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快晴の東京ガーデンテラス:整備工事中の清水谷公園の散策 PART2

2016年10月03日 06時01分00秒 | 皇居周辺・城西


千代田区立清水谷公園の敷地の北東一帯を散策していきます。この辺りは公園の敷地沿いに崖が広がっていて、崖の上には市街地の建物群が林立しています。




遊歩道内を道なりに散策していくと、前方に「大久保利通哀悼碑」が見えて来ました。この清水谷公園のそばで起きた「紀尾井坂の変」「大久保利通暗殺事件」の舞台として有名です。




「大久保利通哀悼碑」の全景を撮影しました。事件の6年後の1884年(明治17年)に建立されています。




1878年(明治11年)の5月14日に、内務卿大久保利通が東京府麹町区紀尾井町清水谷で不平士族6名によって暗殺された事件です。「紀尾井坂事件」「大久保利通暗殺事件」とも呼ばれています。




哀悼碑の建立者から当公園付近が東京市に寄贈されたのを受け、都市計画で公園として整備され1890年(明治23年)に「清水谷公園」として開園された経緯があります。




大久保利通哀悼碑のすぐそばの崖下には「江戸水道の石枡と木管」と説明板が設置されています。江戸水道ということは、多摩川の中流部から取水していた玉川上水に関連するものでしょうか。




説明文を読んでみると、四谷門から江戸城までの区間に埋没していた上水幹線の石枡なのだそうです。当時は小河内ダムや村山貯水池もない時代なので、水を確保するだけでも大変そうです。




水量が豊富で水源地が琵琶湖という淀川の水を使い放題だった京都・大坂と比べると、関東地方は歴史的に水資源に恵まれていない場所ですね。今年2016年の夏も、関東地方は水不足の一歩手前まで追いつめられていました。




石枡のそばには東京ガーデンテラス紀尾井町の敷地北側へ向かって伸びている階段が整備されています。




緑地帯の東側は急斜面となっていて、以前はこの付近に滝も流れていたのだそうです。




階段を下っていくと、清水谷通り方向へ出ることができます。




階段を道なりに登っていくことにします。




階段を上りきると、清水谷公園の敷地南側を通っている歩行者通路前に出て来ます。正面に写っている建物は「参議院議員清水谷宿舎」です。




歩行者用通路、というよりはこちらも階段となっている通路を西側へ向かって登っていくと、東京ガーデンテラス紀尾井町の敷地の石垣群が見えて来ました。この石垣だけは、グランドプリンスホテル赤坂時代から変わらないですね。




石垣前から振り返って、谷底の清水谷通りを見下ろして撮影しました。左側に建っている参議院議員清水谷宿舎の敷地も、以前は紀州藩麹町邸の敷地の一部となっていました。



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