2月19日(木)
いよいよ旅も佳境に入ってきましたね。
昨晩23:40に発車した高速バスは、5:55「博多駅」に着きました。
6日ぶりに「博多」に戻って来たんですね~
それから「防府(山口県)」に向かうんだけど、バスは9:00発なんでね…バスセンター内にあるマックで朝食を食べたり、構内でボォ~っとしてました。
そして9:05「バス」は発車し、11:15「防府駅」に着きました。
その「防府駅」から11:46発の「山陽本線」に乗り、「新山口駅」で「山口線」に乗換えました。
そして12:20「湯田温泉駅」に着きました。
今日は雨の予報があったけど、やっぱ着いて早々降り出して来ましたよ…
そして12:30『高田公園』に着きました。
この『高田公園』は『井上馨生家跡』に作られた公園です。
『何遠亭跡の碑』は「七卿落」の時、井上家の離れを増築し『三条実美』らの宿舎にあてられたことによるモノです。
「龍尾の手水鉢」も井上家で使われていたモノです。
これは『井上馨像』です。
『井上馨(1836-1915)』も『吉田松陰』の『松下村塾』に学び、明治維新後も新政府で要職に就いています。
これは「中原中也詩碑」です。
これは『七卿遺蹟之碑』です。
この公園内にも足湯がありました。
うわ…けっこう雨が強くなって来たよ…
12:40『高田公園』を出ました。
それから近くの観光案内所に行きました。
そこで周辺の幕末史跡の地図をゲットしました。
12:50ごろ『松田屋ホテル』に着きました。
この「ホテル」内に幕末史跡があるんだけど…宿泊客じゃ無いんで見せてもらえるか分からないけど、とにかく行ってみました。
そしたら庭と資料館を見せてもらえました。
300余年の歴史を誇る『松田屋ホテル』は、かつては明治維新の志士たち、『坂本龍馬』や『高杉晋作』らも訪れています。
これは『三条実美』の「遺墨碑」と「手植松」です。
これは『西郷木戸大久保会見所』です。
慶応3年(1867年)9~10月頃“維新三傑”『木戸孝允』『西郷隆盛』『大久保利通』が「薩長連合」の盟約確認と討幕出陣の具体的な協議を行なったとされる東屋なんです。
ホテル内の資料室です。
13:05ごろ『松田屋ホテル』を出ました。
それから13:10ごろ『おおすみ歴史美術館』に行きました。(入場料¥200)
人相見があったんだけど、真ん中の『高杉晋作』がエライ不細工で笑えます。
そして13:20ごろ『おおすみ歴史美術館』を出ました。
次はさっき観光案内所で初めて知った周辺の史跡ハントに挑戦します。
この周辺には『木戸神社(木戸孝允旧宅跡)』や『錦の御旗製作所跡』なんてのがあったんです。
でも…途中で雨脚も強くなったんで諦めました。
これって後で思ったけど、けっこう遠かったと思うぞ…この雨は「もう行くな」という意味だったんだな、きっと。
そして14:00ごろ『湯田温泉駅』に戻りました。
ちなみに「新山口駅」の1駅前「四辻駅」周辺には『大村益次郎墓』や『大村神社』があります。
山口県は、まだ開拓しなければ…(いつになるか分からないけど)
それから「山口線」と「山陽本線」に乗り、15:15すぎ「徳山駅」に着きました。
ここ「徳山」にも、けっこう教え子がいるんでね。
駅から教え子に電話して、15:55ごろ3人の教え子がタクシーで迎えに来てくれました。
そうか…やっぱ雨が降ると不便な地なんだろうね…
大体、皆同じアパート(寮)に住んでるんで、着いてから次々教え子が会いに来てくれました。
「徳山」にいる教え子は、留学してまだ半年くらいなんで一時帰国しない子が多かったんでね。
そして5人の教え子と一緒に夕飯を食べに行きました。
寮に帰ってからもバイトが終わった教え子らが、次々顔を出しに来てくれたりしてね。
最終的に13人の教え子に会うことが出来ました。
今日はその寮の男子生徒の部屋に泊めてもらいました。
彼は別の部屋の今帰国中の子の部屋に行きました。
明日は山口県内で数ヶ所行く所があります。
そして「下関」に宿泊して、翌々日のフェリーで「青島(中国)」に向かうワケです。
心配なのは明日の天気だなぁ…この寮から駅まで自転車で行けないと厄介なんだよなぁ。
では、また明日。
いよいよ旅も佳境に入ってきましたね。
