goo blog サービス終了のお知らせ 

SIMPLE LIFE

小説、映画、テレビなどへの個人的所見などを。(ほぼ独断)

春の夢

2018-10-29 22:16:25 | レビュー
前の記事で竹宮先生の「ワン・ノート・サンバ」について書いたら、もう一度読みたくなっちゃいまして、古本屋を漁りに行ってきたんです。
……なかった、2軒も回ったけど、影も形もない。そもそも、竹宮先生の漫画自体が置いてなかった()
哀しい。もう私たち世代の漫画はお払い箱なの?(泣)別にこの人の大ファンってわけじゃなかったけど(ちがうんかいっ!)それでも、一時代を築いた人よぉ~今のヤオイの元祖みたいな「風と木の詩」とかさ。私だって一応あの時代の少女のタシナミとして、読んだことは読んだのよ。結論としては、ワタシャ駄目だ、男同士とか、少年愛とか、背中がゾワゾワする、と思っただけだけど(笑)だって、このマンガ、スゲーヘビーだもん。今の腐の方々が、男同士が仲良くしている姿を見てるだけで、盛り上がれるような、妄想程度の話じゃないもん!なんで、こんなハードなポルノを、少女マンガ雑誌に連載してたのか、今もって謎。ある意味、攻めてたね、あの当時のマンガ界は。
話が逸れました。「ワン・ノート・サンバ」捜索に話を戻します。
BOOKOFFになかったけれど、もしかしたら、TUTAYAのコミックレンタルにあるかも、と淡い期待を抱いて行ってみたんです。……ま、あるわけないとは思ってました、ええ。諦めました。ただトシちゃん関係で、読みたかっただけだから、何が何でも、というわけでもないし、と自分に言い聞かせました。
しか~し、代わりと言っちゃあなんですが、買うつもりで、すっかり忘れていたマンガを借りられました。
「春の夢」
ポーの一族の何十年ぶりかの続編だそうで。竹宮先生の宿敵、萩尾望都先生の代表作ですな。……えっ、宿敵じゃない?アタシの中では、そういう設定よ何故か(笑)
昔の名作の続編なんて、この作家らしくないわ、と否定的に見てたので、なかなか読まなかったこの作品。読んでみたら、いや~甦った甦った、いろんな意味で…って、トシちゃんの時も書いたな、このフレーズ()ワタクシ、只今絶賛回顧モードなのかも。
ツンデレ王子のエドガーとか、性格悪くて体も虚弱のお荷物キャラ、アランとか、懐かしいっ!というか、よく帰ってきたね~というか。
無論、作者も年月重ねてますから、作画も変わっています。しかし、多分若いときには描けなかったであろう人物像も出てきて、なかなか、この続編意味深いのかも、と思いました。作者が年を重ねたからこそ描ける人物があるんだな~と。
どういうことかといいますと、昔はやっぱり作者も少女に近い年齢だったわけですよ、だから、人間の業の深さなんて、分かるわけもない。そういう人物が出てきたとしても、想像の産物みたいなもんです。しかし!今はそういう人間をちゃんと描ける。なぜなら、そういう人をたくさん見てきたであろうから、のみならず、自分のそういう部分も自覚せざるをえないから、長年生きてきた人間として。
昔の「ポーの一族」は、怪奇譚ではあっても、やはり少女マンガらしさがあったんです。甘く、美しいゴチック調の絵と共に。
ところが、続編になると、主人公たちの周りの人物が、揃いもそろって、グロテスクな奴ばっかりなので、主人公のエドガーが、その冷酷さで見劣りしちゃうほどなんですよ。
……エドガーは吸血鬼ですよ、知ってますよね、てか、知ってて、この記事読んでね、読んでいる人がいるなら(笑)

