評価点:91点/2003年/アメリカ
監督:クエンティー・タランティーノ
長い沈黙を破り、タランティーノがついに映画を撮った!
暗号名「ブラック・マンバ」(ユマ・サーマン)は、派手な車を黒人女性宅の前で停める。
彼女は、いきなりその黒人女性ヴァニータ・グリーン(ヴィヴィカ・A・フォックス)に切りかかり、格闘に。
そして「マンバ」はヴァニータを殺してしまう。
彼女は、車からおもむろにノートを取り出し、彼女の名前を消す。
4年前半、彼女は、夫とともに結婚式中に、「毒ヘビ暗殺団」という「ビル」という人物を頭にした集団に命をねらわれる。
妊娠していた彼女は、ビルに頭を打ち抜かれるが、生き残った。
しかし、夫や、その場にいた牧師たちは皆殺されてしまい、彼女が覚醒したのは半年後だった。
命からがら病院から脱走した彼女は、ビル一味に復讐を誓う。
そこでまず、日本にいるという、東京の首領、オーレン・イシイ(リューシー・リュウ)に狙いを定める。
まず沖縄に向かった「マンバ」は、沖縄にいた「服部半蔵」なる刀鍛冶に日本刀を打ってもらい、東京に向かうのだった。
タランティーノの映画をどれだけ待ち続けただろう。
僕より前から待っているファンも大勢いたはずだ。
彼はほんの数本しか監督をしていない。
しかし、彼の映画には「ある種の」人をひきつける何かがある。
今回では、その魅力が120%発揮されたといっていい。
この映画についてこれないなら、ついてこなくていい!
敢えてそう言いたい。
わかる人にだけわかってもらえれば、僕にとっても、タランティーノ本人にとっても、それでいいのだ。
わかる人はこの二時間という時間、共に幸せをともにかみ締めよう。
▼以下はネタバレあり▼
この映画を一言で称するなら、「日本映画にあこがれた外国人が〈日本〉を撮ろうとした映画」である。
この映画は「Vol.1」で、二本完結型の作品なので「2」ではわからないが、少なくともこの「1」では、そう言ってしまっていいだろう。
日本人をもちい、日本を描こうとした作品は、意外と(?)ある。
けれど、これほどまで日本を「誤解してしまった」映画は殆んどない。
それはもう、意図的なのではないか、というくらい誤解してしまっている。
しかし、それがおもしろい。
おもしろすぎる。
現在と過去を交錯させて撮るのは、タランティーノのオハコだ。
4年前(半)と、現在が交錯しても、なんら驚きはない。
むしろ、今作はわかりやすいくらいだ。
ただ、この構成が成功している点は、二部上映である本作で、見せ場を後にもっていくことができたことだ。
これによって、映画としての「格好」はつけることができたし、敢えて殆んど説明を省くことで、次回作への伏線にもなった。
「マトリックス・リローデッド」では(たびたび引き合いに出して恐縮です)、その構成をまずったために、観客から非難を買う危険性を生んでしまったが、
本作は、謎と問題を上手く残したために、カタルシスとサスペンスのバランスがとれている。
実際、ビルという人物が何者かわからないだけでなく、主人公も何者かわからない。なぜ皆殺しにされたかもわからない。
この根本的な問題を一切触れずに展開させたことは、非常にいい次への動機付けになった。娘の生存も明らかにされたし。
さて。ストーリーの説明なんて、こんなものでいいだろう。
この映画の魅力は、先にも言ったように、「間違った日本」だ。
日本をいい加減に描いて日本人の反感を買った作品は多い。
特に、高度経済成長で日本が米国を脅かした時期には、かなり日本を風刺した映画が撮られた。
めがねにカメラ、働くサラリーマンに、
ちょんまげ、ハラキリ、忍者に、バカな女子高生。
観ていて腹が立つものもあれば、失笑してしまうものもあった。
しかし!
