史跡ハンター 臥龍

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GW史跡ハント~常陸・陸奥国

2017年05月01日 | 幕末~明治史跡めぐり
5月1日(月)
今日は6:20発のJR水郡線に乗るんで5:00にアラームをセットしたけど、やっぱ必要無かったか…1~2時間しか眠れず、1:00くらいには買っておいた朝ゴハン食っちゃったよ。
その後、短時間の二度寝、三度寝はあったけど…もう4:00くらいには完全に起きてたわ。

6:00すぎにチェックアウトし、昨晩も行った隣のファミマで食料を買っておきました。

まだ少し時間があったんで北口に行きました…って、前回も観てるけどさ。

左の地図の方は(手が)「印籠」のようになってたんだね。

6:20「水戸」発のJR水郡線に乗りました…水郡線なんて初めて乗ったなぁ。

④常陸国~袋田の滝編

7:40ごろ「袋田」で降りました…ココから約4Kmほど歩くんだわ。

赤いの何だろう?(木なのは分かってるよ)遠くから見ても目を引いたよ。

「袋田の滝」の石碑があったけど…まだ3Km以上先だよ。

ちょうど通学時間帯で小学生の集団登校に遭遇したんだけど、ヨソ者のオッサンにもみんな「おはようございます」って挨拶してくれたよ。

袋田温泉「思い出浪漫館」だって。

こうやって歩きながらキレイな景色を撮ってます。

この辺りは蕎麦が名物なの?

店先にいろんなモノが置いてあったよ…通り沿いには「イノシシ」の剥製?もあったし。

もうすぐ「端午の節句」だもんね。

コレは「四度瀧不動明王」だって~

お土産屋のある通りを抜けて…

8:20ごろ「袋田の滝」入場券(¥300)売場に着きました…やっぱ約40分くらい歩いたかぁ。

入場券を買ったら、まずトンネル内に入ります。

コレは「袋田の滝胎内観音」です。

ココも“恋人の聖地”なの?
吊り橋に出られる出入口があったんで行ってみました。

吊り橋の手前から見えた滝。

少し渡ってみると、こんな感じで見れます。

戻って「第1観瀑台」に行きました。

おぉ、コレが“日本三大名瀑”の一つ「袋田の滝」ね…俺は他の2滝「華厳の滝」や「那智の滝」のような一本滝?を想像してたんだけどね。

さっきの吊り橋が見下ろせます。

コレは「四度滝不動尊」です。

そしてエレベーターに乗って「第2観瀑台」に行きました。

高さ120m、幅73m、四段に落下することから別名「四度の滝」とも呼ばれています。

流れ落ちる水量によってハートの形に見える岩肌があるらしいよ…そういうのに縁のない俺はやっぱり見れず?

帰りは吊り橋を渡って帰りました…左に観えるのが「第1観瀑台」です。
この吊り橋のトコにも入場券売場があってさ…今帰るルートから来ることもできたみたいね。

コッチは「渓流散策コース」っていうんだって~

茶屋もありました。

奥に見えるブルーの屋根の小屋が行きに俺が入場券を買ったトコ辺りだよ。

どうやら下に着いたみたいだな…

なるほど…行きは左の「滝見橋」を渡って入場券売場に行ったけど、真っ直ぐ行けば「渓流散策コース」だったんだね。
もうすぐ9:00だけど…「袋田」から乗る列車は10:31発なんで、だいぶ余裕あるなぁ。

だけど他に行くトコもヤルこともないからさ…

また景色を見ながらトボトボ歩いて帰ったよ。

まるで空間に浮いてるような橋だね。

コレは「北條館別館」だって…うなぎが名物なの?

