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「京都の風景写真」

古都、京都の町に暮らし…身近な町の風景をデジカメとiPhoneで撮った写真を紹介しています。

祇園「ゑびす神社」…商売繁盛で笹もってこい。 十日えびすです。

2011-01-10 01:28:11 | 神社・仏閣
京都市東山区大和大路通四条下る
「ゑびす神社」

1月8日から12日まで十日えびす(初えびす)が行われています。
9日は「宵えびす」で日曜日ということもあって、大勢の参拝者がありました。
10日「本えびす」の大祭、11日は「残り福」祭です。
京都の「ゑびす神社」は大阪「今宮戎神社」・西宮「西宮神社」と並んで日本三大えびすと称されているそうで、関西では「えべっさん」と愛称で呼ばれることが多く、大阪のプロバスケットチームは「えべっさ大阪」といかにも商売の街らしくユニークな名前を付けています。

やはり「えべっさん」は商売の神さまということで、商売人の方は「十日えびす」によくお参りに行かれます。
「十日えびす」といえば縁起物の「福笹」が有名で、笹に飾りを付けてもらってそれを家や店に掛けておくと福が来るといわれています。

また、8日の招福祭には宝恵かご社参があり、東映の女優さんが芸妓に扮して紅白のかご(大阪では「宝恵駕…ほえかご」と呼んでいる)に乗り「商売繁盛で笹もってこい」のかけ声をかけく神社を参拝しました。

この十日えびすは関西以外ではされてないらしく、「えべっさん」「商売繁盛で笹もってこい」と言った関西弁が似合う祭りだと思います。それに、「本えびす」が終わった後も「残り福」と
最後の最後まで福をもらおうといういかにも関西らしい考え方だと思います。

Camera_iPhone4
夜店
ゑびす神社へ行くまでには道路の両側に夜店が並んでいます。

福飴
「十日えびす」といえば思い出すのがこのおたふくの飴で、棒状になっていてどこを
切ってもおたふくの顔が出てきます。いわゆる金太郎飴です。

お守り
干支のお守りだそうです。

人気大よ也
これは「人気大よ也(にんきおおよせ)」といって福笹と同じような縁起物です。
円形の輪の回りに布が下がっており、神の人形が付けてあります。
天井からつり下げるもので、関西にある商店やお宅では時々下げてあるのを見かけ
ます。

参拝
拝殿へ参拝するのに並んでいます。これは参拝者が鈴を鳴らして拝むために順番を
待っています。

板をたたく
正面で参拝した後、拝殿の横を回って木の壁をたたきます。これはゑびす様が
高齢で耳が悪いため、願い事を叶えてもらうように参拝したことを音で知らせるため
です。
参拝するときにも鈴を鳴らして気づいてもらいます。ぞのために参拝者が鈴を鳴らす
順番を待っていたのです。

巫女さん
これは巫女さんが吉兆笹を授与しているところ。雅楽にあわせて舞っています。

笹の飾り
吉兆笹を受け取ったら笹に飾りを付けてもらいます。

 


初詣は「北野天満宮」。。巨大絵馬も飾られていました。

2011-01-03 15:24:47 | 神社・仏閣

京都市上京区馬喰町
「北野天満宮」

北野天満宮に初詣に行ってきました。
この神社は菅原道真を祀った神社で、学問の神さまとしても有名で毎年多くの受験生や修学旅行の学生がお参りに訪れます。
北野天満宮では正月には書き初めが行われ、25日は初天神で露天がたくさん店を出しています。毎月25日露店が並ぶ縁日が行われており「天神さん」と呼ばれ、京都では毎月21日に行われる東寺の弘法市(弘法さん)
と共に有名です。
京都では北野天満宮のことを「天神さん」と親しみをこめて呼んでいます。
今日も初詣の参拝者が多く天神さんに訪れていました。参道の両側にはたくさんの露店が並んでいて、楼門には干支の「卯」の大きな絵馬がかかっていました。

