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ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

マッハ!

2008-11-24 21:49:14 | 映画(ま)
評価点:73点/2003年/タイ

原案・制作・監督:プラッチャヤー・ピンゲーオ

「マッハ」の後のびっくりマークは、いくつ付けるべきなのですか?

ノンプラドゥ村の仏像オンバク様の首が、バンコクからきたチンピラのドン(ワンナキット・シリプット)に盗まれてしまう。
オンバク様を取り返すべく、村のムエタイの使い手であるティン(トニー・ジャー)がバンコクに向かう。
しかし、あてにしていた村出身のジョージ(ペットターイ・ウォンカムラオ)は、借金取りに追われる日々で、ティンに非協力的だった。

まず、この映画の謳い文句を紹介しよう。
「CGは使いません」
「ワイヤーは使いません」
「スタントは使いません」
「早回しは使いません」
「最強の格闘技ムエタイを使います」
この謳い文句に、惹かれない僕ではない。
ブルース・リー、ジャッキー、ユン・ピョウ、ジェット・リーとアジアの格闘映画を愛してきた僕としては、どうしても観にいかなくてはならない、そう確信させる文句である。

最近のアジアのアクション映画は、ハリウッド化しているため、早回し、CGという二次加工が当たり前になりつつある。
更に、ワイヤー・アクションがアメリカ人に受けたことから、それらを用いないでアクションシーンを撮ることがなくなってしまった。
結果、何でもできるようになったのだが、やはり何処か物足りないのである。
この謳い文句だけで、観にいきたいという衝動に駆り立てられるのも、無理のない現状である。
 
▼以下はネタバレあり▼

で、実際どうだったか。
見事に期待に応えてくれたといえるだろう。
本当に早送りしていないのか、と疑ってしまうほど、全ての動きが早い。
また、何人か死んでいると疑ってしまうほど、迫力あるアクションをみせてくれている。
ムエタイは、格闘ゲームくらいでしか知らなかったが、あのヒザは、正に凶器である。
しかも、殆んどがリアル・インパクト。
つまり、マジで殴っている、のである。
殴る爽快感というよりも、殴られる方に感情移入したくなる。
それくらい早いし、派手なアクションである。
ワイヤーや、早回しを使っていないぶん、手加減ができないのである。

しかし、ムエタイの格闘だけがすごいのではない。
通りを貸しきってのカーチェースや、ジャッキーの映画でよくある商店街の逃走劇もすごい。
非常に高い身体能力を、車を飛び越えてしまうことで証明している。
瞬発力、柔軟性、筋力、ボディ・バランスなどなど、すべてにおいて超人でなければ、あんな動きはできない。
「ヤマカシ」の動きも超人的だったが、これほど直接的に筋力を要求されるような動きはできまい。
この映画を成立させているのは、まちがいなくトニー・ジャーの身体能力である。

こうしたアクション映画では、ふれてはいけないのが、ストーリーである。
あくまでストーリーは、アクションの前提となるだけの要素でしかない。
そのため、どれだけ矛盾や笑いがあろうと、目をつぶるのが、「礼儀」である。
観にいく前からそれは承知していたので、そのあたりは触れないでおこうと思ったのだが、どうしても触れざるをえない。
それほど、この映画の「話」の部分が悪い。

もっと厳密に言うならば、悪いのはストーリーではなく、キャラクターの描き方である。
ストーリーはありきたりながら、タイという国柄を良く表わしたものになっている。
仏像が盗まれ、それを取り返す。
むしろ、この展開は、「ムエタイで戦う」必然性を感じることさえ出来る。
しかし、それに立ち向かうティンのキャラクターが全く掴めない。
何に対して怒りを感じるのか、わかりにくいのだ。
不正なのか、女性に対する暴力なのか、不真面目なことに対してなのか。
全体的にクールで落ちついた人物設定であるから、
感情の揺れは小さい。
しかし、これだけは絶対に許せない、という点がわかりにくいため、ティンの怒りがわからない。

それはアクションにも影響してしまう。
どれだけすごいアクションをしたとしても、そこに「共に戦う」という要素がなければ、「ああ、すごいね~」と「感心」するだけで、「面白い」とはならない。
別に、全体のストーリーが破綻していたとしても、「面白い」アクションは成り立つ。
しかし、感情移入できなければ、サーカスを見せられているのと同じになる。
「すごい」で終らせてしまうと、ショウになってしまうのだ。
単なるショウでは「面白い」アクションにはならない。
やられ役のほうに、「痛そう」と思ってみてしまう理由は、ここにある。

描き足りないキャラクターは、ティンだけではない。
出てくる登場人物全てが、中途半端で色分けされていない人ばかりだ。
ジョージは、本当に村出身なのか、どうもわかりにくい。
なんとなくわかるが、何故それほど否定するのかわからない。
だから、彼の感情の変化が伝わりにくくなっている。
そして、最後に死んでしまうというのは、どうも納得いかない。
あの段階で殺す必要があったようには思えない。

ヒロインのムエも、設定がわかりづらく、泣く印象しか残らない。
ボスのコム・タンも、いいネタを持っているのに(しゃべり方)、それを活かすような怖さが欠如している。
よって、頭が悪いのか、いいのか、徹底的な性格をもっているのか、
あるいは、甘いところがあるのか、よく分からない。
(話は違うのだが、転がってきた仏像に轢かれて死ぬのは、あまりにカタルシスに欠ける終わり方ではないか。同時に味方のジョージも死んでいるし。)

各キャラクターがきちんと個性を持っていないため、どうしても、先が読めない不安感を覚える。
コテコテの紋切り型のキャラクターであったとしても、それをきちんと描けば、非常に感情移入しやすく、楽しめるものになる。
その意味では、ジャッキーのハリウッド進出後の映画は、それをきちんとおさえているといえる(同じキャラばっかりだけど)。

アクションがすごければすごいほど、もったいない印象を受けた。
特に、最後の洞窟での戦いは、薄いキャラクター性によって、アクションがすごければすごいほど、感情移入できなくなってしまった。
アクション映画のツボをおさえきれなかった、という感想だ。
B級であろうが、C級であろうが、それは関係ない。
観客をどう操作するか、という問題なのである。

――濃いアクションと、薄いキャラクター性――、これがこの映画を形容するのに適した言葉だろう。

(2004/8/5執筆)

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