去る5月29日に、京北の文化財を守る会、の年次総会が開かれました。総会の後いつもは講師を招いての講演を聞くというのが通例なのですが、今年は各地域の会員さんが調査された、民間信仰建造物調査、の結果を報告するというものでした。
ここ京北には神社や寺院がありますが、神社庁に登録されていない、地元の人達だけで信仰されている神社とは呼べない小さな祠などの信仰の対象になっているささやかな建造物が残っていて、どう信仰されてきたのかを調査しておこうという企画です。大概は集落の少人数の人達によってお祀りされ信仰されてきたものですが、既に朽ちはてたものもあり、また今は例祭などが途絶えているものもありますが、現在でも当番を決めてその維持管理をし、年に日を決めてみんなでお参りし、直会を催しておられるものが多数あります。今回発表されたのは100数十にのぼりました。
これを刊行物にして報告するのも一つの方法なのですが、その費用や、調査が開始されてから経つ年数などを考慮し、会員の皆さんに写真や、祭神、由緒やいわれなどを映写して報告しようということになったわけです。私自身はその台帳をプリゼンソフトに落とし込む作業を担当しました。写真をスキャンし、調査された事項をインプットしてプリゼン出来るように仕上げ、当日皆さんの前で映写し、大平先生がそれを読んで発表されました。
一つ一つの祠などを見てみると、調査時点では存在したものが今は朽ちはてて無くなっているものもありますし、※※の命が祭られていると伝えられているのにそれとは関係なくお稲荷さんの様に狐が守っているものもあったり、ある意味いい加減やなあと思われるであろうというものもありますが、発表の後、米津さんが仰った、「今は医学も発達しているが、僅か数十年前の人達は切実に病気や火事の恐れから解放されたい、真剣な思いで信仰されていた貴重な姿だ」と話しておられたのが忘れられません。
興味を抱いたのは、ナマズが祀られていて、その氏子は夏にナマズを食べなかったというのがあります。また祗園信仰そのもの、胡瓜を食べない風習をまもっておられる氏子さん、筏の航行安全を祈った金比羅さんもあります。また山の神を祀るのも多くありました。それとここ北山では「株」という組織があり、例えば我が例で言えば、藤野株、すなわち藤野姓を名乗る人達で祀る神社もあります。この類のものは弓削に多い印象を受けました。六部さんを祀るのもありました。※の神と書かれただけのものもあれば、素晴らしい仏像もあります。お参りした後の直会も最近はレストラン等で行われるというのが多くなっている様です。昔は当番の家で行われたのでしょう。こう言った行事も形骸化が進んでいるのも事実だと思います。例えば私の集落では、昔近くの山中で修行をされていた行者さんを祀る祠が山中から公民館の傍に移されて祀ってあり、年1回行者祭があのですが、集落の役員さんがお参りされていて集落挙げてではありません。しかし、私はどんな形でもこの行者さんのお祭りが残っていることに注目しています。
これらを、現世御利益を祈ったものだ、日本人は宗教心がないなどという一神教の世界からみた感想を従順に受け入れらされている今の世の中の風潮の浅はかさに気付かされた気持ちでいます。農作業や山仕事への途中にお祀りしている神様に手を合わせている人達の敬虔な姿を想像するにとてもそんな薄っぺらい評論は出来ません。
今回はこういう形で発表されたのですが、会員の皆さんが調査されたことは台帳という形で残り、その一部がデジタル化されたわけです。ただこれを更にしっかりと整理された形で残しておくか、またこれを未来を引き継ぐ子供達に、ここにこんな祠があるがそれはこういういわれがあるんだと知って貰うか、その精神を引き継いでもらうかなどの大切な課題が残ります。また民俗学的調査としてもその価値があると思います。今回の調査発表の一部に参加させて頂き、これぞ文化財を守る会の活動そのものだと感じ、それに参画出来た喜びを感じ、皆さんにもシェアしたくここに書かせていただきました。
ここ京北では第二小学校(旧山国・黒田小学校)で面白い試みがなされています。既に退職された先生方が月に何回か放課後に学校で子供達に色々教えておられるのです。ふるさとの昔話や昔の遊びなどを教えておられるのではないでしょうか。どんなこと話しておられるのか詳しく聞いてみたいと思っています。昔先生以外にも、<くろやま塾>のメンバーは自然の中で遊ぶ楽しみなどを体験させる活動もされていますし、鉾杉塾の河原林塾長が小学生に、地元の文化遺産たる浄瑠璃くずし丹波音頭を教えたとも話しておられました。
我が郷土を誇る話ですが、「山国読本」というのがあります。これは昔山国小学校の生徒に、お爺さんが子供に囲炉裏端でふるさと山国の歴史などを語り聞かせる形式の本です。戦前に発刊されたものですが、戦後にその復刻版も発刊されています。これぞ伝統の誇りだと思います。
ようやく日本も自分の足許をみる本来の姿に戻りつつあるのではないでしょうか。
思えば、朽ちかけた祠にも樒の葉が備えてあったりしたものです。
民間信仰と言うのですか土俗信仰と称するのですか、そんな言葉を小学校や中学校で習った記憶もありません。
地元住民の子弟ばかり通う田舎の学校ですのに、誰一人そんな話をする教師も存在しませんでした。課外授業でもいいので、地域の歴史や風俗風習について学ぶ機会があったら・・・と今更のように残念に思います。
健康や安全や家族の幸せを願う、そんな現世のご利益を神仏に頼むのは、少しも間違っていないと思います。
宗教の専門家ではない限り、そんなささやかな信仰(とまで呼べなくても)で十分ではないか、と思います。
誰もが、ささやかで小さな願いを託しそれで満足するのなら、醜い争いや諍いなども起こらないでしょうし。
栃本との向かいの山裾にあった小さな御稲荷さんの祠は、
今はどうなっているのでしょう。
行者祭ですが、先日の墓マイラーさんが行者の存在をしめす板碑の拓本を採って研究しておられます。この板碑については終戦直後国立博物館の石田茂作博士による考証があるのみだと思います。
何れにしても我が住まいの近く長谷界隈で修行された行者さんが祀られている祠が公民館の傍にありますが、本文にも書きました様に、長谷の山中にあったものを移転されたと聞いています。また我が家を下りたところに<右やまくに、左ゆげ>という道標があるのですが、これは八坂神社の近くにあった物が現在地に移されたというのが文化財を守る会の資料に書かれていたので私は知っていますが、これも記録に残して頂いているからこそのお陰です。
今回の調査でも、由緒や言われの欄に、不詳、とかかれているケースも多いですが、少なくとも現在分かっていることを記録保存するというのは大きな意義があることと思います。願わくばこういった記録を一元管理するところがあればいいのですが。
これらを、現世御利益を祈ったものだ、日本人は宗教心がないなどという一神教の世界からみた感想を従順に受け入れらされている今の世の中の風潮の浅はかさに気付かされた気持ちでいます。農作業や山仕事への途中にお祀りしている神様に手を合わせている人達の敬虔な姿を想像するにとてもそんな薄っぺらい評論は出来ません。→ 激しく同意!
行者祭、おもしろいですね。しっかり祭をされている御家庭には何か伝わっているのではないでしょうか。