史跡ハンター 臥龍

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第三次企業考察訪中~山東省リンシ編

2012年02月08日 | 中国史跡めぐり(三国志・封神榜・史記)
2月8日(水)1/2
今日は7:30に起床しました。
俺は何とか酔いは醒めたけど、昨晩「白酒」をメッチャ飲んでた教え子は起きられるのかなぁ?
彼は別の部屋に宿泊してるんで8:00ごろ部屋に行き、9:00に出発したい旨を伝え、食堂に朝食を食べに行って来ました。

これはホテルの部屋からの景色です。
そして8:50ごろチェックアウトし、近くのバス乗り場まで車で連れて行ってもらい教え子と別れました。
今回「聊斎城」も昨日の夕飯もホテル代も全て教え子が出してくれちゃった。
まぁ従業員100人以上いる会社の社長だもんね…俺も事業に失敗したら雇ってもらおうかなぁ。
9:00「張店」行きのバスが発車しました。
最初「張店」ってどこ?って思ったけど「淄博」の中心が「張店」って別名なのかな?

9:30ごろ「張店(淄博)」に着き、次に行く「臨淄」行きに乗り換えました。
ちなみに「臨淄」は別名「辛店」というみたいね。
ノロノロと途中で人民を乗り降りさせるから遅いんだよ…しかも途中から乗って来たオバちゃんと車掌の女の子が料金を巡ってケンカし出すしさ。
オバちゃんは前は2.5元だったと言うのに3元請求されたことにキレてさ…一番後ろで俺の隣に座ってるオバちゃんと一番前にいる車掌で口ゲンカ始められちゃ、乗客みんな最後には呆れ返ってたよ。
仕舞いにゃ運転手(オバちゃん)も「もう降りてくれ」と怒鳴り出してたからね。
たった0.5元(6~7円)でこんなにモメるなよ…
10:30ごろ「臨淄」に着き、少し歩いて…

10:50ごろ「姜太公祠」に着きました。

ここは2008年4月13日に来てるんだけど、併設されてる前回改修中?だった「姜太公紀念館」を観に来たんです。
でも…約4年近く経った今「姜太公紀念館」という文字すら消えてました。

「姜太公祠」は前回入ってるんで、その時のブログをご参照ください。

門の左右にあった像は誰だろう?

10:55「姜太公祠」を出て、もう「青州」に行こうかとも思ったけど、せっかく「臨淄」に来たんでタクシーを拾いました。

11:20「斉国歴史博物館」に着きました。

博物館は「斉国故城遺址」にあるんで、春秋戦国時代の「斉」の城内ってこと?

この奥で入場券を買いました。(30元)

そして中へ…

多くの展示品がありますよ。

「斉」を建国したのは「武王」の軍師「太公望(姜子牙)」です。

特に展示品についてはいつも通り詳しく紹介しません。



「管仲」と「斉桓公」です。

“桓公拝相”「鮑叔」の推薦により「管仲」は「桓公」と面会し宰相に命じられました。

刀銭ですね。

これは宴?祈祷?

名宰相「晏嬰」です。

これは楽器だって。

これも。

大きな鐘ですね。



「斉威王」です…中国映画「戦国」で「中井貴一」が演じていました。

当時の鎧や武具ですね。

「孫臏」と「孫武」です。

映画「戦国」の主人公「孫臏」は「孫武」の子孫といわれています。
若い頃「龐涓」と共に兵法を学び、「龐涓」は魏に仕官して恵王の元で将軍になることが出来ました。
しかし「龐涓」は「孫臏」に自分が及ばないことを感じていたので、偽って「孫臏」を魏へと招待し、「孫臏」を罪に陥れ脚を切断する刑と額に罪人の印である黥を入れる刑に処しました。
その後、斉の使者が魏へとやってきた際に密かにこれと面会して、使者と計らって魏を脱出することに成功しました。

「孫武」は兵法書『孫子』の作者として有名ですね。



ここ「臨淄」はサッカーの発祥地といわれています。

2007年9月16日のブログで「臨淄足球博物館」を紹介してるので見てね。

棺桶ですか?



11:50「斉国歴史博物館」を出ました。
付近には「桓公台」「晏嬰墓」「孔子聞韶処」などの遺址もあるんだけど…車か、せめてチャリでも無いと行かれないんで諦めました。
その他は2007年9月16日と2008年4月13日のブログ記事で「臨淄」周辺の史跡を紹介しています。
通りに出てタクシーを拾い…

12:00「臨淄長途汽車站」に着きました。
「青州」行きのバスに乗る前に公衆電話から青州の教え子に電話しようと思ったのに電話が無いんだもん…
仕方なく12:10バスに乗ったけど、発車したのは12:30でした。

では、3年ぶりの「青州」は後編にて。


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第三次企業考察訪中~山東省曲阜・シハク編

2012年02月07日 | 中国史跡めぐり(三国志・封神榜・史記)
2月7日(火)
今日は5:30に起床しました。
今日から山東省行きなんだけど、まずここ「上海」から山東省「曲阜」に行きます。
事前調査で8:17「上海虹橋火車站」発の高鉄があり、もしそれが買えなかった場合7:25発の動車に乗るために6:20にチェックアウトしました。
このホテルには山東省から戻る9日にも泊まるんで、スーツケースをフロントに預けて出ました…って、客だけど1日10元×3日分=30元取られたね。

ホテルから歩いて約10分で地下鉄2号線「江蘇路站」に着き、7:00ごろ「上海虹橋火車站」に着きました。
予定通り、8:17発の高鉄の乗車券が買えたんだけど…高鉄は高いなぁ、345元もしたよ。(約13倍が日本円)
でも、10日に浙江省に行く動車券が3日前からじゃないと買えないって…まぁ俺の10日の乗車券の方は全然心配してないけどさ。

8:17発のG32号です。

途中の風景です。

これも。

ここは山東省棗庄なんだけど…山頂に何を作ってるんだ?

11:35ごろ「曲阜東站」に着きました。

なんか…やっぱ「曲阜東站」は高鉄専用の駅で地図に載ってなかったんだよな…だからここから目的地までの距離がよく分からないぞ。
でも、この後この「曲阜東站」から13:01発の高鉄に乗って「淄博」に行きたいから1時間ちょっとしか無いよ。
とりあえず、11:45タクシーを拾いました。

12:05目的地の「周公廟」に着きました。

ここは去年の7月31日に「済寧市」に行った時、元同僚中国人男性Kさんと、ここか「東平」のどちらかに行くか考えた結果、1人で行くには不便そうな「東平」を選んだんだけどバスが遅くて途中の「汶上」で引き返したんです。

そのリベンジじゃないけど、8月6日には陝西省宝鶏市の「周公廟」にも行ってるんでね…魯の「周公廟」も行っておかないとってことでやって参りました。
これは「櫺星門」です。

これは「承徳門」です。

これは「達孝門」にある「御碑亭」です。

これは「達孝門」にある石碑です。

これは「元聖殿」です。

中央が「姫旦」です。(左右の2人は誰かな?)
「姫旦」は俺の好きな「封神演義」に登場する「文王(姫昌)」の第四子です。
長男は「紂王」と「妲己」によって殺された「伯邑考」で、次男が父を継いで「殷」を斃した「武王(姫発)」です。
「武王」が「周」を建国して間もなく崩御したため、幼い武王の子「成王」を補佐して建国直後の「周」を安定させ、「成王」成人後封地「魯(曲阜)」に戻りました。
その約500年後の春秋時代に儒学を開いた「孔子」は「魯」の出身で、「姫旦」を理想の聖人と崇め、常に「姫旦」のことを夢に見続けるほどに敬慕し、ある時に夢に「姫旦」のことを見なかった(吾不復夢見周公)ので「年を取った」と嘆いたといいます。
それにしても…たったこれしか見る所が無くて50元かよ…今まで多くの有料史跡を見て来たけど、これほどのギャップは初めてだったわ。
12:25「周公廟」を出ました。

大通りに出ると「城壁」が見られます。
さて…またタクシーで「曲阜東站」に戻らないと…って、拾ったタクシーは行きに乗って来たタクシーじゃん。
また客を乗せて、ちょうど俺の前で降りたところでした。

そして12:40「曲阜東站」に着き、13:01発G230号の乗車券も買えたんだけど…2等が売り切れて1等しか残ってませんでした。
2等がいくらか知らないけど、1等は140元でした…2駅だから数十元のプラスで済んだと思うけど、これが長距離だったら数百元の差になるからね。
これは駅構内の「孔子」像です。(曲阜の「孔子」関係の史跡は2007年1月2日のブログをご参照ください)

13:01発の高鉄に乗り込みました。

これが1等席だよ~座席の幅も広く、クッションも柔らかい。

1等席にはジュースとつまみ?のサービスが付きます…って、要らねーから10元値引きしろ

座席に付いてたこのボタンは何に使うんだ?イヤホンだって無いし。

途中は「泰山」近くを通過してたのかな?次の駅が「済南站」でした。

そして14:35「淄博站」に着きました。

今日はこの「淄博市」の中の「淄川区」に行くんだけど、その「淄川区」に住んでる教え子に電話をしたら30分くらいで迎えに来てくれると。
場所を変えたらなかなか公衆電話が無くてさ…15:20に教え子に会えました。
彼が日本に留学したのが2007年9月だからね…約4年半ぶりに会ったんだけど、凄い太っちゃっててビックリしたよ。
彼は留学後1年も経たないうちに父が亡くなってしまい、その会社を継ぐために帰国してたんです。
俺が「淄川区」に来たのは彼に会うためと、もう一つ「聊斎城」に行くためです。

15:50「聊斎城」に着きました。 (入場40元)

中の「蒲松齢芸術館」です。

「蒲松齢」は清代の作家で、有名な「聊斎志異」は神仙、幽霊、妖狐の怪異譚です。
俺の好きな映画「画皮」も原作は「聊斎志異」の一偏で、多くがドラマや映画化されています。

これも「聊斎志異」に関係があるのかな?

ゴミ箱もキツネです。

奥の「採風亭」の中にも…

「蒲松齢」が居ました。

これは「満井寺」です。

中の「大雄宝殿」です。

これは「聊斎宮」だけど…今、改修中で入れませんでした。

これは「蒲松齢」墓です。

これは「蒲松齢」の妻らの墓です。

この上に上がると…

さっき見た「満井寺」かな?
16:40「聊斎城」を出たんだけど…山東省メチャ寒いよ。

その向かいに門があり…入って行くと…

古い住宅街です。

その中に「蒲松齢紀念館(蒲松齢故居)」もありました。(入らず)

教え子が言うには、ここは「蒲松齢」末裔の集落なんだって。

その後、17時過ぎに夕飯を食べに店に行ったんだけど、その日教え子は地元の友達とも食事の約束があったようで、合計十数人と「火鍋」を食べました。
久々に食べる「火鍋」は美味しかったんだけど、いっぱいビール飲まされた…
その後、数人でカラオケに行ったんだけど、疲れと酔いで寝てたわ。

0:40教え子が予約してくれたホテルにチェックインしました。
明日は3年ぶりの「青州」です…どれくらい変わったかなぁ?


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三国志フェス2011

2011年09月10日 | 中国史跡めぐり(三国志・封神榜・史記)
9月10日(土)
今日は友人と2人で“三国志フェス2011”に参戦しに行きました。
昨年に続き2回目の開催らしく、俺は一緒に行った友人から誘われて初めて知ったんだけどね。
“三国志フェス2011”は、「イベントステージ」「ブーススペース」「1日限定!三国志コレクション展」の3つで構成されています。
イベントステージでは三国志研究家による特別講演、三国志通芸能人によるトークショーが行われ、歴ドル「小日向えりチャン」も出演するらしいんです。
ちなみに「えりチャン」は三国志と幕末・戦国をこよなく愛し“歴ドル”として活躍してる女の子なのです。
一応、俺のマイミクに「えりチャン」は入ってるけど、「えりチャン」からすれば俺は数多くいるマイミクの中の1人にすぎないんでしょうけどね…

場所は「大田区産業プラザ」です。
「えりチャン」が出演するトークイベントが朝一(11:00)からなんで、10:30に友人と京急蒲田駅で待ち合わせて出陣しました。
入場料は前売り券も当日券も同じ¥1,000なんだけど、前売り券だと「神速入場」と言って通常より10分前にイベントステージの座席に座ることが出来るんです。
なので、数日前に「ファミポート」で発券するために家の近くのファミマに行ったら、ほぼ俺が買い占めた「超ワンピーススタイリング-3D2Y-」が増えてたよ。
こりゃ、品薄にはなってなさそうだなぁ…ってことは「ヤフオク」に出しても売れそうにないな。

俺は「横山光輝」先生の漫画でしか読んでいない、そんな古い三国志ファンではないけど、三国志に関する史跡を実際に訪れているという点ではそうそう俺に敵う人はいないんじゃないかな。

11:00~「えりチャン」が出演するイベントは「ドラマ三国志 Three Kingdoms "違いの分かる"傑作選」です。

実は俺はまだドラマ「三国志-Three Kingdoms-」を観ていないんだよね…
スカパーの「衛星劇場」で放送してるんだけど、加入してないしさ(月額¥1,890なんだもん…)。
レンタルで借りるのは面倒だし、やっぱコレクションとして欲しいんでたまに「ヤフオク」では検索してるんだけどね…あの上下巻セットで安いのは海外版のニセモノなのかなぁ?
日本語字幕(または吹き替え)無しなら、中国の「PPS」でいつでも観れるんだけどね。

今日の「えりチャン」は「小喬」の衣装なんだって~、カワイイ。

12:00~「三国志街道の集い 特別編」ですが…始まった時間は30分くらい押してたんじゃないかな?