この映画ほど気合を入れて、日本を描いた映画は少ない。
どれくらいすごいかというと、「沖縄」という設定のすし屋には、「酔生夢死」という意味深げな額が飾ってあるくらいだ。
そして日本刀は非常に美しく、日本庭園にはシシオドシが鳴る。
極めつけは、「服部半蔵」なる刀鍛冶にこう言うのである。
「斬りたい鼠がいるのです(カタコトの日本語)」
「さぞ大きなねずみなんでしょうね」
……間違ってるよ。あんた。
そんな日本人いねーよ。
日本の時代劇か何かを見すぎだよ、あんた。
しかし、実際はこのシーンまでに、「?」なシーンがある。
それは仇、オーレンの出生という章だ
(この映画は絵巻のように章立てがある。これにもマニアックさを感じるのだが)。
なんと全てアニメなのだ。
しかも、描かれているのは、いつの時代かもはや検討もつけようがないほどの、
コテコテのヤクザが、オーレンの両親を殺すというシーンだ。
このシーンを一目見ただけで、この映画のノリがわかってしまう。
「ヤバイ。おもしろすぎる」
なぜか、僕が行ったときの映画館ではシ~ンとしていたので、僕は笑い声を抑えることで必死だった。
そしてアニメのヤクザが、ナイトボードの上にあった酒瓶を銃で割り、
消えかけのタバコで火をつけるシーンを観ると、映画館の座席の手置きを叩いて喜びたくなる。
「だれやねん、お前。普通に燃やせよ」
日本人のために作ってくれたかのような映画だ。
マスクをかぶり、日本刀を振り回すチンピラが現れたかと思うと、ボス(リュウ)と戦う庭では、なぜか急に雪が降り積もる。
おもしろすぎるよ。
どこで得たの、その知識。
きめ台詞は無理に日本語で語り、必然性のない殺陣(もはや殺陣とは言えないが)。
タランティーノの中で出来上がった世界が一気に露呈された感じだ。
彼の非凡さは、なにも「間違ったマニアックさ」だけではない。
通常、誰もが配慮する点について、彼は堂々と無視する。
例えば、ヒロインの「ザ・ブライド」が、4年の歳月を経て覚醒するとき。
彼女はいきなり「4年間!!」といって目覚める。
なぜ四年間眠っていたとわかったのだろう。
凡人なら、ここは日付を見るしぐさをいれるなりして、配慮してしまうところだ。
また、空港や飛行機の中に堂々と刀を持ち込む。
これはすこし、意図的に持ち込ませている感もあるが、やはり凡人ならどうしても気にしてしまう。
タランティーノのすごい感覚は、そういった論理的な部分も侵されている。
しかし、日本をどんなに「歪曲」して描いても、許せてしまうところに彼の魅力がある。
これまで本当にたくさんの外国人が、日本のことを間違った認識で映画に登場させてきたが、
ここまでツッコミどころ満載で間違ってくれると、もう笑うしかない。
そして彼は本当に日本が好き(厳密に言うと、日本映画が好き)で、こよなく愛しているのだということが伝わってくる。
「自分の集大成」と言い切っているだけあり、個人的な趣味をふんだんに盛り込んだ本作は、
どこを切っても「タランティーノ色」に染まっている。
彼の哲学は、主人公にも投影されている。
「あなたは最高のナイフ使いとビルは言っていた」にもかかわらず、敢えてその相手にナイフで挑む。
日本刀を持っていないのに、、敢えて日本刀を打ってもらい、日本刀を得意としている相手に復讐を果たす。
ここに貫かれている熱い志は、まさにサムライ・スピリッツだ。
今年三本の指には入る映画になってしまった。
来年まで待てないよ(待つけど)。
(2003/11/2執筆)
監督:クエンティー・タランティーノ
長い沈黙を破り、タランティーノがついに映画を撮った!
暗号名「ブラック・マンバ」(ユマ・サーマン)は、派手な車を黒人女性宅の前で停める。
彼女は、いきなりその黒人女性ヴァニータ・グリーン(ヴィヴィカ・A・フォックス)に切りかかり、格闘に。
そして「マンバ」はヴァニータを殺してしまう。
彼女は、車からおもむろにノートを取り出し、彼女の名前を消す。
4年前半、彼女は、夫とともに結婚式中に、「毒ヘビ暗殺団」という「ビル」という人物を頭にした集団に命をねらわれる。
妊娠していた彼女は、ビルに頭を打ち抜かれるが、生き残った。
しかし、夫や、その場にいた牧師たちは皆殺されてしまい、彼女が覚醒したのは半年後だった。
命からがら病院から脱走した彼女は、ビル一味に復讐を誓う。
そこでまず、日本にいるという、東京の首領、オーレン・イシイ(リューシー・リュウ)に狙いを定める。
まず沖縄に向かった「マンバ」は、沖縄にいた「服部半蔵」なる刀鍛冶に日本刀を打ってもらい、東京に向かうのだった。
タランティーノの映画をどれだけ待ち続けただろう。
僕より前から待っているファンも大勢いたはずだ。
彼はほんの数本しか監督をしていない。
しかし、彼の映画には「ある種の」人をひきつける何かがある。
今回では、その魅力が120%発揮されたといっていい。
この映画についてこれないなら、ついてこなくていい!
