北山・京の鄙の里・田舎暮らし

北山、京の北に拡がる山々、その山里での生活を楽しんでいます。

蛇ケ池探訪

2009-02-13 02:07:17 | 歴史・社寺・史跡など
昨年の09/07/01に「 夏近し。蛇ケ池や吉大夫さんの碑など」で少し触れた、伝説の池「蛇ケ池」を訪れた。

京丹波町の和知から美山方面へ少し行った長瀬に伝わる伝説がある。

日照りが続き村の人達が困っていたが、こんなに雨が降らないのに毎夜娘の草履が濡れている事を不思議に思っていた父親、ある夜娘が出かけるのに気付き後を着けて行った。娘は蛇が淵といわれる岩で着物を脱ぎ水に入り、身を清めたあと、山に登って行く。後をつけていた父親はやがて山の上の池についた娘が蛇の姿に変わるのを見てしまった。父親に見られた事を知った娘は、「水不足に困っている長瀬の人たちのために竜王に願をかけ、竜になって天に昇り雨を降らそうとしていて、今日はその満願の日、しかし天に昇るつもりがお父さんに見られてそれが出来なくなりました」と言って池の中に姿を消した。何日がたって猟師がこの池で休んでいると大蛇が姿を現し、竜になれなかった事情を話して撃ち殺して欲しい、と頼んだ。猟師はこの弾ではだめだと数日後を約し、金の弾で大蛇を撃った。すると稲妻が走り大雨が降り出したという。この時の大蛇の鱗が日吉町畑郷のウロコ塚に祀られていると言い伝えられているという。

要約するとこういった伝説である。この話は東慧さんに教えていただいたのは7月1日に書いたが、今回一緒に行こうという事になり、6人で出かけた。場所は長瀬の南方向の山の上、広域林道と送電線が交わるところ、標高648msのピークのすぐ傍である。まだ雪が少し残っている広域林道から送電線の鉄塔に向かって枯葉に足を滑らせながら栗の木もある自然林を数十メートル上ると大きな池が目に入った。想像したより大きい。池の真ん中と周囲にはには雪がしっかりと残っている。





次の写真がきれいな林をバックに、右にある池に向かってこの伝説を語っておられるのが東慧さんである。前にも書いたが、東さんは、京都府立ゼミナールハウス友の会会長など郵便局を辞められた後も活躍されている。東さんのおかげで今回、大福光寺、という歴史在る立派なお寺を訪れることも出来た。情報は人だ、とつくづく感じた。




一緒に行った米津先生が池を一周して歩数を計られた。300歩とのこと。傾斜のある池の周囲にも雪があり、淵よりも数メートル外を歩かれたこと、歩幅を60cmとして、池の周囲は150msは下らないだろう。こんな山の上、稜線近くにどこから水がくるのであろう不思議である。今回案内していただいた東さんによると、水の状態は以前と全く一緒であるという。流れ込む川などは無い。すぐ西のピークが648msだと思う。池との標高差は20msもないと思える。周囲は見通しの良い自然林だ。湧き水であろうが、こんな稜線にと思うと神秘な気持ちだ。比良山脈の蓬莱山近くにも小女郎ケ池があり、ここにも悲しい伝説がある。ここも稜線からの標高差はそう大きくはない。周山城趾にある井戸跡も頂上からの標高差はそう大きくないことを考えると数十メートルの標高差があると水は溜まるのであろうか。それにしてもこんな山の上に忽然と現れる池は伝説に相応しい。

林道から見下ろす景色もなかなかのものである。下の由良川の渓谷に架かる橋が長瀬のアグリパークへの橋だ。この景色のすぐ右(=東)に大野ダムがある。2月だというのに見渡す山々には雪は無い。