お笑い芸人「カオポイント」の“おくまん”と三国志研究家のトークショーです。
こんな芸人知らないなぁ…いろんな人がいるんだねぇ。

手作りイベント感がよく分かるハプニングもあり…
まぁイベントの内容としては最初のもこれも人それぞれ、視聴者にもいろんな見方や感じ方があるでしょう。
俺と友人の意見としては、もっと歴史考察的な学会?みたいのに参加したいなぁ…ってことでした。
ここで昼休みとなり、京急蒲田駅周辺で昼ご飯を食べました。

14:00~「三国志総選挙!中間発表!」です。
これは、友人とゆっくり昼ご飯を食べてたんで、観ていません。
昼休み中に投票しておいたんだけど、俺が投票した上位3名は…3位「関羽」、2位「趙云」、1位「諸葛亮」です。
15:00~「特別講演:京劇と三国志」が始まりました。
俺はけっこう京劇好きなんでね。(特に三国志が題材の演目)
トークをしてた中国文学研究者の先生がなかなかのヲタクぶり(きっと80年代の漫画やアイドルとかいろんなモノに詳しいんだろうな…という意味)で面白かったです。
その京劇のメイク?や被り物などの意味もよく分かり、とても勉強にもなりました。

そのせい?でトークが押したのか、16:00から在日京劇団の演技が始まりました。
これは「馬超(左)」と「張飛(右)」の一騎討ちの演目です。

演目後は記念撮影が出来ましたよ。

16:30~「やついいちろう三国志トークショー」でしたが、「神速入場」で16:30~だったんで…イベントが始まるのは16:50以降だなと判断して帰ることにしました。
お笑い芸人「エレキコミック」のボケの方のトークショーで、面白そうだったんだけど…俺らこの後予定が入ってたんでさ。
この“三国志フェス2011”の「イベントステージ」以外には…
★「ブーススペース」…全国各地から様々な三国志グッズが集まっています。

特に販売されてるモノには目を引かなかったな…
★「1日限定!三国志コレクション展」…故「川本喜八郎」氏製作の人形をはじめ、立像、武具、掛軸など貴重な三国志に関する文物が展示されています。

俺のコレクションも小物ばかりいっぱいあるけど…そんなお金を掛けたコレクションじゃないからね。

今日はこの後友人も結婚式の二次会、俺も地元の友人らとの飲み会が入ってたんで、17:15ごろ横須賀に帰りました。
その地元の友人らと会ったのも俺が「神戸」に発つ前日だから、およそ2ヵ月半ぶりだね。
最近、事業関連の方が進展無くモヤモヤしてたんでさ…みんなと楽しく飲めてスッキリしたよ。
また明日「週報」を更新しようと思ってますが、先週は「待ち人来ず」で、未だ身動きが取れずにいます。
でも、先週は「なでしこジャパン」の試合が夕方に2試合(月・木)にあったんで、ちょっと暇つぶしが出来たけどね。
ずっと女子サッカーって、フリーキックの時どこ守るのか?(男子は股間守ってるじゃん)って思ってたんだけど、特に胸とか守ってないんだね。
その最終予選が開催されてたのも中国山東省「済南」かぁ…懐かしいなぁ、一応2ヶ月住んでた街だし、俺の史跡ハントの拠点となってた地だからね。
8月20日に2011枚限定「世界女王」仕様ユニフォームの予約受付がネット上であったんで、これはプレミアが付くだろうと朝からアクセスするも購入画面にすら入れなかったんだよ。
俺は「なでしこ」なら「鮫島選手」と「川澄選手」がいいなぁ…って、かなりベタだけどね。
一昨日(8日)は「ロンドン五輪」出場を決めましたね。
「なでしこ」は北朝鮮戦でせっかく試合終了間際にオウンゴールで1点先取したのに、ロスタイムにミスから同点にされちゃったんだから残念でした。
…ってか、何だかんだ言っても北朝鮮は強いよ…「なでしこ」のクリアボール全部取ってるように見えたし、まるでピッチにいる選手の数が北朝鮮の方が多く感じられたもんね。
その日の晩に中国がオーストラリアに負けてくれたから8日に決まったけど…何本惜しいシュートを撃っても点にはならないんだから、「ザックジャパン」共々もう少しシュートが決まってくれるとスッキリするんだけどね~
まぁこの思うようにシュートが決まらないってのも醍醐味で、微妙にディフェンダーやキーパーがシュートコースを外すように守ってたりするんだよね~

先週は歯科で約¥6,000、整形外科で約¥4,000で計¥10,000以上使っちゃったよ。
歯科も1年以上通い続け、かれこれ何ヶ所治したことか…まだ治すとこあんのかな?また再来週予約入ってるけどさ。
整形外科はついに水曜、近所の総合病院に行って来ました。
以前から胸の痛みがあったんだけど、退職したら治ったんでストレスのせいかと思ってたら、やっぱ治ってなくてさ。
胸骨のレントゲン撮ったんだけど、思ったとおり特に異常も見つからず…「CTとか撮りますか?」って聞かれたけど、日常生活に支障は無いから暫く様子を見ることにしました。
それよか、月に1度くらい発生する右目眼球裏の頭痛?の方が気になるんだけどね。
やっぱ健康が第一だよね…余計な金掛からないしさ。

今日はちょっと飲みすぎたかな…


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中国歴史紀行~帰国・総評編

2011年08月08日 | 中国史跡めぐり(三国志・封神榜・史記)
8月8日(月)
今日は5:00にモーニング・コールを頼んでたんだけど、やっぱ自力で起きちゃってました…
6:15チェックアウトし、6:20ごろホテル付近のバス停からバスに乗り「大連路」で降りました。

6:30「大連路」站から地下鉄4号線→「世紀大道」站で2号線→「龍陽路」站で降りました。

そして「龍陽路」站で「リニア」に乗るために切符を買いました。(空港利用を証明して40元)

これが「リニア」のホームです。

初めての「リニア」だぞぉ~ワクワク。

座席は普通だね…7:15ごろ発車しました。

最高速度は、301Km/hでしたね…でも特別「リニア」に乗ってるという感覚は無かったですね。

7:20ごろ「浦東国際空港」に到着~
地下鉄だったら2元?くらいの距離が40元だからね…もちろん直通だし、速度も速い(7~8分くらい)んだけど、20倍の料金は話のタネに乗ったようなモンだね。

7:30ごろ空港ロビーに着きました。

俺が乗る「デルタ航空」には、ものすごい行列が出来てるじゃん…
30分くらい並んでも、まだ先は遠く…そしたら「東京に行く人はこっちです」と職員が隣の列を指示しました。
…おいおい、俺は既に30分以上並んでて、列が違うんじゃまた最後尾に並べってことか?と怒りが爆発しそうになったけど、途中に割り込んでやったわ。
だって、そいつらより俺の方が先に来てたんだから。
それにしても、なんて不親切な対応なんだろう…初めから誰もが分かるような案内を出してくれてれば混乱することも無いのにさ。
この便だってイレギュラーな便ではなく、定期便だろうに…
8:30ようやく発券してもらい、手荷物検査、出国手続きをしに行きました。

免税店には俺の友達が吸うタバコは売ってなかったなぁ。

搭乗ロビーです。

9:45ごろ離陸し、朝食(機内食)を食べました。
日本時間13:35「成田空港」に着きました。
そして、入国手続き、税関検査を終え、13:55「YCAT」行きのバスに乗りました。

途中、渋滞があるらしく「東京湾アクアライン」を通りました。
15:30ごろ「横浜」に着き、それから京急に乗り…16:30ごろ実家に着きました。
約2週間ぶりの日本はやっぱいいねぇ~
2日から「YUYA&TERUYA」が来てたんで、早速歓迎を受けました。

さて…今回約2年ぶりの中国だったんですが、最大の目的は今までメールでしかやり取りのなかったメーカーを訪ね、工場を見学し、日本に輸出可能な製品を紹介してもらうことでした。
一応、8社の訪問予定でしたが、6社訪問して担当者と商談?することが出来ました。
やっぱ訪問前から商談が進んでたメーカーが全てにおいて条件に合い、今後はその1社と話を詰めていくつもりです。
その6社の訪問も訪中5日目で終えて、あとの12日間は俺の史跡ハントでした。
今回は「漢楚の戦い(劉邦と項羽)」と「封神演義」の史跡ハントをメインにピックアップしてたんだけど、やっぱ中国は広いし、交通が不便だ…
数ヶ所行くのを断念した史跡もあるからね…それは、もしまた今度行く機会がある時の楽しみに取っておきます。

総評としては史跡ハントでは達成度80%、満足度70%かな…やっぱ行かれなかった史跡が多かったからね、これは俺の計画の立て方や短い日程に因るモノだけどね。
企業考察では達成度90%、満足度80%かな…もっと時間があればじっくり見て、いろいろ聞いて来たかったんだけどね。
それでは、今回の戦利品をご紹介しましょう。

これは子供用の「聊斎志異」と「封神演義」の本なんだけど、ピンインが付いてるんです。(宝鶏のデパートで購入)

これは「トランプ」と「西施のうちわ」「関羽の影絵」です。(西安で購入)

これは「趙云」と「張飛」のペンです。
他のキャラは京劇チックのしか無く、この2人のだけ買いました。(西安で購入)

これは「諸葛亮」と「関羽」の人形です。(五丈原・諸葛亮廟で購入)
あ、あと甥っ子と姪っ子に買ったチャイナ服を写真に撮るの忘れてた…

今度こそ、当分“史跡ハンター”としての活動は休止じゃないかな…
そんなヒマや金があっちゃいけないんだからね。
それでは、また逢う日まで。


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中国歴史紀行~陝西省西安市「阿房宮」編

2011年08月07日 | 中国史跡めぐり(三国志・封神榜・史記)
8月7日(日)
今日は「西安」での最終日です。
また朝「油条」を近所に買いに行って朝食にし、7:50チェックアウトしました。
今日は荷物も持って行かなきゃならないから面倒だなぁ…
8:00「西安站」前から路線バスに乗り、乗換えが必要なため「和平門」で降りました。
近くに公園があったんで入ってみました。

太極拳の練習をしてる人民や…

運動をしてる老人たち…

そして、ダンスをするオバちゃんたち…
再び、バス停からバスに乗って「秦阿房宮」で降りました。

9:00「阿房宮」に着きました。

「阿房宮」は、秦の「始皇帝」が建てた大宮殿です。
遺跡は、そう遠くない西安市西方13kmの阿房村に残っています。
「始皇帝」の死後も工事が続きましたが、秦の滅亡によって未完のままで終わりました。
名称が無かったのを、世人が地名にちなんで「阿房宮」と呼んだそうです。

『史記』の秦の滅亡に関する記述から、「阿房宮は楚の項羽に焼かれた」(3か月間、火が消えなかったという)というのが現代までの定説でしたが、「項羽によって焼かれたのは咸陽宮であって、阿房宮は焼かれていない」という説が2003年に公表されたそうです。

入場券は38元でした。

ここは遺跡の付近に造られた「阿房宮」を再現したテーマパークですね。

これは「磁石門」です。
名のとおり、磁石で検問をしていたそうです。

一番左の子は有名な子役なの?
右は台湾の女優「林心如」で、ここでドラマ「封神榜」の撮影をしたそうです。

門を入ると正面にステージがあります。

このように観客席もあり、何かイベントが行われるみたいですね。

「阿房宮」の建設は国を疲弊させました。

「指鹿為馬」ですね。

これは「阿房宮前殿」です。

これは「始皇帝」像です

上から見下ろしたところ。

中の皇帝の部屋かな?

裏側には池がありました。

これは「コスプレ写真館」でした。

これは後宮?