敢えてそう言いたい。
わかる人にだけわかってもらえれば、僕にとっても、タランティーノ本人にとっても、それでいいのだ。
わかる人はこの二時間という時間、共に幸せをともにかみ締めよう。
▼以下はネタバレあり▼
この映画を一言で称するなら、「日本映画にあこがれた外国人が〈日本〉を撮ろうとした映画」である。
この映画は「Vol.1」で、二本完結型の作品なので「2」ではわからないが、少なくともこの「1」では、そう言ってしまっていいだろう。
日本人をもちい、日本を描こうとした作品は、意外と(?)ある。
けれど、これほどまで日本を「誤解してしまった」映画は殆んどない。
それはもう、意図的なのではないか、というくらい誤解してしまっている。
しかし、それがおもしろい。
おもしろすぎる。
現在と過去を交錯させて撮るのは、タランティーノのオハコだ。
4年前(半)と、現在が交錯しても、なんら驚きはない。
むしろ、今作はわかりやすいくらいだ。
ただ、この構成が成功している点は、二部上映である本作で、見せ場を後にもっていくことができたことだ。
これによって、映画としての「格好」はつけることができたし、敢えて殆んど説明を省くことで、次回作への伏線にもなった。
「マトリックス・リローデッド」では(たびたび引き合いに出して恐縮です)、その構成をまずったために、観客から非難を買う危険性を生んでしまったが、
本作は、謎と問題を上手く残したために、カタルシスとサスペンスのバランスがとれている。
実際、ビルという人物が何者かわからないだけでなく、主人公も何者かわからない。なぜ皆殺しにされたかもわからない。
この根本的な問題を一切触れずに展開させたことは、非常にいい次への動機付けになった。娘の生存も明らかにされたし。
さて。ストーリーの説明なんて、こんなものでいいだろう。
この映画の魅力は、先にも言ったように、「間違った日本」だ。
日本をいい加減に描いて日本人の反感を買った作品は多い。
特に、高度経済成長で日本が米国を脅かした時期には、かなり日本を風刺した映画が撮られた。
めがねにカメラ、働くサラリーマンに、
ちょんまげ、ハラキリ、忍者に、バカな女子高生。
観ていて腹が立つものもあれば、失笑してしまうものもあった。
しかし!
この映画ほど気合を入れて、日本を描いた映画は少ない。
どれくらいすごいかというと、「沖縄」という設定のすし屋には、「酔生夢死」という意味深げな額が飾ってあるくらいだ。
そして日本刀は非常に美しく、日本庭園にはシシオドシが鳴る。
極めつけは、「服部半蔵」なる刀鍛冶にこう言うのである。
「斬りたい鼠がいるのです(カタコトの日本語)」
「さぞ大きなねずみなんでしょうね」
……間違ってるよ。あんた。
そんな日本人いねーよ。
日本の時代劇か何かを見すぎだよ、あんた。
しかし、実際はこのシーンまでに、「?」なシーンがある。
それは仇、オーレンの出生という章だ
(この映画は絵巻のように章立てがある。これにもマニアックさを感じるのだが)。
なんと全てアニメなのだ。
しかも、描かれているのは、いつの時代かもはや検討もつけようがないほどの、
コテコテのヤクザが、オーレンの両親を殺すというシーンだ。
このシーンを一目見ただけで、この映画のノリがわかってしまう。
「ヤバイ。おもしろすぎる」
なぜか、僕が行ったときの映画館ではシ~ンとしていたので、僕は笑い声を抑えることで必死だった。
そしてアニメのヤクザが、ナイトボードの上にあった酒瓶を銃で割り、
消えかけのタバコで火をつけるシーンを観ると、映画館の座席の手置きを叩いて喜びたくなる。
「だれやねん、お前。普通に燃やせよ」
日本人のために作ってくれたかのような映画だ。
マスクをかぶり、日本刀を振り回すチンピラが現れたかと思うと、ボス(リュウ)と戦う庭では、なぜか急に雪が降り積もる。
おもしろすぎるよ。
どこで得たの、その知識。
きめ台詞は無理に日本語で語り、必然性のない殺陣(もはや殺陣とは言えないが)。
タランティーノの中で出来上がった世界が一気に露呈された感じだ。
彼の非凡さは、なにも「間違ったマニアックさ」だけではない。
通常、誰もが配慮する点について、彼は堂々と無視する。
例えば、ヒロインの「ザ・ブライド」が、4年の歳月を経て覚醒するとき。
彼女はいきなり「4年間!!」といって目覚める。
なぜ四年間眠っていたとわかったのだろう。
凡人なら、ここは日付を見るしぐさをいれるなりして、配慮してしまうところだ。
また、空港や飛行機の中に堂々と刀を持ち込む。
これはすこし、意図的に持ち込ませている感もあるが、やはり凡人ならどうしても気にしてしまう。
タランティーノのすごい感覚は、そういった論理的な部分も侵されている。
しかし、日本をどんなに「歪曲」して描いても、許せてしまうところに彼の魅力がある。
これまで本当にたくさんの外国人が、日本のことを間違った認識で映画に登場させてきたが、
ここまでツッコミどころ満載で間違ってくれると、もう笑うしかない。
そして彼は本当に日本が好き(厳密に言うと、日本映画が好き)で、こよなく愛しているのだということが伝わってくる。
「自分の集大成」と言い切っているだけあり、個人的な趣味をふんだんに盛り込んだ本作は、
どこを切っても「タランティーノ色」に染まっている。
彼の哲学は、主人公にも投影されている。
「あなたは最高のナイフ使いとビルは言っていた」にもかかわらず、敢えてその相手にナイフで挑む。
日本刀を持っていないのに、、敢えて日本刀を打ってもらい、日本刀を得意としている相手に復讐を果たす。
ここに貫かれている熱い志は、まさにサムライ・スピリッツだ。
今年三本の指には入る映画になってしまった。
来年まで待てないよ(待つけど)。
(2003/11/2執筆)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます