東関東自動車道を成田空港を右手に見ながら過ぎて、香取ICで降りると、佐原のまちとの中間辺りに、香取神宮はある。
平安時代の「延喜式神名帳」で“神宮”の称号で呼ばれているのは、伊勢神宮と鹿島神宮、そしてここ香取神宮の3社だけだった。
神宮の呼び名は、皇祖神を祀るところに限るといわれている。
中世以降には「下総国一之宮」として、尊崇された。
さて、ICを降りて佐原方面に向かうとすぐに駐車場が見えてくる。
400台収容できる無料駐車場になっている。
車を降りて、門前に並ぶ土産物屋を通り、赤い鳥居をくぐり、森へと入っていく。
広く長い参道を進んでいく。
新緑や桜の咲く頃、紅葉のときには、色づく木々が美しい。
参道に並ぶ大きな石灯籠を見るのも楽しい。
奉納した野球の選手や、よく見聞きする企業の名前が、石灯籠に彫られている。
「川崎市砂子 栃澤蓄音器店」と読める石灯籠の隣には、「サンスイ電気」と彫られた石灯籠があり、関係があるのかないのかわからないけれど、それぞれの関連性を考えると面白い。
しばらくしてやっと、大きな石鳥居と総門へとたどりつく。
階段を上がると、正面に手水舎、右前方に立派な楼門が見えてくる。
楼門は、本殿とともに元禄13年に江戸幕府により造営されたもので、重要文化財に指定されている。
拝殿では、次々と祈祷者が絶えない。
祭神は、経津主大神(ふつぬしのおおかみ)で、鹿島神宮の祭神・武甕槌大神(たけみかづちのかみ)とともに、武威により出雲国の大国主命から天照大神に国譲りをさせた神だけに、心願成就、勝運を祈ることが多いという。
本殿は、桃山様式の三間社流造りの立派なもの。
もともとは、伊勢神宮と同じ、20年ごとに式年遷宮により建て替えが行われていたが、戦国時代に絶えたといわれる。
境内には、両差しで頭上に持ち上げる力比べで勝利した者が名を刻んで奉納する「さし石」や、千年を超える御神木など古社を物語るものが多い。
海上自衛隊練習艦「かとり」の錨。
奥宮、護国神社へ行く途中に「要石(かなめいし)」がある。
古くから、この辺りを震源とする地震が多く、当時、地中に大ナマズが棲んでいて、ときどき暴れるがために地震が起きるのだと信じられており、香取・鹿島神宮の祭神が地中深く石の棒を差し込んで、大ナマズの頭尾を刺し通したのが、この「要石」だといわれている。
毎年神無月の10月に祭神が出雲へ出かけるため、そのころになると押さえが緩み、地震が多発する理由とされた。
香取は凸形、鹿島は凹形。
水戸黄門で有名な第二代水戸藩主・徳川光圀が着手した「大日本史」編纂にあたり、探求心旺盛なことから、貞享元(1684)年、香取神宮に参拝に訪れた折、要石を掘らせたが根元を見ることが出来なかったと伝わる。
ボンネットバスが「佐原街並み号」という名称で走っているらしい。
JR佐原駅~香取神宮間を祝休日運行させているようだが、インターネットで調べても詳しいことはわからなかった。
>香取神宮御朱印
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