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「京都の風景写真」

古都、京都の町に暮らし…身近な町の風景をデジカメとiPhoneで撮った写真を紹介しています。

神泉苑の夜桜、、、池面に映る幽玄の美

2008-04-03 23:01:13 | 神社・仏閣
「神泉苑 夜桜」
 中京区御池通神泉苑町東入ル

神泉苑の桜もほぼ満開になり、夜間のライトアップがされていました。

池の水面に映る風景が昼とは違った幻想的な世界を作っています。


法成橋

Nikon Coolpix P5100

池に浮かぶ竜王船


池の向こうには「稲荷社」が



石灯篭



稲荷社

「白の衣」の天女が舞った神泉苑の朝、、、あ~~さぶ

2008-02-13 22:40:56 | 神社・仏閣
史跡 神泉苑
中京区御池通神泉苑町東入る門前町

今日(2月13日)は京都市内でも早朝から雪が降っており、屋根や道路が一面真っ白でした。

そういえば9日(土曜日)も朝からちらほらと雪が舞い、午後には本格的に雪が降ってきました。といっても京都市内はそんなに気温も下がらずボタン雪でしたが。

今日の雪は気温も下がったことから粉雪が舞っており、歩道の雪を踏みしめると「キュッキュ」という音がしていました。
この京都市内に降る雪は大体は午後には溶ける仕組みになっています。
(人工的に溶かすのではなく、気温が上がるから…笑)

それと、今出川通りを境に南へ行くほど雪は少なくなっていきます。
今出川通り(東西の道)を超えて北へ上がって行き、北大路通り、北山通りへと向かうほど雪が多くなっていきます。
と…言うのは、京都市内は北へ向かうほど標高が高くなっていきます。
ちなみに、北山通り付近の高さと京都タワー(131m)の高さが同じくらいと聞いたことがあります。

そんな京都市内で久しぶりの雪が降り、神泉苑も雪化粧をしました。
神泉苑の四季の中ではめったに見られない風景です。

SoftBank X02HT

X02HTで撮った…平安神宮。今年もいよいよ終わりです。

2007-12-31 22:24:32 | 神社・仏閣
左京区岡崎西天王町97
平安神宮

いよいよ2007年も終わろうとしています。
今日は午後から滋賀県へ出かけたので、その帰りに岡崎にある「平安神宮」まで
写真を撮りにいきました。
今回使ったカメラは「SoftBank X02HT」で、12月10日に買ったスマートフォンです。

今日は快晴で神社の「朱」と「青空」のコントラストがとてもきれいでした。
上の写真は、岡崎道にある鳥居です。


SoftBank X02HT

柔らかな日差しの中に映える「神泉苑」の紅葉

2007-11-25 23:44:20 | 神社・仏閣
史跡 神泉苑
中京区御池通神泉苑町東入る門前町

神泉苑の紅葉と木の葉の緑、そして朱塗りの法成橋の色がきれいです。

794年の平安京遷都とほぼ同時期に、当時の大内裏の南に接する地に造営された禁苑でした。802年には雅宴が催されたとあり、この頃から神泉苑は天皇や廷臣の宴遊の場となったそうです。(それにちなんでかどうかは分かりませんが、現在は「平八」と言う料理屋さんが神泉苑で営業をしており、観光客も多く来店します)
824年に弘法大師空海が池畔で祈られ「善女龍王」を呼び寄せられると日本中に雨が降ったと言われています。それ以降神泉苑の池には「善女龍王」が住んでいると言われています。
また、神泉苑は祇園祭の発祥の地でもあるそうです。


SoftBank 904SH

明治天皇が祀られる桃山御稜(伏見桃山陵)

2007-11-21 22:45:44 | 神社・仏閣
伏見桃山陵(ふしみももやまのみささぎ、ふしみももやまりょう)

京都市伏見区桃山町古城山

伏見城の城址だった所に明治天皇を祀った伏見桃山稜があります。
墳丘は、上円下方墳で、下段の方形の一辺約60メートル、上円の高さ6.3メートルあります。


SoftBank 904SH

桓武天皇が作った都の守り、、将軍塚。 大日如来を祀る「大日堂」

2007-08-19 18:36:40 | 神社・仏閣
将軍塚「大日堂」
山科区逗子奥花鳥町

将軍塚は、8世紀の末、桓武(かんむ)天皇が平安京造営に際し、王城鎮護のため、高さ8尺(約2.5メートル)の土の人形に甲冑(かっちゅう)を着せ、弓矢を持たせ、京都の方を向けて埋めた塚であると伝えられている。平安末期以後、天下に異変があるときは必ずこの塚が鳴動して前兆をあらわすという伝説が生まれ、「源平盛衰記」によると、源頼朝(よりとも)挙兵の前年、治承3年7月には、三度にわたってこの塚が鳴動し、ついでまもなく大地震が起ったといいます。