この「春の夢」は、昔のファンからは、どういう反応を得たのかは、ワタクシ存じませんけど、多分「ポー」の世界を汚された!と思った人もいたかもしれないなあ、と感じます。確かに、あの作品の奇跡的な美しさは、もうないかもしれない。でも、あの美しさって、やっぱり世間知らずのお姫様的なものじゃないか、って思うんですよ、今の私から見ると。なにか、立体的ではない、絵画のような表層的な美というんですか。
しかし、お姫様も歳はとる(笑)世間を知っていく、となると、美しいだけではいられんのよ……ってことになる。すると、この作品から少女マンガ感が消えていく、いや、消えはしないけど、その要素は薄まるわけです。
薄まった美しさの替わりに、登場人物に実態感が現れる。人間の醜さも、欲望も、弱さも、余すことなく描かれる。
そういうある意味暑苦しい人物らに囲まれて、主人公は、どこか存在が薄い。いや、元々バンパイアなんて、影みたいな存在ですけど、それでも、以前の「ポー」では、人間に害をなすことが出来る邪悪さもあったんです。ところが、この続編では、周りの人物の方が強烈なんで、エドガーが被害者みたいに見えちゃう。
つまりね、エドガーたちは唯生きてるだけなんです、死ねないから。ところが、死ぬ運命にある人間は、命に限りがあるから、自分の欲に正直だし、他人を押しのけることもいとわない。それの最終形態として、戦争なんかやってますしね(このマンガ、第2次世界大戦の真っ最中)
いや、人間だけじゃない、エドガーと同族なのに、欲望まみれの女のバンパイアとか、エドガー以上に長生きしてるのに、全然悟らない奴とか。も~元気いっぱいで、迷惑極まりないのよ。でも、こういう欠点だらけの人物が、やっぱり面白い。吸血鬼なのに人間臭い……矛盾してますけど、そうとしか言いようがない(笑)
多分ね、萩尾先生は、もう、主人公二人にはあんまり興味がないかもしれない。それよりも、まわりの変な人間やら、やる気満々の吸血鬼を描きたかったんじゃないか?とさえ思っちゃうんです。
元々、エドガーたちには、歴史の傍観者、という役割もありましたけど、この作品においては、傍観者でさえいられない。強烈な人物らにサンドバッグにされる立場に陥っている、そんな感じです。
で、思う。死なないって、なかなか辛いわ~と。私は、人生50年でいいです。あ、過ぎてたわwww


刑事モース オックスフォード事件簿

2018-10-08 21:17:19 | レビュー
今日は、田原クンじゃない!だから、きっと、いつもより、更に誰も読まない!(笑)

このNHKのBSで流していた「刑事モース」シリーズ、前シーズンで、とんでもないところで終わりやがって!
続きが気になるし、全然続きを流さない(イギリス本国では、随分前に放映済み)公共放送さまに、怒りの凸電してやろうか!と思ってたのよ(笑)
友達の亭主が、ここにお勤めしているので、なんとかしろいっ!て文句言ったんですけど「そんなこと言われても~部署が違うし~」とか言われて。
・・当たり前ね、ワタシの文句ひとつでどうかなったら、それこそ怖いか(笑)
でも、ワタシと同じ気持ちだった人も結構いたみたいです。凸電はかけなかったようですが、ご要望メールは多かったらしい。
そりゃそうよ!主人公が嵌められて、逮捕、収監されて、その上司は撃たれて、生死不明……なんてところで、どうしてシーズン最終回!?
気を持たせるにもほどがあるわ!
イギリスのドラマまで、アメドラみたいなことをやるのね、最近。
ビックリするようなシーズンラスト。で、新シーズンにご期待を~って。
やめてよ!わたしの老い先そんなに長くない(笑)待ってるうちに、死んだらどうすんのよっ!
・・そういう人は、つまんね~日本のドラマでも見ておけってか?
やだね、ジャニーズが幅利かせてるうちは、アタシャみないからね(逆恨み)
うそ。竹野内関係だけは見る(笑)