よく分からないや…

これは「上天台」だって~

「上天台」から見るとこんな感じ。

兵士の後ろにいるのは…

「趙幽繆王」「燕昭王」「魏文侯」、

「斉恒公」「楚成王」「韓宣恵王」です。

後方の馬車です。
9:40「阿房宮」を出ました。
次は「大唐芙蓉園」に行こうと路バスを待ってたんだけど、全然来ない上に1台来たと思ったら満車で通過されてしまいました。
ようやく10:00に来たバスは下車する人民がいたんで停まり、乗客は俺1人だったんで乗せてもらえました。

11:00終点「芙蓉園」で降りました。

「大唐芙蓉園」は2005年4月にオープンした中国で初めて全面的に盛唐の風貌を展示する大規模な皇室の庭園式文化のテーマバークです。

園内には中国最大規模の唐代建築のレプリカ群があり、唐代の各時期・各様式の建物がすべて揃っていると…

でも、俺が好きなのはもっと古代なんでね…入りませんでした。(90元?らしいし)
なので、近くの「大唐不夜城」の唐代人物像を見て帰ることにしました。


唐代のことは、よく分かりません…

これも誰か分からないし。

だから写真だけ載せます…

この像の中に…

この「武則天」は知ってるわ…“中国三大悪女”の1人だからね。

ここは「開元広場」です。

これは唐の第二代皇帝「太宗(李世民)」かな?

振り向くと「大雁塔」が見えますね。

この像群は中間部から見始めたんで、一度その場所に戻ってさらに先(大雁塔方面)に行かねばなりません。


余裕があれば唐代のことも勉強しておきますよ…

人民は皆分かってるのかなぁ?けっこう歴史のこと興味無い人も多くて、俺の方が知ってたりする場合もあるからね。

中央にいるのは「鑑真」ですよ。

「玄奘(三蔵法師)」「慧能と空海(どっちが?)」です。

「玄奘広場」の「玄奘」像と「大雁塔」です。

「大雁塔」の手前は「大慈恩寺」です。

広場内をこんな車が走っています。
12:20「大雁塔」を出て、路線バスに乗り「鐘楼」に出ました。
そして、「鼓楼」対面から13:00発の空港行きバスに乗り、13:50「西安咸陽国際空港」に着きました。

「上海」行きの飛行機は18:00発だけど、こんな早く空港に来たのは、ここから(地図上では)5Km以内にある「周陵鎮」に「文王墓」「武王墓」「姜子牙墓」をハントするためなんです。
史跡ハントの〆は、これらの墓参りで…と思い、14:10空港内の荷物預かり所に荷物を預けたんだけど、15元って高くない?

そして1階から外に出てタクシーを拾いに行きました。
タクシー乗り場で「周陵鎮に行きたい」って言っても乗車拒否だよ…コイツらにとって往復でも10Km足らずの客乗せても面白くないんだよ。
ダメだ…タクシーに乗れなきゃどうしようも無い…

ならば…と空港から離れた所でタクシーを拾えば…って空港近くに街なんて無いよな。
くそぉ…なかなか空港ビルの全景なんて撮れないぞ、普通歩いて出て行かないから。
途方に暮れてたら警備員?のオバちゃんに話し掛けられ、グチっちゃったよ…って、ホント今回の旅で俺の中国語が通じてるのには驚いたよ。
もう諦めて空港内でボォ~っと16:00頃開始される発券まで待ってました。
16:00過ぎから「上海航空」のカウンターに並び、チケットを発行してもらおうとしたら、俺が乗る便は欠航になったらしいんです。
なんか昨日のニュースでも台風が上海に来てるような話を耳にしてたんだけどさ。
で、便が「中国東方航空」に代わり、搭乗時間を見たら16:30…って、今が16:30じゃんか。
まぁ、航空会社にそんなミスは無いだろうから大丈夫なんだろうと、すぐ預けてた荷物を受け取りに行きました…って、これも史跡ハントのために15元も出して預けたのに何の意味も無くなっちゃったよ。

とりあえず、緊急で搭乗せねばならない場合は航空会社の社員が手荷物検査を優先してくれたりするはずなのに、それが無いんだから大丈夫なんだろうと、普通に手荷物検査を通り、搭乗ゲートに急いで行きました。

そして俺が乗る便はどうなってるのか確認すると、どうやら到着が遅れてるんだってさ。
で、時間は未定だって~…マジかよぉ、元々の予定(20:00過ぎ)とおりに「上海」に着けば「豫園」でも行って買い物でもしようかと思ってたのに。
最後の史跡ハントが出来ず、でも飛行機の時間が早まった?と思ったのも束の間、フライトの時間は未定だってんじゃ「上海」に着いてもホテルに泊まるだけになっちゃうよ。

中国の国内線はよく遅れるんだけどさ…時間を持て余し「蹴羽?」をする欧米人とキレイな子がいたんで隠し撮りしました~

18:10搭乗が出来ると情報が更新されたんだけど…過ぎても何も始まらず。
そのうち、弁当を配り出したんだけど、これは俺が乗る便の旅客用じゃありませんでした。
そしたら、18:30にゲートを移るようにアナウンスがあり、18:45バスに乗りました。

そして19:00飛行機に乗り込みました。
飛行機は19:35離陸し、「上海」に着いたのは21:45だよ…もう「豫園」に行くどころか「リニア」も「地下鉄」も無いんで、また初日と同じく「空港バス」に乗るしか無いじゃん。
こんな時間に「豫園」に行ってもどうせ店は閉店してるんで、22:20発のバスに乗り、初日と同じパターンで(事前に予約してある初日と同じ)ホテルに向かいました。
22:50タクシーを降りたんだけど、運チャンとも会話出来てたし、ホント今回の旅では自信が付いたなぁ…まだ聞き取りの方はダメだけど。

チェックイン後、ホテル前のコンビニでカップラーメンなどを買って夜食にしました。

さて…明日は9:30の飛行機なんで、6:00過ぎにはチェックアウトして空港に行かなきゃ…
今日はムダな待ち時間ばかりで疲れたわ…


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中国歴史紀行~陝西省宝鶏市「周公廟」編

2011年08月06日 | 中国史跡めぐり(三国志・封神榜・史記)
8月6日(土)2/2
最後に「岐山県」の「周公廟」に行きます。

13:00「周公廟」に着きました。

入場料は50元です。

入ると参道?があり…

拡張工事?なんかもしてて…

これは「山門」です。

これは「楽楼」です。

その先にあるのは…

「周公」像と「八卦亭」です。

これは「周公殿」です。

「周公」とは「文王(姫昌)」の四男です。
長男「伯邑考」が朝歌で処刑され、次男「武王(姫発)」が弟の「周公(姫旦)」や軍師「太公望」の補佐を得て殷を倒した後、現在の西安市西部の「鎬京」を都としました。
「周公旦」は殷討伐などで兄「武王」を補佐したほか、「武王」が建国後間もなく死去すると、魯(山東省曲阜)へは息子を就かせて幼い「成王」(武王の息子)の摂政を務め、殷の残存勢力による反乱を平定します。
摂政は7年で終え、「成王」の家臣に戻りました。
西周の封建制度、法令や、礼に基づく支配体制(礼楽体制)をつくり、周代の儀礼、儀式について書かれた「周礼」も記したとされています。
礼を重視する儒家が「理想の聖人」と崇め、「孔子」は晩年「衰えたため、周公の夢を見なくなって久しい」と嘆いた…と「論語」は伝えています。
うん…やっぱ7月31日は「済寧」から「曲阜」に行って「周公廟」を見に行けば良かったよ。

これは「召公殿」かなぁ?

これは「財神殿」です。

これは「聖人宮」で、中には…

「伏羲と女媧」「老子と孔子」です。

「周公」「司馬遷」「孟子」です。

「孫武」「杜甫」「関羽」などの塑像がありました。

これは「太公殿」で、中の「姜子牙(太公望)」像ですね。

これは「碑亭」です。

これは「姜嫄殿」です。

なんか…上の方にも何かあるの?
もうリミットなんで、13:30「周公廟」を出ました。
2005年には、この付近の「周公廟遺址」からは西周時代の「卜骨」(占いに使用した動物の骨)などが多数発掘されたそうです。

来るときに通って来た門で一時停車してもらい…

これは「周公姫旦」像です。
そして、15:20「宝鶏(火車)站」でタクシーを降りました。
掛かった費用は410元+駐車場代計15元でした…って、まぁメーター倒しての金額だし、結局史跡がある町の汽車站まではバスで行けても、その先はタクシー乗らないと行けないしね…

さて…帰りの「動車」は20:03発なんで、まだ4時間半くらいあるな…
乗車券払い戻してバスで帰るのも面倒だし、出来るか分からないんで「宝鶏」を探索することにしました。
以前来たときは街中を見ることは無かったんでね…
「宝鶏站」付近のデパートに入り、本を買ったり、ブラブラし…

16:30腹が減ったんでデパート内のフードコートに入り、「炒麺」を食べました。
注文すると、「カードが無きゃ買えませんよ」と言われ…このシステムは以前「青州」のデパートでも経験してたんで、最低10元のチャージでカードを作りました。
そして改めて「炒麺よろしく」とカードを出したら、「あの…1元足りないっす」と。
「炒麺」は6元だったんだけど、カードの保証金が5元だったんで1元足りなかったみたい…
面倒だなぁ…と思いつつも、カード作っちゃったんで1元追加して「炒麺」を食べることが出来たんです。
そして、デパートの食料品売場で買ってた牛乳を飲みながら「炒麺」を食べてたら、いきなりテーブルの対面に女の子が座ってきました。
何の目的があってか分からないんだけど話し掛けて来て、「西安から来て、夜の動車で帰る」など聞かれたことを答えてたんだけど…何だったんだろう?何かの勧誘したかったんだけど、日本人だと分かってやめたのかなぁ?

16:45デパートを出て、繁華街に行ってみました。

表通りは若者向けの洋品店が多かったかな。

これは、スクラッチみたいな宝くじ?なのかなぁ?

裏路地は問屋街でした。

雑貨・食品・玩具などの店がありました。

とある場所でイベントが行われてて…演歌っぽい感じの歌を歌う歌手や、

ウエディング・ドレスの発表会?が行われていました。

俺のお気に入りはこの子でした。
ちょっと早いけど、17:50「宝鶏站」に入り、待合室でボケ~っとしてました。

19:40ごろ改札が始まり、20:03発の動車に乗って「西安」に帰りました。

これが1等席なのかなぁ?

俺の2等席の座席はこんな感じだからね…でも、この程度の違いなら安い2等の方がいいや。

21:25「西安站」に着き、マックで夕飯を買ってホテルに帰りました。

さて…明日は「西安」最終日ですね。
「上海」行きの飛行機は18:00発なんだけど、午前中「阿房宮」と「大唐芙蓉園」に行き、午後には空港に行くつもりです。
早めに空港に行くのは、空港付近に用事があるからなんだけどね。
では、また明日。


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中国歴史紀行~陝西省宝鶏市「魚釣台・諸葛亮廟」編

2011年08月06日 | 中国史跡めぐり(三国志・封神榜・史記)
8月6日(土)1/2
今日は「西安市」の隣の「宝鶏市」に行きますよ~
この「宝鶏市」にも以前(2007年10月4日)来たことがあるんだけど、勉県の「諸葛亮墓」→漢中→甘粛省天水「諸葛軍塁」をハントした後、五丈原の「諸葛亮廟」に行く中継地点として来ただけだったんだよね~

今日は7:30発の「動車」で「宝鶏」に行くんで6:50ホテルを出て「西安站」に行きました。

動車の「キャビン・アテンダント?」ですね。

8:50「宝鶏站」に着きました。
ただ…今日ハントしようと計画してる史跡は3ヶ所あるんだけど、いずれも郊外なんだよね。
もう、こういう辺鄙な場所をハシゴする時はタクシーをチャーターしちゃうのが一番楽なんで、9:10ごろ站前に停まってたタクシーと相談です…
以前にもこういう事あったんだけど、まずドア越しに会話してて、その後乗ろうとすると大抵ドアで顔面を強打するんで注意しましょう…
運転手(オバちゃん)に行きたい3ヶ所の史跡を伝えて「周遊して戻って来ていくら?」って聞いたんだけど、分からないし、メーター倒さないとダメだから、その金額に従うしかないと…
とりあえず、最初の目的地に行ってもらって、後はその金額次第で次の場所もお願いするか決めようと車を出してもらいました。
でも、オバちゃんはそれらの観光地があるのは知ってても、所在地をよく知らないらしく誰かに電話して確認してました。
そして発車してからそう遠くない所で1人のオッさんを乗せました。
オバちゃんはそのオッさんの知り合いっぽくて、遠くまで行くんでついでに途中まで乗せて行くのかと思ったら“人間ナビゲーション”でした。
ヒマなオッさんなんだな…今日は土曜で休みだったのかなぁ?

