジャネットが迎えてくれ、まずマーシャの寝室に行ってほしいと案内してくれました。一瞬ドキッとしましたが、マーシャはベッドに横になり,傍らのドアーやボードにいっぱい貼付けたご自身の絵を見せてくれました。はがき大の小さな絵は,マーシャが楽しみに日々描いてきたもの。ドクターも、マーシャの生きる目標だから、描きたいだけ描かせてあげなさいと奨励していたそうです。

 そして、「これが気に入っているの」と言ってマーシャが指さしたのは、真ん中に貼られたサンセットの写真。横になった時、ちょうど目の位置に貼られたその写真は、私が海辺で撮った夕陽の写真でした。私は南カリフォルニアの夕陽に魅せられ、水平線にかかる落日のショットをよく差し上げたのですが,その写真は私の最高作品でした。これを私に見せたくて、まず寝室に呼んでくれたのかと、胸が熱くなりました。マーシャはそのあと介護の人の助けを借りて起き上がり、リビングルームで私たちと語り合ってくれました。これが最後の別れの時となろうと誰が予測し得たでしょうか? 


  

   ベッドの側のドアーには、日々の楽しみに描いた絵がいっぱい。

       真ん中の2枚が南カリフォルニアの夕陽。

 3月末にCAを訪れた時には、もうお電話口に出ることもかなわなかったのです。今までお具合が悪かった時には、せめて「声だけでも会おう!」と言ってくれたマーシャが,もう電話にも出られない状態だったのです。マーシャは必ず甦るフェニックス!と一人勝手に思い込んでいた私には、その危篤の知らせも、訃報も現実とは思えず、今なお、マーシャの死が信じられないでいます。

           

         2015年 1月3日 マーシャ96才

         これが最後のお別れになるとは・・・

 マーシャは、1994年に来日した時、自分の人生の一部でもあると語った三人の女性作家、W・ガーグ、V・L・バートン、M・H・エッツについて「庭園の中の三人」と題して講演をしました。その中で三人の女性作家やマックロスキーを指して、「魔法の庭園に入る鍵をもった芸術家」と評しました。この庭園というのは「子どもの内なる想像の世界」で、この庭園を歩く人は、「幼い子どもの目や感覚を通して世界を見ることが出来る人」だというのです。マーシャ自身がまぎれもなくその鍵を持った人でした。

 そしてマーシャはその三人よりも少し遅れたがゆえに、もっと恵まれた時代を背景に仕事ができた幸運な人でした。マーシャが絵本を描いた戦後間もなく1946年から70年代は,アメリカの絵本の黄金時代でした。戦後のベビーブームは子ども人口を一挙に増やし、子どもの楽しみは本しかなく、豊かな暮らしをし始めた若い親たちは、絵本を買い求めた時代だったのです。マーシャは魔法の庭園に入り、その能力を思いの限りに羽ばたかせて絵本を作ったと言えましょう。

             

   1990年と1994年の講演が全収録された講演録

      表紙の絵はマーシャの最近の作品より(*1)

 人は、マーシャにまた絵本を作るよう頼んでくれと,私に言いました。しかし、その時代の絵本作りが,今と違ってどんなに大変であったか、またストーリーと絵の両方のみならず、構成から割り付けまで,一册の絵本を丸ごと一人で仕上げるマーシャのような絵本作家にとって、絵本制作は寝る暇もないほどの激務であったかを知ると、簡単にもう一冊とはとても言えませんでした。ことに物語の世界によって異なった手法を用いて描き上げるマーシャは、並々ならぬエネルギーをどの絵本にも注いできたのです。

 マーシャはこう言っています。

「私の場合,一冊の絵本を印刷に回すまでの全行程に、ほぼ5ヶ月ぐらいかかります。その間、仕事に取りかかったときの、はじめの強い興奮をずっと持ち続けるのがときに難しくなります。・・・ほとんどの場合、テキスト(ストーリー)に対する本当の(忠実な)気持ちと.その気持ちを持続できる力があればうまくいくものです。」(*2)

80才を過ぎたマーシャに「また新作を!」というのは過酷すぎる要求でした。私が出会ったマーシャは、すべての力を振り絞ったあとの安らぎの日々だったのです。

       

                   2013年1月 ご自宅にて マーシャ94才のとき

 カリフォルニアの紺碧の空を仰げば、マーシャが空のどこかからか見ていて、“Hello! ミドリ!”と呼んでいるようです。マーシャのお顔は本当に優しく、その微笑みは女神のようでした。その内面の豊かさがお顔に反映され、体で表現され、絵筆に託されたのです。マーシャの類まれなる才能は、数々の絵本を通して、子どもたちや私たちに、もうすでにしっかりと手渡されました。

 ありがとう、マーシャ!あなたは永遠、そしてあなたの作品も永遠です!多くの子どもたちに手渡していきますよ。

 輝く夕陽は海の彼方に沈んで行くけれども、あくる朝には必ずやって来ます。そして再び生きとし生けるものに恵みを与えてくれるように、あなたは「お陽さま」となって、私たちにいつまでも喜びを与えてくれるでしょう。そしてあなたは庭園の中を自由に跳びはねる「永遠の子ども」なのです。

     

 マーシャ、天国で何をしているの? お姉さんのヘレンは、99才で、3月16日に一足早く逝ってしまわれましたね。一番上のお姉さんと天国で再会し、昔のように三姉妹で仲良く遊んでいるのかしら? 子どもの頃のように三人で本に顔を突っ込んで読みふけっているのかしら?

もちろん一人で黙々と絵を描いているでしょうね。そしてあなたの好きなシューベルトを聴きながら、心を踊らせているかもしれません。

 しっかりと見守っていてくださいね。あなたが愛する全世界の子どもたちが、どの子も人間らしく、子どもらしく生きていられるように! 本を友として楽しめるように!

          2015年夏,カリフォルニアの青い空の下で                       細谷みどり

       

  落日後30分、夕陽は水平線の下から大空と海を染め上げる            

*1 レクチャー・ブックス マーシャ・ブラウン

  「庭園の中の三人・左と右」

      マーシャ・ブラウン著 松岡享子/高鷲志子訳

      東京子ども図書館 2013年発行

*2   「絵本を語る」 

      マーシャ.ブラウン著 上條由美子訳 

      ブックブローブ社 1994年発行


<参考文献> 庭園の中の三人

ワンダ・ガアグ       1893−1946

マリー・ホール・エッツ   1895−1984

バージニア・リー・バートン 1906−1968


<表紙を掲載したマーシャ・ブラウンの絵本>  邦訳年(原書出版年)

せかいいちおいしいスープ     岩波書店   2010年(1947) こみやゆう訳

デイック・ウイッティントンとねこ アリス館  2007年 (1950) まつおかきょうこやく

スズの兵隊            岩波書店  1996年 (1953) 光吉夏弥やく

空とぶじゅうたん         アリス館  2008年   (1956) 松岡享子訳

三びきのやぎのがらがらどん    福音館書店 1965年  (1957) せた ていじやく

もりのともだち          冨山房   1977年  (1967) やぎたよしこやく

ちいさなヒッポ          偕成社   1984年  (1969うちだりさこやく 

影ぼっこ             ほるぷ出版 1983年    (1982) おのえたかこやく

ダチョウのくびはなぜながい?   冨山房 1996年 (1995) V・ア=マダ作 松岡享子訳


                                                       <写真/細谷みどり撮影・禁無断転載>


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