昨年の09/07/01に「 夏近し。蛇ケ池や吉大夫さんの碑など」で少し触れた、伝説の池「蛇ケ池」を訪れた。
京丹波町の和知から美山方面へ少し行った長瀬に伝わる伝説がある。
日照りが続き村の人達が困っていたが、こんなに雨が降らないのに毎夜娘の草履が濡れている事を不思議に思っていた父親、ある夜娘が出かけるのに気付き後を着けて行った。娘は蛇が淵といわれる岩で着物を脱ぎ水に入り、身を清めたあと、山に登って行く。後をつけていた父親はやがて山の上の池についた娘が蛇の姿に変わるのを見てしまった。父親に見られた事を知った娘は、「水不足に困っている長瀬の人たちのために竜王に願をかけ、竜になって天に昇り雨を降らそうとしていて、今日はその満願の日、しかし天に昇るつもりがお父さんに見られてそれが出来なくなりました」と言って池の中に姿を消した。何日がたって猟師がこの池で休んでいると大蛇が姿を現し、竜になれなかった事情を話して撃ち殺して欲しい、と頼んだ。猟師はこの弾ではだめだと数日後を約し、金の弾で大蛇を撃った。すると稲妻が走り大雨が降り出したという。この時の大蛇の鱗が日吉町畑郷のウロコ塚に祀られていると言い伝えられているという。
要約するとこういった伝説である。この話は東慧さんに教えていただいたのは7月1日に書いたが、今回一緒に行こうという事になり、6人で出かけた。場所は長瀬の南方向の山の上、広域林道と送電線が交わるところ、標高648msのピークのすぐ傍である。まだ雪が少し残っている広域林道から送電線の鉄塔に向かって枯葉に足を滑らせながら栗の木もある自然林を数十メートル上ると大きな池が目に入った。想像したより大きい。池の真ん中と周囲にはには雪がしっかりと残っている。
次の写真がきれいな林をバックに、右にある池に向かってこの伝説を語っておられるのが東慧さんである。前にも書いたが、東さんは、京都府立ゼミナールハウス友の会会長など郵便局を辞められた後も活躍されている。東さんのおかげで今回、大福光寺、という歴史在る立派なお寺を訪れることも出来た。情報は人だ、とつくづく感じた。
一緒に行った米津先生が池を一周して歩数を計られた。300歩とのこと。傾斜のある池の周囲にも雪があり、淵よりも数メートル外を歩かれたこと、歩幅を60cmとして、池の周囲は150msは下らないだろう。こんな山の上、稜線近くにどこから水がくるのであろう不思議である。今回案内していただいた東さんによると、水の状態は以前と全く一緒であるという。流れ込む川などは無い。すぐ西のピークが648msだと思う。池との標高差は20msもないと思える。周囲は見通しの良い自然林だ。湧き水であろうが、こんな稜線にと思うと神秘な気持ちだ。比良山脈の蓬莱山近くにも小女郎ケ池があり、ここにも悲しい伝説がある。ここも稜線からの標高差はそう大きくはない。周山城趾にある井戸跡も頂上からの標高差はそう大きくないことを考えると数十メートルの標高差があると水は溜まるのであろうか。それにしてもこんな山の上に忽然と現れる池は伝説に相応しい。
林道から見下ろす景色もなかなかのものである。下の由良川の渓谷に架かる橋が長瀬のアグリパークへの橋だ。この景色のすぐ右(=東)に大野ダムがある。2月だというのに見渡す山々には雪は無い。
京丹波町の和知から美山方面へ少し行った長瀬に伝わる伝説がある。
日照りが続き村の人達が困っていたが、こんなに雨が降らないのに毎夜娘の草履が濡れている事を不思議に思っていた父親、ある夜娘が出かけるのに気付き後を着けて行った。娘は蛇が淵といわれる岩で着物を脱ぎ水に入り、身を清めたあと、山に登って行く。後をつけていた父親はやがて山の上の池についた娘が蛇の姿に変わるのを見てしまった。父親に見られた事を知った娘は、「水不足に困っている長瀬の人たちのために竜王に願をかけ、竜になって天に昇り雨を降らそうとしていて、今日はその満願の日、しかし天に昇るつもりがお父さんに見られてそれが出来なくなりました」と言って池の中に姿を消した。何日がたって猟師がこの池で休んでいると大蛇が姿を現し、竜になれなかった事情を話して撃ち殺して欲しい、と頼んだ。猟師はこの弾ではだめだと数日後を約し、金の弾で大蛇を撃った。すると稲妻が走り大雨が降り出したという。この時の大蛇の鱗が日吉町畑郷のウロコ塚に祀られていると言い伝えられているという。
要約するとこういった伝説である。この話は東慧さんに教えていただいたのは7月1日に書いたが、今回一緒に行こうという事になり、6人で出かけた。場所は長瀬の南方向の山の上、広域林道と送電線が交わるところ、標高648msのピークのすぐ傍である。まだ雪が少し残っている広域林道から送電線の鉄塔に向かって枯葉に足を滑らせながら栗の木もある自然林を数十メートル上ると大きな池が目に入った。想像したより大きい。池の真ん中と周囲にはには雪がしっかりと残っている。
次の写真がきれいな林をバックに、右にある池に向かってこの伝説を語っておられるのが東慧さんである。前にも書いたが、東さんは、京都府立ゼミナールハウス友の会会長など郵便局を辞められた後も活躍されている。東さんのおかげで今回、大福光寺、という歴史在る立派なお寺を訪れることも出来た。情報は人だ、とつくづく感じた。