そして、10:15最初の目的地「魚釣台」に着いたんだけど…けっこう時間も掛かったし、料金も既に100元超えちゃった…

ここでオバちゃんに「100元払って降りて」と言われ、払っちゃったら逃げないか心配だったんだけど、登録証の番号を控えさせてもらってタクシーを降りました。

俺だって、こんな所で100元ぽっち踏み倒しても帰りようが無いんだけど、彼らはちょっと足りないけど100元もらって帰っても別に大損とまではいかないでしょ。

この「宝鶏」に来たワケは、ここに来たかったからなんだよね~

「姜子牙魚釣台」です。(入場料50元)

入場するとこれらの像に迎えられます。
俺でも知ってた何人かをご紹介しましょう。

「諸葛亮」「孫武」「韓信」です。

中央には霊獣「四不象」に乗る「姜子牙(太公望)」像がありました。

ここは、ただの史跡じゃなく景区だね。

こっちにも「姜子牙」像がありました。

これは…普通の寺みたいでした。

ずっと下の方に釣りをする「姜子牙」像が見えるぞ。

これが「魚釣台」かな。

その近くにある「文王」像です。

この「魚釣台」の少し下に「姜子牙」像があります。

「文王(姫昌)」は7年の「羑里」幽閉後、西岐(宝鶏市岐山県)に帰国を許されますが、「紂王」に目を付けられないようにしながら仁政を行いました。
その後「朝歌」から身を隠し移り住んでいた「姜子牙」が磻渓で釣りをしていたところを「これぞわが太公(祖父)が待ち望んでいた人物である」と言って召し抱えるのです。
その「姜子牙」が針に餌も付けず(針も曲がってない)、天下を釣る…といつも釣り(水面の上に垂らしているだけ)をしていた所なのです。

俺も念願の地にやっと来ることが出来ました。

「魚釣台」と「文王」像です。

後方には滝があるんだね。

これは「文王廟」です。

中は写真が撮れず…

下には「太公廟」がありますが…ここにも道士がいて写真が撮れなかったよ。

オバちゃんと30分で帰って来る約束したんで、急いで入口に戻ることにしました。

これは廃人形?
10:50「魚釣台」を出て…行きに通り過ぎた門で一時停車してもらいました。

これは「周文王訪賢」像です。

「横山光輝」先生の「殷周伝説-太公望伝奇-」を引用し、その後をお話しましょう。
磻渓に賢人を求めて来た「文王」に請われて「姜子牙」は「文王」と共に「西岐城」へと向かいます。
初め「姜子牙」は「文王」に馬車を曳かせます…その馬車を曳いて歩いた歩数が729歩でした。
これが後に興す「周」が729年続くであろう…という「姜子牙」の占いだったのです。
そして、「君と臣が同じ馬車には乗れませぬ」と「姜子牙」は馬車には乗らないんだけど…この像は2人仲良く乗ってるね。

このゲートがあった場所から「魚釣台」入口までもけっこう距離あったよ。
次は「五丈原」の「諸葛亮廟」に行きます。
そこは2007年10月4日にも行ってるんだけどね…せっかく付近まで行くので旅程に入れたんです。

11:35「諸葛亮廟」に着きました。
今回は降りるとき追加料金請求されなかったな…お互い信用が出来たからかな?

「五丈原」の古戦場が見渡せる展望台…ってことで上がってみました。
景色見てすぐ下りたんだけど、下りたらすぐオバちゃんが駆け寄って来て2元取られました…って有料だったんだね。

そういや前回来た時は天気が悪くて、下の方の景色も見えなかったんだよね…

ここもリミットは30分くらい…まず、前回入らなかった「三国城」から入りました。(入場料10元・門票無し)

このような人形で三国志のエピソードを紹介しています。

中央に「董卓」、右に「呂布」がいますね。

「貂蝉」と「王允」です。

これは2度目の「草廬三顧」の時の「関羽」「劉備」「張飛」です。

これは「当陽橋」の「張飛」です。

これは、赤壁の戦い後「華容道」での「関羽」です。

これは「空城の計」です。

これは「司馬懿」です。

その後はフツーのお化け屋敷になってました。

さて、2度目の「諸葛亮廟」に入りました。(入場料20元)

これは「馬岱」と「魏延」です。

今回はサッと見ただけだし、詳しく説明しません。

左側には(多分)「姜維」像がありました。

中央には…

金色の「諸葛亮」像があります。

「王平」と「関興」、「張苞」と「廖化」です。

右側には「楊儀」像がありました。

これは「諸葛亮衣冠塚」です。

これは「落星石」です。

これは「月英殿」で…

「諸葛亮」の妻「月英」の像があります。

これは「財神殿」で…

ミニ「関羽」像がありました。

ここは田舎の割にはお土産はけっこう売ってるんです。
今回も少し負けてもらって「関羽」と「諸葛亮」の人形を買い、恒例?のお土産屋のオネーちゃんの写真です。
姉妹かなぁ…?主導権は左のオネーちゃんが握ってたんで、負けてくれたお礼に日本から持って来ていた「諸葛亮ストラップ」(横浜中華街で買ったのがダブってたんで)をプレゼントしました。

また最後にここからのアングルの写真を撮って、12:15「諸葛亮廟」を出ました。

次は「岐山県」の「周公廟」に行きま~す。
その模様は続編にて


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中国歴史紀行~陝西省西安市臨憧区「鴻門宴遺址」編

2011年08月05日 | 中国史跡めぐり(三国志・封神榜・史記)
8月5日(金)2/2
次は「鴻門宴遺址」に行くんだけど、「兵馬俑」内の観光案内所で行き方を聞いたところ、一度「臨潼」に出てから路バスに乗ればいいと。
…でも、「臨潼」に出るってことは、ここ(兵馬俑)から戻ってしまう形になるんです。
一応、呼び掛けて来たオッさん(白タク)に「鴻門宴遺址に行きたい」と言うと、往復40元で行ってくれるんだって~
まぁ距離からすれば高いんだろうけど、想像ほど高くなかったんでOKして乗用車に乗せてもらいました。
運チャンは「この前も日本人留学生2人を乗せたけど、彼らは2人だから50元にしたんだ」だって。
その運チャンといろいろ話してたら、「この前の2人は全然中国語話せなかったけど、君は凄いね」って言われちゃった…確かに今回の旅でけっこう俺の中国語通じてるんだよ。
留学終了後、2年ぶりの中国だったけど一応留学が役に立ってたみたいね。
「兵馬俑の前に華清池に行ったんだけど、つまらなくて…あれで70元は高いよね」って言ったら、「そうだろ、昔は45元だったんだけどな…温泉にも入れたし」って言ってたよ。

13:35…もう「鴻門宴遺址」に着いちゃった…

入場券は「鴻門宴」と「項王営」が強制的?にセットで50元でした。

楚「懐王」の命により「咸陽」へ向かった「項羽」軍と「劉邦」軍…先に「咸陽」に入った方が「関中王」になる約束でしたが、先に三代目「子嬰」を降伏させて「咸陽」を落とした「劉邦」に対し、「項羽」は圧倒的な大軍で「鴻門」に陣を張りました。

「劉邦」を「関中王」にさせんがために「項羽」は戦の準備をしますが、その夜「項羽」の叔父「項伯」が劉邦軍にいる親友の「張良」を訪ねて行きます。
「項伯」は親友の「張良」を助けるために明朝の総攻撃を伝えますが、「劉邦」に会った「項伯」は「項羽」の誤解を解くために急ぎ「鴻門」に戻りました。

そして翌朝「劉邦」は「鴻門」に「項羽」を訪ね、宴が催されましたが…これは密かに「劉邦」を暗殺するためのモノだったのです。

こちらは左側(項羽軍)の…

「陳平」「項庄」「項伯」

「范増」「項羽」です。

こちらは右側(劉邦軍)の…

「劉邦」「張良」「樊噲」

「夏候嬰」「曹無傷」です。

これ何だったっけ?

この建物に入ってみると…

「劉邦」と、

「項羽」の像と絵がありました。

他にも展示物がありました。

この中で「鴻門宴」が開かれてるんだね。

「范増」の指示で剣舞の最中に「劉邦」を殺すべく「項荘」が送り込まれますが、それを察した「項伯」が剣舞の相手をし、「劉邦」を庇うのでした。

後ろでビビッてんのが「劉邦」だね。

この中には…

「覇王別姫」ですね。

ここは「漢代厠所遺址」だって…

さっきの10体の像があった裏側にも…

「項伯」と「項荘」だね。

これは…一番右は「項羽」だと思うけど…?

この地下道?を抜けると「項王営」に入ります。

これは「虞姫井」で、

これは「覇王井」です。

これは「覇王挙鼎」像です。

「封王殿」前の「劉邦」像です。
中に入ると…

いろんな人の塑像があったけど…よく分からないや。


ここが「項王営」だから…


やっぱ「項羽」陣営の人たちなのかな?

名前が書いてあっても全然知らないし…

これは「項王営」の出口です。
14:05「鴻門宴遺址」を出て白タクに乗ったら、オッさんが「兵馬俑見て行かないか?」と…意味がよく分からなかったんで断ったんだけど強引?に販売所に連れて行かれました。
まぁ観光客相手によくあるパターンでさ…こういう場所に連れて来て買わせてリベートをオッさんが取るつもりなんだろうね。
でも俺は「兵馬俑」のレプリカにも、玉の腕輪やペンダントにも…な~んも関心が無いんでね。
「三国志」や「封神榜」のグッズでも売ってりゃ目の色変えて買うぞ。

そして、14:25「兵馬俑」の駐車場に戻り、14:30発の「遊5バス」に乗って「西安」に戻りました。

バスの中から撮った「臨憧区」にあった石像です。
15:45「西安站」に着き、まだ時間があるんで「阿房宮」に行くことにしました。
バスは事前調査で1回乗換えが必要で、16:00そのバス停で降りたんだけど十字路付近だったせいもあり、次に乗るバス停が東西南北どの方向にあるのか分からず…
とりあえずは「阿房宮」方面に行ってみたんだけど、事前に調べておいた路線が無いじゃん…
仕方なくタクシーを拾おうかと思ったけど、全然空車が通らないし…
バイタク(2ケツする)が停まって「どこまで行くんだ?」って聞いてくるんだけど、言ってくる金額は高いし、しかもバイクって言ってもパワーの弱い電動車じゃんかよ。
もう諦めて歩いて「鼓楼」方面に行きました。

16:30「鼓楼」に着きました。

ここは昨日も来たんだけど…やっぱ全部見尽くしてたな。

これはカステラみたいだね。

17:25「味千ラーメン」を見つけました。

ポスターの「ラーメン」の「ー」が…

昨日はサーモン食べれなかったからね。
17:45店を出て、路バスに乗って帰りました。

バスの中です。

帰りに夜食を買って、18:30ごろホテルに戻りました。
明日は「宝鶏市」の史跡ハントに行きまーす。


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中国歴史紀行~陝西省西安市臨憧区「華清池・兵馬俑」編

2011年08月05日 | 中国史跡めぐり(三国志・封神榜・史記)
8月5日(金)1/2
あ~ぁ、今日も雨かよぉ…俺は“晴れ男”だと思ってたのになぁ。
今日も朝食に「油条」を買いに行き、部屋で食べてから出発しました。
出掛けにフロントであと2日延泊させてもらい、9:00すぎに「西安站」に着きました。
今日の目的地は郊外の「臨潼区」でーす。
そこには「兵馬俑」「秦始皇帝陵」「華清池」「鴻門宴遺址」などがあるんです。
一番の目的は今回初めて行く「鴻門宴遺址」で、あとは2度目となる「兵馬俑」、前回(2007年5月3日)入らなかった「華清池」に行ければいいかな…って感じです。
「西安站」前から「遊5(306)バス」という「臨潼区」方面の観光地に行くバスが出てるんだけど、旅行社のバスもその辺りから多く出てるんで「兵馬俑に行くよ~」って声を掛けられて乗ってしまうと、それは日帰り観光周遊バスなんで高くつくよ。
俺は別にツアーみたいのに参加せずとも1人で行けるんで、「遊5バス」に並んで乗りました。

9:30ごろバスは発車しました。
女性の車掌が料金を回収に来ますが、この車掌が言うには始め「華清池」に行ってから「兵馬俑」に行って、帰りは「兵馬俑」から乗って「西安」に帰った方がいいと。
つまり「兵馬俑」よりも「西安」寄りの「華清池」から帰りのバスに乗ろうとすると、「兵馬俑」から乗って来た乗客で満員になってて乗れない可能性もあるからだそうです。
なので、車掌の言うとおり「華清池」を最初に見ることにしました。

10:15「華清池」に着きました。(入場料70元)

「華清池」は、西安の北東約30km、標高1,256mの「驪山」の麓に抱かれるようにあります。

これは「唐華清宮梨園遺址」です。
「玄宗皇帝」と「楊貴妃」が歌舞を教練した所だそうです。

古く三千年前の西周時代から「驪山」を源泉とする温泉地で、秦の「始皇帝」を始め歴代皇帝の保養地として利用されてきました。

唐代の「玄宗皇帝」は747年、この温泉地に宮殿式建築の豪奢な湯殿を建て「華清宮」と名付けました。

そして、ここを舞台に絶世の美女といわれる「楊貴妃」との享楽生活にふけったのです。
「楊貴妃」は16歳の時、美人(官名)に選ばれて宮殿に入り、玄宗の子「寿王」の妃となりましたが、740年10月「玄宗皇帝」が「華清宮」への行幸中に召し出されました。
美人で聡明な「楊貴妃」は「玄宗皇帝」の寵愛を一身に集め、745年に皇后に次ぐ高位「貴妃」となったのです。

「楊貴妃」像がある所には写真を撮るために次々と人民が押し寄せて来ます。
オッパイ触ってるヤツもいるぞー

ここは観光地として各地からツアー客が来るんでね…像だけ写真に撮るのはムリですね。

今でも温泉が湧き出してるんでしょうか?

