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ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

天才スピヴェット

2014-12-16 22:32:21 | 映画(た)

評価点:76点/2013年/フランス・カナダ/105分

監督・脚本:ジャン=ピエール・ジュネ

10歳の彼は何を伝えてくれるのか。

T・S・スピヴェット(カイル・キャトレット)は科学が大好きな10才の少年だ。
ある日、彼は永久機関に近い、磁気車輪を発明する。
それを雑誌社に応募すると、大きな反響があった。
そのことを受けて、S・Tのもとへ、一本の電話がかかってくる。
それは発明家の権威の賞、ベアード賞を受賞したのでスピーチを行って欲しい、というスミソニアン学術協

会からのものだった。
しかし、担当のジブセン(ジュディ・デイヴィス)は彼が10才の少年だと言うことを知らず、S・Tもま

た、ワシントンまでは行けないことを知っていた。
彼は悩んだ挙げ句、親に内緒で一人でワシントンまで向かうことを決意する。

「アメリ」で話題をさらったジュネ監督の最新作。
3D映像が特徴で、SFやアクションではない、3D映像に挑戦している。
誰が最初に言い出したのか、「映像発明」と言われてもてはやされているらしい。

この作品を知ったのは公開されてだいぶ経ってからのことだから、この批評をアップする頃にはもう公開さ

れていないかもしれない。
もしくは公開されていても、時間が厳しかったり、3Dでの公開は終了しているかもしれない。
だが、ぜひ3Dで見て欲しい作品だ。

▼以下はネタバレあり▼

天才とはいえ、10歳の少年が主人公の、ロードムービーだ。
3D映画だが、アクション映画のような、3Dをスペクタクル体験のために利用していない。
3Dは、映画の世界観にどっぷり観客に浸からせるために利用されることが多いが、この作品はそういった

種類の作品ではない。
どちからというと、その少年と同じ世界を体験するために用意された仕掛けだ。
感情移入させるために利用された工夫なのだ。

その意味では新しいかもしれない。
しかし、映画としてのおもしろさは映像技術ではなく、彼の世界観そのものにあると言って良い。
「アメリ」の監督であるといわれればそれほど驚かない。
彼とこの作品の相性が抜群だった、ということだろう。

10才の彼が、ど田舎のモンタナ州からワシントンへ旅に出る。
オーソドックスな往来の物語である。
彼の課題は、大好きだった双子の弟、レイトン(ジェイコブ・デイヴィーズ)が死んでしまったことによる

喪失感である。
レイトンは活発な、まさに農家の息子という子どもだった。
しかし、T・Sはそういう子どもではなく、発明や科学、読書が大好きな子どもだった。
彼は弟が死んだことを直視できなかった。
猟銃で遊んでいたとき、たまたま銃弾が暴発し、死んでしまった。
活発な息子レイトンを父親は愛していると思っていたT・Sにとって、単なる弟の喪失ではなかった。
それは、親子の関係を保てない、という厳しい現実だった。
きっと父親は「なぜT・Sではなく、レイトンだったのか」と思っているに違いないと。

彼はそのことを確かめるべく、旅に出る。
彼は「どうせ僕のことを心配もせずにいるはずだ」という確信をもっていた。
だから、彼はようやく到着したワシントンでさえ、嘘を吐いてしまう。
「両親は死んだ」と。

彼に打算などあるはずがない。
彼にとっては文字通り、弟と一緒に、両親は死んでしまったのだ。
そして、物語はそれを取り戻す物語でもある。

彼はスピーチで、弟が死んで悲しかった、と初めて人前で、ことばにする。
ことばにすることで、完結された物語となり、彼はようやくその死を受け止めることができるのだ。
そして、その悲しみは、作り笑いのメカニズムとは違って、だれにも取り除くことができない、説明するこ

とができない、受け止める以外のない種類のものだということを知るのだ。

この物語は、すごく単純でメッセージ性はわかりやすい。
そして、とてもすんなりそれを受け取ることができるだろう。
主人公が子どもだからだろうか。
10歳で画期的な発明を生み出すという特殊な子どもなのに?
この話が真におもしろいのは、この物語が大人をターゲットにした物語であるからである。
なぜ特殊な発明を生み出せる子どもが主人公なのに、これほど感情移入しうるのか。

それは、この10歳の主人公は、私たち観客を代表する象徴性を秘めているからだ。
彼はあらゆることについて、理性的に説明することができる。
彼は作り笑いさえ見抜いてしまう。
しかも、科学的に。
彼には感情を感情で受け止めるということが不得意である。
だから、悲しいことから悲しいという感情をきちんと受け止めるだけの容量がなかった。
ワシントンまでの長い旅をする以外に、その悲しみを受け止めるすべがなかったのだ。

それは、悲しみを極度に避ける、私たち大人の態度に似ているのではないか。
感情を揺さぶられることを嫌う現代人は、すべて理性的な原因を追及し、論理的に説明する。
炭水化物を食べ過ぎているから、太るのだ。
睡眠時間が足りないから、こういう病気になるのだ。
時間の使い方が曖昧だから、仕事ができないのだ。
……あらゆることを科学的に、論理的に説明したことによって、私たちが本来持っている「情」の部分が蔑

ろにされている。
ミスの原因を明らかにして、体調の悪い理由を探し出す。
それはとても聡明な発想なのかもしれないが、どこか疎外感を抱かせる。

S・Tがあらゆることを説明しようとするのは、理性で感情を解明しようとしているからだ。
しかし、それでは説明がつかないことがある。
そのことを長い長い旅を通して、私たちに教えてくれる。
子どもだから感情移入しやすいのではない。
彼は特殊な人種である。
それでも私たちが惹かれるのは、感情を感情としてしっかりと受け止める、味わうことを忘れてしまってい

るからではないか。
だから子どもに見せてもきっと理解できないだろう。

この映画は甘美な映像に満ちている。
けれども、その裏にあるのは、その甘美さを甘美なまま受け取ることができなくなった私たちの殺伐とした

心の内ではないか。

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