そして、今日でブログの開設から 1350 日になりました。

Camera_Nikon Coolpix P5100

北野天満宮
今出川通から‥‥北野天満宮。歩道まで露店が並んでいます。

楼門の絵馬
楼門に掛けられた干支の絵馬

三光門
正面の三光門を入ると社殿に。参拝の人で混雑してます。

牛
境内には各所に「牛」があり牛の頭をなでると賢くなるといわれていて、学生に人
気がある。 皆が牛をなでるのでピカピカに光っています。

社殿での参拝
菅原道真公を祀った社殿。

奉納狂言
境内の中に楽殿があり、狂言が奉納されていました。

奉納狂言


三光門の後ろに騎馬武者が飾られていました。
説明書きによるとNHK大河ドラマ「天地人」の主人公直江兼続だそうです。

 

 

 

 

 


岩倉の地にひっそりとたたずむ「妙満寺」。。。極楽 極楽

2010-11-25 23:39:01 | 神社・仏閣

京都市左京区岩倉幡枝町
顕本法華宗 総本山 「妙満寺」

京都市街から車で約30分、岩倉にある妙満寺です。
妙満寺を創建した日什大正師(にちじゅうだいしょうし)と言う人で、もと天台宗で名を玄妙といいました。
元は京都市中京区にある寺町二条(現在の京都市市役所の北あたり)
にあったそうでですが、付近の都市化が進み環境の変化により昭和43年に「昭和の大遷堂」ということで、現在の岩倉に移ったそうです。
この妙満寺は顕本法華宗という宗派のの総本山でもあります。
この日も晴天に恵まれて境内の紅葉も進みとてもきれいでした。
やはり京都市内から離れているためか訪れる人もまばらでした。
ただ、京都市内の観光コースになっている寺と違って、人が少ないが故にとても落ち着いた気持ちになります。
本坊の縁側に座って「雪見の庭」を眺めていると時間がたつのを忘れさせました。
境内や木々の手入れも行き届いており、この日も晴天の中ひときわ紅葉も輝いていて、境内を歩いていてふと「極楽浄土ってこんなとこ」て、思わせる雰囲気がありました。

Camera_iPhone4
妙満寺の参門
妙満寺の参門

本坊
境内の中では楓の木も紅葉まっ盛りです。本坊には展示室もあり見学することが
出来ます。

雪見の庭
本坊の中から見る雪見の庭。冬に雪が木に積もるときれいだそうです。
以前は庭の向こうに比叡山が見えたそうですが、今は手前の山の木で見えなくなっ
ています。
縁側に座って庭を眺めていると何か心が洗われるようです。


初詣は「御霊さん(御霊神社)」に おいでやす。。。。。

2010-01-01 23:06:25 | 神社・仏閣
「御霊神社(上御霊神社)」
   上京区上御霊前通烏丸東入上御霊堅町


平成22年1月1日(金)元旦。
 上京区にある「御霊さん」に初詣に行ってきました。
烏丸今出川を北へ、上御霊通りを東に入ると御霊神社(上御霊神社)があります。
初詣と言うことで参拝者も多いと思っていましたが、まだ元旦と言うことで少し少なめでした。

御霊神社は、貞観5年(863年)桓武天皇の時代に各地で疫病が流行しました。その時に「霊」の祟りであるとして、平安京の神泉苑で「御霊会」が催されました。この御霊会が上御霊神社と下御霊神社(中京区寺町通丸太町下ル下御霊前町)の創祀であるとされています。
主祭は、崇道天皇・他部親王・井上皇后・火雷神・藤原大夫神・文屋宮田麿・橘逸勢・吉備大臣です。
宗教法人としての正式名では「御靈神社」となっており、京都では「御霊さん」として親しまれており、毎年五月に御霊祭りが行われています。

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上御霊通りを突き当たると、御霊神社(上御霊神社)があります。

Nikon Coolpix P5100


鳥居をくぐると楼門(西門)があり、境内へと入ります。



境内は広く街中にありながら木々に囲まれ、ひっそりとしています。



拝殿正面にある舞殿。正月と言うことで鏡餅が飾られていました。



拝殿。初詣の参拝者が列を作っていました。



「清明心」の像。
「国際児童年(1979)にあたり生命の尊重と子供達の健やかな成長を祈り、中国宋代の
学者司馬温公の故事に拠って建立された」とあります。



境内の東南奥に「福壽稲荷神社」があります。



福壽稲荷神社の鳥居





平成22年の干支は「寅」、、、今年も奉納されました。護王神社の巨大絵馬

2009-12-26 00:41:41 | 神社・仏閣
「護王神社」
  上京区烏丸通下長者町下ル桜鶴円町


「護王神社」は当初、高尾山の神護寺の境内に和気清麻呂公命の霊社としてまつられていました。明治19年(1886)明治天皇の勅命により、神護寺境内から華族中院家邸宅跡地であった京都御所蛤御門前の現在地に社殿を移されました。
その後、崇敬者によって「狛いのしし」が奉納され猪神社とも呼ばれています。
神社には喜麻呂公の姉の和気広虫姫も祀られています。

