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開業前の環状2号線:開通直前の新虎通りと虎ノ門ヒルズ PART4

2014年03月27日 20時00分00秒 | 城南・港区全域


2014年3月29日に開業する環状第2号線の新橋~虎ノ門区間の「新虎通り」の散策を続けていきます。この環状第2号線の計画は、第二次世界大戦後すぐの1946年(昭和20年)まで遡ることになります。ということは、今年が2014年なので開業までまさに70年を要したことになりますね。




虎ノ門ヒルズまであと約200メートルの地点から、新虎通りの全景を撮影しました。周囲の工事用フェンスなどが無ければ、既に完成していて車などが走ってきそうな雰囲気ですね。




勝どきから築地・青果市場前交差点までの区間については、移転予定となっている築地市場の跡地を利用して2015年(平成27年)に完成する計画であったのですが、同市場の豊洲新市場(豊洲)移転計画自体が遅延している状態です。計画では汐先橋交差点を地下トンネルで通過、現在の築地市場付近で地上に出て、隅田川を橋梁で渡るという構造です。




虎ノ門ヒルズの巨大な高層ビルを見上げて撮影しました。始めてこの高層ビルを見た時は、セブンイレブンなどのコンビニエンスストアで売られているサンドイッチを縦に積み上げたようなデザインなのが奇抜だと思っていましたが、今では自然に受け入れられています。




新虎通りの歩道部分は、工事関係者の人たちの駐車用スペースとして活用されています。




第二次世界大戦終戦直後の1946(昭和21)年、焼け野原となった東京を復興するために、戦災復興院が新橋から赤坂・四ツ谷を経て神田佐久間町まで延長約9.2キロ、幅100メートルの道路として都市計画決定したのが始まりです。




連合国軍総司令部(GHQ)が虎ノ門の米国大使館から東京湾の竹芝桟橋までの軍用道路整備を要求したなどの俗説もあり、この区間の環状第2号線の計画はいつしか「マッカーサー道路」と称されるようになりました。新虎通りの計画段階でも「マッカーサー道路」が俗称となっていたそうです。




その後、1950(昭和25)年に道路幅は40メートルに縮小されましたが、土地の買収などが思うように進まず、実現を見ないまま長期間が経過しました。そして虎ノ門から汐留にかけての部分は、2003年(平成15年)に事業化され、2005年(平成17年)に着工された経緯があります。




日比谷通りや外濠通りなどの大通りに面していない虎ノ門地区や、西新橋地区の中には高度経済成長期に建てられたような商業ビルや雑居ビルなどが多く、今後は取り壊し工事が本格的に始まると予想されます。




新橋から虎ノ門まで一気に進むには、虎ノ門ヒルズの地下に建設された地下自動車道区間を進むルートになっていて、途中の都道301号線の祝田通りなどへ進む場合には地上区間を走行することになります。




しばらく歩くと、虎ノ門ヒルズの高層ビルの低層階の商業施設建屋が見えてきました。3月初めに訪れた時には、建屋全体が工事用フェンスに覆われていたのですが、今では建物の外観の全景が見えてきました。




都道301号の祝田通りへの交差区間へのアプローチ道路の全景を撮影しました。この道路は緩やかな左カーブを描いていきます。




虎ノ門と新橋をダイレクトに結ぶ地下自動車道は、虎ノ門ヒルズの高層ビルの真下を通り抜けていきます。1989(平成元)年の立体道路制度創設を契機として、道路整備とビル建設とを併せて行う、市街地再開発事業によるまちづくり提案が生まれたことで、虎ノ門ヒルズのような高層ビルの建設が可能になりました。




「立体道路制度」とは、日本において道路の上下の空間に建物を建築したり、道路と一体構造の建物を建築することを可能とする制度であり、高速道路のインターチェンジの上に建物を建設するなどの手法があります。




新虎通りの地下自動車道区間の地上換気塔をズームで撮影しました。換気棟周辺ではクレーン車が稼働していて、何か工事が行われていました。




高層ビルの真下に自動車道路が整備されるとなると、トンネル内の自動車事故などで火災が発生した場合、煙や炎が上部の高層ビルに与える影響などが心配ですが、きちんと対策がなされているのでしょう。



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