で、ようやく流れた「刑事モース」新シーズンですが、これが、もう全編ネタ?というドラマでございました。
どんなネタか?
観た人は、多分全員がこう叫ぶ。
「華麗なるギャッビー」かよっ!と(笑)
まんま、まんまなのよ!そのギャツビーの設定をアメリカからイギリスに移して、その世界に休職中のモース刑事を置いてみた・・という感じです。
小説「ギャツビー」の語り手役をモースが担っている的な。
ディカプリオの映画の時は、トビー・マクグワイアが演じていた役です。
アメリカの上流階級をイギリスの貴族階級に置き換え、そこに侵入してくる謎の成金の美青年と貴族夫人の過去の恋愛、そして成金青年の愛の妄執を、第三者の目から描く。
一方で、しかし、これは「刑事モース」なので、殺人事件も解決しなきゃいけないのです、主人公は。
モース忙しい~(笑)
しかしっ!モースは天才刑事なので、解決しちゃう!ホント、天才。嫌味なぐらい()
ただね、オチというか、その犯人像がさ・・禁じ手!
ノックスの推理小説の十戒というのがあるんですが、それの10番目の戒めを見事に冒してます!
ワタクシ観ていて、「それをやったら、何でもありじゃん!」と思いましたよ。
ま、いいけどね。そうはいっても面白かったし(笑)今時、格調高い文学調のドラマなんて、なかなか海外ものでも見られないもんね。
それを、人気のミステリーシリーズに乗っけてきた、と。日本で言ったら「相棒」に夏目漱石混ぜ込んできた!みたいな感じかな。
・・違うか(笑)

このモース役の俳優さん、イギリスならでは、という顔です。若いんだか老けているんだか、よく分からないし。
顎が細くて、ヒョロヒョロした、神経質そうな風貌。アメリカのドラマでは、絶対主人公にはならない顔。
「シャーロック」のカンバーバッチさんも、そうじゃん。いわゆる美青年ではない。
日本で言うと、長谷川さん。下の名前は・・忘れた()興味が無い人のことは、忘れるワタシ、ごめんね。シンゴジラの主人公だったのに(笑)
ワタシはただ赤坂補佐官目当てに見に行ったのよ、ウフッ。
話逸れ過ぎ!
ともかく主人公はピっカピカではないが、このドラマにはちょうどいい感じですな。地味だが奇妙、うん、まさしくイギリスドラマ!
2回目も楽しみ!レビューは書かないけど()










田原俊彦 ハッとしてGood

2018-09-13 23:19:00 | レビュー
youtubeって、何故か私の好みを知っている!一度も、この人について呟いたことも(そもそもツイやってないけど)検索したこともないのに。
北島マヤ、恐ろしい子!……何言ってんだアタシ。
いやね、何の気なしにツベを見ていたら、ワタシの青春、いや愛の根源!(笑)の若き日のお姿が飛び込んできたの!
も~甦った甦った、色んな意味で。
好きだったの、洋楽しか聞かない私が唯一ミーハーに好きだったアイドル。
なぜ、そんなに好きだったのか、自分でも分からなかったけど。
たぶんね、周りがみんな、アイドル押し活動をしていたので、乗り遅れまいとしたのかも。
マッチとか、チェッカーズとか、絶対ラミネートされた明星(平凡も可)のグラビアを下敷きにしたりしてた。
……80年代の中学生&高校生、女子はスカートが長くて、みんな聖子ちゃんカット
男子はチョイと短い学ランに、ボンタン(死語)を思い浮かべた方
あなたの年齢は……やめておこう。お互いに傷つくから(笑)

