Today is a very good day to live!

原文は「Today is a very good day to die」だけれど。まだまだここから。今日も精一杯生きる。

とらまつ@恵比寿

2016-05-31 23:47:10 | おいし~もの
恵比寿のよく行くお店といえば、コチラ!


そう、牛タンやさん。

でも、しばらく行けてなかったので、実はかなり久しぶりかも。

で、ふたりだし、火曜日だしで、予約もせずに行ったら撃沈。

カウンターまでいっぱいだった!

んじゃまぁ、ココロはすでに牛タンだし!ってことで、すぐ近くにできた牛タン屋さんに行ってみた。

牛タンって、メニューはだいたい同じになっちゃうよね。


ネギのせ & 炙り(おろしポン酢)& ローストビーフ風

ローストビーフ風は珍しいかな。ホースラディッシュが添えてあった。

でも、やはり、なんだかちょっと違くって、1時間ほどでとらまつリベンジ!


ほぼ同じメニューをもう一巡!(笑)

さすがにおなかいっぱ~い!
あ!お野菜系もたべてますよ。


千年希望の丘 植樹祭

2016-05-28 19:20:56 | 日記
千年希望の丘での植樹祭。

1万人で10万本の木を植えよう!ということで、県外からの参加者も参加しやすいように14時スタート。

『植樹祭』の名前のとおり、色々なイベントが計画されていた。

藁で作る『わらアート』

思ったよりリアルな出来で哀愁すら漂ってた。

モンベルさんのウォールクライミング

7mですって。コレよりも津波は高かったのか。

羊さんも来ていて、毛刈りショーとかやったらしい。


屋台や物産のお店もたくさん!
芝生でのんびり。夏のフェスのよう!!


開会式にはてっぺいちゃん!(石井竜也さん)
久々に会う(見た)けど、相変わらずイイオトコです。ナマ歌も聞けて満足満足!


青空応援団は、ステージではなく、参加の皆さんと同じ目線から、これから植樹に向かう皆さんにエールを!






さて、植樹。ココに植えていきます。


やや深めに掘って~少し浮かした状態で土を戻す。
そして木の周りを三角にした手のひらでギュッと押さえる。


植え方はテキトー!(笑)スコップ1本分くらいの間隔をあけて植える。でも、これがいいのかもなぁ。整然と植えてしまうと、隙間(間隔)を水が流れてしまうものね。

少し植えたら立ち上がって、間があいてしまったところを埋めるように足していく。

そして植えた木の元を囲うように藁を敷いていく。斜面なので斜面に対して垂直に、つまり横向きに藁を置いていく。ふかふかベッドのようだ!ハイジの世界だ!藁がいい香り。

そして藁を押さえるように縄を張っていきます。

後半の写真がないなぁ、、、。

きっとこれから、雑草を抜いたりなんかの作業もあると思うので、手伝える時は手伝いながら、見守っていけたらいいな。



千年希望の丘

2016-05-28 19:13:36 | 日記
岩沼市の千年希望の丘の植樹祭に参加してきた。

この地区は8mの津波に襲われ、犠牲になった住民の方もいる。『命を守る防潮堤』として、震災がれきを使い、そこに植樹をして森を作る。

「千年希望の丘」は市内の南北約10キロにわたり、所々に避難丘15基程度も作られるそうだ。もしもの時に、命を守れるように。そして万が一、津波が越えてしまっても、引き潮で持っていかれるのを防げるように。そんな風に作られている。

会場について、あれれ?ココは私が知ってる「千年希望の丘」じゃないなぁ。と。そりゃそうだ、10キロに渡って作られていて、植樹をする場所は毎年違うのだものね。モニュメントがあるあたりは最初の頃に作られたところなんだろな。

さて、ココはどのあたり?と、思ったら、お社らしきものと、大きな銀杏の木。奇跡的に津波に耐えたのですって!岩沼市長谷釜地区の神社「神明社」境内の『奇跡の大イチョウ』。樹齢約350年で、高さは20メートル以上。震災時、周辺は海抜約8メートルの津波に襲われて壊滅。神社と大イチョウだけは奇跡的に流失せず残った。

