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ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

失われる全能感

2023-02-11 05:27:19 | 不定期コラム
おもてなしの国、日本。
いつからそういうことが「常識」になったのか私には分からない。
いつの間にか「お客様は神様」という言葉が一般化して、私たちは客として振る舞うとき、金さえあれば全能の神になった気持ちになることができる。

それは、子どもでも大人でもお金さえあれば同じようにもてはやされるという全能感だ。
そこに「身分」や「職業」「年齢」「性別」さえも関係がない。
お金があることだけが重要で、それ以外すべては捨象される。
お金をもった不遜な子どもたちが、年齢が何倍も上の大人に対して辛辣な態度を取ることが許される「倫理」を生み出した。

しかし、近年その「常識」は音を立てて崩れつつある。
お金があるかどうかよりも、そもそも私たちは働いている自分とお金を使っている自分との乖離に耐えられなくなっている。
よりわかりやすく言い換えれば、お客様を神様として見立てることができる、働く自分を肯定できなくなっている。
ブラック企業という言い方が市民権を得たが、これは管理職や上司からの要請というよりは、その背後に顧客からの要請という絶対的な存在が見え隠れする。
ブラック企業を擁護するつもりはさらさらないが、企業がブラック化せざるをえないのは、お客様を神様と崇めること以外に生き残る道が見つからないから、という側面が少なからずある。

しかし、経済的な先細りもあり、働き手の私たちはそういう要望に耐えられなくなっている。
顧客としての全能感よりも、奴隷としての働き手の自分が勝ってしまう。

私たちはそのことを、表層的な部分で愚痴ることで生き延びている。
けれど、問題の本質は別の所にある気がしてならない。
そこで私が思い至るのは、やはり少子化だ。

子どもを産み育てることを知らない人間が、自分のことを産み育ててきた親に対して理解ができないのは当然だ。
いや、それだけではあるまい。
子どもを産み育てることを、経済的な価値観でしかはかれない現代の日本人は、「おもてなしされるべき私」という顧客の立場と、「おもてなししなければならない私」という働き手の私との往還でしか見られない。
少子化こそ、深刻な我々の問題を示している。

日本の〈分断〉は、貧困と富裕ではない。
消費者と労働者という自己の〈分断〉によって、それ以外の価値観を見いだせなくなっている。
私は、サービスを受けるに値する人間か、サービスを授ける側の人間か。

教育はサービスではない。
主従の関係でもない。
利害の関係でもない。
ましてや、損得では理解できない。

欧米の民衆どんな思想を持っているのか、私は知らない。
だが、日本は、資本主義を社会的にも個人的にも、完全にそのエートスとして浸透してしまった社会なのだろう。
そんな日本の所得だけが伸び悩んでいることは、逆説的に、日本の深刻さを示している。

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