デビュー曲「哀愁デイト」の時は、何とも思わなかった。
生意気ざかりで、今で言う「意識高い系」の子供だった私。
姉の影響で、クイーンとか、ボウイとか、そういうブリティッシュロックにまみれていたし
(今考えると相当ヤな中学生ですわ)
なぜ、歌のへたくそなアイドルに血道を上げねばならん、上げる理由がないわっ!とさえ思っていた。
でも、ある日突然、愛に目覚めた!(何言ってんだアタシ)
グリコアーモンドチョコレートでっ!
若い人は知らなくても、ある世代以上は、すぐわかる。あの伝説の(伝説か?)CMを思い浮かべる。
デビュー間もないトシちゃんと聖子ちゃんが、高原で!テニスコートで!ボートで!
爽やか~に恋の始まりを演じる、あのCM。
昔のCMは良かったな~とか言い出すと、もはや老害のレベルですな。
多分、昔のCMだからじゃない。あれはCM史に残る大傑作だろう、と思う。(断言)
このCMの中で、この二人がモーレツに可愛いのよ。奇跡的なほど純な雰囲気。
かといって、別に古風な若者を演じているわけじゃないの。
その当時の、フツーのそこらにいる兄ちゃんと姉ちゃん風なのよ。
でもすごーく可愛いし綺麗なカップルに見える。
私はこの二人よりずっと年下だったけど「なんて可愛いんだろう!」と。素直に思ったし、周りにも言った。
私の中のヤな子供を制圧するだけのパワーがあったのだ、あのコマーシャルには。
特にトシちゃんのあの可愛らしさ、世間ではアホっぽい、とさえ揶揄される明るい笑顔。
完全に落ちましたわ。あんな男子、絶対クラスにいないもん(当たり前だ)
いや、顔がどうとかじゃなく、あの翳りのない、なんの苦労も無さそうな、いいとこの坊ちゃんな感じ。
のちに彼の生い立ちを知ると、なぜ、あんな顔ができるのか、不思議にさえ思った。
CMのディレクターが素晴らしかったんだなあ、と今は思う。
シロウト同然の新人二人で、あんな傑作を作ったわけだから。
でも、あのCMの裕福で贅沢な、幸福な世界は、もう一つ大事な要素が必須だったと思う。
作り手の演出にプラスされたであろうファクター。
田原俊彦のスタイルの良さ。

現代の背が高くて、足の長い芸能人を見慣れている人からすると、そうか?と思うかもしれない。
当時でも、この間亡くなった西条さんとか、郷さんのほうが背も高くて、足もずっと長かっただろうと思う。
でも、このトシちゃんの体つきの良さは、そういう単なる長身からくる長さが寄与してるものとは違うんだな~
それは、当時は分析できなかった。
なにせ子供だし。だから、ただ「カッコイイ~」としか唸れなかった。
でも、直観的に、その「カッコイイ~」は、情熱の嵐を熱唱する秀樹さんに感じるそれとは、何か違う、と分かっていたと思う。多分。
私たち世代の、新しい、伸びやかな肢体の男の子たちが、とうとう現れたんだ、と感じたというか。
日本人特有の重さや粘度を振り払った、軽い軽~い男の子たち。
ピョンピョンはねながら、長い手足(身長からすると、バランス的に長すぎるかも)で楽しそうに歌い踊るアイドル。
そういう時代の幕開けが、この「ハッとしてgood」によって告げられた!と思う。
……でもね、よく考えたら、こんな人後には誰もいなかったの(笑)
誰も、この軽みは真似できなかったというか。近藤さんはツッパリ路線だから、どこか古めかしい昭和歌謡で、まあ重い重い。
このマッチが売れたので、それに続くアイドルたちは、みんなそっち方面へ走り去って行き
トシちゃんは、一人この軽石のような島に、一人残されて(笑)
そういうわけで、非常に独自なアイドルとして、やっぱり、何となく世間の小ばかにする声を多分小耳にはさみながら
それでも、歩き出してしまったからしょうがない、と覚悟を決めた「男、田原」の、可憐な可憐なころの映像です。
死にそうなほど疲れた顔で、今にも泣きだしそうな笑顔(なんという矛盾した言葉だ)で、でもやっぱり空気のように軽く軽くステップを踏んでます。
なんか、見てると、泣きそうになる映像だわ、ファンとしては。(やっぱ、いまもファン)健気でさ。



