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2018・GW旅「呉の旧海軍史跡めぐり」~広島編④

2018年05月03日 | 幕末~明治史跡めぐり
5月3日(木)
今日の後半は、また「呉」でーす。

13:13「呉」に戻って来ました…そしてスグ「呉港中央桟橋」に向かいました。

13:20すぎ「呉港中央桟橋」に着いて「艦船めぐり」の券を買いに行ったら…もう14:00~のが予約で終わってたよ。
でも「1人だったら入れる」…って、ラッキー あと30分後の回に入れてもらえちゃった…その次だと15:00~になっちゃうからさ。

乗船までの間、近くをブラブラしてました。

左「海上自衛隊呉史料館(愛称:てつのくじら館)」です。

左「大和ミュージアム」です。

「キマリ」と「報瀬」が来た「川原石埠頭」は、ココ「呉港」よりも西の方だね。

昨日「江田島」に行ったときに乗ったフェリーです。

13:50チケット売場前に集合しました。(ちなみにYOKOSUKA軍港めぐりは¥1,400です)

乗ったのは後ろに泊まってる船です…地元でも「横須賀軍港めぐり」があって参加したことがあるけど、果たして「呉」のはどうでしょうか?

戦艦「大和」を建造したドックだね…漫画「アルキメデスの大戦」でも登場しています。

練習艦「かしま(3508)」と練習艦「せとゆき(3518)」です。

建造中なのが分かるね。

コレはさっきの。

コレは何だろう?もうブログ用に縮小しちゃってるから拡大しても字が読めん。

コレは護衛艦「かが」だね…横須賀の「いずも」と姉妹です。

左は読めた…「さざなみ」と「さみだれ」、右の写真のは読めず。

コレは「ちはや」です…潜水艦救難艦なんだけど「蒼き鋼のアルペジオ」の千早群像は、この潜水艦救難艦から取ったんだろうね…パートナーのイオナは「I-401」だし。

俺の祖父も太平洋戦争で潜水艦に乗ってたから、潜水艦には少し思い入れがあるね。

「かが」のオシリ。

今、ドックで建造中なのは…

コレと同タイプのを造ってるのかな?

写真右には「呉鎮守府」の庁舎が見えるね。

この辺の小さい船は何だろう?

「海上自衛隊呉史料館(てつのくじら館)」「大和ミュージアム」「呉中央桟橋ターミナル」が1枚に収まりました。

所要時間35分くらいだったかね…日によって違うのかも知れないけど、観れる艦船の数は「横須賀」の方が多いような気がしたな。

14:35ごろ「呉港中央桟橋」に戻り…そしてスグ「大和ミュージアム」に行き、レンタサイクルを借りました。(返却17時まで)
これから向かうのは「アレイからすこじま」経由「音戸の瀬戸公園」です。

コレは「海上自衛隊 呉地方総監部」です…呉鎮守府庁舎は前回見学しています。

15:05「アレイからすこじま」に着いたけど、遠い「音戸の瀬戸公園」の方を先に攻めないと、もう行けるチャンスが無いかも知れないからスグ出発です。

この橋は「倉橋島」とを結んでいるのかな?

15:45ごろ、やっと「音戸の瀬戸公園」内の「高鳥台」に着いたわ…もうほとんど上り坂で疲れたぞね。(その分、帰りはラクだろうけど)

この景色はそれだけ上がって来たという証だね。

ココでハントするのは「平清盛」に関する史跡だよ。

「平清盛」が夕日を招き返して1日で切り開いたという「日招き伝説」の伝わる名勝地です。

じゃあ、まず「日招き岩」を観に行ってみましょう。

どこ?とパネルを見ながら…位置が分かりました。
「音戸の瀬戸」切り開き工事を急ぐ「平清盛」が日迎山(高烏)の岩上に立って天に祈り、金の扇を開いて西に沈む太陽を中天に招き返し、永萬元年(1165年)7月10日、その日のうちにこの難事業を完成させたという伝説の岩で、清盛公の足跡と杖を突いたという「くぼみ」があります。
それから「平清盛公像」に行ってみると…下に変な建物跡みたいのあるよ。