この建物の中は…

浴場の跡?

こっちも。

とにかく敷地は広いんだけど…あまり見てて面白くないです。
10:45「華清池」を出ました。

次は再び「遊5バス」に乗って「兵馬俑」に行きたいんだけど…方向がどっちなんだか分からないぞ。

近くにいた警備員にどっち側のバス停で待てばいいのか教えてもらい、11:00「遊5バス」に乗りました。
11:20終点「兵馬俑」で下車したんだけど、ここって入口まで歩くんだよね…

途中にはお土産屋がたくさんあります。

でも、どこも似たり寄ったり…

これは2008年「北京オリンピック」、2010年「上海万博」に次いで、2011年今開催中の「世界園芸博覧会」(マイナーだね)のキャラ「長安花」です。

コスプレ写真館もありますね。

こんな所に百貨店でも造るのかなぁ?この辺りって掘れば何か出て来そうな気がするよ。

これは馬の像ですね。

11:35「兵馬俑坑博物館」入口に着いたんだけど…思い出したよ、ここ入場券を買うの入口じゃないんだよ…
前に来た時もウマと一緒にまた下まで入場券買いに戻ったんだもん。

あ…ウマだ。
また10分くらい歩いて下まで行かなきゃならないのか…この「遊5バス」などの駐車場(昇降場)って入場券売場の反対側なんで思わず見落としてしまうってか、普通入口付近に入場券売場があるという固定概念があるからね。
近くにいる電動カートの運転手に「ここにはチケット売場無いの?買って来るの忘れた」って言ったら、「門でも買えるよ」って。
そんな売場なんてあったかな?って思って門の付近にいたオッさんに聞いたら、「あるよ」って…そういうことかぁ。
110元(値上がった?)の入場券だけど、120元だと…要するにダフ屋みたいなモンかぁ。
俺みたいに買い忘れて門まで来ちゃうヤツがいるんだろうね…
この入場券、帰ってからよく見たら「秦始皇帝陵博物院(兵馬俑+始皇帝陵)」で110元になったの?

また下りて戻って来るだけで20分以上掛かるし、暑いからイヤだ…ってことで、ダフ屋から入場券を買って、11:45中に入りました。

入ると、さらにまた手荷物検査のゲートがありました。

まず「1号坑」から見学しました。

この「1号坑」がメインだからね。

ここに来るのも2回目だけど、やっぱ圧倒されるなぁ。

20世紀最大の発見といわれたこの「兵馬俑坑」は、1974年の春、西安郊外に住んでいた楊志発さん達農民が干ばつが続いたため農耕用の水を引くために井戸を掘っていたところ、見慣れない俑の一部(頭部)が出土したのが始まりです。

「兵馬俑坑」は、秦の「始皇帝陵」の東1.5kmの場所で発掘された陪葬坑です。

この「1号坑」は、幅60m、長さ210mもあります。

内部は深さ5~6m、幅4mほどの坑道が6本並び、その中に兵士や馬の俑が整然と並んでいます。

ここには全部で8千体の俑があると推定されていますが、これまでに発掘済みのものはまだ約2千体だそうです。

これらはいずれもほぼ実寸大で、一つ一つがモデルとなった実在の人物に似せて作られたモノなんです。

2000年以上も昔のモノにも関わらず、実に高い技術で俑が作られているんですね。

後方から正面を撮ったんだけど、もう観光客がいっぱいで場所を取るのが大変だよ。

現在も博物館が閉館したあとの夜に発掘作業や修復作業が進められていて、この「1号坑」の後方ではその様子を見ることが出来ます。

発掘された俑は空気に触れた瞬間から劣化や脱色が始まるため、慎重に保存対策をしながら作業が進められているんだそうです。

去年の年末だったかな?2600年前のスープや酒がやっぱりこの付近の墓陵から発見されたらしいんです…スゲェ~

次は「三号坑」に入りました。

「三号坑」は見ても見なくてもいいくらい…

「四号坑」まで発見されてるんだけど、空洞だったようです。

なぜか暗いから写真もこんな感じになっちゃいました。

次は「二号坑」に入りました。

もう「二号坑」あたりからヤル気無くしちゃったのかなぁ?

こっちも「一号坑」と比べちゃうと数も全然少ないし、つまらないね。

こうやって近くで見るとホントに精巧なのが分かるね。

最後に「陳列館」に入りました。

一部をご紹介します。

そういや「銅馬車」を今回も見なかったな…

首無しばかり…

これは武具ですね。

13:25「兵馬俑」を出ました。

これが入場券売場です。

この「始皇帝」像の裏側に売場があります…
さて、次は「鴻門宴遺址」に行くんだけど、その模様は続編でお楽しみください。


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中国歴史紀行~陝西省西安市「曲江秦二世陵遺址公園」編

2011年08月04日 | 中国史跡めぐり(三国志・封神榜・史記)
8月4日(木)
おいおい…今日は朝から雨かよぉ…それとこのホテル、200元も宿泊料取る割には朝食無しかよぉ。

近くに「油条(揚げパン)」を売ってる店を見つけ、それを買って朝食にしました。
ここ「西安」は今日(4日)から7日の昼まで滞在出来るんで、昨晩スケジュールを立て直し…
4日(木)西安市内
5日(金)西安郊外
6日(土)宝鶏市周辺
7日(日)午前中、西安市内 に決定しました。
まず、今日は9:00部屋を出て2軒先くらいにある薬屋で風邪薬と絆創膏を買いました。

日本では普段(夜は)エアコン無しで生活してるんだけど…こっちでは暑いんでそれが出来ず、エアコン付けて寝てるから風邪が治らないや。
あとは靴擦れによるマメ部分を保護するために絆創膏が必要になりました。

薬を買って、9:20「西安站」に着きました。
今日は雨なんで站前で火車待ちしてる人民も大変だ…
旅程が決まったんで6日の「西安⇔宝鶏」の切符(往復)を「西安站」で買っておくことにしました。
相変わらず行列が出来てて…9:40切符が買えました。
そして今日最初の目的地に行くために調べておいたバス路線が站付近のどこから出てるのかサッパリ分からず…
特に站前は路線も多いから停留所が分散してて分かりづらいので、1つ先のバス停まで歩いて行きました。
そして10:20バス停を見つけ、10:25目的地まで行く路バスに乗り込みました。
やっぱこんな雨の日はショルダーバッグだけだと楽だなぁ…昨日とりあえず2日分の宿泊でチェックインしたんでさ。

11:20終点「二炮工程学院」で下車したんだけど、ここはもう市内から外れています。

昨晩ホテル近くの売店で買った西安市内地図で発見した「坑儒遺址」が近くにあるらしいんだけど…

地元人民に聞き込みするも「知らない」ってんじゃ、どうしようも無いよ…
「焚書・坑儒」は、中国を秦王朝(始皇帝)が統治していた時代に発生した思想弾圧事件です。
書を燃やし、儒者を坑する(儒者を生き埋めにする)という意味で、その碑があるらしいのに…まぁこの辺り一帯で大昔そういう事件があったということで納得するしか無いか。
12:00市内に戻る路バスに乗ったんだけど、間違えて違うバスに乗っちゃってたみたい。
その後バスを乗り継いで13:20「大雁塔」で下車しました。

ここは次の目的地に行くバスに乗り換える場所だったんだけど、ちょっと「大雁塔」の方まで行ってみました。

「大雁塔」は2007年5月4日に来てるんで入らなかったけど、付近には民芸品売場がいっぱいあるんでね。
「大雁塔」に向かう途中の地下街でちょっと三国志グッズがあったんで買っちゃったけど、ここは店は多いだけで品揃えがどの店も同じなんで全然意味が無いです。
何だかんだ1時間くらいブラブラし、14:25再び路バスに乗って…

14:55「曲江池」で下車し、少し歩くと…

「曲江秦二世陵遺址公園」に着きました。

ずいぶん整備されてるね…

これは「秦虎符」です。

中で20元の入場券を買い、

博物館?に入りました。

秦二世とは「始皇帝」の息子「胡亥」のことです。

この故事は「指鹿為馬」といいます。

これも出土品かな?

これも秦の時代の壁画?

こっちも…

この奥にあるのが…

「秦二世皇帝墓(胡亥墓)」です。

まぁ…コイツも可哀想な皇子でさ…「趙高」の企てで二代皇帝になったんだけど、さんざん利用された挙句に「趙高」の手によって自害に追い込まれるんです。
元は「始皇帝」の遺言で長子「扶蘇」が跡を継ぐはずだったのに、「趙高」は遺言を丞相「李斯」と共に改竄して「扶蘇」を自害に追い込み、後見だった将軍「蒙恬」をも落とし入れ自害させ、「胡亥」を皇帝にして秦の実権を握った後は「李斯」をも落とし入れ丞相の座に就きます。
この出世しか生きがいの無い「宦官」の野望は秦を滅ぼすことになり、「劉邦」や「項羽」が首都「咸陽」に迫ったころ、その責任を「胡亥」になすり付け殺害し、「扶蘇」の息子「子嬰」を新王に迎えることで群臣の動揺を抑えようとしますが、その「子嬰」に「趙高」も殺されます。
しかし時すでに遅く、先に「咸陽」に入った「劉邦」に「子嬰」が降伏して「秦」は滅びます。
俺が好きな中国ドラマ「神話」は、この頃の話です。
映画「MYTH/神話」で、ジャッキー・チェンが演じてたのが「蒙恬」の弟「蒙毅」です。


ピンクのチャイナ服のお姉さまは研修を受けてるみたいでした。

これは「秦戦甲」です。

これは「李斯」です。

これ何だっけ?

これは将軍「蒙恬」です。
「扶蘇」が二世皇帝に就き、「蒙恬」が補佐していたら、秦が滅ぶことは無かったろうに…

ここがこんな立派な公園になってるなんて思わなかったなぁ。
外れの方だけど、一応「西安」市内にあると違うね。

秦を滅ぼした張本人の墓なのに破格の扱いだよね。

「趙高」と「李斯」が「胡亥」を説得し、遺言を改竄して「胡亥」は二世皇帝の座に就きます。
しかし「胡亥」は酒と女漬けにされ、政治は「趙高」と「李斯」が行っていました。

これも「指鹿為馬」ですね。

丞相となった「趙高」は自分の権威を試すために鹿を宮内に連れて来ました。
「胡亥」に馬を献上すると「趙高」は言いますが、周囲の群臣らは「趙高」の言うとおり馬という者もいれば、見たまま鹿と言う者もいました。
「趙高」が馬と言えば鹿でも馬になる…自分の言うことに従わなかった群臣は後に粛清されました。
「え…鹿じゃないの?」と困惑する「胡亥」です。

映画でジャッキーが被ってたのと同じだね。

これは…何だっけ?

2回目の「神話」鑑賞が途中で終わっちゃってたんで、また観たくなったね。
15:45「曲江秦二世陵遺址公園」を出ました。

次は「阿房宮」に行く予定だったんだけど、真逆の西南方向に行かなきゃならない(ここは市内の東南)ので明日以降に行くことにし、16:00再び路バスに乗って…

16:20下車して「鐘楼」に行きました。
少し周辺をブラブラし…

17:30「日本料理店」があるデパートに入りました。
「西安」に来るたびにここで食べてるね。

まだ夕飯には早いのか店内はガランとしてました…

俺が1人でビール飲むのってこんな時くらいだね。

久々に刺身(鉄火巻きだけど…)食べたね。
左のイクラ巻き?は、ホントはサーモンのにぎりを注文したつもりだったんだけどな…

から揚げは軟骨?じゃないなぁ…変な除去されてない部分があって、あまり美味しくないよ。

18:15「日本料理店」を出て、対面の「鼓楼」へ。
「日本料理店」の店員のオネーちゃんにも確認したんだけど、確か近くに工芸品とかお土産がたくさん売ってるストリートがあったよな…って。

それは「鼓楼」の裏側にあります。

俺は「北京」でもよく「潘家園旧貨市場」に行ってたけど、こういう所を見るのが大好きなんです。

ここ「西安」が俺の旅では最後の地なんでね…お土産を買って帰るにはちょうどいいや。

甥っ子と姪っ子に中国服を買い、俺はひたすら「三国志」や「封神榜」に関するグッズを探してました。
「戦利品」はまとめて最後に紹介するね。

こういう露店で価格交渉しながら買うのが面白いんだよね~

キレイなお姉さんの店は「餃子麺」って書いてありましたが、餃子なのか麺なのか…?

