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ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

グランド・ジョー(V)

2018-09-05 20:34:50 | 映画(か)
評価点:57点/2013年/アメリカ/117分

監督:デヴィッド・ゴードン・グリーン

ほんわりしている。

ジョー(ニコラス・ケイジ)はアメリカの田舎町で材木を枯れさせる違法な仕事を取り仕切っていた。
集まってくるのは、黒人のごろつきばかりだった。
ある日、15歳のゲリー(タイ・シェリダン)が現れて、働かせてほしいと訴えてくる。
ジョーはゲリーを受け入れることにするが、彼の父親はゲリーに暴力を振るっていることを知る。

久々のニコラス・ケイジの主演映画である。
私にとって、という意味だが。
私生活が厳しいのか、なんでもかんでも映画に出演しているようで、あまり観たいと思わせる映画が少なかった。
Amazonプライムでおすすめに上がってきたので、しかもレビューに「グラン・トリノ」に似ているというような評価があったので、眠たい中観ることにした。

まあ、観るべき映画ではない。
暇で仕方が無いという人も、もっと違うことに時間をつかったほうが得策だろう。
間違えて――交通事故的なかたちで――出会ってしまった人は、下の批評でも読んでお茶を濁そう。

▼以下はネタバレあり▼

面白くない。
雰囲気を作り上げているが、肝心の人物造形が甘すぎる。
プロットの作りが、物語全体の雰囲気とは真逆で、「ふんわり」している。
だから、「よくあるアメリカの田舎町の人間たち」という雰囲気を作り出しているが、「個」に迫れていない。
「どこにでもいるような、そしてどこにもいない」人を描き出さなければ、物語はこのようにふんわりしたままで、異文化の私たち(日本人)にとって身に迫るような普遍性を感じることは難しい。

ジョーは子どもの頃から荒くれ者で、30代のころ一度逮捕された。
そのとき面倒を見てくれたのが黒人警官だった。
彼の教えは、他人に深く関わらないようにして、怒りや悲しみを自分の中に生み出さないようにすることだった。
それを心の決めて、ジョーはこれまで生きてきた。
しかし、目の前にいるゲリーが父親に殴られ、彼の向上心や夢を踏みにじる行為を目の当たりにして、彼を守る決意をする。

「他人に対して関わらない男」が「看過できないほどの怒りを感じる」というあたりは、確かにアメリカの象徴と言えばそうなのかもしれない。
だが、ジョーの人間性が描けていない。
なぜゲリーに対してそれほど感情的になったのだろうか。
彼も虐待されていたのか。
それを訴えた、ジョーの家に逃げ込んできた少女は、ジョーにとってそれほど強い影響をもつ女性だったのか。
その辺りの描き方があまりにもふんわりしているので、裏のプロットとして描くこともしていなかったので、深みがない。

それは、ゲリーにしても、その父親にしても、ジョーにけんかをふっかけてくる傷の男にしても、同じ事だ。
誰一人として裏のプロットが描かれていないために、「そのあたりによくいるアメリカの男」というキャラクター性しか見いだせない。
殺人までしてお酒におぼれていた父親は、何がそうさせたのか。
ゲリーはそれでもまともに生きてこられたのは何があったのか。
(妹がいたから、では説明にならない)
傷の男はなぜあらゆるところに顔を出してジョーの怒りを買う行動を取るのか。
そのあたりの深さがないので、それなりの物語として観ることはできても、人間の一面をえぐるようなおもしろさはない。
だから、至極退屈だ。
文学的な雰囲気、メタファーを含むような冗長な描写で綴っていく割には、そこに描かれている中身がない。

私はこの映画を見ながら対比していたのは「グラン・トリノ」ではなく、むしろ最近見ていた「スリービルビード」だった。
スリービルボード」にも同じように田舎町にしか生きられない、ゆがんだ男たちがたくさん出ていたが、この映画の登場人物とは比較にならない程立体的だった。

「どこにでもいるような」「どこにでもあるような」普遍性だけでは物語は面白みはない。
そこに「どこにもいない」「どこにもない」個別の物語、人物が描かれなければ、珠玉の作品にはならない。


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