25日に貞任はどこに眠ると題した記事を書いた。船井神社へ行ったのだがその時貞任を祀るものが分からなくて気になっていた。休日なので、行こう、と思った。
今日も紅葉峠を越えた。25日に展望台からの写真を載せ、雲海は見えるのだろうかと書いたのであるが、果たして今日は亀岡方面が霧に?包まれている。ほぼ同じアングルの写真が次のものです。この写真はお昼の12時半頃に撮ったものであるが、真下の八木町のあたりはそうでもないが、むこうの亀岡方面は霧?に包まれているようだ。こんな時刻なのに、白いものに包まれている。
峠を下りながら、ささ舟さまが歩かれたのは、今走っているこの車道ではなく、この谷沿いの道だったのかしら、歩く道ならこの道が近いだろうなあ、などと考えながら下り、船井神社へ向かう。あの後インターネットを検索したら、貞任を祀る祠は神社の左にある林にあるとあった。鳥居から入らず左から半周し、林の中にはいるが見付からない。仕方なく正面に出、鳥居の左に注目する。あれれこれかな、祠があった。祠の後ろには五輪塔がある。近寄ってみると祠の右に架けてある板をみると、文字は微かに「腕守、、」と読めるようだ。う~ん、これだったのか。これだ、これに違いない。「南丹生活」というサイトには<船井神社の腕森社が貞任ゆかりの社で、鳥居左側に鎮座する腕森社の五輪塔は、近くに埋められていた貞任の腕を祀ったものだとされており、腕の病気に御利益があるとされる>と書いてあったのでこれに違いなかろう。
ここには何の説明もない。地元の人は知っておられるのだろうが。いや、このご時世、お年寄りは別として子供達は知らないのでは、と心配になった。仰々しい由緒書は要らないが、ここは阿倍貞任の腕が祀られている、とだけでも書いておいて欲しい気もする。しかし、ここはちゃんとした祠がある。宇津の貞任峠にも祠があり、厨川の戦いの説明もあるが、これは最近立てられたものであり、昔の人が祀っていた場所ではない。(このことは11月17日に書きました)遙か東北の偉人が祀られていることに思いを馳せて手を合わせた。
他にもこの近辺には、八木町刑部の久留守神社、亀岡の桑田神社、須知の深志野?にも祀られているそうな。次の二つのサイトを参考にしました;
・南丹生活 http://tanbarakuichi.sakura.ne.jp/nantan/directory/aiueo.html
・蘭鋳郎の日常の「八幡太郎義家と安倍貞任」http://77422158.at.webry.info/200809/article_16.html
今日車を走らせたのは、「京から丹波へ 山陰古道」という本が出版された事を京都新聞の記事で知ったためである。先日、職場の上司の親戚が亀岡の道に関連した本を書かれたと聞いていたがその内容は把握していなかった。新聞記事を読み興味を抱いた。著者は大学で歴史を学ばれ、高校の先生もされ、亀岡市史の執筆もされた方である。そして穴太寺・善峰寺・総持寺を巡る西国巡礼道を実際に歩き、資料を調べてこの本を書かれたようである。これは私が鯖街道についてしたいと思っていることそのものであるので、これは参考になると興味を抱いたのである。この正月休みに読んでみようと思っている。
今日も紅葉峠を越えた。25日に展望台からの写真を載せ、雲海は見えるのだろうかと書いたのであるが、果たして今日は亀岡方面が霧に?包まれている。ほぼ同じアングルの写真が次のものです。この写真はお昼の12時半頃に撮ったものであるが、真下の八木町のあたりはそうでもないが、むこうの亀岡方面は霧?に包まれているようだ。こんな時刻なのに、白いものに包まれている。
峠を下りながら、ささ舟さまが歩かれたのは、今走っているこの車道ではなく、この谷沿いの道だったのかしら、歩く道ならこの道が近いだろうなあ、などと考えながら下り、船井神社へ向かう。あの後インターネットを検索したら、貞任を祀る祠は神社の左にある林にあるとあった。鳥居から入らず左から半周し、林の中にはいるが見付からない。仕方なく正面に出、鳥居の左に注目する。あれれこれかな、祠があった。祠の後ろには五輪塔がある。近寄ってみると祠の右に架けてある板をみると、文字は微かに「腕守、、」と読めるようだ。う~ん、これだったのか。これだ、これに違いない。「南丹生活」というサイトには<船井神社の腕森社が貞任ゆかりの社で、鳥居左側に鎮座する腕森社の五輪塔は、近くに埋められていた貞任の腕を祀ったものだとされており、腕の病気に御利益があるとされる>と書いてあったのでこれに違いなかろう。