写真は将軍塚「大日堂」で、青蓮院門跡の飛び地寺院となっています。


SoftBank 904SH

京都都市内を囲む連峰のひとつの東山は、青龍(四神のひとつ)が住する地で、仏教の密教宇宙観からは、胎蔵界の曼荼羅に相当する考えからこの地で発掘された石仏の胎蔵界大日如来をお祀りしています。 将軍塚の展望台からの京都市内(南西方向)将軍塚の展望台は、京都では夜景の名所として知られています。午後4時30分頃の撮影です。正面に京都タワー、タワー左に京都駅ビル。写真右の大きな屋根は本願寺の「御影堂」です。


SoftBank 904SH

平安時代の 朝堂院「昌福堂」の遺構が見つかる…それも 知ってるとこで

2007-06-26 12:58:20 | 神社・仏閣
今日の産経新聞(朝刊)に上京区(千本丸太町)で、平安京中期の朝堂院の中の「昌福堂」の遺構が見つかったと載っていました。
先週の土曜日に前を通りかかったときに写真を撮らせていただき、埋文の研究所の方が説明をしてくれました。この遺構が見つかった場所は、日本刺繍の糸屋さんで、自宅の建て替えのために家屋の取り壊しが行われており、営業中はよく糸を買いに行きました。よく知っている店だけに、こういうのが見つかると何故かうれしいね。
糸屋さんにしては大変なことかもしれないけど…

発掘作業中


地表から40㎝あまり掘り下げたところに堂の基礎が見つかっています。
基礎石から60㎝ほど土台を積み上げて堂が建てられていたと係りの
人は説明してくれました。


出土した屋根瓦。表面は青の磁器質になっており、高位の堂にしか
使われていなかったものらしいです。


朝堂院とは…
大内裏の正庁で,即位等の国家的儀礼や諸政を行う場でありました。。朱雀門の正面,内裏の南西に位置しました。
朝堂院は十二堂の朝堂群からなり、
写真の発掘現場は、そのひとつ「昌福堂(朝堂院の北東端に位置)」であろうと言っていました。

「延喜式」によると朝政の時の官人は朝参して朝堂院の座に着き、その後官司の 曹司に赴いて勤務することとされていました。
その中で、「昌福堂」は東第一堂で大政大臣・左右大臣ら、天皇に使えた役人のトップが執務していました。

京都では「六角さん」と呼びます…頂法寺(六角堂)

2007-06-23 15:31:55 | 神社・仏閣
中京区六角通東洞院西入

頂法寺(六角堂)

頂法寺六角堂縁起によりますと・・・
聖徳太子が四天王寺を建立するさいに、その用材を求めこの地を訪れました。中に入っていくと水の湧く池があり、太子はその池で水浴を行いました。、その時太子の御持仏《 如意輪観世音 》を木に掛けて、それをを取ろうとすると、像をかけていた枝から重くて離れませんでした。これは不思議な大木である、御持仏がここに留まらんとするとの暗示に違いないと考え、御堂を建立し像を安置しました。
(立て札に説明がなされています)


本堂…本堂の建物は六角形に作られています。
(写真は本堂の西面から撮影。南面が正面になります)

高松塚古墳の石室にも描かれている…四神

2007-06-17 15:57:52 | 神社・仏閣
今、奈良県の高松塚古墳の石室解体が行われていますが、その壁面に描かれているのが「四神」です。この四神はキトラ古墳にも描かれており、古くは中国・朝鮮・日本において、天の四方の方角を司ると伝統的に信じられてきた神獣のことです。
東…青龍   西…白虎   南…朱雀   北…玄武


四神相応(しじんそうおう)は、中国・朝鮮・日本において、天の四方の方角を司る「四神」の存在に最もふさわしいと、伝統的に信じられてきた地勢や地相のことを四神相応と言います。
北に丘陵を背負い、南に窪地や湖沼を持ち、東に流水(川など)、西に大道がある。このような地形を四神相応の地と呼びます。
京都(平安京)では北に船岡山、南に巨椋池、東に鴨川、西に山陰道があり四神に相当しています。

写真は、四神旗と言って神社の神殿の東西南北の方位に対して青龍・白虎・朱雀・玄武と掲げられます。
写真の四神旗は刺繍で出来ており、古いものなので痛みが激しく修復してあります。
また、四神の形は基本的には変わりませんが、作り手によって多少の表情(顔)の違いはあります。

(クリックすると拡大されます)
青龍


白虎


朱雀


玄武


安倍晴明の法術で生まれ変わった??…「晴明神社」

2007-05-31 23:44:48 | 神社・仏閣
陰陽師で有名になった晴明神社です。
場所は上京区堀川通一条上ル…

以前は古びた神社で、子供が生まれた時に名前をつけて貰うので有名でした。
私たちはよく「せいめいさん」と呼んでいました。
(今でも名前を付けてくれるのでしょうか?)

小説や映画などで陰陽師の「安倍晴明」が有名になり、平成15年に「晴明神社御鎮座壱千年祭」を機会に社殿の修造と境内整備が行われました。

今日も平日にもかかわらず、高校生や観光客が参拝に来ていました。
境内ではお札なども売っていました。
京都市内では時々、晴明神社の「五芒星」のステッカーを貼った車やバイクを見かけます。

古びた神社から一躍有名な神社に生まれ変わったのも晴明の「法術」でしょうか…?????