大イチョウはその後も樹勢が衰えないことから、このまま、地域の歴史と震災の記憶を後世に伝える復興の象徴として「千年希望の丘」と一体で保存されることが決まっているらしい。



哀しいことが起きたこの場で、みんなと笑顔でお手伝いができる。それは本当に幸せなこと。『未来のためのいまを生きよう』

オバマ大統領の広島訪問

2016-05-27 23:27:08 | 何度でも読みたい言葉
現職のアメリカ大統領が広島を訪れる。
これは大きなニュースになった。
色々な意見もあるし、裏を読もうと思えばいくらでも勘ぐることはできる。

それでも、やっぱり、その場に立ったことは勇気がいることだったはず。

そして何より、日本人である私たちこそ、しっかりと見て、聞いて、考えなければいけない。

《アメリカ大使館からの発表》
広島平和記念公園におけるバラク・オバマ大統領の演説
*下記の日本語文書は参考のための仮翻訳で、正文は英文です。

広島平和記念公園
2016年5月27日



 71年前の明るく晴れわたった朝、空から死が降ってきて世界は一変しました。閃光(せんこう)と炎の壁によって町が破壊され、人類が自らを破滅させる手段を手にしたことがはっきりと示されました。

 私たちはなぜ、ここ広島を訪れるのでしょうか。それほど遠くない過去に解き放たれた、恐ろしい力についてじっくりと考えるためです。10万人を超える日本人の男女そして子どもたち、何千人もの朝鮮半島出身の人々、12人の米国人捕虜など、亡くなった方々を悼むためです。こうした犠牲者の魂は私たちに語りかけます。彼らは私たちに内省を求め、私たちが何者であるか、そして私たちがどのような人間になるかについて考えるよう促します。

 広島を特別な場所にしているのは、戦争という事実ではありません。古代の遺物を見れば、人類の誕生とともに暴力的な紛争も生まれたことが分かります。人類の初期の祖先たちは、火打ち石から刃物を、木からやりを作ることを覚え、こうした道具を狩猟だけでなく、人間を攻撃するためにも使いました。どの大陸においても、原因が穀物の不足か、金塊を求めてか、強い愛国心か、熱心な信仰心かにかかわらず、文明の歴史は戦争で満たされています。帝国は盛衰し、人々は隷属させられたり解放されたりしました。その節目節目で、罪のない人々が苦しみ、無数の人々が犠牲となりましたが、その名前は時間の経過とともに忘れ去られました。

 広島、長崎で残酷な終結を迎えたあの世界大戦は、世界で最も豊かで最も力を持つ国同士の戦いでした。これらの国々の文明により、世界は素晴らしい都市と見事な芸術を得ることができました。これらの国々から生まれた思想家たちは、正義と調和と真実の思想を唱道しました。しかし、この戦争を生んだのは、最も素朴な部族の間で紛争の原因となったものと同じ、支配したいという基本的な本能でした。古くから繰り返されてきたことが、新たな制約を受けることなく、新たな能力によって増幅されました。わずか数年の間に、およそ6000万人の人々が亡くなることになりました。子どもを含む、私たちと同じ人々が弾丸を浴び、殴られ、行進させられ、爆撃され、投獄され、飢え、ガス室に送られて死んでいったのです。

 世界には、この悲劇を記録する場所がたくさんあります。勇気と英雄的な行為の物語を伝える記念碑、言葉では言い表せない悪行を思い起こさせる墓地や誰もいない収容所などです。しかし、空に立ち上るキノコ雲の映像の中に、私たちは、人間が抱える根本的な矛盾を非常にはっきりと思い起こすことができます。すなわち、人間の種として特徴付ける、まさにその火花、つまり私たちの思想、想像力、言語、道具を作る能力、人間を自然から引き離し、自分の思いどおりに自然を変える能力が、比類ない破壊をもたらす力を私たちに与えたのです。