昨晩23:40に発車した高速バスは、5:55「博多駅」に着きました。
6日ぶりに「博多」に戻って来たんですね~
それから「防府(山口県)」に向かうんだけど、バスは9:00発なんでね…バスセンター内にあるマックで朝食を食べたり、構内でボォ~っとしてました。
そして9:05「バス」は発車し、11:15「防府駅」に着きました。
その「防府駅」から11:46発の「山陽本線」に乗り、「新山口駅」で「山口線」に乗換えました。
そして12:20「湯田温泉駅」に着きました。
今日は雨の予報があったけど、やっぱ着いて早々降り出して来ましたよ…
そして12:30『高田公園』に着きました。
この『高田公園』は『井上馨生家跡』に作られた公園です。
『何遠亭跡の碑』は「七卿落」の時、井上家の離れを増築し『三条実美』らの宿舎にあてられたことによるモノです。
「龍尾の手水鉢」も井上家で使われていたモノです。
これは『井上馨像』です。
『井上馨(1836-1915)』も『吉田松陰』の『松下村塾』に学び、明治維新後も新政府で要職に就いています。
これは「中原中也詩碑」です。
これは『七卿遺蹟之碑』です。
この公園内にも足湯がありました。
うわ…けっこう雨が強くなって来たよ…
12:40『高田公園』を出ました。
それから近くの観光案内所に行きました。
そこで周辺の幕末史跡の地図をゲットしました。
12:50ごろ『松田屋ホテル』に着きました。
この「ホテル」内に幕末史跡があるんだけど…宿泊客じゃ無いんで見せてもらえるか分からないけど、とにかく行ってみました。
そしたら庭と資料館を見せてもらえました。
300余年の歴史を誇る『松田屋ホテル』は、かつては明治維新の志士たち、『坂本龍馬』や『高杉晋作』らも訪れています。
これは『三条実美』の「遺墨碑」と「手植松」です。
これは『西郷木戸大久保会見所』です。
慶応3年(1867年)9~10月頃“維新三傑”『木戸孝允』『西郷隆盛』『大久保利通』が「薩長連合」の盟約確認と討幕出陣の具体的な協議を行なったとされる東屋なんです。
ホテル内の資料室です。
13:05ごろ『松田屋ホテル』を出ました。
それから13:10ごろ『おおすみ歴史美術館』に行きました。(入場料¥200)
人相見があったんだけど、真ん中の『高杉晋作』がエライ不細工で笑えます。
そして13:20ごろ『おおすみ歴史美術館』を出ました。
次はさっき観光案内所で初めて知った周辺の史跡ハントに挑戦します。
この周辺には『木戸神社(木戸孝允旧宅跡)』や『錦の御旗製作所跡』なんてのがあったんです。
でも…途中で雨脚も強くなったんで諦めました。
これって後で思ったけど、けっこう遠かったと思うぞ…この雨は「もう行くな」という意味だったんだな、きっと。
そして14:00ごろ『湯田温泉駅』に戻りました。
ちなみに「新山口駅」の1駅前「四辻駅」周辺には『大村益次郎墓』や『大村神社』があります。
山口県は、まだ開拓しなければ…(いつになるか分からないけど)
それから「山口線」と「山陽本線」に乗り、15:15すぎ「徳山駅」に着きました。
ここ「徳山」にも、けっこう教え子がいるんでね。
駅から教え子に電話して、15:55ごろ3人の教え子がタクシーで迎えに来てくれました。
そうか…やっぱ雨が降ると不便な地なんだろうね…
大体、皆同じアパート(寮)に住んでるんで、着いてから次々教え子が会いに来てくれました。
「徳山」にいる教え子は、留学してまだ半年くらいなんで一時帰国しない子が多かったんでね。
そして5人の教え子と一緒に夕飯を食べに行きました。
寮に帰ってからもバイトが終わった教え子らが、次々顔を出しに来てくれたりしてね。
最終的に13人の教え子に会うことが出来ました。
今日はその寮の男子生徒の部屋に泊めてもらいました。
彼は別の部屋の今帰国中の子の部屋に行きました。
明日は山口県内で数ヶ所行く所があります。
そして「下関」に宿泊して、翌々日のフェリーで「青島(中国)」に向かうワケです。
心配なのは明日の天気だなぁ…この寮から駅まで自転車で行けないと厄介なんだよなぁ。
では、また明日。
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