カエルの鳴き声が聞こえてました。

線路に進入したんじゃないよ、踏切から撮ったんだよ。

駅に近づいたけど、まだ早いんで橋を渡ってみました…「友釣り」とはアユ釣りの一方法みたい。

うん…何も無い静かなところだ…
9:40袋田駅に戻って来たけど…まだ列車の時間まで50分くらいあるよ。
待合室で来る前にコンビニで買っておいた朝食をココで食べました。

ホーム向かいには「ミニ袋田の滝」がありました。
10:31「袋田」発のJR水郡線は少し遅れて来たけど無事に出発できました…この先が長いんだよな~

⑤陸奥国~二本松・白河編

12:35すぎ「郡山」に着き、12:42発のJR東北本線に乗り換えました。

そして13:05ごろ「二本松」で下車しました…って、久しぶりの福島県だな。

駅前の二本松少年隊士像「霞城の太刀風」です。
これから約1.3Km歩いて「霞ヶ城公園」を目指します。

コレは「二本松神社」で…旧二本松藩領総鎮守です。

ちょっと境内に上がってみることにしました…何だコレ?と思ったらヘビがいたよ。

コレは「随神門」です…バッテンの印のようなモノが「直違」で、これは二本松藩主・丹羽氏の家紋でもあります。

「神門」と「拝殿」です…どちらも寛政6年の大火で焼失していて、現在のものは文化3年(1806年)に再建されたものです。

境内社と神楽殿です。

13:30すぎ「霞ヶ城」に着きました…右は「旧二本松藩戒石銘碑」なんだけど、写真が切れてる左端の石がそうだったみたい。

「二本松城」は霞ヶ城・白旗城とも呼ばれる平山城で日本100名城の11番目です。

コレは「二本松少年隊群像」です…少年隊といっても「仮面舞踏会」のじゃないよ。

戊辰戦争二本松最大の激戦地・大壇口戦場における少年隊の奮戦姿と、わが子の出陣服を仕立てる母の姿です。

大城代「内藤四郎兵衛」戦死之地碑です…戊辰戦争時、二本松城の大城代だった内藤は落城の際、城門を開き敵軍に切り込んで獅子奮迅の末、壮絶な最期を遂げたそうです。

コレは「箕輪門」です…初代藩主「丹羽光重」が入府間もなく、城内整備のため御殿と共に最初に建造した櫓門です。

「虎口」?を抜けると広場があります。

コレは「山田脩」銅像です…戊辰戦後、明治6年に二本松製糸会社を創立しました。

コレは「相生の滝」です。

コレは「洗心亭」です…城内に唯一残る江戸期の建造物です。

コレは「丹羽霊祠殿」と「霞ヶ城の傘松」です。

コレは「洗心滝」です。

コレは「二合田用水」です…城防備を目的として安達太良山麓より尾根伝いに延々18キロもの距離を城内に引水した用水で幕府には内密だったそうです。

コレは「智恵子抄詩碑」です。

ココは「少年隊の丘」です。

明治百年にあたる昭和43年に命名されました。

ブロンズレリーフ「二本松少年隊奮戦の図」と「二本松大壇口弔少年隊戦死墓」です。

コレは「二本松少年隊顕彰碑」です。

コレは「搦手門跡」です…裏門、今は門台石垣と門柱を立てた左右の礎石が残っています。

やっと本丸(跡)に着いたぞ~

本丸には天守台があります…天守台は造られましたが、天守閣は造られなかったようです。

さっきから雨がポツポツ降り出してきてるんだよ~

天守台に上がってみました…

天守台からの眺めです。
「伊達政宗」の攻撃を受けていた天正13年(1585年)10月、15代当主「二本松(畠山)義継」は政宗の父「伊達輝宗」に降伏を申し出ました。
輝宗のもとに出向いた義継は、輝宗を拉致して二本松城へ連れ去ろうとしましたが、これを聞きつけた政宗に輝宗もろとも射殺されました…コレを「粟之巣の変事」といいます。
しかし、そのとき政宗は鷹狩中で…手勢がなぜ鉄砲で武装していたかを根拠に、政宗による父殺しの陰謀と見る説もあるそうな。

コレは「本丸下南面大石垣」です。

コレは「日影の井戸」です…千葉県印西市の「月影の井戸」、鎌倉市の「星影の井戸」と共に“日本の三井”といわれてるんだって~

コレは「丹羽一学・服部久左衛門・丹羽新十郎自刃の地碑」です。
主戦論の実力者家老「丹羽一学」と副役の2名が第11代藩主「丹羽長国」に代わって戦犯の責任をとり、切腹しました。