田原俊彦 ハッとしてGood

孤狼の血

2018-05-18 22:04:16 | レビュー
この映画、「仁義なき戦い」を彷彿とさせるとか言われてます。
そうなんすか?見たことないので、なんとも言えませんけど。雰囲気かな、実録もの風に撮ってるところとか
別に入れなくてもいい古めかしいナレーションとかですか。
それは、監督のお遊びの範疇じゃないでしょうか。
やくざもの見てるな~という気分に浸ってもらいたいというサービス精神の発露ですかね。
で本当の元ネタはこっちじゃないかな~
「LAコンフィデンシャル」
なっ!(笑)

暴力と陰謀と腐敗。ま、こういう物語のお約束がてんこ盛り。
てんこ盛りですけど、意外にすっきりした流れで、ややこしいことはない。
そういう意味では「LA・・・」より見やすい。
(あちらは、登場人物の名前がエドだのバドだの、ワザと混乱させてんのかっ!と原作の時点でイラつくわたし。
よく考えたら、日本語のカタカナなので混乱しただけで、アルファベットだったら、そんなことはなかったのだろうか・・)
暴力団も意外にこじんまりしていまして(笑)覚えきれない人数も出てこないしね。
過激な描写なんですけど、アタシは平気でした。大丈夫ですよ、女性は、多分。
逆に男の人が、ちぢみ上がるようなシーンが(笑)
私はゲラゲラ笑いたくなりましたぞ、あの場面。

「アウトレイジ」とも較べられてますが、あの映画のオシャレさとは、合いいれないのよ、この泥臭さ。
いや、画面が~とか、描写が~とか、そういうことじゃなくて、監督の持っている思想?いや、倫理観?
この白石監督はまだ若いからか、いや、そういう人なのか分かりませんけど
この人はまだ正義を信じてるのね(笑)
で、北野監督は諦めている・・気がする。
万人に通用する正義なんてないの、と考えている。
だから、この人の映画はすご~く乾いている。
カッサカサで、だから自然画面にはオシャレが溢れるの。
人情とか気色ワリイよ、とか思ってるのか、人間のそういう部分を描くのはどこか嘘くさい、とか感じているのか。
・・ただ単に照れているのかもね。
「アウトレイジ」は、やくざという狭い世界で、バカみたいな理由で争っている、まさに頭の悪い人たちの闘争を
怖い顔の俳優に、浅~い台詞をまくしたてさせるという(顔面アップで)荒業で描いたわけですが
美しくないオジサンたちの怒鳴り合いが、そしてそのアホみたいなストーリー展開が、スタイリッシュに見えるなどという
不思議な結果になりました。
ええ、確かにこれは新しいやくざ映画でした。

しかし、この「孤狼の地」はヤクザ映画ではなく、警察映画なんです。ま、誰でもそう思うでしょ。
役所さんの役は、滅茶苦茶な暴力刑事に見えますけど、実は、物凄く役所さん的な人物なの。
わかる?観た人はわかるはず。スニーカー作りそうな人です(いや、アタシ見てないけど、そのドラマ)
ちょっと、立派過ぎないかなあ(笑)とひねくれものの私。
後半、色んな人が、この人の真実を語る語る。
ワタクシ、他人が人の美徳を語る展開、あんま・・信用できない。
いや、真実味を持たせるために、他人の口を借りるんでしょうけど、なんか言い訳がましい。
というか、人が語って、本当にその人の本質が描けるのか?
人間は、その人自身の言葉と、行動にすべてが表れるはず。
前半と後半でのどんでん返しの為に、こう言う手法を使ったんでしょうけどね。
で、若手刑事が覚醒する。
・・このひとの成長のために、役所さんは、踏み台的な立場になってしまいました(笑)
強いてあげるならば、ここが、私のこの映画に対する不満ですかねえ。