 物質的進歩や社会的革新によって、この真実が見えなくなることはどれほどあるでしょうか。より大きな大義の名の下に、暴力を正当化する術を身に付けることは非常に容易です。全ての偉大な宗教は、愛と平和と正義に至る道を約束します。しかし、いかなる宗教にも、信仰を殺人の許可と考える信者がいます。国家というものは、自らを犠牲にして協力し、素晴らしい偉業を成し遂げるために人々を団結させる物語を語って生まれます。しかし、その同じ物語が、自分たちと異なる人々を弾圧し、人間性を奪うために何度も使われてきました。

 科学によって人間は、海を越えて通信し、雲の上を飛び、病を治し、宇宙を理解することができるようになりました。しかし、こうした同じ発見を、これまで以上に効率的な殺人マシンに転用することもできます。

 現代の戦争はこの真実を教えてくれます。広島はこの真実を教えてくれます。人間社会に同等の進歩がないまま技術が進歩すれば、私たちは破滅するでしょう。原子の分裂を可能にした科学の革命には、倫理的な革命も必要なのです。

 だからこそ私たちは、この場所を訪れるのです。この町の中心に立ち、勇気を奮い起こして原爆が投下された瞬間を想像してみるのです。目にしている光景に当惑した子どもたちの恐怖を感じてみるのです。 声なき叫び声に耳を傾けるのです。私たちは、あの恐ろしい戦争、それ以前に起きた戦争、そしてこれから起こるであろう戦争の犠牲になった罪のない人々のことを忘れてはいません。

 単なる言葉では、このような苦しみを伝えることはできません。しかし私たちは歴史を真っ向から見据え、このような苦しみが二度と起きないようにするために、どのように行動を変えればいいのかを考える責任を共有しています。いつの日か、証人としての被爆者の声を聞くことがかなわなくなる日が来ます。けれども1945年8月6日の朝の記憶が薄れることがあってはなりません。この記憶のおかげで、私たちは現状を変えなければならないという気持ちになり、私たちの倫理的想像力に火がつくのです。そして私たちは変わることができるのです。

 あの運命の日以降、私たちは希望に向かう選択をしてきました。日米両国は同盟を結んだだけでなく友情も育み、戦争を通じて得るものよりはるかに大きなものを国民のために勝ち取りました。欧州諸国は、戦場の代わりに、通商と民主主義の絆を通した連合を築きました。抑圧された人々や国々は解放を勝ち取りました。国際社会は、戦争の回避や、核兵器の制限、縮小、最終的には廃絶につながる機関や条約をつくりました。

 しかし、国家間の全ての侵略行為や、今日世界で目の当たりにする全てのテロ、腐敗、残虐行為、抑圧は、私たちの仕事に終わりがないことを物語っています。人間が悪を行う能力をなくすことはできないかもしれません。ですから私たちがつくり上げる国家や同盟は、自らを防衛する手段を持つ必要があります。しかし私自身の国と同様、核を保有する国々は、恐怖の論理から逃れ、核兵器のない世界を追求する勇気を持たなければなりません。

 私が生きている間に、この目標を実現することはできないかもしれません。しかし粘り強い努力によって、大惨事が起きる可能性を低くすることができます。保有する核の根絶につながる道を示すことができます。核の拡散を止め、大きな破壊力を持つ物質が狂信者の手に渡らないようにすることができます。

 しかし、これだけでは不十分です。なぜなら今日世界を見渡せば、粗雑なライフルやたる爆弾さえも、恐ろしいほど大きな規模での暴力を可能にするからです。戦争自体に対する私たちの考え方も変えるべきです。そして外交を通じて紛争を回避し、始まった紛争を終結させるために努力すべきです。相互依存の高まりを、暴力的な争いではなく平和的な協力を生むものであると理解し、それぞれの国を破壊能力ではなく、構築する能力によって定義すべきです。