コレが「平清盛公像」です。

対「宋」貿易と厳島参詣のための海上の捷路「音戸の瀬戸」開削工事を指揮した平相国清盛公が、永萬元年(1165年)7月10日、沈む太陽を中天に招き返して、その日のうちにこの難作業を完成させたという古来の伝説にもとづき、瀬戸開削八百年を記念して、当時四十八才の清盛公の英姿をゆかりの地「日迎山高烏台」に建立してその遺徳を偲び、あわせて海上交通の平安を永世に祈願する所以である…と。

中央に見える大きな橋は「第2音戸大橋」だね。

左側に見える島は江田島市、右側は広島市です。

今、16:00だけど…このくらいの太陽じゃまだ沈む前で「夕日を招き返して…」という感じじゃないから、招き返した後の写真ってことで。

下に下りてみました。

コレは「旧高烏砲台 兵舎」だって…ココにも軍事遺産があるんだ。

俺の目論見では15:30「高鳥台」16:00「アレイからすこじま」に着き、16:30「アレイからすこじま」を出て…17:00までにチャリ返却だったんだけど…16:10ごろ「高鳥台」を出ました。

…やっぱ帰りはラクだったわ…徒歩やチャリだとこんな道も通ります。

コレは「巡洋艦青葉終焉之地」碑です…巡洋艦「青葉」は太平洋戦争のフィリピン沖海戦において昭和19年10月23日ルソン島西方で米潜水艦の魚雷を受けて大破し、呉海軍工廠に帰還しましたが…修理の見込みが立たないため防空砲台として警固屋地区の海岸に繋留されていました。
しかしながら、昭和20年7月24日と28日のアメリカ爆撃機の熾烈な爆撃を受け、「青葉」は大破着底しました…この爆撃により警固屋地区にも死者3名、民家全壊48戸という被害を生じてしまいました。
これら戦争の事実とともに、「命と平和の尊さ」を次世代に伝えるため、「青葉」に乗艦経験を有する「中曽根康弘」元内閣総理大臣にご揮亳いただき、終焉であるこの地に碑を建立しました。

そして16:30ごろ「アレイからすこじま」に戻って来ました。

少し写真は撮ったけど、ココに来たもう1つの目的はやっぱり果たせそうにないな。

…1度チャリを返しに行き、ココへはバスでまた来ることにしたよ。

頑張れば歩いて来れなくもないけど…もうチャリさえ返せば時間に余裕はあるからさ。

コレは「呉鎮守府庁舎」です。

16:50ごろ「大和ミュージアム」にチャリを返却し…歩いて近くのバス停(教育隊前)に行ったけど、ちょうどバスが行ったばかりでさ。
17:10ごろバスに乗り、「潜水隊前」で降りました…Suicaの残金¥190だったんだけど、ピッタリだったわ。
今の時間(17:20ごろ)景色は1時間ほど前と然程変わらないので…夕暮れまで喫茶店に入ります。

「港町珈琲店」ですよー

外はテラス席になってて軍港が見渡せます。

「レアチーズとベリーのワッフル(+アイスコーヒー)」を頼みました…美味しかったです。

ソファー席じゃないけど、場所は「キマリ」と「報瀬」が座ってたトコでしょ?

コレも同じ場所から。

セブンイレブンの上が「港町珈琲店」です…18:10ごろ出ました。

「海上自衛隊 潜水艦桟橋」です…日も落ちてきました。

俺の地元「横須賀」、ココ「呉」、「佐世保」、「舞鶴」は鎮守府があった街として「日本遺産認定」されています。

イイ感じの写真が撮れる時間帯になってきたぞ。

「金曜ロードショー」って古いなぁ…俺も。

子規の詩も奥深いな。

ココから見れる艦船は横須賀の「ヴェルニー公園」より多いかな。

もうそろそろイイかな…

19:00「潜水隊前」からバスに乗り…19:15ごろ「呉駅前」で降りました。
そしてコインロッカーから荷物を取り出し…19:30ごろ駅を出ました。

19:40ごろ「ココス」に入りました。

まだアッサリしたモノが食べたかったんで「いくらと有頭エビとホタテの冷やし麺~ビスクソース~」を食べました…理由は他に、このメニューだけ+¥300で「ミニステーキ丼」が付けられたから。
20:45「ココス」を出て…近くのローソンで買い物してから3連泊になるネットカフェに行きました。
ローソン出た直後に雨が降り出してきてさ…突風も吹いて近くから何かが割れた音も聞こえたよ。
ナイトパックは21:00~なんだけど少し過ぎて行ったら、もう禁煙のフラットが満室で…禁煙はマッサージチェア室しかなかったけど、3時間後にフラットが空いたら移らせてもらうことで最初はマッサージチェア室になりました。