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15 コメント

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蛇ケ池の島について (西村健)
2023-10-17 12:09:54
2020年5月20日のことです。島に渡って驚いたのは地面に弾力があって少し沈むことでした。よく見るとミズゴケです。ミズゴケの集団棲息地に立ったのでした。島に渡るには倒木が1本あって沢登りの技術で濡れずに渡れました。恐る恐る歩くとジュッと音がするが沈むことはない。イグサのような細い雑草が生い茂り(後の調べでクログワイ)あちこちに兎の糞が目立ちます。水際に猪の泥場があったが島に渡れるのは兎だけで彼らの天国かも。ミズゴケの下方に興味があり掘ってみると水が滲み出て灰色のミズゴケがびっしり詰まり深くなるほど褐色に変わり固く圧縮され、体重かけてピッケルで押しても半分しか入らない。恐らく泥炭化のためでしょう。のちに調べて解ったことですが、京都府大の高原先生の京都府の泥炭地の一つに蛇ケ池があること、京大佐々木尚子先生の資料に「蛇ケ池周辺の泥炭から成る140cmコア堆積物」で化石花粉を調べたという記述があることなどからミズゴケの下方は泥炭でしょう。池の周辺がまるで庭園のように雑草や灌木がなく見通しのよい林であるのは山上の窪地内植物が腐敗せず泥炭化し貧栄養土となったからであると推察されます。雨乞い伝説を産んだ不思議さはミズゴケの島と泥炭地である特異な環境から発するもので、尾瀬沼の天然記念物「池塘」に匹敵する貴重な自然であると考えます。
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蛇が池の成因について (西村健)
2023-10-12 14:47:14
蛇が池の成因について: 付近一帯この地方に火山性のものはない。地下マグマの影響があるもっとも近いところは六甲近辺ですが遠く離れています。池の傍の鉄塔建設のため掘り出された土石に火山性のものはなく水成岩の類でした。よって噴火口の可能性は低いです。隕石説もありますが熔融岩などの証拠物がありません。列島造山後の崩壊説が有力と考えられます。この山の稜線は西南西から東北東に数十メートルの凹凸(峰と谷)が並ぶものでそれぞれの凹部は畑郷に向かう谷をもっています。蛇が池は一つの凹部の頂上にあり両側の凸部は急峻な峰となって南側の谷を挟み、北側は半円形の標高625mの等高帯(分水嶺)で囲まれています。造山活動後この急峻な両峰からの絶え間ない落石が谷を塞ぎ上流に池を作ったと考えられます。即ち南側の1か所のみ大洪水の出口があり、通常は天からの雨水と蒸発および植生の吸水によってのみ平衡が保たれている池と考えています。
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Unknown (藤田穣太)
2022-06-20 07:31:46
地元の下山に住んでいるものです。
蛇が池の形からして火口跡と思います。
東側の畑郷の方に火砕流が流れて落ちたと考えています。
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ブログ開設者藤野満さん (西村健)
2020-10-27 21:53:51
当ブログ投稿はじめの記事にある東さんを探し出し電話でお話したところブログ開設者藤野満(mfijino)さんは亡くなられたとのことです。詳細は聞いていません。最後のコメント投稿者である私へのコメントの反応を待っていましたがナシのつぶてにて憤懣やるかたなく、東さんを探したところ龍神様のお引き合わせかお連絡先が分かり手紙で蛇が池態報告をしようとしているところです。藤野満さんの遺志を引き継ぎ当ブログは永遠に生きてほしいと思います。
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大発見でした (西村健)
2020-07-17 21:26:58
この池が持つ不思議さは過去に投稿された方々のご指摘の通りですが、私にはそこにある何かにとりつかれていました。最初は衛星写真拡大画像から中央丘を持つ隕石クレーターだと推定しましたが、大発見の証拠を見つけるため今年5月20日調査にいきました。目標は隕石衝突による熔融岩石を見つけることと中央丘を調べることでした。熔融岩石らしきものは皆無でしたが中央丘に渡るのに丁度いい倒木があり、そこに人類の第一歩を踏んだ私はそこがあの尾瀬ケ原と同じ池塘の島であることを発見したのです。
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大発見かも (西村 健)
2020-05-15 10:14:03
蛇が池の山頂から比叡山を遠望したあと池のほうへ降りて行き、秋の夕暮れの中青い水面と紅葉の対比の美しさそして林の佇まいが心に残り、この池を調べていくうちにとてつもない発見をしたような気がしています。
そのときは畑郷のkx matsuoさんにお知らせします。
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はじめまして (畑郷の住民)
2017-03-11 10:33:03
この蛇ヶ池のある地区、日吉町畑郷に住む者です。
2年ほど前から地区の「村づくり」を進めております。内容は、地域の景観を良くするため植樹したり名所的なところを見直し案内看板の設置などやっております。この「蛇ヶ池」もその一つに考えておりす。私も何度かこの池に行っておりますが、住民より良く知っておられると思いますので、お願いがあります。よろしければ私のアドレスにメールを頂けないでしょうか。宜しくお願い致します。kx.matsuo@wing.zaq.jp
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沼でしたか (mfujino)
2009-04-11 05:28:30
うまく行けたようでよかったですね。
http://maruiti.justblog.jp/blog/2009/04/post-ea25.html を見させていただきました。綺麗な写真でいっぱいですね。水が少なかったようですが、聞くところでは何時行っても水量は同じ様だと聞いていたのですが、、、雨の降らない日が続きましたのでその影響でしょうか。山の上から見る大野ダムの桜もなかなかのものですね。有難うございました。
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行ってきました (まるいち)
2009-04-10 21:24:53
こんにちは

