
山口県「萩」の史跡ハント後、「新山口」を経由して「広島」に戻って来たよ

うぉ~天気もメチャ良いじゃん



⑧安芸国・広島編

10:57「新山口」発こだま738号に乗り…11:45ごろ「広島」に着きました。

今日の午後は愛媛県「松山」がメインなんだけど、フェリーの時間までの約1時間を「広島」の史跡ハントに使うことにしたんだわ。

ココ「広島」も朝までいた「萩」と同様、9年ぶりなんだよ…そのときは日本語教師として中国に赴任する前に史跡ハントをしながら「下関」に向かってたんだよ。

神奈川(家)






今回はたった1時間しか無いんで前回は外観しか観ていない「広島城」を観て、次の目的地「松山」まで行くフェリーが出る「広島港」まで行くよ。


最初、路面電車乗って「紙屋町」辺りまで出ようと思ったんだけど、歩いた方が早そうなんで地図アプリ見ながら歩くことにしました。


12:15ごろ周辺に着きました…この像は広島出身の第58-60代内閣総理大臣「池田勇人」です。

廣島護国神社の鳥居を抜けると…

堀や櫓が見えてきたよ。

「広島城」は別名「鯉城(りじょう)」ともいわれ、広島東洋カープはこの「鯉」に因んで名付けられたんだよ。


「広島大本営」は1894年(明治27年)に勃発した日清戦争の指揮のために広島市の広島城内に設置されました。

9月13日に大本営が宮中からこの地に移転し、2日後の9月15日には戦争指揮のために明治天皇が移られました…このため、行宮の役割も果たしました。

明治天皇は日清講和条約(下関条約)調印後の1895年(明治28年)5月30日までの227日間この地で指揮を執った後、東京に還幸しました。

この石は旧天守閣柱下の礎石を掘り起こして原型のまま移されたものです。

玉石排水溝の内側が天守台の大きさです。

「広島城」に入りました。(入城¥370也)
戦国時代「毛利輝元」が築き、関ヶ原の合戦の後「福島正則」が城主になっています。


あんま時間無いんでザッと観てスグ天守閣へ。

天守閣からの景色だよ。



今回は観る時間が無いけど、ココで「原爆ドーム」のドーム部が見えました。

12:30「広島城」を出て…コレは「護国神社」です。

七五三だったんだね。


二の丸を抜けると…

堀周辺の木々も紅葉してきてるね。


コレは太鼓櫓かな?

菊・鯉・城・球場。


御門橋と表御門です。

正面は平櫓です。

左から平櫓・多聞櫓・太鼓櫓です。

12:50…もう時間は無いんだけどチェックしておいた「汁なし担々麺」を食べに行ったんだけど…やっぱ行列できてたんで諦めたよ。


その後スグ、タクシーを拾い…13:10ごろ「広島港」に着きました。

ついに“タクシーカード”(そんなの桃鉄に無いか)まで使っちゃったよ…この路面電車だと立町辺りから乗ることになるのかな?
でも路面電車って信号で停まるし、速度も遅いんだよね…広島港まで40分近く掛かるんだもんよ。

コレも“時は金なり”だよ…約40分掛けて¥150くらいで行くか? 約20分で¥1,750掛けるか?だもん。

時間があれば、ゆっくり路面電車で行くけどさ…俺の旅は余裕が無いもんで。

⑨伊予国・松山編

「広島港宇品旅客ターミナル」で予約しておいた(多分予約はしなくてよかったろうけど)乗船券を発券手続きしました。

スーパージェットの通常¥7,100が、片道割引でそれでも¥6,850だよ…クルーズフェリーだと¥3,600なんだけど、時間がさぁ。

クルーズフェリーは呉港経由で2時間40分も掛かっちゃうんだけど、スーパージェットだと呉港経由無しのこの便で1時間8分で着くんだよ

料金ほぼ倍で時間半分以下か…でもさぁ「広島」から速く「松山」に行かないと松山で何も観れなくなっちゃうからさ、仕方ないわ。

“新幹線カード”に続き“高速フェリーカード”(それも桃鉄に無いよ)まで使っちゃったよ…


コレが¥6,850のスーパージェットだな。

「松山」に行くのに宮島号?

ターミナルビルだよ。


予定通り13:30出航したけど…乗客20人もいないんじゃね?



座席にコンセントがあったんでスマホ充電できちゃった…スグ電池減るんだもん。


船窓からの景色だよ。

雨の予報がこんな快晴になったんだもんな…普段の俺の行いかな。


コレは石崎汽船のクルーズフェリー「旭洋丸」です…もしクルーズフェリーに乗ってたらコレだったのかもね。

この橋は?