「警察じゃけ、何をしてもいいんじゃ」という言葉は、この映画の本質でした。
滅茶苦茶で横暴な警察!という意味ではないと思います。東映の宣伝では、そんな使い方でしたが。
一般の人々の人権や平和を平気で犯すならば、自分らの人権を踏みにじられても、文句をいう筋合いはないはず、と言いたいのですよ、多分。
不思議に、ジタバタ諦めが悪い人たちなんですけどね。
自分たちの世界だけで、完結して、自滅し合うならば、好きにすればいいんですけど、そうもいかない。
必ず、一般人を巻き込む。
となれば、警察は、いや、役所さんは則を超える。超えすぎちゃって、本人も異常な人に見える。
それが「警察じゃけえ・・」という言葉に集約されたわけですね。

最後、若い刑事は、役所さんを踏襲しません。組織を飼いならしたり、みずからが、そちらへすり寄るような手法は取らないでしょう。
やくざの勝手な作法を利用すれども、もう甘やかさない。警察と暴力団の馴れ合いでは、解決しないと思っているのかも。
だから、この映画の時代設定が「暴対法施行」直前なわけでしょう。
カッコイイわあ~江口さん・・と思っていた人、残念でした(笑)カッコよかないのよ、結局。だってヤクザなんだもん!
君らの横暴で封建的な論理は、通じませんから!という結末でございました。
いや~よかったよかった!
・・でも、やっぱ見かけは素敵よ、両若頭。豚小屋さえも似合うわ(笑)










Finders Keepers

2016-09-30 00:26:28 | レビュー
スティーブン・キング作「Finders Keepers」読み終わりました。
これ、Bill Hodges Trilogyシリーズの第2部でして、キンドル様は、早くも、第3部をお勧めなよう。
・・まだ買わん!買わんぞ!千円切ってこないと、私の財布が、空欠になるわいっ!
ま、それは置いておいて、この「Finders keepers」ですが、やはり中々の読み応えでした。
ワタクシ、前作「Mr.Mercedes」で、初めてキングを原語で読んだんです。
なぜか?図書館が、中々、最近の作品を買ってくれないから!もう、無いのよ~訳されたものが。
しょうがないので、キンドルで買って、原語で読むしかない。
いや~、日本語訳を読んでも分かりますが、原語だと、一際思うこと。
固有名詞多すぎ!知らんがな、と言いたくなりますよ、そんな、アメリカの食べ物だの、洗剤だのの商品名。
でもって、キングいい歳の割には、スラング多用し過ぎ!ま、犯罪者、下層の世界を描いているんですから、美しい英語なんて出てくる余地は無いんでしょうね。
というわけで、第1作目は、文体に慣れるまでちょっとてこずりましたが、第2作目は、もう大丈夫・・と言えれば、いいんですけど。
そうはいかない程度の私の語学力。
それでも、1か月ほどで、読了いたしました。

第1作目「Mr.Mercedes」もそうでしたが、これ、キングの小説なのに、幽霊も宇宙人出ないんです。つまりお馴染みの超常現象が皆無。
定年退職した刑事が、偏執的な殺人者(1作目も2作目も)と闘う・・的なはなし。至ってフツーのミステリーです。
ジェフリー・ディーヴァーが書いたといっても通るかもね。
・・いや、通らんか。ディーヴァーみたいに繰り返されるどんでん返しとかないし。
最後に「あ~そういうことか~」とか「こいつが犯人か~」という感慨はない。
というのも、最初から、犯人出てるから。それも、語り手として。というか、犯人の視点からも描かれているからです、事件の経緯とか、心情とかがね。
謎解きとか、そういう複雑なプロットは、キングは描かないのですな。筋立てが直線的といいますか。
そうはいっても、キングですから、描写は多い。不必要なほど多い。冗長とも評されますがw
ま、そういうとこも含めてキングですから。てか、それを否定したら、何が残るのよ、この人に!
・・言い過ぎ。

