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インファナル・アフェア2 無間序曲(V)

2009-08-14 16:52:15 | 映画(あ)
評価点:79点/2003年/香港

監督:アンドリュー・ラウ

マフィアと警察、すれ違う思惑と、欲望、そして、哀しみ。

1991年。
ンガイ家は、香港の九龍半島の市街地、チムサァチョイを束ねる闇の組織だった。
ンガイ家の対抗馬としてウォン警部は、その手下であるサム(エリック・ツァン)を擁立しようと考えていた。
そんなある日、ンガイ家のボスが何者かに殺される。
殺したのは、サムの手下で駆け出しのチンピラ、ラウ(エディソン・チャン)だった。
殺させたのは、サムの妻だった。
勢力図が一気に変わろうとしているとき、サムは、自分の利権を広げるのではなく、ンガイ家を反映させるように取りはからう。
そして時は流れ、1995年…。

トニー・レオンとアンディ・ラウの競演作「インファナル・アフェア」の続編である。
時間軸は二人のやりとりが交わされる2002年より前の話で、両者がいかにすれ違いながら闇組織と警察でさまよっていたかを描いている。
トニーもラウも、二人は一コマも出てこないが、二人の若手俳優がその若かりし頃を熱演している。
ヤン(ショーン・ユー)とラウという二人を軸にしたドラマであるものの、どちらかというと、ウォン警部とチンピラを束ねるサムとのやりとりにも重きをおいている。

前作よりも、血なまぐさいマフィアの生き方を描いているといえる。
サスペンス・ドラマというよりも、「ゴッドファーザー」に近いのかもしれない。

▼以下はネタバレあり▼

本作のコンセプトは、前作よりも前の話で、ヤンとラウがどのようにして闇社会で生きてきたかを描くことだ。
日本で言うところの「仁義なき戦い」にあたる作品かもしれない。

この作品は、明らかに前作の「無間道」のプロットに乗っかっている。
故に、独立性は乏しし、どうしてもトニー・レオンとアンディ・ラウの人気の影を踏んでいる印象はぬぐえない。
前作にあったエピソード、たとえばサムとウォンがやりとりするシーンや、サムがタイ人と取引すること、アンティークのアンプを購入するエピソードなどは、前作とのつながりを示す、ファンのよろこぶ「リップサービス」になっている。
そういうシーンを挿入することじたいが、この映画が前作の完成度の影を踏んでいることの何よりの証拠だ。

だが、この映画がそれでも人々を引きつけるのは、引き締まったシナリオと、首尾一貫するテーマ性にある。
話はかなり複雑だ。
複雑というよりも、登場人物の差がつかない段階でどんどん話が進んでいくため、わかりにくい。
特に、サム以外の、ンガイ家の四人の手下(になるボスたち)の顔が覚えきれない。
それらが開始20分程度で説明と展開が同時並行的に示されるので、かなりきつい。
その引き締まったシナリオだからこそ、中だるみせずに、一気に楽しめるわけだ。
その映像リズムは、「無間道」から踏襲されたもので、前作を観ているものにとっては慣れたものという目算もあるはずだ。

テーマ性もすばらしい。
自分の信念を貫こうとすればするほど、周りや自分自身を不幸にしていく。
刑事のウォンとサムはまさにその典型だ。
愛する人を失った哀しみを、サムは一切見せようとしない。
ひょうひょうと振る舞う姿には、不気味ささえ漂う。
だが、その恨みはきっちりと果たそうとするところに、彼の哀しみがある。
また、ウォンも自分の失敗をかばってくれた同僚を亡くしてしまう。
僕はこのシーンがとても好きだ。
マフィア映画ならよくある展開なのだが、それでも「もし俺が自分の車を運転していたら、友人は死ななかった」と考えるだけで、ウォンの苦しい胸の内は察するにあまりある。
彼らは自分たちの信念を貫こうとしているだけだ。
だが、この世界はそれに対してYESという解答は出してくれない。

それはもちろん、潜入させられている二人にも言えることだ。
1997年、ンガイ家のボス・ハウが死ななければ、ヤンは潜入捜査から抜けることになっていた。
だが、サムはハウが妻を殺したことを許せない。
そのため証言して刑務所にぶち込むことを選ばずに、抜け出してハウと対決する。
そうなれば、警察が駆けつけて、証言者であるサムを殺そうとしている被告ハウを警察は殺すに相違ない。
これは、サムにとってはうってつけの状況であるわけだ。

ハウを抱きかかえるヤンは、ボスが殺されてしまった失望感というように周りには映る。
だが、実際には自分の潜入捜査によってホシをあげられないという絶望感なのだ。
このあたりのやりとりを描く手腕は本当にすばらしい。
そういう展開にシナリオを書いただけではなく、その状況を正しく映像化している。
緊迫感を出す方法を、監督は心得ているのだろう。

それだけではない。
チムサァチョイのボスがすげ変わる、ということだけではなく、その時が香港返還と同時期だということだ。
日本人にとってはそれほど思い入れがない、香港返還だが、それはやはり帝国主義的な支配からの脱却という意味で、香港や中国にとって大きな転換期だった。
そういった情勢と併せて描ききったことで、よりおもしろくなった。

チムサァチョイのネオンは、100万ドルの夜景を美しく彩るだけではなく、その影に深い闇を浮かび上がらせる。

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