きまぐれ日誌

みどり文庫

オズボーン・コレクション

2010-09-23 23:44:22 | みどり文庫

カナダのトロント公共図書館は、世界の絵本愛好家が訪れるオズボーン・コレクションを持っています。今からおよそ100年前、1912年から1952年にかけての40年間、リリアン・スミス女史は、児童図書館員のパイオニアとして、目覚しい仕事をしました。アメリカのニューヨークで図書館学を学び、そこの公共図書館でしばし働いたスミス女史は、トロント市公共図書館少年少女部(児童部)の部長として迎えられるや否や、書棚にある駄本を一掃しガラ空きになった棚を、一冊一冊、質の高い本で埋めていきました。また小学校を回ってストーリーテリングをして歩くかたわら、後輩の訓練・養成にもあたるという精力的な活動でした。児童室は増え続け、ついに1922年、中央図書館の横、セント・ジョージ・ストリートに、ヴィクトリア王朝時代の家を買い取って"Boys & Girl's House"=「少年少女の家」が建てられました。個人の家のような温かみのある空間で、子どもたちは読書やお話を楽しみ、厳寒の中でも、たくさんの子どもたちが心豊かなものを求めて押し寄せて来たそうです。ここは独立の館ですが、各分館の中に「少年少女の家」と呼ばれるコーナー=児童部が作られていきました。


開館当時、少年少女の家の前で並んで待つ子どもたち

1934年、イギリスの図書館員・エドガー・オズボーン氏はここを訪れたとき、スミス女史の卓越した仕事ぶりに感銘し、蒐集してきた貴重な児童古書をすべて寄贈することを決心します。オズボーン氏は、夫人と共に、1560年から1910年にかけて主にイギリスで出版された古い子どもの本を蒐集していたのです。1934年といえば日本では昭和9年、カナダでも人々の生活は決して豊かではなく、子どもに本を与えるのは贅沢なことでした。この統計は、当時のカナダの大都市の生活事情を示しています。
    風呂なし=59%,  外のトイレ=20%,  シラミ・ノミの寄生虫あり=55%,  暖房なし=82% 
  
オズボーン氏は、夫人の死後3年経った1949年、子どもの本の古書2000点あまりをすべてトロント公共図書館に寄贈しました。それらを永遠に見守ってくれるのは、スミス女史のような識見と熱意をあわせ持つ図書館員がいるトロント公共図書館しかないと考えたのです。 オズボーン氏の申し出には、コレクションを増やしていくことが条件にありましたので、16世紀以前の貴重な本も蔵書に加えられています。

資料のほんの一部をご紹介しましょう。 紀元前3世紀に作られたというくさび型の文字盤は、やわらかい粘土に鳥の羽で彫った字を焼いて乾燥させたものだそうです。



コレクション中最古の本は、14世紀の羊皮紙にラテン語で手書きされた「イソップ物語」です。

イソップ寓話集
 

15世紀半ば以降、子どもに字や数字を覚えさせるために、ホーン・ブックが作られ、広まっていきます。これは、一枚の紙や子羊の皮にアルファベットや数字が手書き・印刷されたものですが、汚れないよう羊や牛の角(ホーン)を熱湯で溶かして伸ばした覆いをかぶせてあり、さらに頑丈にするため、周りを動物の皮で囲ってあります。子どもたちはもち手の穴に紐を通して、ベルトに下げて持ち運び、いつも眺めて覚えさせられたということです。どれも羽子板のような形をしているので、羽根突き遊びをしたこともあったらしく、ホーンの表面に、ヒビが入っているものもあります。 中には文字が浮き彫りになっている金属製のものが使われましたが、これは先生のお仕置きの道具にもなったとか・・・。

ホーンブック


16・17世紀には学校の教育書や行儀作法の本が、子どもを教育する目的で数多く出されました。ことに清教徒時代には、罪と罰を強調することを主題にした本が多く、挿絵も内容の陰鬱さをいっそう強めるようなものでしかありませんでした。
Compendium Octo Partiu Oronum (1505)、少年向けラテン語教科書

 けれども17世紀終わりから18世紀にかけて「ガリヴァー旅行記」(1699)、「ロビンソークルーソ」(1719)などがでてきます。、これらは大人向きに書かれたものですが、子どもも夢中になり、ダイジェスト版や絵本が出てきます。 18世紀のチャップブックと呼ばれる安価な薄手の本は、チャップマンと呼ばれる行商人によって普及しました。それでも本は庶民が買うには高価なものだった
ので、行商人は子どもたちを集めて、声に出して読んでやったそうです。
「物事を公にする」=publish が語源で、[出版する」という語は"publish"というのだそうです。 

18世紀のイギリスは教育ブームで、中産階級の親は子どもの教育費を惜しまず、おもちゃや本を買い与えたので子どものマーケットが確立し、児童書の出版者が台頭します。ミニチュア本を次々と出版したトーマス・ボーン、薬問屋で財を成したニューベリー。1744年、最初の子どもの本屋をセントポール大聖堂の前の商店に開いたニューベリーは、以後23年間、愉しく学ぶことによって知識はより興味深くなると考え、挿絵をたくさん使った本を出版していきます。代表作「靴ふたつさん」="Goodt Two-Shoes"(1765) の挿絵には、自然でユーモラスな味があり、本文と密接に結びついて大成功をおさめをます。ニューベリー以後、子どもの本の出版社は挿絵を必ず使ったので、挿絵画家が認められ、世の人々から敬意を払われるようになります。

 ここには、Elenor Mure エレノア・ミュア作の「三びきのくま」(1831年)があります。伝承を元に、手書きで描かれた世界で唯一、世界最古の作品です。現在これを復刻する作業を進めている最中だそうで、完成が楽しみですね! 