祭神和気清麻呂公が、道鏡事件で大隅国へ流される時に足萎えで立つこともできなかったのが、イノシシの御守護によって、立って歩けるようになったという故事に因んで、足腰の守護神と仰がれていて、足腰に関する病気平癒の神社としても知られています。
また、護王神社では毎年その年の干支を巨大な絵馬にして奉納しています。

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護王神社は御所の蛤御門前の烏丸通りに面してあります。

Nikon Coolpix P5100

参門の鳥居脇には「狛いのしし」



参門を入ると正面に干支の絵馬がかかっています。平成22年は「寅」です。



境内から舞殿を見る。



舞殿に飾られた「寅」の巨大絵馬



境内の奥にある中門。後ろに見えているのが本殿の屋根



末社(久邇宮家御霊殿)



社務所。喫茶コーナーもあります。



幅3m高さ2mの「さざれ石」立て札には日本一のさざれ石と書かれています。



和気清麻呂公命の銅像





澄み切った青空のもと、西本願寺はお浄土のように見えました。。。。か し こ

2009-12-02 23:42:40 | 神社・仏閣
本願寺(西本願寺)
   下京区堀川通花屋町下ル本願寺門前町

浄土真宗本願寺派の本山で、通称「西本願寺」と呼ばれており世界文化遺産にも登録されています。。
また、堀川通りより東(烏丸通りの西側)には真宗大谷派の本山である「真宗本廟」があり、通称「東本願寺」と呼ばれています。両派の本山は通称で「西本願寺・東本願寺」と呼ばれることがのほうが多く、京都では「お西さん」「お東さん」とも呼ばれています。

西本願寺は堀川通りの西側に、東本願寺は烏丸通りの西側にあるので、両方とも西本願寺になるのでしょうが、やはり、堀川通りにある西本願寺から見て東にあるので東本願寺と通称呼ばれています。
2009(平成21)年3月には10年あまりかけた御影堂の平成の大修復工事完了しました。
工事の時は御影堂全体を鉄骨の素屋根で囲い、屋根の瓦をすべて葺き替えました。

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御影堂門

Nikon Coolpix P5100


御影堂門の正面、堀川通りを挟んで東側に総門があります。



御影堂門から西本願寺の境内を見る。



境内を入って北側を見る。写真左が大銀杏、正面がお茶所(ようは休憩所)



本願寺と言えばやはり御影堂でしょう。寛永13年(1636)建立。東西48メートル、
南北62メートル、高さ29メートル。重要文化財に指定されています。



正面は阿弥陀堂。宝暦10年(1760)再建。東西42メートル、南北45メートル、高さ25メートル。
この御堂も重要文化財に指定されています。



御影堂門の正面にある大銀杏。



御影堂門を入って南側に大きな銀杏の木が…
青空に映えてとてもきれいです。



西本願寺への地図



今年の紅葉も終わりですね。「神泉苑 紅葉ライトアップ」

2008-12-05 23:18:52 | 神社・仏閣
「神泉苑 紅葉ライトアップ」
  中京区御池通神泉苑町東入ル

今年の京都の紅葉もほぼ終わりに近づいてきました。
この法成橋をメインにして、四季折々の色を見せてくれる神泉苑のライトアップです。
木の葉が落ちきった時に京都の師走がやって来ます。

法成橋(2008/11/30撮影)

Nikon Coolpix P5100

神泉苑への地図


「浄土院」…豊臣公が名づけたという「湯だくさん茶くれん寺」

2008-11-29 13:27:18 | 神社・仏閣
「浄土院…湯だくさん茶くれん寺」
  上京区今出川通千本西入南上善寺町

千本今出川を西へ行くと北側に「浄土院」という尼寺があり、寺の別名を「湯だくさん茶くれん寺」と呼びます。
今出川通りを西へ進むと通り過ぎてしまいそうなほどひっそりと佇んでおり、そのまま西へ行くと「北野天満宮」があります。