この「finders Keepers」は、キングの夢、といいますか、若いころに抱いていたであろう大望みたいなものが、反映されてるのでは?という気分になる小説なんです。
つまり、多分この人、スリラーじゃない、普通の小説で、大家、と呼ばれたかったのではないか?という疑惑といいますか。
粗筋は、これから、訳されて読まれる方が、間違って、この文章を読むといけませんので(そんなことは、ないか)詳しくは書きませんけど、ざっくり言いますと、文学と作家、そしてそれに憑りつかれた人たちの物語なんです。
映画にもなった「ミザリー」は、大衆小説作家と、その熱狂的ファンの恐ろしき愛とストーカー行為について描いていました。あの時の作家は、「通俗的」でない小説が書きたくて、人気小説シリーズ「ミザリー」を終わらせようとします。で、猛烈なファンのオバサンに監禁されて、ヒデー目に遭う・・という流れでした。
今回の小説は、れっきとした普通小説、死語かもしれませんが純文学の分野の作家が出てきます、冒頭に。
若いころ、伝説的な小説を何作か書いて、そのあと隠遁生活に入っちゃった人。
・・はい、もうお分かりですね。これはサリンジャーがモデルなんですね。
で、もし、そのサリンジャーが、雲隠れしちゃったあとも、作品を書き溜めていたら・・と仮定してみたわけです。
ファンは、何が何でも読みたいんじゃないか?と。
で、第2のキャシーベイツが現れるわけっすよ!今度は、男性ですけど。
実力行使で、未発表作を奪いにいくわけです。ここが、導入部。ここから、話がどんどん転がっていくのです、それも30年以上の年月をまたいで。
なかなか、読ませます。さすがエンタメ小説の王者であります。
文学、そして作家と読者の関係性というものを、懇切丁寧な心情描写で、誰にでもわかる言葉で語りきっています。
冗長、陳腐と言われようとも、このやり方しかキングは出来ないでしょうし、それでいいのだ、という気もします。
というか、そんな、作家にとって恐ろしいような分野、読者という闇を、一級のエンタメ小説にできるこの作家。
ある意味、凄い、というか怖いというか。

このサリンジャーがモデルであろう作家が書いた小説が「Runner」
・・はい、またも出ました。これもアメリカ小説の金字塔がイメージされていることは、すぐわかりますね。
ジョン・アップダイクの「走れウサギ」
この「ウサギシリーズ」は4作ほどのシリーズですけど、この「Runner」も3作まで出版されたところで、作者が隠遁しちゃったと。
3作目が気に入らなかった主人公が、続編の噂を聞いて、暴走しちゃうわけです。
本を読む人間なら、どこかわかるはず、この心情。
入れ込んでいる物語が唐突に、それも気に入らない形で終わられたら、そして、じつはその続きが書かれている・・と知ったら。
確かに、いてもたってもいられないという気分はわかる。あんなことはしちゃいかんけれど、分からんでもないぞ、とも思う。
ですから、最後、この人がずっと求めていたものを目の前にして、あんなことになるのは、ちょっと気の毒な気分になるんですよ。
・・何書いてるんだ?的な表現ですけど、読めばわかります。読んで下さい。多分、もうすぐ翻訳されたものもでるでしょう(もう出ているのか?)
ただ、一つ、些細な、いや、実はすご~く根本的な疑問も湧くのです、この小説。つまり、これ、探偵役のビル・ホッジスいなくても良かったんじゃない?と。
犯人ともう一人の主人公、高校生の坊主の物語でも、成り立つんじゃないの?といいますか。
ちょっと、不思議に思いましたね、はい。