ここには何の説明もない。地元の人は知っておられるのだろうが。いや、このご時世、お年寄りは別として子供達は知らないのでは、と心配になった。仰々しい由緒書は要らないが、ここは阿倍貞任の腕が祀られている、とだけでも書いておいて欲しい気もする。しかし、ここはちゃんとした祠がある。宇津の貞任峠にも祠があり、厨川の戦いの説明もあるが、これは最近立てられたものであり、昔の人が祀っていた場所ではない。(このことは11月17日に書きました)遙か東北の偉人が祀られていることに思いを馳せて手を合わせた。
他にもこの近辺には、八木町刑部の久留守神社、亀岡の桑田神社、須知の深志野?にも祀られているそうな。次の二つのサイトを参考にしました;
・南丹生活 http://tanbarakuichi.sakura.ne.jp/nantan/directory/aiueo.html
・蘭鋳郎の日常の「八幡太郎義家と安倍貞任」http://77422158.at.webry.info/200809/article_16.html
今日車を走らせたのは、「京から丹波へ 山陰古道」という本が出版された事を京都新聞の記事で知ったためである。先日、職場の上司の親戚が亀岡の道に関連した本を書かれたと聞いていたがその内容は把握していなかった。新聞記事を読み興味を抱いた。著者は大学で歴史を学ばれ、高校の先生もされ、亀岡市史の執筆もされた方である。そして穴太寺・善峰寺・総持寺を巡る西国巡礼道を実際に歩き、資料を調べてこの本を書かれたようである。これは私が鯖街道についてしたいと思っていることそのものであるので、これは参考になると興味を抱いたのである。この正月休みに読んでみようと思っている。
今年はmfujinoさんもよく遠征されたようですが、来年は更に行動範囲が広がることでしょう。足手纏いにならなければ、またお伴させて下さい。貞任の因縁は広範囲に広がっているようです。mfujinoさんの探索で、また面白い発見があるかも知れません。期待しております。
差し詰め、貞任峠で首塚が見つかったとのこと。人尾峠では胴体や腕や足などの塚は見当たらないのでしょうか。いずれにしましても先は長いのですから、のんびり気楽に動き回って楽しんで下さい。それが長続きの素です。
26日に初雪があり、その後はどうでしょうか。広河原のスキー場は、昨年は大晦日かせ滑れるようになったと記憶しています。今夜辺り日一雪ほしいところです。もし雪になれば、大晦日の雪見酒も一段と味わい深いと思いますが・・・。どうぞ、佳き新年をお迎え下さい。
「故郷に目ざめる」 伊藤 整
まなかひの朝熊が岳に雪ふらばわが雪国を我恋ひ行かむ 北見恂吉
ふるさとの室(へや)に帰って聞く
夜中の霧は
むかしの私の子守唄であった。
あゝ朝 未明
むかしのやうに母は暗い台所で
かた こと と朝げの支度をする。
あゝ 幾月かののち
私は霧の音に目をさました。
昨夜暗い泥道を来て
父が咳をしてゐた家
小さな弟らはストオヴの傍で
兄さんが来たのと母に聞いてゐる。
私が帰った翌朝はもう冬で
ふるさとの山々は雪で真白なのだ。
来年はもっとフットワークを良くすることで我が好奇心を少しでも満たしていきたいと思っています。遠出は車で、そして近場の街道歩きも増えそうです。鯖街道の古道を調べるぞ、などと皆さんの前で公言することにより、我が怠惰心を抑えていかないと、という心境であります。
夕べから寒くなり、朝は数センチの積雪でしたが、午後にはもうその姿は消えてしまいました。夕方からまた雪が少しひらひらと舞っていますので、元旦の朝は雪で迎えることが出来るのではと期待しています。雪見酒といきたいものです。
今年も我がブログにコメントを頂き、我が励みになりました。心から御礼申し上げます。