さすが「西安」だけあって欧米人の観光客も多いですよ。

その中で俺は見た目では気づかれないんで中国人のように路バスに乗り、あっちこっち行ってるんだから大したモンでしょ?

結局食べ物屋には入らず…って、その部分では中国人になり切れてないんだよね。

もう、20:30…「鐘楼」もライトアップされています。

帰り路バスに乗ったらバス停が「火車站東?」だったんで、少し歩いて途中でハンバーガーを買って21:30ホテルに戻りました。
さて…明日は「臨潼区」に行き、二度目だけど「兵馬俑」他を観に行きますよ。
明日は晴れないかなぁ…



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中国歴史紀行~河南省新郷市「同盟山武王廟」編

2011年08月03日 | 中国史跡めぐり(三国志・封神榜・史記)
8月3日(水)
今日の天気は悪くなさそうですね~

7:30ごろ食堂に朝食を食べに行きました。

ここはバイキング式じゃなかったです。

8:25チェックアウトし、昨日ネットでこのホテルの場所を確認したところ、近くに「関帝廟」があるみたいなので行ってみることにしました。

8:40「関帝廟」に着いたんだけど…開いてないし、門の前にお供え物などが置かれてるってことは開かずの廟なのかも知れないぞ。
仕方ないんで出るときに聞いた「汽車西站」に行くためにバス停まで戻りました。(バス停はホテル前なので)

その途中の風景を少し載せますね。(今までも史跡ハントばかりで、こういう中国の街中の風景って少なかったもんね…)

こういうオッちゃんって中国にはけっこういるんだけど、写真に収めたのは初めてだね。
水筆で黒いタイル?部分に字を書いてるんだよ、漢詩か何かかな?
でも、凄い達筆なんだよ~

9:00路バスに乗って、9:10「新郷(火車)站」に着きました。
站前にもバスが停まってたんで、ここが「汽車西站」と思って「獲嘉」行きのバスを探すも…無いじゃん。
近くに交番があったんで「公安(警察)」に「汽車西站」の場所を聞くことが出来ました。

9:20「汽車西站」に着いて、「獲嘉」行きの乗車券を買い、「獲嘉」が経由地になってるバスが目の前に停まってたんで、それに乗ったら、「違う、赤いバスだ」と言われて降りたんだけど…どこに「獲嘉」行きが停まってるんだ?
9:40…やっと「獲嘉」行きのバスを見つけました。
9:45バスは発車し、車掌に「同盟山に着いたら教えて」と言っておいたので、10:20途中下車しました。

通りから、この「武王」像が見えたので、すぐ入口は分かりました。

像からさらに奥に進むと…

この門があります。

多分、この先に廟があるはずだ…と歩いて行ってみることに。

ホント、ただの農村です。

途中から工事中になってた道路を歩いて行くと…ようやくそれらしき建物が見えてきました。

10分近く歩いて「同盟山 武王廟」に着きました~
この「同盟山」は「武王」が殷との最終決戦(牧野の戦い)の前に将兵を集めて必勝の誓いを立てて出陣に臨んだ地なのです。

中は工事中じゃなくて良かったわ~、しかも門票(チケット)要らないみたいだし。

山門にあった塑像は…誰だ?

「二門」をくぐると、

「武王大殿」があり、中には「武王」像がありました。
「武王」は、殷の最後の帝「帝辛(紂王)」を斃して「周」を建国しました。

左に「哪吨」と「?」、

右に「楊戬」と「雷震子」がいました。

これは「文臣殿」で、

中には左から「散宜生」「華公(姫高または畢公高:武王の異母弟)」「栄公(詳細分からず)」の塑像がありました。

これは「武臣殿」で、

中には左から「闳天(…って誰?)」「太顛(…も知らんよ)」「南公括(南宮括)」です。

これは「財神殿」で、中には…

「趙公明」「関羽」「比干」の塑像がありました。

これは「三霄殿」で、中には…

「三仙姑」の塑像がありました。

「碧霄」「云霄」「瓊霄」です。

これは「薬王殿」で…

中の塑像は医者?

これは「三清殿」で…


中にいるのは道教の始祖らです。

これは「文王太公殿」です。

中央の「姜太公」と…左隣にいるのは「孫悟空」?

他には「周公(姫旦)」「文王(姫昌)」「伯邑考」の塑像がありました。

「太公望」とは「姜子牙」が渭水で釣りをしていたところを「文王」が「これぞわが太公(祖父)が待ち望んでいた人物である」と言って召し抱えたという話に由来します。

そして「武王廟」を出ると、何か隣にもあるんで行ってみました。

「伐紂」と書かれていますね…

これは「周武王 飲馬池」だって。

枯れてるけど…

この拝殿?だかに行ってみると…

鍵が掛かっていて、せっかく「武王」と「太公望」の像があったのに、ガラス越しにしか写真が撮れませんでした…

裏にはこんな池がありました。

これは「福云洞」です。
11:05「武王廟」を出て、再びバス通りまで歩いて戻りました。

11:15ごろバス通り(国道?)に着きました。

そして11:20ごろ「獲嘉」行きのバスに途中乗車し、

11:35「獲嘉客運総站」に着きました。

ここで「鄭州」行きの乗車券を買うも出発時間が分からないんで、運転手?だかオッさんに聞くと11:45に出るらしいんです。
バスの中で待ってたら、その運チャンが「こっちに来い」と。
そして、普通の乗用車に俺ともう1人「鄭州」に行くらしい兄ちゃんが乗せられました。
客が少ないからこれで行くのか?と思ったら、すれ違って来た「鄭州」行きのバスに乗せ換えられました。
何かシステムがよく分からんけど…とりあえず、これならちゃんと「鄭州」まで行きそうだと思いきや、すぐ近くの屋台で運チャンと車掌は昼飯買い出すし、その後も客待ちで発車する気配も無い…
俺は逆側の席にいたんだけど、外で運チャンらがくつろいでる側の席に座ってた人が窓を叩いて「早く出せよ~」と訴えてようやく出たくらいだもんな…俺がそっち側の席に座ってたらもっと早くガンガン窓を蹴りつけてるはずだけどさ。
こんな「曹操」面のヤツにそんなことされたら、絶対すぐ出発するはずだよね。
でも、こんなことは中国の田舎町ではよくあること…彼らは乗客を早く目的地に送ることより、出来るだけ満員にして目的地まで行きたいんです。
13:50ようやく「鄭州汽車北站」に着き、14:00路線バスに乗って、14:35ごろ「鄭州站」に着きました。

まず、今晩の「鄭州→西安」の切符を買っておきました。
火車站は人民が多いし、路線も多いから切符を買うのが苦手でね…トラブるとイヤなんで、目的地(西安)・列車種(動車)・日時(今晩)を書いたメモ紙を渡して切符を買いました。
切符(19:20発)も無事に買え、火車站に荷物を預けて身軽にし、15:00史跡ハントに向かいました。
「滎陽」に出るためには火車站前のバスターミナルからバスが出ていないので、「汽車西站」まで出なければなりません。
バス路線も分からないし、何か火車站前でタクシーを拾うのがイヤで少し離れた所に行ったんだけど全然タクシーが拾えない…

やっと15:20タクシーに乗り、15:45「汽車西站」に着いたんだけど…こんな時間掛かったっけか?
俺は2007年12月2日にこの「汽車西站」から「上街」に出て「虎牢関」に行ってるんでさ。
で、「滎陽」までの乗車券を買い、15:55発の「上街」行きのバスに乗ったんだけど、どこで降りたらいいのか分からず終点の「上街」まで行っちゃった…

「上街」に着いたのは16:50…その目的地は門票(入場券)があるはずだから、着いても閉場しちゃってるかも知れないよ。
とりあえず站前に停まってたタクシーに「漢覇二王城に行きたい」と話しても、どこだか知らないみたい。
やっぱ「滎陽」で降りれてれば、もっと行き易かったと思うんだけど、汽車站なんてあったかなぁ?
けっこう離れた地(上街)まで来てしまった上にこの時間…「漢覇二王城」に行くのは諦めて「上街」から17:00発のバスに乗り「鄭州」に戻りました。

紀元前203年「項羽」と「劉邦」の軍隊が鴻溝という小さな川を挟んで対峙します。
対峙すること一年、決着がつかず和議が成立し、鴻溝以西を「劉邦」の地、鴻溝以東を「項羽」の地としました。
「項羽」は和約がなると囲みを解き兵を率いて東へ向かいましたが、「劉邦」は策士として名高い「張良」と「陳平」の進言を容れ、約を破りそのまま駒をとって返して「項羽」を追います。
こうして「劉邦」は「項羽」を「垓下(四面楚歌)」そして、烏江(項羽、最期の地)へと追いつめてゆくことになるのです。
…その両軍が対峙した地が「漢覇二王城」として観光地化?されてるんだけどね。
ここに行けなかったのは、今回の旅で一番悔いが残ってるよ…だって一応観光地化されてて近くまで行ったのに行かれなかったんだからね。
17:50「汽車西站」に戻り、タクシーを拾って市内の「商代遺址」を見て火車站に戻ろうと思ったんだけど、運チャンが「何てことは無い」って言うんで、そのまま火車站に行ってもらいました。
まぁ俺は「安陽」で「殷(商)」の遺址はいっぱい見て来たからね。
18:10「鄭州火車站」に着き、ファーストフード(Dicosだったかな?)で食べ物を買ったりしてました。
18:30預けていた荷物を受け取り、火車站内の待合室で食事しながら改札が始まるのを待ってました。

19:00に改札が始まり、

19:20発の「動車」に乗りました。
先日、事故があったのは「高鉄」と言うんだけど…「高鉄」を見たことが無いんで「動車」との違いがよく分からないんだけどね。
そして、22:05「西安北站」に着き、22:15タクシーに乗りました。

22:30「西安站」の東側で降ろされたんで、少し歩くハメに…

「歓迎来到古都西安」…俺が「西安」に来るのも3回目(観光では2回目)だね。

過去2回泊まったことがあるホテルが「西安站」近くなんで、ここまで来たんだけど…パスポートじゃダメだと。
今までは「居留証」があったからOKだったのかなぁ?
今回「西安」では今日を含め3~4泊するんでね…出来るだけホテル代は安く抑えたいのに外国人が泊まれるホテルだと4~500元以上しそうだもんな。
「西安站」付近のホテルを数軒当たるも、安いところはパスポートじゃダメ、パスポートでもOKなところは高い…もう今日は時間も遅いから高くても仕方がない、明日以降安いホテルを探して泊まろうと決めました。
そしたら呼び込みのオバちゃんが寄って来て、「80元の部屋がある。パスポートでもいい」って言うんで付いて行ってみました。
ホテルに着くまでもオバちゃんは「女の子要らない?」としつこいんだ、これが。
ホテルに着くと、そこはさっき俺が「パスポートじゃダメ」と断られたホテルじゃん…
その裏口からエレベーターで10階くらいまで上がって行くと、まぁ普通に部屋があり…
部屋はベッドとエアコンがあるだけのシンプルな部屋って…これ、従業員部屋か?
もう1部屋には住人(宿泊客?)がいて、トイレとシャワーは共同…やっぱ「押金(保証金)」取るみたいなんだけど、チェックアウトの時どうするんだよ…フロントなんて無いんだし、俺は携帯も持ってないんだから。
チェックアウトは時間を決めて、その時間に来てもらって「押金」を返金してもらうことになり、一晩なら…と金を払おうとしたら「180元」って「押金」込みの宿泊料かと思ったら、宿泊料だけで180元でさ…俺は80元って聞いてた(聞こえた)から付いて来たのに、この環境で180元は高すぎると破棄して部屋を出ました。
こうなりゃ、さっき値段聞いた700元くらいのホテルに泊まってやろうと思いつつも、まだ付近にホテルのネオンが見えるんで、それらを当たってみてからにしました。
そしたら…23:40ようやくパスポートでも大丈夫だというホテルにチェックイン出来ましたよ~
宿泊料は200元と別に高級ホテルでもないのに、パスポートでも可と不可の違いがよく分からん。

部屋は何か「VIPルーム?」みたい…初め、聞いた部屋番号がフロアの案内に書かれてないんで、またフロントまで聞きに行ったんだから。

中もムダに広い…さっき、宿泊しそうになった180元の1室とは大違いだぞ、プラス20元で。
はぁ~疲れたなぁ…でも、とりあえずホテル探せて良かったわ。
疲れたんで明日は「西安」市内観光をすることにします。


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途中経過

2011年08月02日 | 中国史跡めぐり(三国志・封神榜・史記)
8月2号星期二

今天我在河南省的新乡市。
我感冒了,可是身体还好。
今天住的宾馆,房子里有电脑。
所以我能更新记事,可是不能输入日语。
24号-26号我的考察结束了。
可能我跟一家公司打算开始合作。
27号以后一直旅游的。
今天整天下雨了。
可是我坐出租车参观有些地方。
花很多钱,可是没办法,今天下雨,而且我想去的地方都不方便。
可能明天从新乡到郑州去,然后坐动车去西安。
比当初计划早一天,就是很好的旅程。
4号-7号在西安观光。
8号从上海到成田回去。

回国后,更新记事。
不好意思,一定我的汉语不太好。
那么,再见!