桜撮りを兼ねて行ってきました。
mfujinoさんが行かれた時は水があったようですが、ほとんど沼という感じでした。でも周りの雑木林と併せて良い雰囲気の所でした。

上から見る大野ダムの桜を撮りたかったのですが、そちらは修行が足りなかったようです・・・。
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Good luck ! (mfujino)
2009-04-01 23:03:43
まるいちさま、 確約は出来ないのですが、ゲートはあるはずです。悪路覚悟でゲートまで行ってみてください。そして閉まっていればそこから歩いても大したこと無し、空いていれば更に良し。
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Unknown (まるいち)
2009-04-01 21:26:26
mfujinoさま
ありがとうございます。
やっぱりゲートがあるのですね。とことこと登ってみます。ダムの桜とあわせて訪ねてきます。
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広域林道に入る鍵が問題 (mfujino)
2009-03-31 23:35:48
まるいちさま、 コメントを有難うございます。
升谷からの林道は広域林道に通じていますので行けるはずです。しかし問題は広域林道にはいるところのゲートですね。鍵が必要だったかどうかはっきり覚えていませんが、恐らく必要でしょう。基本的には広域林道に入るには鍵が要ると思います。升谷や蕨にお知り合いがあれば地区の役員さんから借りられるのですが。しかし広域林道のゲートから蛇が池までは1kmもありませんのでそこから歩かれてもすぐです。送電線が目印です。まさに鉄塔のすぐ下にあります。
升谷の林道はかなりの悪路の様ですね。

まるいちさまのブログを見させていただきました。あちこち歩かれていて、その写真がとてもきれいですね。
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Unknown (まるいち)
2009-03-31 21:44:15
はじめまして 
京都の北部で山歩きを楽しむ者です。
いつも楽しく拝見させてもらっています。

山上にある池はそれぞれに伝説を秘めていて、神秘的な感じや、不思議な光景でどの池も印象に残ってます。

今度、この池を訪ねてみたいと思っているのですが、升谷からの林道は普通の乗用車でも行くことが出来るのでしょうか。歩きでもかまわないのですが・・・。

その土地の文化や歴史を知ることも面白いものですね。見習いたいと思います。


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山の上の池 (mfujino)
2009-02-14 00:27:22
道草さま、 蛇が池は地図上では大野ダムの真南です。大野ダムの和知よりに長瀬という集落がありますが、そこを通る送電線沿いに南の山を望み稜線にあたるところにあります。648msのピークがあるのですがそのすぐ傍です。あんなやまの上に池があるのが不思議です。山の上に降った雨がうまく集まるような地下構造になっているのでしょうね。周山城趾にある井戸ですが、昔の人は地形を見てこの辺りを掘れば水が出てくるのが分かる人がいたのでしょうね。凄い能力ですね。
周山中学校の記念式典のことは全く知りませんでした。今日は非番でしたが道草さまのブログのコメントで知りました。4時過ぎでしたが中学校まで行きましたがもう人影は見あたりませんでした。あと10年もすれば生徒数は100人にも達しないでしょう。
今日も暖かい日でしたね。九州では春一番とのことですが、天気予報では来週にマイナス気温の日がありそうですし、近畿北部には雪のマークが出ていましたが、どうなりますやら。
初日の出は生搾りでなく、「今朝しぼり」ではなかったですか?
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Unknown (道草)
2009-02-13 18:48:19
蛇ケ池は和知と美山の境にあるのですか。そこまで行けばさすがに残雪が見られるようですが、かなりの高度になるのでしょうか。比良の小女郎池も何度か見ましたが、山上の池は水位が常に一定していて不思議です。やはり、地中からの湧き水でしょうか。
今日は「周山中学創立60周年記念」の式典があると新聞で知って、ふらりと出掛けて来ました。在校生は178名。我々の頃の250名(分校を加えると300名近くになります=ささ舟さんらです)に比べると、実に隔世の感があります。mfujinoさんは仕事でしたか。
校長も来賓もありきたりの美辞麗句の祝辞で、人口減少の現実と将来の課題には一言も触れませんでした。講演は北校出身で第二日赤の看護部長の話しでしたが、周中ではなくて八峰中のOBとのことでした。中々に分かり易くて良い内容でした。
今日は福岡で春一番が吹いたとのこと。京北でも曇り空ながら暖かい気温でした。「初日乃出」の生絞りを買って帰りました。これから賞味するところです。
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