一緒に行った米津先生が池を一周して歩数を計られた。300歩とのこと。傾斜のある池の周囲にも雪があり、淵よりも数メートル外を歩かれたこと、歩幅を60cmとして、池の周囲は150msは下らないだろう。こんな山の上、稜線近くにどこから水がくるのであろう不思議である。今回案内していただいた東さんによると、水の状態は以前と全く一緒であるという。流れ込む川などは無い。すぐ西のピークが648msだと思う。池との標高差は20msもないと思える。周囲は見通しの良い自然林だ。湧き水であろうが、こんな稜線にと思うと神秘な気持ちだ。比良山脈の蓬莱山近くにも小女郎ケ池があり、ここにも悲しい伝説がある。ここも稜線からの標高差はそう大きくはない。周山城趾にある井戸跡も頂上からの標高差はそう大きくないことを考えると数十メートルの標高差があると水は溜まるのであろうか。それにしてもこんな山の上に忽然と現れる池は伝説に相応しい。
林道から見下ろす景色もなかなかのものである。下の由良川の渓谷に架かる橋が長瀬のアグリパークへの橋だ。この景色のすぐ右(=東)に大野ダムがある。2月だというのに見渡す山々には雪は無い。
蛇が池の形からして火口跡と思います。
東側の畑郷の方に火砕流が流れて落ちたと考えています。
そのときは畑郷のkx matsuoさんにお知らせします。
2年ほど前から地区の「村づくり」を進めております。内容は、地域の景観を良くするため植樹したり名所的なところを見直し案内看板の設置などやっております。この「蛇ヶ池」もその一つに考えておりす。私も何度かこの池に行っておりますが、住民より良く知っておられると思いますので、お願いがあります。よろしければ私のアドレスにメールを頂けないでしょうか。宜しくお願い致します。kx.matsuo@wing.zaq.jp
http://maruiti.justblog.jp/blog/2009/04/post-ea25.html を見させていただきました。綺麗な写真でいっぱいですね。水が少なかったようですが、聞くところでは何時行っても水量は同じ様だと聞いていたのですが、、、雨の降らない日が続きましたのでその影響でしょうか。山の上から見る大野ダムの桜もなかなかのものですね。有難うございました。
桜撮りを兼ねて行ってきました。
mfujinoさんが行かれた時は水があったようですが、ほとんど沼という感じでした。でも周りの雑木林と併せて良い雰囲気の所でした。
上から見る大野ダムの桜を撮りたかったのですが、そちらは修行が足りなかったようです・・・。
ありがとうございます。
やっぱりゲートがあるのですね。とことこと登ってみます。ダムの桜とあわせて訪ねてきます。
升谷からの林道は広域林道に通じていますので行けるはずです。しかし問題は広域林道にはいるところのゲートですね。鍵が必要だったかどうかはっきり覚えていませんが、恐らく必要でしょう。基本的には広域林道に入るには鍵が要ると思います。升谷や蕨にお知り合いがあれば地区の役員さんから借りられるのですが。しかし広域林道のゲートから蛇が池までは1kmもありませんのでそこから歩かれてもすぐです。送電線が目印です。まさに鉄塔のすぐ下にあります。
升谷の林道はかなりの悪路の様ですね。
まるいちさまのブログを見させていただきました。あちこち歩かれていて、その写真がとてもきれいですね。
京都の北部で山歩きを楽しむ者です。
いつも楽しく拝見させてもらっています。
山上にある池はそれぞれに伝説を秘めていて、神秘的な感じや、不思議な光景でどの池も印象に残ってます。
今度、この池を訪ねてみたいと思っているのですが、升谷からの林道は普通の乗用車でも行くことが出来るのでしょうか。歩きでもかまわないのですが・・・。
その土地の文化や歴史を知ることも面白いものですね。見習いたいと思います。
周山中学校の記念式典のことは全く知りませんでした。今日は非番でしたが道草さまのブログのコメントで知りました。4時過ぎでしたが中学校まで行きましたがもう人影は見あたりませんでした。あと10年もすれば生徒数は100人にも達しないでしょう。
今日も暖かい日でしたね。九州では春一番とのことですが、天気予報では来週にマイナス気温の日がありそうですし、近畿北部には雪のマークが出ていましたが、どうなりますやら。
初日の出は生搾りでなく、「今朝しぼり」ではなかったですか?
今日は「周山中学創立60周年記念」の式典があると新聞で知って、ふらりと出掛けて来ました。在校生は178名。我々の頃の250名(分校を加えると300名近くになります=ささ舟さんらです)に比べると、実に隔世の感があります。mfujinoさんは仕事でしたか。
校長も来賓もありきたりの美辞麗句の祝辞で、人口減少の現実と将来の課題には一言も触れませんでした。講演は北校出身で第二日赤の看護部長の話しでしたが、周中ではなくて八峰中のOBとのことでした。中々に分かり易くて良い内容でした。
今日は福岡で春一番が吹いたとのこと。京北でも曇り空ながら暖かい気温でした。「初日乃出」の生絞りを買って帰りました。これから賞味するところです。