secret boots

ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

ゲット・アウト(V)

2018-08-25 19:20:03 | 映画(か)
評価点:80点/2017年/アメリカ/103分

監督:ジョーダン・ピール

考えると、すごく怖い。

黒人のクリス・ワシントン(ダニエル・カルーヤ)は白人の大学生ローズ(アリソン・ウィリアムズ)とつきあって4ヶ月となった。
両親に紹介したいと、バカンスを彼女の実家で過ごすことになったが、両親に黒人であることを伝えていないときき、少しナーバスになっていた。
ローズの車で案内されたアーミテージ家は、郊外にあり、典型的な有力者のような家だった。
白人からの差別の目を気にする彼は、黒人が使用人として働かされていることに違和感を持った。
そして彼らの表情は一様に奇妙な様子だった。
両親から告げられたのは、週末に親戚一同が集まるパーティーがあるということだった。
白人ばかりのパーティーに、ますますクリスはナーバスになる。

公開当時、非常に話題になった作品だ。
ホラーという触れ込みだったが、その怖さに気づくには映画の終盤まで待たなければならないだろう。
けれども、その意味が分かったとき、確かにホラーとしか言いようのない恐怖に襲われる。

映画としてはそれほど特殊なものではないが、心に残ることは間違いない。
結末を明かされると、主人公クリスとともに体験することが難しくなるので、何も知らずに見るのがよいだろう。

いや~、みんなに言いたい、そしてみんなと語り合いたい、そういう種類の映画だ。

▼以下はネタバレあり▼

冒頭、いきなり男が襲われて連れ去られる。
その後それが忘れられたかのように、物語はクリスとローズの二人にフォーカスされていく。
あのシーンは何だったのか、忘れた頃にその真相が明かされる。
その構成も非常にうまかった。

この映画がホラーとして、いや映画として秀逸なのは、登場人物をしっかりと描こうとしているという点だろう。
上映時間の関係もあるのだろう、必要最低限の描写にとどまったこともありご都合主義の部分もあるが、概ね、一人一人のキャラクターを描こうとしている。
特に主人公のクリスについてしっかりと描いたことで、この映画に絶望感と逼迫感がより出ることになった。

クリスは母親がひき逃げされた11歳のとき、母親を助けられたのではないかということで後悔していた。
それは、子どもの頃に突き刺さった魚の骨のように、彼を苦しめていた。
そのことを見抜いたローズの母親は、彼に催眠術をかける。
物語の中盤にそれがわかるのだが、冒頭のシカ、最後の黒人のメイドを轢いたとき、その伏線が生きてくる。
立体的に描かれることで、よりクリスの中に観客が入り込むことができ、この恐怖を追体験できるようになっている。

ローズの一家は、母親が催眠術で罠にかけ、父親が神経外科の手術で人の身体を乗っ取ることを生業にしていた。
初めは祖父がその身体が加齢によって劣化したことで、黒人の男を誘拐し、乗っ取った。
そしてメイドのジョージナは祖母だった。
こちらも同じ理由だろう。
しきりに自分の姿に見とれていたのは、自分の若い姿に見惚れていたに違いない。

この映画は、黒人差別だとか、白人至上主義だとか言われかねないほど、白人ばかりが出てくる。
しかし、その議論は間違えている。
彼らは自分の目となり、身体となり、恋人となれる人を探しているだけであり、そこに肌の色は関係が無い。
白人が黒人を乗っ取る物語ではないのだ。
もし彼らが黒人を差別しているのだとしたら、黒人になりたいとは思わないはずだ。
純粋に、肉体的に優れていると考えているからこそ、肌の色は考えていない。
むしろ彼らはまったく差別意識がないと言ってもいいくらいだ。

ではなぜ黒人を狙うのか。
それは、黒人がいなくなっても誰もニュースにしないからだ。
その象徴的なシーンが、クリスの同僚が警察に相談に行っても相手にしなかったというところだ。
黒人がいなくなることはよくある。
だれかに襲われたか、今の生活から逃げたのか。
でも、だれも相手にしない。
それは、世間から差別されている存在であるという意味なのかもしれない。

けれども、あの品評会に集まってくる白人たちは、だれも黒人に対して差別していない。
むしろ、黒人たちがその他大勢の白人から無意識的に差別されていることを利用した犯罪なのだ。

しかしこの手術には弱点があり、写真のフラッシュを見ると一瞬乗っ取られた本人の自我が復活する。
ローガンという行方不明になった黒人がフラッシュを見て叫ぶことばが怖すぎる。
「Get out!」とは出て行け、という意味だ。
それはクリスに言ったのではなく、乗っ取った白人に言ったのだ。
ようやく言葉にできたのは、そのことばだけだったのだ。

ラストはあっけなく復讐を完遂して、しかも同僚に見つめてもらうという円満で終わる。
ラストはもう一つあって、社会的な情勢を踏まえて、ハッピーエンドに書き換えたらしい。
しかし、この映画はおそらくその書き換えられる前のラストのほうがふさわしい。

この映画は黒人差別を描いている。
ひどくえげつないことをアーミテージ家の人々はしている、と怖がるかもしれない。
けれども、白人たちはこういうことを毎日のように行っている。
悪事はすべて黒人に押しつけ、必要な労働や文化や臓器は、白人に提供させる。
乗っ取っているのは、アーミテージ家の人々だけなのか。

違う。
けれども、白人たちはこの映画を見ながら「怖いわねぇ」と無邪気に楽しむのだろう。
私にはこの映画が、怖くて仕方がない。
黒人も、白人も、この現状を知らずに過ごしているのではないか、これほどのダイレクトな暗喩(矛盾した表現だが一番しっくりくる)に、気づかずに映画館を後にするのではないかと。

本当に中身をのぞきたいなら、「怖い」で終わらせてはいけない。
それは、黒人差別が事件として起こるたびに、私たちが抱くリアクションと同じで、「瞬間的なもの」にすぎないのだから。


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