あと30分で駅まで戻らないと。

コレは「二本松城大手門跡」です。
14:42「二本松」からJR東北線に乗り、15:07「郡山」で15:30発のJR東北線に乗り換えました。


そして16:05ごろ「白河」で降りました。

それから「白河駅観光案内所」に行き…レンタサイクル(無料)を借りました。

16:15「白河小峰城」に着きました。

東北地方では珍しい総石垣造りの城で「盛岡城」「若松城」と共に“東北三名城”の1つにも数えられています…って、その石垣は今復旧工事してるんだね。
コレも東日本大震災の影響のようで、これから観に行く「三重櫓」も含めて本丸は立入禁止となっていましたが…平成27年4月19日に小峰城復興式が開催され、復興式終了後に入城可能となったそうです。

天正18年(1590年)城主の白河結城氏が「豊臣秀吉」の奥州仕置により改易されるとこの地は会津領となり、蒲生氏、続いて上杉氏、再度蒲生氏が支配しましたが、寛永4年(1627年)に「丹羽長重」が10万石で棚倉城(福島県棚倉町)から移封されると、幕命により寛永6年(1629年)より城郭の大改築に着手、3年の歳月を費やして寛永9年(1632年)に完成しました。

その後丹羽氏、榊原氏、本多氏、奥平松平氏、越前松平氏、久松松平氏、阿部氏と7家21代の城主交代がありましたが、慶応3年(1867年)に最後の阿部氏が棚倉藩に移封された後、白河藩は幕領となり城郭は二本松藩丹羽氏の預かるところとなります。
翌慶応4年(1868年)白河小峰城は「戊辰戦争」で奥羽越列藩同盟軍と新政府軍との激しい攻防の舞台となり、5月1日、大半を焼失し落城しました(白河口の戦い)。

白河小峰城は日本100名城の13番です。

コレは「おとめ桜」の碑です…「丹羽長重」公が寛永年間に城の大修築を行った際、どうやっても石垣が崩れてしまうということで、最初に通りかかった人物を老若男女の区別なく、人柱にしようということになりました。
偶然通りかかった不運な女性がこの桜の名称の由来となった「おとめ」さん…彼女は改修現場で働く父親に弁当を届けに来たところだったそうです。
父は必死に「来るな」と手で合図をしましたが、逆に「来い」という合図と勘違いした「おとめ」は人柱にされてしまったのです。

この「三重櫓」に入れます。(無料)

石落とし?と階段の脇には…

戊辰戦争で撃ち込まれた鉄砲玉の跡がありました。
この三重櫓は木造復元された城郭建築のうち、天守に相当する建物の復元では最初のもので、数少ない木造復元天守の1つです…戊辰戦争の激戦地となった松並稲荷山の杉を使って復元をしているので弾傷が確認できるのです。

ココは「多聞櫓跡」です。

三重櫓と前御門です。

本丸御殿跡です。

石垣は地場産の白河石なんだって。

コレは「二ノ丸茶屋」(お土産屋)です。

「武士の一分(2006年)」のロケ地の1つにもなったんだって。

コレは「白河集古苑」です…歴史資料館だね。

コレは「会津門跡」です。

16:45「白河小峰城」を出ました。

コレはJRの下を通るレンガのトンネルで…鉄道マニアには有名らしい…って、ホント?

