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ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

ザ・タウン

2011-02-20 15:48:55 | 映画(さ)
評価点:77点/2010年/アメリカ

監督・脚本:ベン・アフレック

その街には隠されたルールがある。

チャールズタウンは有名な犯罪多発地域である。
その街には銀行強盗を家業とする人々が暮らす。
彼らは父親から子どもへとその技術を継承している。
ダグ(ベン・アフレック)は、父親の家業を継ぎ、銀行強盗や現金輸送車の強盗を行なう四人組のリーダー的存在だった。
ケンブリッジ銀行を襲ったとき、警察に包囲されかけたので支店長を人質にとる。
その時奪った免許証には彼らが住む地域のごく近くの住所が記載されていた。
焦るメンバーを退けて、自分が何とかするとダグは言うが……。

「グッドウィル・ハンティング」で有名になったベン・アフレックは自分で脚本を書き売り込んだ。
大ヒットへと繋がり、いまではトップの俳優の一人である。
その彼が再び脚本を書き上げ、監督までやってのけた。

同じ「グッドウィル・ハンティング」で有名になったマット・デイモンは「ボーン」シリーズで一躍スターとなったのに比べて最近はパッとしないベン・アフレック。
起死回生となるのか。
オスカーでもノミネートされるかと話題になった作品でもある。

おそらくそろそろ公開終了となるだろうから、見たい人は早めに見よう。

▼以下はネタバレあり▼

ざっくり見たところで言えば、話は非常に単純でありきたりな物語だろう。
「銀行強盗が足を洗う物語」。
銀行強盗が恋人によって改心し、まっとうな道を歩もうとする物語といえばすごくわかりやすい。
それなりに面白いだろう。
アクションも派手だしハリウッド映画らしい映画だとみえる。
少し都合が良すぎるところはあるものの、銀行強盗が家業だというほど非常に手際がよい。
漂白剤をまいたり、緊急信号の回路を切ったり、「職業」として成立していると思えるほど説得力がある。

その彼が人質と交流することになり、足を洗うことを決意する。
恋人を得て自分の行いに対する反省から、足を洗う決心をする。
それはよくある犯罪映画でもある展開で、それほどの驚きはない。
だから、主人公の行動に違和感もないはずだ。
悪く言えばご都合主義的だが、ハリウッド映画なのだからそれは免罪符だ。
その過程で仲間を抜けることに対する軋轢があり、抵抗もある。

確かにおもしろい。

そこには父親の復讐という要素も加わっている。
つまり、「父殺しの物語」である。
父親は実は組織から抜けるときに裏切られて、母親を麻薬中毒にされたという隠された事件がわかる。
父親はだから刑務所でも問題を起こし、出所できなかったのだ。
執拗な嫌がらせを受けそれに対する「落とし前」つけるまで、出所できなかったのだ。
それを知ったダグは、父親ができなかった復讐をファーギーにやってのける。
「去勢」と言って放った銃弾はファーギーを捉える。

母親を殺されてしまったのを知らずにダグは母親を捜し回っていた。
エディプス・コンプレックスである。
銀行強盗が家業であるということと、その父親の職業を継いでいたということとの整合性もとれる。
この映画には「父殺しの物語」が流れている。

僕はそれでもすっきりしなかった。
どこか足りない。
タイトルが原題も「THE TOWN」であるところも気になった。」
映画を見た後、4日考えてすっきりした。
これは「ダグが街のルールを知る物語」なのだ。
もっと言えば、「自分が自由ではないことに気づく物語」なのだ。

ダグは父親の家業を継いでいた。
だから彼は気づかずに過ごしていた。
家業を辞めようとしたとき、当然仲間からの反発もある。
けれども牛耳っていた花屋のファーギーが強く引き留める。
抜けることを彼が赦さない。
父親も同じ事をして破滅したことを聞かされる。
ダグはルールの中で生かされていたに過ぎなかったのだ。
ルールとは裏社会のルールであり、そのルールは明確で、しかも「弱肉強食」という愛情のかけらもないものだった。

花屋がマークされていたことは、ファーギーが殺されて直後にFBIに連絡が入ったことで読める。
花屋が黒幕であることは警察もつかんでいたのだ。
けれども、「ルール」がFBIも警察も手を出せずにいたのだ。
銀行強盗が家業で、どれだけ鮮やかにやってのけたところで、捕まらないはずはない。
なぜ捕まらなかったのか。
それはルールの中で稼いでいたからだ。

さらに深めるなら、「ルールをやぶる男たちの物語」だ。
ダグは街を出る。
それは単なる改心ではない。
ルールの外に出るという意味だ。

だからファーギーたちは全力をあげて止めようとする。
もしダグが外に出てしまっては「ルール」そのものが破綻するからだ。
彼は街の外に出たときにすべてを失ってしまう。
仲間も、仕事も、恋人も、自分の人生そのものを失ってしまう。
それは彼が今まで他人のルールの中で生きてきたからに他ならない。
ルールを破るにはリスクが伴うのだ。
父親が「ここか、それともあの世で」会おうと言った台詞。
象徴的な言葉だ。
ここというルールで生きていかなければ、死しかない。
ダグはクレアと再会することはないだろう。

もうひとりがFBI捜査官だ。
何度も言うようにファーギーにに手を出せなかったのではない。
ださなかったのだ。
それが街のルールだからだ。
だが外からやってきた彼は破ってしまう。
ダグが街を捨て、ファーギーが殺されたのはタウンのルールが崩壊したことを暗示する。
もちろん、だからといって街が劇的に変化するようなことはないだろう。
街には新たなルールができ、また街としての強固なつながりを取り戻すだろう。
それが「チャールズ・タウン」という街だからだ。

この映画は非常に入り組んだ構造を持っている。
一見すると単なる出来の悪いハリウッド映画だが、非常に巧みだ。
隠されたプロットが捉えにくく描かれている。
それは複雑であるばかりではなく、「問題化」されて描かれていないからだ。
行間となっている謎が見えにくい。
表のプロットが陳腐でわかりやすいために、深い話に見えない。
しかし、すばらしい脚本であることは街がない。

オスカー候補を逃したのは、会員にその見る目が無かったからだろう。
実に残念だ。

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