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中国歴史紀行~河南省淇県「摘星台」・衛輝市「姜太公故里」・新郷市「比干廟」編

2011年08月02日 | 中国史跡めぐり(三国志・封神榜・史記)
8月2日(火)2/2
さて、13:50ごろ「紂王墓」から淇県の「摘星台」へと向かいました。

「古都朝歌」と書かれたゲートがあり、ホンモノの「朝歌」入りですね。

そして14:20「摘星台」に着きました。
やはり、順調に史跡ハントは出来ているので、この後行こうと思ってる所も連れて行ってもらおうと思い、運チャンと交渉することにしました。
初め「程寸営→曹操高陵→羑里城→紂王墓他→摘星台公園」で280元だったんだけど、追加で「→太公泉鎮→比干廟→牧野公園」で合計いくらだ?と。
しかし「紂王墓」があまりに郊外すぎて、元々の280元じゃ無理だと…俺もそれは理解した上で「合計480元でどうだ」と言ったんだけど、案の定ダメで「じゃあ580元」と言ってもダメ…
「おいおい、いくらボる気だよ…」って思ったら、「600元ならいい」って…20元UPしただけかよ。
日本円だと600元=7,800円(1元=13円計算)くらいだけど、日本でその距離をタクシー乗ったら、その3~4倍掛かるんじゃない?
もう今日は大盤振る舞いだ…俺はこの旅で1日1,000元使ってもいいくらいの人民元を持って来てるんだから。
だって、この後行こうと思ってる「太公泉鎮」なんて、全然行き方知らないし…

まぁ交渉成立したんで、「摘星台景区」に入りました。(入場料20元)
これは「殷朝六七賢聖君故都碑」で、元は「武丁、武乙、帝乙、帝辛、箕子、微子、比干」を讃えてたけど、後年「帝辛(紂王)」は賢聖君に値しない…ってことで六、七という表記になったみたい?

これは「警示亭」です。

これは「殷」の愛国忠臣「箕子、微子、比干」の象徴「三仁柏」です。

これは「摘星台」です。

これは「紂王」が築かせ、自ら燃やした巨大な宮殿「鹿台」の跡とされています。

「摘星台」の「比干摘心処」です…つまり、ここで「比干」は心臓を抉り出されて死ぬのですが、ドラマ「封神演義」では事前に「太公望」から心臓を取られても助かる策を授かっていたのに宿敵「申公豹」に邪魔をされて命を落とします…

これは「心星閣」です。

この「鹿台」はドラマでは「姜子牙(太公望)」に正体を見破られ殺された妹分「琵琶精」を甦らせるために「妲己」が造らせ、「紂王」と暮らす宮殿にしました。

最初はその建築を「琵琶精」の仇「姜子牙」に任命するのですが、「妲己」が描いた設計図を見て「30年以上掛かります」と任務を拒否し、処刑を言い渡されますが逃亡して「朝歌」を離れます。

これは「林堅台」です…って何?

これは「麒麟壁」だって。

続いて「財神始祖」って書いてある所に入ってみました。

「三仁祠」には、

左から「微子」「箕子」「比干」の塑像がありました。

「財神殿」には、

左から「林堅」「比干」「比干夫人」です。

この名前が書いてなかった建物には…

左から「姜太公」「帝辛(紂王)」「周文王」です。

この「紂王」を含めたスリーショットは、なかなかお目にかかれませんよ。
14:50「摘星台景区」を出ました。
次は「太公泉鎮」に行くんだけど、運チャンは地図で大体の場所は把握してたモノの近くに行ってからは聞き込みを重ね…

農道を突き進み…15:30「太公泉鎮」に着きました。
ここは「太公望(姜子牙)」の出身地なんです。

そして「姜太公祠」に入りました。(無料)

門を入ると奥に…

「姜太公祠」があります。

中央の「太公望」像です。

その左右には…

子孫?の塑像がありました。

別の建物にも…

誰か分からないけど祀られていました。

こちらも。

15:40「姜太公祠」を出たけど、周囲はこんな感じです。

「太公泉鎮」はちょっとした集落ですね…まだ他にも「姜太公」に関するモノがあるらしいんだけど、事前調査不足だったので発つことにしました。
次は「比干廟」に行きます。

15:55「比干廟」付近のゲートを抜け…

16:00ごろ「比干廟」に入りました。(入場料30元)
その前に運チャンが「ここで帰っていい?」だって…「アホかぁこんな所で帰りどうやってタクシー拾って帰るんじゃ
「なるべく早く帰って来るから…」と言って待っててもらいました。

何だ?この金色の木は?

何か…ムダに広いなぁ。

これは「比干」像です。

え~まだ奥に続くのぉ?

ここにも「比干」像がありました。

やっとここから「比干廟」かぁ。

これは「比干通宝」だって。

これは「無心菜」です…って、心臓を抉り取られた「比干」と掛けてるのかな?

これは「石磚」です。

門がいくつかあり…

正面の「拝殿?」にも「比干」像がありました。

こっちの建物には…

「林放」「林堅」「林禄」の塑像がありました。(誰なのか知らないけど)

この建物には…

この女性は誰でしょう?

これは「孔子剣刻碑」です。

これは「比干」墓です。

これは「比干財神殿」です。
16:20「比干廟」を出ました。

そして「新郷市」内に入った所で「新郷市」のタクシーに乗り換えることになり、16:55…約7時間拘束した運チャンと別れました。
でも1人から600元も稼いだんだから、今日はもう帰って寝てもいいんじゃない?
まぁうまく通じないながらも、いろいろ会話しながら楽しかったですよ。
次の運チャンには、殷・周最後の決戦地「牧野広場」に連れて行ってもらったんだけど、今はただの公園だったので降りず、市内のホテルを紹介してもらうことにしました。
1軒目は300元以上だったんで「もっと安いところ紹介してよ、さっきの四星じゃんかよ~」ってことで、2軒目へ。
そのホテルは120元と高くなかったんで、17:30チェックインしました。
ここに来る前もずっと運チャンと話してて、「さっきの運チャンにいくら払ったの?」って聞かれたから「600元」って答えたら「明日、何かあったら電話くれよ」と電話番号渡されたよ。

部屋もキレイだし、

パソコン付きでした。
今日も昼飯食べてないんで近所に買い物に行こうと思ったら、朝買った傘を最初のタクシーに置き忘れて来ちゃったよ…急がすんだもん。
仕方なく隣の商店で12元の傘を買ったけど、今朝買ったのはデパートだったから30元したんだぞ…

近くにマックとか無さそうだったんで、屋台で「焼餅」を買いました。

これが今日の夕飯です。
18:30ホテルに戻って、パソコンを立ち上げるとQQが使えました。
自分のQQ No.覚えてて良かったわ…家だと自動でサインインする設定になってるけど、外部で使う場合は自分でNo.入力しなきゃいけないからね。
そして、今日助けてくれた子のNo.を登録したら、ちょうど彼女もオンラインですぐ会話することが出来ました。
もちろん、彼女は日本語全然話せないし、このパソコンも日本語入力出来ないから中国語で会話するんだけど、何だかんだ3時間くらい話し込んじゃいました。
そしたら今日、彼女はわざわざ俺のために雨の中、途中下車してくれてたんだって…
こんな見ず知らずの…しかも日本人のオッさんのために、どうもありがとう。
彼女は凄く俺の安否を心配してくれててさ…自分が停めたタクシーの運転手が悪いヤツでボられてないかってね。
「いくら払ったの?」って聞かれたんで、全てのルートを話して最終的に「480元」って言っておきました。
だって、彼女らの金銭感覚と違うから「600元払った」なんて言ったら腰を抜かし、ボられたと自責の念に駆られちゃうかも知れないからさ。
あとは、突然バスの中で話し掛けられて自分のことを怪しいと思わなかったか?って心配してたけど、それは全然無かったね。
見た目でそんな他人を騙すような子に見えなかったからさ…それは3年中国に住んで、中国人民のことをよく分かってるから。
むしろ…俺に話し掛ける方が勇気が要ったと思うけどな…
俺は口ひげと顎ひげを生やし…「曹操の墓に行きたい」と言ってた本人がまるで「曹操」みたいな風貌だったんだから。
中国古代王朝「殷(商)」の都があった「安陽」の片田舎に住むカワイイ女の子と、かたや日本から流れる雲の如く漂流して来た“傾き者”のオッさんとのラブ・ロマンスは…無いな。

新品の靴に慣れてないのかなぁ…
今日は出費は嵩んでしまったけど、雨の中これだけ辺鄙な場所にある史跡をハントすることが出来ました。
これも「曹操高陵」に導いてくれた貴女のおかげです…
明日は「鄭州」に出た後「動車」で「西安」まで行く予定です。


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中国歴史紀行~河南省安陽県「曹操高陵」・湯陰県「ユウ里城」・淇県「紂王墓」編

2011年08月02日 | 中国史跡めぐり(三国志・封神榜・史記)
8月2日(火)1/2
今日は7:30に食堂に朝食を食べに行きました。

俺は好きな「油条」と「餅」だけで十分だね。
この河南省では各地に点在してる史跡をハントしなきゃならないのに、朝から雨だよ…
俺は傘を持って来てないんで、食後フロントに「対面のデパート何時に開店するの?」って聞いたら「9時よ」と言うんで、それまで待つことにしました。

9:00雨は小雨になってきたけど、今日は1日中雨みたいなんでデパートに傘を買いに行きました。
10元くらいので良かったのに売ってないもんだから、約30元の傘買っちゃったよ…
9:20チェックアウトし、今日最初の目的地である「曹操高陵」に向かうことにしました。
昨日「安陽」の地図を買ったのも「曹操高陵」がどこにあるのか全然知らなかったからなんだけど、フロントに聞いたら「安陽県安豊郷」にあるらしいんです。
行き方はよく分からないんで、とりあえず行ける所まで路線バスで行って、降りてからタクシーを拾おうと少し歩いた所にあるバス停から、9:45バスに乗りました。
まず座席に座って、その後車掌が来て行き先に応じて料金を支払うシステムのバスでした。
俺が来た車掌に「程寸営まで」と言うと、前に座ってた女の子が振り返り「程寸営で降りてどこに行くの?」と聞くんで「曹操高陵に行くんだ~」って答えたら、連れて行ってあげるみたいなこと言って誰かに電話し出したんです。
2人くらいに電話してたみたいだけどダメだったみたいで、「程寸営で降りてからどうやって行くの?」と聞かれたんで、「タクシー拾って行くつもり」って答えたら、「私と一緒に降りて」と言うんで、そこで降りれば「曹操高陵」に行くいい方法があるのかな?と思い、10:00その子と一緒に降りたバス停は結局「程寸営」でした。
「この辺りはタクシー拾うの大変よ」と言われたけど…確かに車は通るけどタクシーなんて通りそうもないなぁ。
そして、その子は俺に身分証を見せて「怪しいモノじゃないから大丈夫よ」と言ってたけど…写真が古いのか分からないけど別人か?って思っちゃった。
でも、それを今ここで突っ込んでる場合じゃないんでね。
その子は家に帰るところだったのに、俺がタクシー拾えるまで一緒に待つって言ってくれてるんだけど…雨も降ってるし、市内に戻るバスが来たら乗って引き返そうかと思ってたら反対側からタクシーが来て、その子が停めてくれました。
そして「この人日本人なんだけど、曹操高陵に行きたいんだって」と交渉してくれて、初め「曹操高陵」まで行って、ここ(程寸営)に戻って来て100元のところを80元に負けさせてくれました。
その子に「どうする?」って聞かれたけど、せっかくタクシー拾えたし、三国志ファンとしては「曹操」の墓は見ておかなきゃね…ということで乗ることにし、バタバタしてたけどその子のQQ(中国人が使ってるチャット)番号だけ聞いて別れました。

タクシーは農道をひた走り…10:20「曹操高陵」に着きました。
これは展示場みたいだけど、ドアが開いてたんで入ってみました。

中はパネルのようなモノばかりでしたが、裏に続く道があり…

これは発掘中の遺跡でしょうか?