 とりわけ、私たちは人類の一員としての相互の結び付きについて再考すべきです。これも人類を他の種と区別する要素だからです。私たちは、遺伝子コードによって、過去の過ちを繰り返すよう定められているわけではありません。私たちは学ぶことができます。選択することができます。子どもたちに異なる物語、つまり共通の人間性を伝える物語であり、戦争の可能性を低下させ、残虐行為を受け入れ難くするような物語を話すことができます。

 私たちは、こうした物語を被爆者の方々に見てとることができます。原爆を投下したパイロットを許した女性がいます。本当に憎んでいたのは戦争そのものであることに気づいたからです。この地で命を落とした米国人の遺族を探し出した男性がいます。彼らが失ったものは自分が失ったものと同じだと信じたからです。私の国の物語は簡潔な言葉で始まりました。「万人は平等に創られ、また生命、自由および幸福追求を含む不可譲(ふかじょう)の権利を、創造主から与えられている」というものです。こうした理想を実現することは、国内においても、自国の市民の間でも決して容易ではありません。

 しかし、この理想に忠実であろうと取り組む価値はあります。これは実現に向けて努力すべき理想であり、この理想は大陸や大洋を越えます。全ての人が持つ、減じることのできない価値。いかなる命も貴重だという主張。私たちは、人類というひとつの家族の一員であるという基本的で必要な概念。これこそ私たちが皆、語らなければならない物語です。

 だからこそ、人は広島を訪れるのです。そして大切に思う人々のことを思い浮かべます。朝一番に見せる子どもの笑顔。食卓でそっと触れる伴侶の手の優しさ。ホッとさせてくれる親の抱擁。こうしたことを考えるとき、私たちはこの同じ貴重な瞬間が71年前、ここにもあったことを知ることができます。犠牲となった方々は、私たちと同じです。普通の人々にはこれが分かるでしょう。彼らはこれ以上戦争を望んでいません。科学の感嘆すべき力を、人の命を奪うのではなく、生活を向上させるために使ってほしいと思っています。

 国家が選択を行うとき、指導者が行う選択がこの分かりやすい良識を反映するものであるとき、広島の教訓が生かされることになります。

 この地で世界は永遠に変わりました。しかし、今日この町に住む子どもたちは平和な中で一日を過ごします。なんと素晴らしいことでしょう。これは守る価値があることであり、全ての子どもに与える価値があることです。こうした未来を私たちは選ぶことができます。そしてその未来において、広島と長崎は、核戦争の夜明けではなく、私たち自身が倫理的に目覚めることの始まりとして知られるようになるでしょう。




ひとりごはん

2016-05-26 21:18:42 | 日記
私はひとりで外食をすることが時々ある。
時々?たまに?よく?、、、ある。

仕事のタイミングでお昼休憩がみんなと合わずにひとりになることはちょこちょこあるけれど、お昼ってそんな事情の人も多いし、営業の人なんかはひとりお昼ご飯も多いし、会社近くのお店はおひとり様も多い。



で、夜ごはん。
残業で遅くなったりして、家に着いたら何時なんだ?それから作るのか?あーもう食べて帰っちゃお!ってこともある。

ふと周りを見ると、そういう人、多いのね。
男性も女性も、ひとりでご飯とちょっと一杯。みたいな感じ。

いま、お店にはテーブルが13卓。3卓は空いてる。5卓は2人以上。5卓がおひとり様。半分がおひとり様かぁ。

実家の両親には考えられないことだろな。まあ、私も昔は、夜ごはんをひとりで外食なんてムーリー!って思ってた。いつの間にか平気になっちゃったなぁ。

ひとりラーメンとか、ひとり牛丼、ひとり飲み、、、は未だに未経験。

悪いことだとは思わない。でも、いつの間にか慣れちゃって忘れていたけど、違和感を感じていたんだよな。苦手だったんだよな。ってことを思い出した。

『おうちごはん』意識してみよう。
つく、、、らなくっても、ひとりの時も、おうちで食べようかな。と、思う今日このごろ。