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ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

SPIRITスピリット(V)

2009-08-02 15:50:37 | 映画(さ)
評価点:45点/2006年/香港映画

監督:ロニー・ユー

あまりに大味。

霍元甲(ジェット・リー)は、天津一になろうと、誰からも尊敬される父親と同じ格闘家になった。
父親から武道を教えてもらえなかった元甲は、独学で武道を学び、そして強力無比な技を手に入れた。
そして、好きなだけ酒を飲み、門下生を多く持つ格闘家となった。
そんなある日、天津一を争うライバルの格闘家に弟子が襲われたことを知り、その格闘家に戦いを挑む。
死闘となったこの戦いで、元甲は相手を殺す。
その報復として、養子が元甲の妻子を殺し、元甲はすべてを失ってしまう。
失意の中各地を放浪としている時、小さな部族に助けられる。

ジェット・リーの久々(?)の地元映画。
中国を舞台としている映画のなかでも、比較的よく作られたものではないだろうか。
もう一つの目玉は、勿論、日本の中村獅童が競演しているということだ。

中国映画に、日本人が出るとろくな事がないというのが、僕の印象だが、今回はそうでもない。
ジェット・リーが嫌いでないなら、まあ、見てもいいかな(いや、そうじゃないかな)という出来である。
 
▼以下はネタバレあり。▼

この映画のよいところは、一言で言えば、非常にシンプルなメッセージをもち、しかもそれが最初から最後までぶれない、ということだ。
中国の歴史物の映画だと、壮大でも、結局何が言いたいのかよく分からん、というのが多い(「グリーン・ディスティニー」とか、「グリーン・ディスティニー」とか、「グリーン~」とか……)が、
この映画はその根本がしっかりとしているため、わかりやすい。
また、中国共産党が好きそうな、愛中で反日というような頭の古い構図でもない。
そのために、ジェット・リーを撮った中国映画としても、それほどひどい映画にはなっていない。
というか、むしろ良いほうだ(それは過大評価かな)。

主人公の霍元甲は、父親に武道を教えてもらえなかったこともあり、独学で、自力で格闘家になった。
めちゃくちゃ強くなり、その地域ではもはや誰も相手にならないほどになる。
しかし、友人のノン・ジンスン(ドン・ヨン)と母親にはしきりに「拳の強さが、武道の強さではない」と言い聞かせられる。
そして、ジェット・リーのライバルといよいよ対戦することになる。
勝つ度に肥大化していくジェット・リーの一派の一人が、相手にケガをさせられるという事件が起こったのだ。

壮絶な戦いは、結局相手を殺してしまうというところまでいく。
相手の息子は恨みから、ジェット・リーの妻子を殺し、自害する。
さらにケガをさせられた弟子に原因があったことを後に知らされる。
失意にくれ、ようやく誤りに気付いたジェット・リーは放浪の旅に出るのだ。

その間、様々な人々が異口同音に口にされ続けるのが「武道は相手と戦うのではなく、自分と戦うのだ」ということばだった。
しかし主人公がに気付くのは、名もない田舎の村にたどり着いて、一年後のことだった。

世界異種格闘技戦に出場してからも、霍元甲は、対戦相手の中村獅道に「格闘技は相手を通じて自分の精神の強さをはかるものだ」と告げる。
その言葉に感銘を受けた安野(獅道)は、服毒した同じ日本人に「お前は日本人の恥だ」と言い放つのだ。
結局、霍元甲は負けてしまう。
しかし、一貫して訴え続けていたメッセージがあるわけだ。
「勝負とは相手との優劣ではなく、自分の精神や魂の強さを相手を通じて知るのだ」ということだ。
徹底して暴力を描きながらも、そこにそれを肯定しない哲学が流れている。
その意味で、この映画はその主題を一貫して描いた作品と言える。

だが、この映画の魅力はこれしかない。
このテーマだけを何度も何度も繰り返される。
ありていに言えば、ストレートすぎるのだ。
絶対に掴んで欲しいテーマなら、それは口にするべきではない。
口にすればするほど、嘘くさく、軽くなってしまうからだ。
映画を撮るからには、それを口にしないで示さなければならない。
口にしたいなら、「五輪の書」でも書けばいいのだから。

人は映画を観ながら、台詞を読みながら、別の次元の「テーマ」を自然と模索している。
だが、この映画はずっと口にされているテーマ以上のものは描かれないし、含まれていない。
だから、長大で退屈な、同じテンポの絵巻物を延々と見せられている感じになるのだ。
これは映画としてのおもしろさではない。
テーマに共感できるかできないかではない。

CGにも同じ事が言える。
良くできた演出で、これだけのCGをよく作ったな、という気はする。
だが、これも大味すぎる。
喩えるなら、カンバスにべったりと原色ばかりを塗り込んだ感じだ。
だから、目に悪い。
だから、CGがやたらと目立つ。
もうすこし控えめなカットに使用するなど、工夫ができたはずなのに、と残念でならない。

結局この映画は「大味」という言葉に尽きる。
それなりに面白く、一貫性もあるものの、それしかない。
おいしくても、味に変化や深みがなければ、映画は良い作品にはならない。
結果として退屈な、無味乾燥な印象さえ持ってしまう。

技術やお金はあるけれど、映画を撮る力も工夫もない。
なんか、今の中国(香港)を象徴している気もする。

タイトルにある「SPIRIT」が一番欠けているなんて、笑えない皮肉である。

(2006/12/4執筆)

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