本日天気晴朗ナレドモ浪高シ…これは「秋山眞之」が日本海海戦のとき、大本営に向けて打電した言葉。


14:40すぎ「松山観光港」に着いたよ…松山も朝は雨が降ってたみたいよ。


当初、ここから歩いて「高浜(駅)」に行って、伊予鉄道に乗り「大街道」まで出る予定でいたんだけど…「松山観光港」前から「高浜」や市内に行くバスが出ててさ。
ちょうど「大街道」に行くバスがあったんで、それに乗っちゃいました。(¥570也)


バスの車窓から撮りました…俺は路面電車が走ってる街が大好きだぁ~



おぉ「坊ちゃん電車」ってヤツじゃない?どの区間走ってるんだろ?


山の上に「松山城」が見えて来たよ


「大街道」で降りてからスグ、15:30「秋山兄弟生誕地」に着きました。(入場¥300也)


兄「秋山好古」大将像です。


弟「秋山眞之」中将像です…海上自衛隊幹部学校にある胸像の複製です。

この兄弟(と正岡子規)は司馬遼太郎「坂の上の雲」で描かれていますが、ココ愛媛「松山」出身なんだよ。


復元された秋山兄弟の生家です。

中の資料を見学しました。

コレは戦艦「三笠」船体及び蒸気機関模型だって…日露戦争でロシアのバルチック艦隊を破った連合艦隊の旗艦が横須賀にある記念艦「三笠」だよ。


中には入れません。

眞之が書いた「熟慮断行」? 眞之らしい言葉だね。

秋山兄弟産湯の井戸です。

「秋山兄弟生誕地」を出て、15:45ごろ「松山城ロープウェイのりば」に着きました。
運行しているロープウェイやリフトを使って8合目付近まで登ります…俺は天守閣(¥510)とロープウェイ往復(¥510)のセット券を買ったよ。
今回の史跡ハントでは6城目だよ。


荷物や杖なんか持ってるとリフトはムリだね…ロープウェイのガイドさんは最後に「だんだ~ん」って言うんだけど、方言で「ありがとう」の意味なんだって。


15:50ごろ山頂駅に着き、天守付近まで約10分歩きます。



松山城の石垣も見事だな~

工事中なのは何櫓?

この戸無門は築城当時から門扉が無く、敵を防備の要である筒井門へ誘いこむための戦略的な意味合いで設置されたとみられています。


戸無門を通過して目に付くのは筒井門で、その奥にある隠門は分かり難くしています。これは侵入者の注意を筒井門に向けさせ、そこを破ろうとする敵を隠門から打ち出て、背後から襲う戦略とみられています。

松山城の築城に着手したのは、西国大名であった「加藤嘉明」ですが、広大な平山城の完成直前に会津藩へ転封となり、次に藩主となった「蒲生忠知」が二之丸などを完成させましたが、跡継ぎがいなかったため在藩7年で断絶してしまいます。

そして、1635年に「松平定行」が藩主となり、それ以降、明治維新までの235年間に渡り、松山は四国の親藩としての役目も担いました。

俺、天守閣の入城券買ってたのに忘れてて、またココで買っちゃったみたい。


正面が天守だけど、そう簡単には天守には着かないよ。


一ノ門と筋鉄門です。


左側に大天守の入口があるよ。


鎧などの展示があります。


刀の重さ体験ってのがあったよ…やっぱズッシリ感があるよ、鍛錬が無きゃ振り回せないね。


槍や刀の展示です。

伊予松山藩4代藩主「松平定直」の書物みたい。

長持です。

石落としです。


小天守から見えた景色?だよ。

コレは武器?



あれ


天守からの景色だよ。

この長い白壁は天神櫓南塀かな?

今、16:20…あと1時間ほどで日没だね。


今まで観て来た城の中でも、かなり広い内部だったよ。

コレは天神櫓です。

櫓や門が多くて何だったか分からん…


正面が小天守です。


松山城マスコットキャラクター「よしあきくん」だよ。

本丸広場の土産屋に寄ってから…

16:40「ロープウェイ山頂駅」に戻りました。
ココで復路券を取り出したとき、天守閣の券使わずに新しいの買っちゃったのに気づいたよ…コレ、払い戻せるのかなぁ?


ロープウェイに乗ったらスグ発進し、山麓駅へ。


行きにチケットを買った売場へ行き、天守(¥510)を払い戻してもらいました。

さっき土産屋で小さいの買ったんだけど「道後の姫だるま」は諸説ありますが、日本初の女帝である神功皇后が道後温泉でご懐妊されたことを記念して、奉り作られたのが由来と言われています。

16:45すぎ「松山城ロープウェイのりば」を出て…

「大街道」に戻り、

16:55ごろ「坂の上の雲ミュージアム」に着きました…ココは入館18時までOKなんでさ。(入館¥400也)

司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」は産経新聞(夕刊)に1968年(昭和43年)4月22日~1972年(昭和47年)8月4日にかけて、4年半にわたり連載されました。(計1296回)


俺、小説は読めないんで…NHKのドラマで観たよ。


前半は「秋山好古」「秋山眞之」の兄弟と「正岡子規」の3人を主人公に、松山出身の彼らが明治という近代日本の勃興期をいかに生きたかを描き、後半は日露戦争の描写が中心となっています。