19世紀に入ると、産業の発達に伴い、子どもの本は黄金期を迎えます。機械による色刷りの印刷技術が発達し、優美な色彩の絵本が登場します。着色版制作者でもあり印刷業者でもあったエヴァンズの下、ウォルター・クレイン、ランドルフ・カルデコット、ケイト・グリーナウェイといった傑出した画家が活躍した時代でした。

 
ラング作「むらさき色のお話集」      ウォルター・クレイン画「長靴をはいたネコ」(1875)

挿絵画家・ジョン・テニエルの名は、ルイス・キャロルの「アリス」につけた挿絵によって、不朽のものとなっていきました。


「おとぎの国のアリス」ジョン・テニエル画(1889)

「 少年少女の家」は、老朽化したため、1964年平屋のビルに建て替えられましたが、1995年カレッジ通りのリリアン・スミス館に移転するまで、ここで活動されていました。
歴史詳細 http://www.amtelecom.net/~manchest/Lillian_Smith/bg_house.html
     
古書蒐集は継続して行われており,1962年には「リリアン H.スミスコレクション」、1978年には、カナダ人の作品を集めた「カナディア・ルーム」も開設され、その総数はおよそ7万点。歴史上、価値のある14世紀から20世紀までの過去600年間にわたる児童書が、オズボーン・コレクション室に収められているのです。




ここには、日本人の梶原由佳さんが勤務しておられ、日本語でそれは親切に説明してくださいます。6年前に伺った時も詳しく見せてくださいましたが、今回は必見のものをあらかじめ出しておいてくださり、丸二日かけて極めつけのものを、じっくり見ることができました。それでも、もっともっと時間がほしいと思ったくらいでした、。由佳さんはカナダ人のご主人といっしょに長年トロントに暮らしておられ、「赤毛のアン」についても研究されています。


傷んでいる本は専門職員が修復作業をし、本によって特別な箱を作ったり、書見台を作ったり、本の保護に工夫が凝らされています。年々増大するコレクションのカタログ化が主な仕事のようですが、CD-ROM化されると、遠く日本に住んでいても、コンピューターを通して、昔々の本に出会えるような日がいつかやってくるかもしれません。 1979年、ほるぷ出版から「復刻 世界の絵本館 オズボーン・コレクション」として35点が出版され、私も大枚をはたいて買いました。しかしあの豊かな財宝を直々に見る感動は、復刻版ではとても味わえませんでした。日本で製作するにあたり、紙質・印刷技術の粋を尽くしたとあとがきにありますが、本物がかもし出すオーラとでもいいましょうか、風合い、感触はイミテーションでは到底味わえません。

しかし、コレクションの中から選ばれ展示されてきた仕掛け絵本などは、デジタルコレクションで見ることが出来ます。
下記ページの一番下の方にある"Virtual Exhibits"の中から選んでご覧になってみてください。
http://www.torontopubliclibrary.ca/osborne/events.jsp
   (仕掛け絵本は、一番下にある”This Magical Book”をクリック)

 
リリアン・スミス館の正面玄関に居座る一対のグリフォン。頭部前足は鷲で翼を持ち、胴体・後足はライオンの姿をした怪獣で、黄金の宝を守るといわれる。

トロントの「千夜一夜おはなし会」 

2010-09-19 15:44:06 | みどり文庫

 長い間のご無沙汰をお許しください!記録づくめという日本の猛暑をしのいでこられた日本のみなさん、お元気でしたか?
 私は暑い日本を逃れて、海の向こうにいたのですが、7月下旬に訪れたアメリカ東部とカナダのトロントもやはり暑かったです!
 北海道と同じ北緯45度というトロントも夏真っ盛り。。地下鉄の蒸し暑さと日差しの強さには参りました。それでもカナダでは、短い夏の貴重な暑さとか・・・人々はぎらぎら輝く太陽を、思いっきり楽しんでいるようでした。

トロント島から、トロント市街を眺める

 トロントは地下鉄や公共交通機関が発達しています。乗り物は、初めに3ドル(約240円)払うと、乗り継ぎの地下鉄・市バス・市電はみんな無料です。たとえば、空港から30分バスに乗って、終点駅から地下鉄に乗り継ぎ、さらにバス、そのあと市電に乗っても、最初の3ドルだけです。
降りた駅で、”TRANSFERS" の切符をとれば、一定時間内なら延々と次の乗り物に乗れるシステムです。これは便利でしたねぇ。但し一駅乗っても3ドル。トークンや、一日パスをを買えば、もっと安上がりに動けます。
TTCと呼ばれる地下鉄のあるホームには、柱ごとに巨大なブロンズ像があった。 地下鉄のホームで、地上を走る市電に乗り換えらる所もある。
  