コレは「作事稲荷神社」で、小峰城築城の際に工事の成就を願って祀られた神社です。

コレは「長寿院」です。

ココには「慶応戊辰殉国者墳墓(西軍)」があります。

西軍は新政府軍で…コレらは長州・大垣・館林・佐土原藩の戦死者の墓です。

コレは「渋木茶舗」です…明治20年に建てられました。

コレは「ヤマボシ醤油」です。

コレは「石倉煎餅店」です。

コレは「上の片野屋」で…老舗の呉服店です。

コレは「千駒酒造」です。

コレは「ビューティーサロン・オサダ」です…大正時代に建てられた白河石を使った建物です。

コレは「和菓子玉家」です。

ココは「白河県立病院・白河医術講議所跡」です。

コレは「松河屋」と「本町屋台会館」です。

ココは「白河宿本陣芳賀家跡」です。

コレは「天恩皇徳寺」です。

ココに来て知ったけど「小原庄助」と新選組隊士「菊地央」の墓があるんだって~

コレは「戊辰戦争戦死者供養碑」です。

隣にあるのが新選組隊士「菊地央」の墓です…元津軽藩士で慶応3年6月以降に入隊、慶応4年閏4月25日「白河口の戦い」で22歳の若さで戦死しました。

コレは「蒲生羅漢」と「会津塗師久五郎(小原庄助)」の墓なんだけど…「小原庄助」の墓の方は写ってないね。
民謡「会津磐梯山」の歌詞中には「小原庄助」なる人物が「朝寝朝酒朝湯が大好きでそれで身上潰した」とありますが、モデルとなった人物については諸説ありはっきりしないそうです。
「蒲生羅漢」は江戸時代後期の南画家で「小原庄助」のモデルともいわれる「会津塗師久五郎」と連日連夜飲み明かし、ついには久五郎が羅漢の居宅で客死し、そのまま皇徳寺に葬られましたが…3年後に羅漢も没し久五郎の墓に並んで埋葬されました。

この交差点の先には「小峰城」が見えます。

「谷津田川せせらぎ通り」を走り…

コレは「常宣寺」です。

本堂は江戸時代に建てられたそうです。

コレは「会津藩戊辰戦死十二士墓」です。

コレは(復元)水車です。

コレは「妙関寺」です。

赤い山門を入ったスグ右手には推定樹齢400年の紅しだれ桜があります…この桜は「伊達政宗」が桜の苗木を将軍家に献上する途中、住職に所望されてそのうちの1本を現在地に植えていったものと伝えられています。

左は「戦死供養塔(戊辰戦争東軍)」と右「関川寺館跡(城跡)」です。
17:50ごろ「白河駅観光案内所」にチャリを返却しました…今日は「宇都宮」に宿泊するんだけど、この先の沿線上に高校時代の友人が住んでてさ。
一応、事前に連絡してあって友人の仕事が早く終われば「西那須野」、遅ければ「宇都宮」で晩ゴハンを一緒に食うことにしてたんだわ。

まだ連絡が来ないので「西那須野」までの切符を買ってホームで列車を待ってたら友人からLINEが来て…「西那須野」で会うことになりました。
18:05「白河」発のJR東北線に乗り、18:35ごろ終点「黒磯」で下車し、18:47発のJR宇都宮線に乗り換えて発車を待ってたら、同じ車両にいたオッサンが窓ガラス越しに外をカメラで撮ってるんだわ。
「何やってんだ?」と思いつつ、「ココ、トンネルの中だっけ?」と俺も寝ぼけてたのかな…?女子高生も何を騒いでるのかサッパリ分からなかったんだけど、どうやらいつの間にか反対ホームに列車が停まってたみたいでさ。
そっちが先に動き出して分かったけど、俺が乗ってた車両前に食堂車が停まってたようで…でも列車側面がチラッと見えたけど変わったデザインだったのね。
コレ、帰宅した後にニュースとか見て分かったけど、多分「四季島」だったんだよ。
19:00ごろ「西那須野」で降りて友人と合流し、俺がリクエストしていた「宇都宮餃子」を食べに行きました。

友人も言ってたけど「宇都宮餃子」って特に定義が無いから、その辺で食べる餃子と何も変わらないよ…って、確かにそうやね。
俺は去年、父のこともあって飲み会に参加できてなかったから、その友人に会うのも久しぶりだったなぁ。
そして21:20「西那須野」発の宇都宮線に乗り、22:00すぎに「宇都宮」に着きました。
それから歩いて22:30すぎ、前回も泊まったネットカフェに着きました…ココはマットブースが広くてイイんだよぉ、駅から近けりゃもっとイイんだけどさ。
もう遅いんでシャワーは借りず、「極黒のブリュンヒルデ」を3冊読んで力尽きたわ…0時すぎには寝たろうか?翌日は4時起きだぞー



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