緑には、東京しかない

千葉県の東京寄りに住んでいる私「緑」が大好きな東京の散策写真のブログを作ります!!!

開業後の東京駅:JPタワー低層棟に沿って散策し丸の内駅前広場へ

2012年11月08日 20時41分29秒 | 東京駅周辺


横断歩道を渡ってJPタワー低層棟の建物に沿って歩き、丸の内駅前広場へ戻ることにします。緑が今散策している周辺は時間帯の関係からか、周辺の高層ビル群の作り出す影の中に入ってしまっているので昼間なのに夕暮れのような暗さです。だからこそ皮肉にも快晴の青空の鮮やかさが見事に引き立つ写真になってしまいました(汗)。今回の散策の目玉であるはずの丸の内駅舎さえも、「快晴の青空の引き立て役」になっています。




完成時の東京駅本屋は地上3階・地下1階建、建築面積約7800平方メートル、延べ床面積約2万3900平方メートルで、高さは地盤からドーム上面まで約34.8メートル(避雷針を除く)、中央部の軒高は約16.7メートル、長さは約335メートルですが南部の斜めに折れ曲がっているウィングを除くと約270メートルでした。竣工当時、周囲は更地だったので遠くからでも目立っていたと言われています。




使用した材料は煉瓦926万6500個、セメント2万8843樽、花崗岩8万3395切、鉄材3500トン、木材1万8200尺、松丸太1万1050本に上りました。作業員は延べ74万7294人で、1日平均300人強が働いていましたが、もっとも現場が忙しい時期には1000人近くが働いていました。工事中に4人が転落事故で亡くなっています。工費は「東京停車場建築工事報告」で集計の時点で282万2005円で、その当時工事中であったステーションホテルの費用約16万円を含めると約298万円に達しました。




JPタワー低相当前から撮影した丸の内駅舎「南ウイング部建屋」の全景です。丸の内北口の北側にはウイング部分がないので、丸の内駅者を正面から見ると左右非対称な形に見えるのです。




プラットホームは丸の内駅舎側に電車発着用の2面、八重洲側に列車発着用の2面が用意されました。このうちもっとも西側(丸の内駅舎側)の電車用1面のみ幅が30尺 (9.1メートル) で、他は40尺 (12.1メートル) 用意されました。当時としては非常に広いプラットホームで、これは天皇行幸時の歓送迎の儀式に必要な大きさから決められたものであったのです。長さは電車用が492尺 (149.1メートル)、列車用が775尺 (234.8メートル) ありました。




東海道新幹線や東北・上越新幹線の400メートルの長さを誇るホームが整然と並んでいて、JR東日本の在来線ホームが所狭しと並んでいる現在の東京駅と比較すると非常にコンパクトな雰囲気だったのでしょうね。当時はまだ総武快速横須賀線の東京地下駅や京葉線、営団地下鉄丸の内線の東京駅も存在していませんでした。




乗車口・降車口・電車降車口と結ぶ3本の通路が高架下に通り、またこれとは別に皇室口から特別通路が設けられていました。さらに手荷物運搬用の通路や、東京中央郵便局と連絡する郵便物運搬用の地下通路なども設けられていました。この他構内には客車用の留置線、洗浄線、検査修繕設備、機関庫などが配置されていました。駅舎や高架線、プラットホーム、通路などを含めた中央停車場の総工費は407万1210円と集計されています。




丸の内南口交差点に到着しました。創建当時は荒れ地であった駅前も2012年現在は高さ200メートル前後の高層ビルが整然と建ち並んでいます。駅前広場に展開していた工事用の仕切り板が完全に撤去されたので、広場全体を見渡せるようになりました。




丸の内駅舎やプラットホームの建設作業が進んでいる段階で既に新橋駅から線路の延伸工事は完了していました。そのため現在の東京駅の北側に「呉服橋駅」という名前の仮駅を設置して、列車はその駅を起点にして発着していました。仮駅の運用開始から4年後、1914年(大正3年)12月20日の東京駅開業に合わせて、呉服橋駅は廃止となりました。




東京駅は建設段階では中央停車場と称されていましたが、開業が迫りその名前をどうするかが問題となりました。東京にはいくつもの駅があるので、中央停車場のみを東京駅と称するのは問題がある、諸外国の例を見ても中央駅とすべきである、という主張もあったのですが、地方の人にとっては東京駅の方が分かりやすいという主張もありました。東京駅の名を提案したのは当時の鉄道院文書課長の中川正太であったとされます。結局開業まで2週間ほどしかない1914年(大正3年)12月5日にようやく鉄道院総裁達第113号により、中央停車場を東京駅とすることが正式に発表されました。




JPタワーのメインエントランスの前に立つと正面に「丸の内オアゾ・日本生命丸の内ビル」を見据えることができます。




同位置から丸の内駅舎の南ドームを撮影してみました。建物そのものよりも、新しく作り直された雨よけの屋根の方が気になってしまいました。




12月18日には、来賓を招いて開業記念式典が開催されました。鉄道院は2345名に招待状を出し、出席は1508人でした。当初は大正天皇の臨幸を仰ぐ計画もあったのですが、即位大典の直前であるという理由で中止となっています。開業式では鉄道院総裁の仙石貢や内閣総理大臣の大隈重信、東京市長の阪谷芳郎らが祝辞を述べています。




南ドームをズームで撮影してみました。背後にグラントウキョウノースタワー頭頂部に刻まれている「GRANTOKYO」の文字がうまく収まるように工夫してみました。




丸の内南口の路線バス乗り場から撮影したJPタワー低層棟です。




路線バス乗り場から丸の内駅舎を撮影してみました。今まで全く気が付かなかったのですが、この位置からでも南ウイング部建屋全体を撮影することができました。




開業式の2日後の12月20日から東京駅は正式開業し、一般に営業を開始することになりました。同時に呉服橋駅は廃止となり、また鉄道開業以来の始発駅であった新橋駅は旅客営業を廃止して汐留駅となりました。高架線の上で営業していた烏森駅が代わって新橋駅となっています。



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