ドラマは2009年11月29日から2011年12月25日まで足掛け3年に亘ってNHKで放送されたんだけど、このミュージアムは2007年オープンだよ。


もうあんま時間無いんでザッと観て17:10ごろ出ちゃったよ。



萬翠荘は大正11年(1922年)旧松山藩主の子孫にあたる「久松定謨」伯爵が、別邸として建設したものです。


「坂の上の雲ミュージアム」は建築家「安藤忠雄」氏による設計なんだって。

17:20ごろ「大街道」から路面電車に乗ったよ~


17:35「道後温泉」で降りました。

道後温泉駅だよ。


坊ちゃん列車です。



「道後ハイカラ通り」に入ってみます。


土産屋がいっぱいあるよ~


「道後ハイカラ通り」を抜けると目の前に道後温泉のシンボル「道後温泉本館」があります

「道後温泉本館」は宮崎駿監督の映画「千と千尋の神隠し」に登場する「油屋」のモデルになったといわれているんだよ。


道後温泉は「日本書紀」にも登場するわが国最古の温泉です。



1895年(明治28年)松山市の旧制松山中学に英語教師として赴任した「夏目漱石」は、当時まだ新築で木の香り漂う「道後温泉本館」に友人の「正岡子規」や「高浜虚子」と連れ立って来ていたそうです。

漱石は毎日のようにココに通い、代表作「坊っちゃん」の中では“住田の温泉”として登場させています…そして吾輩は猫である。



日本三古湯の一つで、他は有馬温泉(兵庫県)、白浜温泉(和歌山県)なんだって。(日本書紀、風土記などに基づく)

ココって中に温泉があって(もちろん有料で)入れるんだね…俺は時間が無いから外観観ただけ。


また「道後ハイカラ通り」を通って駅に向かいます。


ちょうど18:00で「坊ちゃんカラクリ時計」が作動していました。



終了後、マドンナ?だけ再登場してくれました。



18:05…道後温泉駅に戻りました。

路面電車に乗って「大手町」まで出ます。


路面電車の運転席だよ。

1時間後(19:30)ココから出る高速バスに乗るんだけど、もうバスは停まってるね。


少し歩いてJR松山駅に行ってみました。


なぜ松山駅に今治のバリィさんが?


19:00ごろ駅の並びにあったラーメン屋で担々麺食べたよ…昼に広島で「汁なし担々麺」食べ損ねたからというワケじゃなく、担々麺が好きなので。

そしてさっきのホテルから高速バスに乗ったんだけど…コレが横浜に行くんじゃなく、徳島で横浜方面行に乗り換えるんだってさ。

予定通りなら6:15「横浜」着なんだけど、俺、翌3日は出勤なんだよ…海老名だったかな?で5:45ごろ、トイレ休憩があったんだけどヤバくないか?

休日ダイヤで俺が横須賀中央から乗るのは7:16発なんで、逆算すると横浜を6:50くらいに出るのに乗れないと遅刻だよ~

6:15よりチョイ早く着くくらいだったら朝マックでもしてから出勤しようと思ってたのが一転、遅刻のピンチだわ。

ヒヤヒヤしてたけど何とか20分遅れの6:35ごろYCAT(横浜)に着いたよ~

急いで京急の改札に行くと6:48発だったんで、ウンコする余裕くらいはあったわ。

いや~今回の旅は後半(1日・2日)天気が悪いと覚悟していたのが晴れたり、尾道や竹原、萩も時間がギツギツの中、計画を予定通り遂行できたのは大きかったよ。

呉でネットカフェやホテルが満室でも何とか泊まる?トコを見つけ、最後は時間ギリギリで出勤もできたからね。


今回の戦利品です。

会社の同僚へは広島でレモンワッフルを…クッキーは中学時代に山口文(あや)チャンというカワイイ子がいたのを思い出して買っちゃった。

山口(県)の文(杉文/スギフミ)でネーミングされたんだろうけどさ。

扇子は「高杉晋作」と「吉田松陰」の…この幕末偉人トランプも「萩」で購入したよ。

キューピーは6コあるけど3コはダブっちゃった…でも「杉文QP」はワザと持ってるのに買ったんだな。
この「文と萩物語キューピー」は6種発売されてて、うち5種は数ヶ月前に通販で買えたんだけど「高杉晋作QP」だけ欠品しちゃっててさ。

今回、その「高杉晋作QP」を探すのも「萩」に行った理由の一つなんだけど…やっぱどこも売切れてたわ。

なのでパッケージは同じなんで適当に他の1コ買っておいて、通常の高杉QPを入手してから入れ替えようと思ってね。

あとは最後に「松山」で買った姫だるまだよ。

これで当分、史跡ハントには行かないんじゃないかなぁ…もしどっか行くなら次は九州(佐世保、唐津、高千穂など)、沖縄、函館、台湾かな。

…って、まだ候補地いっぱいだけど強い気持ちはまだ無いんでね…どっか行きてぇ病がいつ出るか?だな。

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