Today is a very good day to live!

原文は「Today is a very good day to die」だけれど。まだまだここから。今日も精一杯生きる。

しいたけさん

2017-03-26 12:27:10 | 何度でも読みたい言葉




人に嫌われてしまうことってある。

それはもう、避けられないし、
みーんなに好かれることは不可能だしね。

どんなに人気者でも、カリスマって言われても、
その人を嫌いな人はいる。

『嫌い』って言葉は人を傷つけるから
できれば使いたくないなぁ。と思うけれども、
バンバン使う人もいるしね。

みんな同じじゃない。

昔々から伝わる言葉

2017-03-25 08:21:29 | 何度でも読みたい言葉

***

あなたが生活のために何をしているかは、どうでもいいことです。
私はあなたが何に憧れ、どんな夢に挑戦するのかを知りたいと思います。
あなたが何歳かということも関係のないことです。
あなたが愛や夢や冒険のためにどれだけ自分を賭けることができるか知りたいのです。

あなたがどの星座の生まれかということもどうでもいいことです。
あなたが本当に深い悲しみを知っているか、人生の裏切りにさらされたことがあるか、それによって傷つくのが怖いばかりに心を閉ざしてしまっていないかを知りたいのです。

あなたが、自分のものであれ人のものであれ、痛みを無視したり、簡単に片づけたりせずに、それを自分のものとして受け止めているかどうかを知りたいのです。

また、喜びの時は、それが私のものであれ、あなたのものであれ、心から喜び、夢中になって踊り、恍惚感に全身をゆだねることができるかどうかを知りたいのです。
気をつけろとか、現実的になれとか、たいしたことはないさなどと言わずに。

私はあなたの話すことが本当かどうかには関心はありません。
私はあなたが自分自身に正直であるためには、他人を失望させることでさえあえてすることができるかどうかを知りたいのです。

たとえ裏切りだと責められても、自分自身の魂を裏切るよりはその非難に耐える方を選ぶことができるかどうかを。
たとえ不実だと言われても、そんな時にあなたがどうするかによって、あなたと言う人が信頼に値するかどうかを知りたいのです。

私はあなたが本当の美がわかるかを知りたいのです。
それが見た目に美しく見えない時でも、毎日そこから本当に美しいものを人生に汲み上げることができるかどうかを。

私は、あなたがたとえ失敗しても、それを受け止めてともに生きることができるかどうか、それでも湖の縁に立ち、銀色に輝く満月に向かってイエスと叫ぶことができるかどうかを知りたいのです。

あなたがどこに住んでいるか、どれだけお金があるかはどうでもいいことです。
それよりも、あなたが悲しみと絶望に打ちひしがれ、どんなに疲れ果てていても、また朝が来れば起き上がり、子どもたちを食べさせるためにしなければならないことをするかどうかを知りたいのです。

あなたが誰を知っているか、あなたがどうしてここに来たかは関係ありません。
私とともに決してひるまずに炎の只中に立つことができるかどうかが知りたいのです。

あなたがどこで、何を、誰と勉強したかはどうでもいいことです。
私が知りたいのは、皆が見捨ててたった一人になった時、あなたの内側からあなたを支えるものは何かということです。

私はあなたが自分自身としっかり向き合い、その何もない時間の中にいる自分を心から愛しているのかどうかを知りたいと思っているのです。

***


少し長いですけれど、オライア・マウンテン・ドリーマー という人が書いたと言われている言葉。

このどこかの一節がスーーーッと入ってくるのですよ。その時々でどの一節が響いてくるかは違うのだけど。


そしてもうひとつ。度々思い返す言葉。

***

私の前を歩くな、私が従うとは限らない。
私の後ろを歩くな、私が導くとは限らない。
私と共に歩け、私達は一つなのだから。

***

ネイティヴ・アメリカンに伝わる格言だそうです。

糸井さんの今日のダーリン

2017-03-24 12:24:49 | 何度でも読みたい言葉



自分の時間には限りがある。

それって忘れがち。

でも、いつか必ず死んじゃうからね。

やりたいことをやろうね。

やりたいことを、できないままに、
消灯時間がきちゃった人もたくさんいる。

青空応援団カレンダー!

2016-11-28 11:37:30 | 青空応援団





もう来年のカレンダーを考えるような日になったのか〜!

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坂爪さんのブログから

2016-11-28 09:14:52 | 何度でも読みたい言葉



ある方が「みんなもさかつめさんみたいに自由に生きられてらいいのにと思います」というので、私は二つの点から意見を述べた。

一つ目は「ええと、まず、私は『みんな』という言葉があまり好きではありません。みんなとか多分幻なんじゃないだろうかと思うので、他のひとのことはとりあえず置いておいて、自分に集中していればいいような気がします」という点。

二つ目は「自由じゃないひとなんて実際はいなくて、やりたいことをやる自由もあれば、やりたくないことをやる自由もあるし、楽しく生きる自由もあれば、深刻に思い悩みながら生きる自由もあるし、自分なりに自由を行使して生きているのが現在なのだと思います」という点。

***

「やっぱり、2年間の家のない生活は大きかったように思います。自分でも無意識の内に、その時期に、多分、私は二つの覚悟を決めていたのだと思います。

ひとつ目は『ひとりでもいい』という覚悟。
理解者はいなくてもいい、仲間も友達も恋人も家族も協力者もできなくてもいい、ひとりでもいいから自分は自分がこれだと思った生き方を続けていくのだという覚悟。

ふたつ目は『死んでもいい』という覚悟。
他にも様々な生き方があった中でこの生き方を選んでいる訳ではなく、いろいろとやってみたけれどどれもダメで、結果的にこういう生き方しかできなかった自分を認める覚悟、自分を殺して生きるくらいなら、自分を出し切って死ぬのだと腹を括る覚悟のようなものを、無意識の内にしていたのだと思います。

そして、不思議なことに、ひとりでもいいと思ってからの方が、自分はひとりではないのだという実感が増していることを感じています。そして、死んでもいいと思ってからの方が、生きていることの実感は増していることを感じています」