これもですね…

一番奥に行ってみると…もしかして、この穴の中が「曹操」墓の発掘現場なのかな?
でも、周りには柵があって、この穴の入口へ降りることも出来なさそう。
そしたら「公安(警察)」だか「警備員」だかが来ちゃってさ…どうやら、まだ一般公開されていなかったみたいです。

外にもこの看板があるだけ…

ご覧のように周囲にもまだ何も無い…発見されたのは2009年末だったと思うけど、もう少ししたら一般に公開されるのかなぁ?
でも、あの入口までだけでも見られただけ凄くない?
10:30「曹操高陵」を出て、運チャンは「この後どこに行くの?」と聞いてきました。
俺が「羑里城」「紂王墓」「摘星台」…と言うと、価格交渉スタートです。
そして「程寸営→曹操高陵→羑里城→紂王墓他→摘星台」で280元で交渉成立し、そのまま「羑里城」へGO

11:35「羑里城」に着きました。

これは「文王(姫昌)」像です。

これは「儀門」です。

これは「山門」です。

これは「文王易碑亭」です。

これは「乾隆御碑亭」です。

「大殿」内には「文王」像がありました。

「大殿」内の壁画の一部を紹介しましょう。

「殷」でも実力を持つ四大諸侯は謀反の疑いを掛けられますが、西岐の「姫昌」は処刑は免れ、7年間の「羑里」幽閉で済みました。

長男「伯邑考」が処刑され、その肉で作られた肉餅を(気づいてて、あえて)食べますが、後日吐き出すと兎の姿になって野を駆けて行きました。

息子の肉で作られた肉餅とも気づかず食べてしまうほどに衰えたと7年の幽閉後、西岐に帰還が許され、そこで「太公望」と出会います。

これは「羑里井」です。

けっこう広いなぁ…さらに下に下りて行くと、

正面に「八卦陣」(迷路)があります。

その左側には「太公封神館」があります。

正面に「太公殿」があり、

中に「太公望」像と、

「封神演義」登場人物の絵がありました。

「太公殿」の左右どっちか忘れたけど、その建物には…

計8体の塑像がありました。

左から「魔家四将」の「魔礼寿」「魔礼海」、

「魔礼紅」「魔礼青」です。

こちらは「云霄」「瓊霄」「碧霄」の「三仙姑」です。

これは「趙公明」と「黄飛虎」です。

反対側の建物にも…

同じく8体の塑像がありました。

左から「李靖」「哪吨」「楊戬」、

「雷震子」「比干」、

「土行孫」「啍哈二将」です。
この「太公封神館」の近くに…

「吐儿塚(伯邑考)」の墓があります。
ここで「姫昌」が肉餅を吐き出したんだな…
「姫昌」は「朝歌」に呼び出されたときに異変を感じ、占いをして自分が7年帰って来られないことを予知していました。
息子をはじめ一族には「何があっても7年私の帰還を待ちなさい」と言い、「朝歌」へと発ったのです。
しかし「伯邑考」はもうすぐ7年になるので、貢物を納めて嘆願すれば父を釈放してもらえるだろうと「朝歌」に行ってしまいます。
そこで「妲己」に得意な琴を教えることになりますが、「妲己」の怒りに触れることとなり「紂王」に処刑されてしまいました。
そして「姫昌」を試すために、その肉は肉餅にされ、父に食べさせられてしまうのです…

「八卦陣」から右側は「周易与儒学館」で…

正面の「伏羲殿」には「伏羲」の塑像がありました。

同じく左右にも建物があり…誰か分からない塑像がありました。

「鄭玄」像もあるし、これらは学者とか占いの研究者たちかな?
また上の方に戻り…

これは「演易台」です。

中には「姫昌」像がありました。

そして12:20「羑里城」を出ました。
ご覧のように周囲には何もありません…でも、ここは「封神演義」ファンにはパラダイスでしたよ~
さて、次は「紂王」の墓に行くんだけど…俺もあまり詳しい場所を知らなかったんで、「淇県」に入ってからは、運チャンに聞き込みをしてもらいながら…

ようやく13:35「紂王」の墓に辿り着きました…って、俺もここがどの辺なのか?淇県内なのかも分からないほど郊外に来たよ。
こりゃ、後で価格交渉されるな…

これが「殷」最後(第30代)帝「帝辛(紂王)」の墓です。
「帝辛」は美貌を持ち、弁舌に優れ、頭の回転が速く、力は猛獣を殺すほど強く、それゆえ臣下が馬鹿に見えて仕方なく、諫言を受けても得意の弁舌で煙に巻いてしまうほどでした。
「帝辛」の増長はつのり、神への祭祀をおろそかにし、重税をかけて天下の宝物を自らの物にし、「尤渾」や「費仲」といった佞臣を重用し、「妲己」という愛妾に溺れ、日夜宴会を開いて乱交にふけりました。
また、「妲己」の言うことは、恐ろしいことでも全部聞き、行いました。
この時、「帝辛」は肉を天井から吊るし林に見立て、酒を溜めて池に見立て、欲しいままにこれらを飲み食いしたため、ここから度を過ぎた享楽の事を「酒池肉林」と呼ぶようになりました。
「帝辛」の親戚に「箕子」と「比干」という賢人がいました。
「箕子」は「帝辛」が象牙の箸を作ったと聞き、「象牙の箸を使うなら陶器の器では満足できず、玉の器を作る事になるだろう。玉の器に盛る料理が粗末では満足できず、山海の珍味を乗せる事になるだろう。このように贅沢が止められなくなってしまうに違いない。」と危惧し、贅沢をやめるように諫言しましたが、「帝辛」はまったく受け入れず、誅殺を恐れた「箕子」は狂人の振りをして奴隷の身分になりました。
「比干」は当時行われていた炮烙と言う残酷な刑罰をやめるように諫言しましたが「帝辛」は怒り、「聖人の心臓には七つの穴が開いているという。それを見てやる。」と言い、「比干」は心臓を抉り出されて死んでしまうのでした。

7年の幽閉後、西岐に帰還した「文王(姫昌)」は「太公望」を迎えるも死に、次男「武王(姫発)」が立つと、ついに天下の諸侯は「帝辛」を倒すために立ち上がりました。
「武王」は父「文王」の位牌を掲げ、軍を起こしました。
物語「封神演義」では、仙界大戦争みたいな感じになっちゃうんだけど…最後に両軍は「牧野(新郷市)」で激突します。
この時殷軍は70万を超える大軍でしたが、その軍は奴隷が多く占め、戦意は無いどころか「武王」がやってくるのを待ち望んでいたほどでしたので殷軍は大敗しました。
首都「朝歌」に撤退した「帝辛」は鹿台に上り焼身自殺し、その死体は「武王」により鉞で首を断たれました。
後世「夏桀殷紂(かけついんちゅう)」と呼ばれ、夏の「桀」と共に暴君の代名詞となりました。

事前調査で近くに「蘇妲己」と「姜王后」の墓もあるということだったんだけど…

こんな農道進むだけで、それらしきモノも無く、第一村人すら発見出来ず…付近で聞き込みすら出来なくなったため断念して引き返しました。

さて、続きは続編でお楽しみください。


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中国歴史紀行~河南省安陽市「殷墟」編

2011年08月01日 | 中国史跡めぐり(三国志・封神榜・史記)
8月1日(月)
今日は6:00くらいに起床し、7:30にチェックアウトしました。
昨日でS君と別れたんでね…俺は携帯も持ってないからアラーム(目覚まし)も無い。
だけど、夏の日の入りは早いし、俺は普段から目覚ましが鳴る前に起きれるんでね。

この旅では今のとこ最悪だったホテルですが…78元と最安値だから仕方が無いか。
そして昨日の「済寧汽車南站」から8:15「河南省安陽市」行きのバスは発車しました。
9:50ごろ「汶上」、10:30「東平」で客の乗り降りがあり…

15:40「安陽汽車客運東站」に着きました…って、約7時間半も掛かったよ。
とりあえず、「汽車站」で安陽市内地図を購入し、今自分がどこに居て、ハントしたい史跡はどこにあるのか?を確認することにしました。
「汽車站」の係員とかにも聞いたけど、面倒なんでタクシーを拾って「殷墟」に行くことにしました。
運チャン(オバちゃん)は“言い値”で15元と言うんだけど、もう早く行きたいんでOKしたら少し走った街中で別の客(3人)も乗せやがってさ。
結局、メーター倒さないから、常に「空車」が点灯してるんだもん。
まぁ「殷墟」に向かう途中だったんだろうけど、俺より先にそいつらを降ろしやがって…こっちが明らかに怒ってるそぶりを見せたんで、オバちゃん着いてから謝ってたけどさ。
けど、俺が20元札を払ったら「正好(ちょうどね)」だとさ…「15元って言ったじゃんか、何が正好だ」と言ってやりたかったが、今日はそんな気力も無いや。

「殷墟」は2006年に世界文化遺産に登録されました。

16:20「殷墟」に入りました。(入場料90元)

「殷墟」は古代中国殷王朝(BC1600 - BC1046)後期の遺構で、発掘された多数の甲骨(亀の腹甲や牛や鹿の肩胛骨など)には文字が刻まれており、合計で5,000字以上の文字が確認され、そのうち1,700字ほどが解読されています。
またこの甲骨文字の研究により、殷王朝の存在が同時代資料を通じて確認されたほか、この文字が現在使用される漢字の祖形となったことが確認されています。

まず、「殷墟博物館」に入りました。

この入口を入ると、地下が博物館になっていました。

約3,000年前の人骨ってことか…

これもね…何で側頭部に穴が開いてるんだろ?

これが甲骨で、これに文字を刻んでたんだね。

博物館を出て、広い敷地内を進んで行くと…

「殷墟車馬坑」がありました。

おぉ、これは以前見た「臨淄」の「東周殉馬坑」や「古車博物館」と同じだね…でも年代は明らかにこっちの方が古いけど。

ふむふむ…これは2馬と1人ね。

確かに後ろに…

1人と、

馬が2頭ね。

甲骨碑林を見て…

奥の方にも発掘された遺跡がたくさんあります。

これらケースの中を覗いてみると…

人骨や

こっちは…

ヤギか牛の骨かな?

さらに、

馬車や

整列して埋葬されたんでしょうか?

こっちにも…

多数の人骨がありました。

これは「甲骨窖穴」です。

中の穴には…

多数の甲骨がありました…って読み捨てられた新聞みたいなモンだったりして。

右は「毛沢東」がここに来たっていう記念碑みたい。

これは第22代の帝「武丁」の王妃であった「婦好」の墓で、1976年にほぼ未盗掘の状態で発見されました。

これは「婦好」像です。

「婦好」の墓に入りました。

墳墓からは6匹の犬のほか、少なくとも16人の殉死者が発掘され、他に副葬品として440以上の青銅器、約600もの玉石器、石彫類、骨角器、約7,000枚の当時の貝貨が出土しています。

これらは発掘された一部の副葬品ですね。

17:15「殷墟」を出て、90元の入場券で入れるもう1つの「殷墟王陵遺址」に行ってみることにしました。
今見てきた「殷墟宮殿宗廟遺址」や「殷墟博物館」が夏季は18:30まで入れるようだったんで、まだ「殷墟王陵遺址」も見れるだろうと思ってさ。
でも、「殷墟王陵遺址」とを往復してるバスは17:00までらしく、それを見込んだ白タクがウザいんで、歩いて行こうと思ったら5.5Kmくらいあるみたい…

それでも歩いて行ってみました。

殷都橋を渡り…ひたすら歩いてたら雨がけっこう降って来ちゃったよ。
そして50分くらい歩いてT字路に出たとこで案内板すら無くなり…雨も強くなって来たし、もう着いてなきゃいけないくらいの距離は歩いてるからね。
しかも全荷物を持ってだもん…もう疲れたわ。

18:05…ここが引き返した辺りなんだけど、この付近に「殷墟王陵遺址」があるはずなのに案内が無かったぞ、絶対。
引き返して歩いてる途中で時々タクシーが通るんだけど、絶対足元見られて高くフッ掛けられると思って停めもしませんでした。

恐らく往復10Km以上歩いたと思います…18:55ごろバス停を発見し、「人民公園」とかいかにも中心部っぽいバス停名で降りてホテルを探すことにしました。
そして19:10ごろ車窓から街を見て賑やかそうな所で降りて、19:20ホテルにチェックインしました。

そして近辺を散策しながら夕飯を買うことにしたら、「鐘楼」を見つけました。

結局、また雨が降り出して来たんでケンタとカップラーメンを夕飯にしました。
明日の天気はどうなんだろう?明日は「安陽」から南下して、いろんな街で史跡ハントしなきゃならないんだよな…雨だと面倒だなぁ。


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