Today is a very good day to live!

原文は「Today is a very good day to die」だけれど。まだまだここから。今日も精一杯生きる。

河北新報

2016-04-12 21:12:53 | 日記
スコップ団のはじまりは、団長である平了くんが、震災で亡くなった大切なお友達の実家の畑を片付けたことから。

そのお友達のお母様が、話してくださったこと。

河北新報の記者、伊東さんはとても素敵な、思いやりのある言葉を紡ぎます。

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宮城
<私の復興>命の重みかみしめる
2016年04月12日 火曜日

◎震災5年1カ月~仙台市若林区・農業 佐藤和子さん

 風景が光と色を取り戻した。ヒバリが高く舞う。春の日差しがまぶしい。
 「ようやく、娘の死を受け入れられるようになった」
 仙台市若林区三本塚の農業佐藤和子さん(63)は空を仰ぐ。
 東日本大震災で長女の幸枝さん=当時(34)=を亡くした。幸枝さんは子どもを育てながら美容師の資格を取り、同区荒井に店舗兼自宅を構えていた。
 揺れの後、幸枝さんは自宅から南の実家方面に車で向かっていたらしい。その途中だった。仙台東部道路の西側。折しも高架部分で、橋脚の間から津波が襲い掛かった。同乗の幼い娘2人を小高い場所に移した直後、濁流にのまれた。
 自宅にいれば、無事だった。「もっと考えてから行動すればよかったのに。ばかだこと」。心の中で幸枝さんを責めた。
 遺体の確認も、火葬も、葬式も、和子さんは行かなかった。「娘がいないことを認めたら、頭がおかしくなりそうで」
 3人の孫娘が残され、幸枝さんの夫から末の子(10)を預かった。孫の前では泣けない。夫と義母、4人で生活していかなければ。家事や農作業に没頭し、夢中で過ごした。
 紗(しゃ)がかかったように、世界から色と音が消えた。

 それまでも、悲しみを心の奥底に押し込めた半生だった。
 長男(38)は筋肉が徐々に衰える難病の筋ジストロフィーを患い、市内の病院に入院している。小学3年の春から、30年。不満も愚痴もこぼさず、懸命に生きている。
 年端も行かぬ長男を病室に残して帰るとき。同じ病気の子が亡くなったとき。和子さんは張り裂けそうな胸を押さえた。
 人それぞれに定めというものがあるのだろう。運命を恨んでも仕方がない。
 それでもテロや戦争、自殺と、いとも簡単に失われる命を見聞きするたび、悔しさが込み上げる。
 「生きられる命があるなら、大切にしてほしい」。誰よりもその重さをかみしめて願う。

 思わぬ形でわが子を亡くし、寄り添う人の温かさを知った。友がそっと手を置いてくれた肩は、今もぬくもりが残る。
 「人の優しさに癒やされた。人は人に救われる」
 がれきやヘドロに埋もれた家の前の畑は、幸枝さんの友人がきれいに片付けてくれた。仲間に恵まれた娘が誇らしい。
 畑ではまた、おいしい野菜が採れるようになった。来月から忙しくなる。
 ある日、美しいチョウがひらひらと畑に舞い降りた。夢を見ているような、何とも言えない幸せな気持ちになった。
 「ちゃんとさよならしなかったから、幸枝がお別れを言いに来たのかもしれないね」
 顔を上げる。止まっていた季節が巡り始めた。(伊東由紀子)

●私の復興度・・・60%
 5年間、一日一日を積み重ねるうち、こうして娘のことを話せるようになった。目の前で母親を失った孫(17)は精神的に不安定な時期もあって心配したが、最近は進路について前向きに語るようになった。どんなにつらいことも時間が解決してくれると思う。友達とおしゃべりしたり、ご飯を食べに出掛けたり、日々のちょっとした幸せがありがたい。

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