トロントの地下鉄。  降りた駅で "Transfers" の切符をとると、次の電車やバスに無料で乗れる


 以前にトロントを訪れたのは、6年前の夏。初めて着いたその夜、偶然にも「ストーリーテリングの会」があるというので覗きに出掛けました。古い教会の一室に響く朗々とした語りが忘れられず、あの語りにもう一度出会いたいというのが、今度の訪問の一つの目的でした。嬉しいことにその会は、今なお元気に存続していました!場所はダウンタウンにある大学の一角にかわっていましたが、見覚えのある顔が、変わらずそこにありました。確かな信念を持っている会は根強いですね。

 ”1001 Friday Nights of Storytelling”と称するそのお話会は、毎週金曜日の夜、8時から10時まで開かれています。その2時間の間、語りたい人が自由に手を挙げて、次々と語っていくのです。あらかじめプログラムがあるわけでもなく、間に10分間ほどの休憩をはさんで、色とりどりの話をたくさん聞くことができました。1978年から、32年間、毎週欠かさず開かれているというから、すごいですね。元図書会員やストーリーテラーが中心ですが、参加者は老若男女で、職業もさまざま。私の隣に座っていた若い男性はミュージシャンで、2回目の参加だと言っていました。
会の案内にはこう、記されています。

 千夜一夜の会は、誰もが語り手として、聞き手として自由に参加できる。ただし、読み手であってはならない。
 誰もが自由に話し、歌い、詩を唱え、物語を語ってよい。
 ただしそれは、自然に、記憶の底から語られるものでなくてはならず、書かれたものを読むのであってはならない。
 ここに集った人々は、昔話、個人の経験談、文学、創作、詩、バラード、歴史のエピソードを、人の声を通して、聞くことができるだろう。



その夜は、グリムの「かえるの王さま」や一週間のバラードをギターに合わせて歌ったもの、また、ハロウイーンの日の思い出や、こわーい話もありました。圧巻は「ハメルーンの笛吹き」で、語り手の横に座る笛吹きが話にあわせて吹く笛の音色は、たまらなく美しいものでした。感心したのは、言葉の鮮明さと声の張り。身振り手振りはほとんどなく、淡々と語る姿は、リリアン・スミス女史の伝統的な語りを思わせてくれます。
プロとして名を馳せている人もいるのでしょう。学校でのおはなし会も引き受けているようです。



私にも何か語れというので、どうしたものかと思案しました。日本の昔話をいい加減な英語に直して語っても、音としての流れやリズムが感じられません。また日本語で語っても、話の筋を英語であらかじめ説明しておかなければ、どんな話かわかりません。それじゃあ、面白味がまったくないわけです。そこで「ちいちゃいちいちゃい」を日本語で語ることにしました。これなら、誰もが知っている話なので、日本語で聞くとこんな感じになるのだ・・・・ということだけでも伝えられればと思ったのです。
 ところが、いざ英文と照らし合わせてみると、「TEENY-TINY」という言葉は、60ケ所もあるのに、「ちいちゃいちいちゃい」という言葉は45ケ所しかないのです。「ちょっぴり」「ほんのちょっぴり」「前よりもうちょっぴり」ということばに置き換えられているのが12ケ所。それを足しても57個しかなく、3つは割愛されています。英語のTEENY-TINYは形容詞にも副詞にもなるのですが、日本語では「ちいちゃいちいちゃい、疲れました」「ちいちゃいちいちゃい奥まで、隠しました」とは言えません。石井桃子さんの苦肉の策でこうなったのだと考えるよりほかありませんが、そのまま使えると思った「テーブル」という言葉は原文にはなく、「ちいちゃいちいちゃい晩御飯に食べる、ちいちゃいちいちゃいスープができるだろう。」というのが原文だと言うことも気が付きました。
語る前に、TEENY-TINY は、日本語で「ちいちゃいちいちゃい」と「ちょっぴり」に置き換えられている旨を説明しましたが、「TEENY-TINY」の一言で貫かれている英語の原文に比べ、日本語訳はリズムにつまずくと感じたことでした。



 以前、こちらに滞在する日本人が、「かっぱの話」を英語で語ったそうですが。「かっぱ」がどんなものかまったくイメージが湧かないことを案じて、河童の絵を描いて、紙芝居にしてやったそうです。でも聞き手は、「かっぱ」がどんなものか知らないが、絵がないほうがよかった!といったそうです。間違ったイメージだとしても、みんなそれぞれに描くことが大事なのだというのが、この会の姿勢だと感じました。

私たちは、「お話」というと完成された文学を思い浮かべますが、ここに集っている人々は「人が感動したことを聞いて、自分も感動することを喜びとしている人々」なのだと思いました。そしてそれこそが、「お話」の原点じゃあないかと教えられます。
「人には、他人に話したいことが、いつも必ず一つはあるはずだ」と、彼らは言います。
伝承の語りは、ここから始まったに違いない・・・と確信した夜でした。