せっかくなんで試してみたけどさ…コースにしたら終わるまで20分近く掛かるのね。
でもネットカフェってけっこう長時間利用する人が多いのに、こんなマッサージチェアなんてほとんど使われていないんだろうよ。
このチェアでも眠れないことはないけど…パソコンが使いづらいんだよぉ、このチェアに座ってキーボード打ちづらいし。
マッサージ終わってから上の風呂にでも入りに行こうかと荷物を整理してたら、さっきローソンで買ったパンや菓子が無いじゃん…
ココに来る途中で落とした?(それは気付くだろう)多分、コンビニから持ち出してない気がするんで…風呂に行く支度も持ってローソンに行ったら、やっぱココでした。(買った商品は棚に戻されてたけどね)
俺もお釣りもらって商品持たずに出ちゃったんだろうけど、そこで店員が「コレ!」ってスグ声出さないかねぇ?商品が目の前に置いたままになってるんだからさ。
俺もまだ頭がボォ~っとしてたのかな?すずちゃんのおかげで熱は大分下がったと思うよ…でなきゃ今日はこんなに行動できてないからね。
ローソンで忘れ物を受け取ってネットカフェの上にある風呂に入りに行ったんだけど…昨日は軽く手首とか?に墨入れてる若いニーちゃんが居たけど、今日はガチの人が居たわ。
バックなんて半ズボン、7分袖シャツ着ないと隠せない…ってか、半ズボン、7分袖シャツの部分は全部入れ墨入ってました。
前面はチラ見すらできなかったけど、さすが広島じゃけぇ…こういう銭湯とか“入れ墨ある人お断り”みたいなトコ多いからさぁ、驚いたわ。
年齢は50~60代くらいの人だったけど…あの刺青面積から考えれば、幹部以上は間違いないだろうね。
あ…昨日、ノックダウン状態でスゲェ寝たから、今日はもう2:00近いけど眠くならないわ…でも明日(もう今日)は6:00チェックアウトだから2:00には横になりまーす。



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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ありがとうございます (ゆみちゃん)
2018-06-10 11:16:26
92歳になる父は車椅子になって10年です。
若い頃は軍艦初鷹の船員でした。魚雷に当たり沈没しましたので、沢山の戦友との辛い別れがあったそうです。
呉に行って慰霊碑に手を合わせたい。と言いますが見当がつかないでいました。

で、検索すると、貴方様のブログにヒット!
画面を見せると、「あー!これが初鷹の慰霊碑や!」と涙していました。
早速、長迫公園を目指して17日の父の日に2人でドライブの予定です。

ありがとうございました。
感謝します。
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お気をつけて (史跡ハンター 臥龍)
2018-06-11 06:48:47
コメントありがとうございます。
この日の記事ではなく、2015年に呉に行ったときの長迫公園にあったのですね。
私も自分の記事を見返すと、初鷹の慰霊碑は割と上の方にあると思います。
車で来れば駐車場に車を停めるため、下には案内板があるので慰霊碑の大体の場所は分かります。
ただ車椅子となると墓地内は道幅も狭く、短い階段が多いので…お気をつけて行ってみてください。
返信する
自分の父も呉に居ました (フランツ)
2019-01-05 17:13:20
史跡ハンター様
呉の貴重な資料を拝見させて頂きました。
ありがとうございました。
自分の父も昭和20年の終戦時に呉海軍工廠造機部と云う部署で働いておりました。
一昨年から、アニメ映画、テレビドラマ「この世界の片隅に」の主人公すずさんの時代を経験しております。
「ポツダム少尉 68年ぶりのご挨拶 呉の奇蹟 第4版」自費出版・非売品として、父の呉時代の足跡をまとめております。
神奈川県は、横浜市、横須賀市、川崎市に第4版、鎌倉市は、第3版が登録されております。
全国では、北見市から鹿児島市まで、140ヵ所に登録されております。
カラー版の読みやすい本です。是非ともご一読ください。
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