この別名は、1587年(天正15)北野の大茶会の時に、豊臣秀吉公が立ち寄り茶を所望しましたが、庵主はへたに出せば恥をかくだけと思い白湯(さゆ)ばかり出したそうです。それで秀吉は「お湯ばかりをたくさん飲ませ、茶を出さない」という事で「湯だくさん茶くれん寺」という名前をつけ、それが浄土院の別名になったと言われています。

元々この浄土院には名水が出ていたそうですが、現在はその井戸が名残りとして残っているだけです。
京都にはたくさんのお寺がありますが、こう言ったユニークな名前を持ったお寺があったこと自体私は知りませんでした。
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「湯だくさん 茶くれん寺」の参門

Nikon Coolpix P5100

門の右側に「豊公遺跡 湯だくさん茶くれん寺 浄土院」の碑が




紅葉にはまだ早かったけど、西山浄土宗総本山「光明寺」へ。。。。

2008-11-11 23:59:34 | 神社・仏閣
西山浄土宗総本山「光明寺」
  京都府長岡京市粟生西条内

西山浄土宗の総本山光明寺は、宗祖円光大師法然上人が43歳の時、日本で最初に念仏を唱えたところだそうです。
光明寺へ行ったのが11月9日という事で、紅葉にはまだ早く所々しか紅葉は見られませんでした。
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光明寺「総門」

Nikon Coolpix P5100

「女人坂」と呼ばれている参道。少し紅葉の色づきが見られます。


もみじの紅葉


御影堂


「法然上人」の像


阿弥陀堂


「もみじ参道」参道の両側にもみじの木が植わっており、紅葉になればとてもきれいだと思います。
行った時期が早かったので、紅葉が見られず残念です。


西山浄土宗総本山「光明寺」への地図


大徳寺「黄梅院」の特別拝観。。。そして「一期一会」の出会い

2008-11-02 18:18:15 | 神社・仏閣
大徳寺 「黄梅院」
 京都市北区紫野大徳寺町

京都非公開文化財、特別拝観として大徳寺境内にある「黄梅院」に行ってきました。

黄梅院(おうばいいん)は、織田信長が28歳で入洛した永禄5年(1562)、父・信秀の追善菩提のために春林宗俶(しゅんりんそうしゅく)和尚(大徳寺第92世住持)を開祖として建てた庵「黄梅庵」が始まりです。
現在の本堂・唐門は豊臣秀吉、庫裏・表門は毛利元就の子、小早川隆景が創建したものです。
「黄梅院」の名は、お釈迦様から数えて32代目の弘忍大満禅師のゆかりの地である中国の「黄梅県破頭山東禅寺」に由来して名付けられたものです。
院内は一部を除いてほとんどが撮影禁止になっていました。

院内の本堂で昔の「袱紗」の展示会をやっておられ、袱紗の刺繍のことでたまたま声をかけた人がこの展示物の持ち主の女性で、刺繍の話や展示されている作品の話などをして頂きました。
その女性も私が「日本刺繍」の仕事をしているということで、大変喜んでおられ話も弾みました。

院内は撮影禁止ということで作品の写真も撮ることが出来ませんでしたが、今ではそれでよかったのかなと思っています。
すべては心の中の思い出として、しっかりと心のフィルムに撮影されていますから。

名刺交換も何もせず、本当の「一期一会」の粋な出会いでしたが、歴史のある「院」で心に残る思い出会いが出来ました。


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黄梅院の表門。特別拝観のため、看板と受付があります。

Nikon Coolpix P5100

門を入ると右手に石柱が立ててあり、
・蒲生氏卿公墓地
・小早川隆景卿墓所
・河春寺殿 毛利元就公 家一門霊所
・萬松院殿 織田信秀公 霊所
とあります。



黄梅院の前庭、奥に庫裏(重要文化財)天正17年(1589)創建、禅宗寺院のものとしては
現存する日本最古の庫裏だそうです。


石畳には水が打たれ、苔の庭がとてもきれいです。写真左手の唐門は豊臣秀吉が創建
したものです。


庭を眺めながら進んで行くとお地蔵様がありました。


庭をゆっくりと眺めながら進むと茶室があります。


書院の前の庭にも茶室があります。


書院からの庭の眺め。


少しづつ紅葉して来ています。


この後に「一期一会」の出会いが。。。。。

大徳寺「紅梅院」への地図