Today is a very good day to live!

原文は「Today is a very good day to die」だけれど。まだまだここから。今日も精一杯生きる。

手放す ・・・ ヒトリゴト

2016-06-07 08:44:15 | 書きかけ日記
少し、考えを整理しよう。

やらなければいけないことはやりたいこと。

すき間を作れば新しい何かがはいってくる。

これを手放したらおしまいだー!
これがなくなったら大変だー!
そう思っていることやもの、それはほとんど思い込みで、実際にそれをなくして大変だったという経験からではない。つまり、、、なくしても意外と平気だったりするんだ。

好きでやっていることは続くけれど、そこに義務感みたいなものが出てきたらやめたほうがいい。

なんだ。
私はやめた方がいいことやもの、手放した方がいいことやものに囲まれているのか。

愛していく?
愛されることを求めていく?

相思相愛がいいけれど、世の中そんなにうまくはいかない。

求めなければ、伝えなければ、手に入らないし、伝わらないし。

でもそれは自分の想いを押し付けることにならないかな?求めることは、奪うことにはならないかな?

うはぁ~ん。
整理するどころか、かえってこんがらかってきた。

泣かないで

2016-03-25 00:43:44 | 書きかけ日記
もしも私になにかがおきて
あなたにもう会えないとしたら
あなたは泣いてくれるかしら

もしもあなたが涙を流すとしたら
私はそれを望まない
もうあなたには泣いてほしくない

だからできるだけ
知らせが届かぬよう

そうね1年くらい経ったなら
あなたに伝わるようにしよう

時が過ぎ、嘘か真かわからない頃
あなたにそっと伝えましょう

それから更に時が過ぎ
むこうで私を見つけたら
笑って言ってくれたらいいね
なんだよ先に来てたのかって

こちらであなたをみつけたように
むこうで私を見つけてね


2011/03/11 テレビが映したもの

2016-03-04 23:07:02 | 書きかけ日記
テレビが写していたのは、ドラマなのか、映画なのか、というような景色。

私の実家がある静岡県も、大きな地震が来ると言われている地域。

子どもの頃から、「次に大きな地震が来たら、津波が来て、うちのあたりは海の底だから。」そんな風に言われていた。

子どもたちの間では、「伊豆半島は分断されて島になっちゃう!」なんて話も出たりして。

大正時代だっけかな?大きな地震があって、その時の津波は10mを超えたのだとか。その跡が残っている蔵なんていうのもあった。

津波のハザードマップがあって、実家のあたりは8.6mの予測がされている。(東日本大震災のあと再考されて変わったらしいけれど、公式の場所にはまだ公開されていないみたい。)

そんな土地柄だったから、大きく揺れた時に、とっさに静岡県だと思って、ホントにホントにドキドキ焦って実家に電話。

「揺れたね。東京は大丈夫?」
いつもと変わらない母の声に、『良かった』そう思った。

その後に、テレビが写していた景色。

・・・『良かった』なんかじゃない。

海のある景色。
停泊する船。
海岸線を走る道路。
家々や学校、商店街。

実家のあたりによく似た景色が、どんどんのみこまれていく。

後輩のひとりが「おばぁちゃんの家が、、、」と、声にならない。

私が『良かった』と言った後は、そんな景色だった。

地震は、津波は、ヒトゴトではない。
今回は東北だった。それだけ。

テレビが写していたのは、静岡の景色だったかもしれない。
テレビの前で立ち尽くしていたのは、私だったかもしれない。

いつ、自分があちら側にいくかもわからない。


あのあと、私が東北にお手伝いに通い続けたのは、実家に似た景色を取り戻したいという想いと、『良かった』と言ってしまったことへの懺悔なのでした。






2011/03/11 揺れたその後

2016-03-03 09:00:15 | 書きかけ日記
東京が震源かと思うような、とてもとても大きな揺れ。

誰かが休憩室にあるテレビをつけていたけれど、私はまだそれを見には行かず、何人かの同僚と一緒に、倒れたものや崩れたものを片付け、ドアはきちんと解放して固定したりしていた。

同じフロアの別の会社の方と話したり、別フロアの会社の上司や、ビルの警備員さんが確認に廻ってきたりしていた。

休憩室に集まっていた何人かは、テレビのボリュームをあげ、時々テレビから伝えられる情報を支店内に向けて話してくれたので、しばらくは映像ではなくて人伝えで聞いていた。

オフィスを片付けたり、仕事を続けたり、外出している職員の安否確認をしたり、、、それぞれがそれぞれのことをしながら、耳だけで情報を聞いていた。

東北の方が震源地
津波が来るかもしれない
ビルの外壁が崩れた
電車が止まっている
火事が起きている

東北が震源と言いながら、最初の頃に入ってきた情報は東京や横浜のものばかりだった。

片付けが落ち着いた頃、休憩室の方から悲鳴のような、歓声のような、なんとも言えない声が聞こえ、「ちょっと!みんな、来て!大変なことになっているから!」耳だけで情報を得ていた人たちも何事かと休憩室へ。小さなテレビの画面に移される景色に、みんなが息をのんだ。




2011/03/11

2016-03-02 18:40:18 | 書きかけ日記
あの日、私は東京(四谷)で普通に仕事をしていた。

お昼ご飯を終えて、午後のややまったりとした時間に、地震がおきた。

「あれ?揺れたね。地震?」そんな事を言っているうちにどんどん揺れが大きくなった。

立っていられないほど。

女の子が何人か、キャー!と声をあげている。

コピー機が大きく左右に動き、キャビネットの扉がバタンと音をたてて開いた。

キャビネットを支えようとしている後輩の姿が目に入り、「ダメ!危ないから離れて!」と声をかける。

先輩がドアを解放したのが見えて、私もそれにならい、オフィスの扉を開けて、支えになる物を入れて解放。

空いているカーテンやブラインドを下げる。

このあたりで1度揺れがおさまった。

揺れながらも私の頭の中は「家がなくなる!」そのことばかり考えていたので、揺れがおさまった隙にすぐに実家に電話をした。

コール音。ガチャリ。

意外なほどあっさり繋がり、あっさり応答したので、アレ!?というのが正直なところ。

そして驚くほどのんきな声で母が言った。
「揺れたね。東京は大丈夫?」
「大丈夫。けっこう揺れたけど。そっちは?」
「こっちは大丈夫。」
「そっか。良かった。んじゃまたね。」
夜に落ち着いたらまた架ければいいか。くらいに思っていた。

間隔が開きながら揺れは続いて、とっさに携帯電話とお財布とカーディガンを手にとった。

ほんの数分のできごと。


ずっと、ずっと、子どもの頃から繰り返された地震の避難訓練が役に立ったんだなぁ。

本棚とか倒れそうな家具の近くには寄らない。
出入り口を確保(解放)する。
窓はガラスが割れるかもしれないので、カーテンやブラインドをしめる。
携帯電話や上着を持つ。
すぐに電話を架ける。

すり込まれていたいくつかのことは、何も考えずに動くことにつながっていた。

実際に、その後は電話は全然繋がらず、、、だったものなぁ。

ちなみに、ダンナは同じ会社の違う部署なので、内線がつながっており、こちらもアッサリ連絡が取れた。

家族と連絡が取れているって大事だね。

そのおかげで、私は『会社に泊まる』という事を即決できたのでした。

だって、歩いて帰るのとか無理だし。
帰る途中や、家でひとりでいる時にまた揺れたら怖いしね~。

でも、長い長い1日はまだまだこれから、、、。