評価点:32点/2002年/アメリカ
監督:フィル・アルデン・ロビンソン
人気のトム・クランシー原作の映画化。
1973年、アメリカの原子爆弾を載せた一機の飛行機が爆撃を受け、墜落した。
その原子爆弾は誰にも知られる事なく砂に埋もれた。
29年後アメリカは、チェチェンに軍事侵攻するロシアに対して、強固な態度を保っていた。
しかしCIAの捜査官であるジャック・ライアン(ベン・アフレック)は、そうした一連の進行が前ロシア大統領の急死した後を継いだネメロフ大統領の直接の指示によるものではないことを予感する。
ロシアに向かったライアンは、核兵器工場にいるはずの、三人の科学者がいないことを知り、調査を開始した。
▼以下はネタバレあり▼
トム・クランシー自らが、総指揮を執っただけあり巧みな政治戦略が主な展開の舞台になっている。
CMにあるような爆発シーンを期待して観に行くと肩透かしを食らってしまうだろう。
しかし人気作家なだけあり、国家間のやりとりは、説得力のあるリアルな映画である。
国際問題、原子爆弾に関わるような映画は少なくないが、これほど敵がわかりにくい映画も珍しいだろう。
結論的にはネオナチなどを組織する裏の団体が、ロシアとアメリカを互いに攻撃させようとしたために、起こった「事件」なのだが、お互いに持て余すミサイルの多さゆえに恐怖が生まれ、それが核戦争への引き金になっていく。
現代の国際情勢にのっとったリアルさを感じた。
しかしこの事が逆に裏目に出ている。
国家間の戦争をメインに置いたために、実際に息づく国民が蔑ろに描かれているのだ。
主に展開する舞台はあくまで大統領室だ。もしくはエア・フォース・ワンだ。
ロシアとアメリカの激しいやりとりも会議室の中で行われ、ほとんど国民という存在が無視され続ける。
それが一番顕著に表れるのが原子爆弾が爆発するシーンだ。
誰もが期待する爆発シーンが、
「大統領が乗る車が横転する」
「主人公が乗るヘリが落ちる」
「主人公の恋人が勤める病院のガラスが割れる」
この三つしかない(僕の記憶では)。
次のシーンは、もうきのこ雲ができている。
これでは本当に爆発したのかどうかさえ疑わしい。
街の様子はどうなったのか?
殆んどの観客はそれまで複雑で鬱積した前置きを、吹き飛ばすべく期待しているのに、全然爽快(映画内では、という意味。
勿論、現実に爆発して欲しいという願望ではない)じゃない。
期待のカタルシスは見事に裏切られる。
しかもその後の国民がどうなったのかも全然わからない。
大統領が救い出されるシーンが先行し、その報復について議論が交わされる。
病院で手当てを受ける被爆者が登場するが、それは観客に主人公の恋人が無事である事を見せるためだけだ。
これでは全く「恐怖」が伝わってこないし、何万人という人間が死んだという実感がない。
だから物語にも緊迫感が欠如したまま進む事になる。
その後アメリカのF16がロシアに攻撃を仕掛けるが、それも白黒の衛星からの映像しか見せない。
全然リアルじゃない。そして実感できない。
そもそもこの映画のカットに上空からの街の映像が多い。
にもかかわらず、そうした街の爆発が全くない。
ボルチモアの街の大きさを爆発前に示しておきながら、爆発後は安い映像で済ましている。
このためこの映画の根本が揺るいでいる。
つまり「国民の命を救うための政治か」という疑いが出てくる。
これだけ国民無視で展開し描写される映画で、世界平和的なことは訴えられない。
そもそも人間の命が軽く扱われる映画は嫌いだ。
「アルマゲドン」も殆んど意味もなく都市に隕石が落ちた。
「ディープ・インパクト」のように大量に死んだとしても、そこに意味を持たせなければ不愉快なだけだ。
そういう意味でこの映画は好きになれない。
国の会議室だけで起こった戦争を描いた作品のようにみえる。
ものすごいスケールがちっこく、そして軽い。
これだけSFXが進歩していてこの映像では納得できない。
(2002/08/23執筆)
監督:フィル・アルデン・ロビンソン
人気のトム・クランシー原作の映画化。
1973年、アメリカの原子爆弾を載せた一機の飛行機が爆撃を受け、墜落した。
その原子爆弾は誰にも知られる事なく砂に埋もれた。
29年後アメリカは、チェチェンに軍事侵攻するロシアに対して、強固な態度を保っていた。
しかしCIAの捜査官であるジャック・ライアン(ベン・アフレック)は、そうした一連の進行が前ロシア大統領の急死した後を継いだネメロフ大統領の直接の指示によるものではないことを予感する。
ロシアに向かったライアンは、核兵器工場にいるはずの、三人の科学者がいないことを知り、調査を開始した。
▼以下はネタバレあり▼
トム・クランシー自らが、総指揮を執っただけあり巧みな政治戦略が主な展開の舞台になっている。
CMにあるような爆発シーンを期待して観に行くと肩透かしを食らってしまうだろう。
しかし人気作家なだけあり、国家間のやりとりは、説得力のあるリアルな映画である。
国際問題、原子爆弾に関わるような映画は少なくないが、これほど敵がわかりにくい映画も珍しいだろう。
結論的にはネオナチなどを組織する裏の団体が、ロシアとアメリカを互いに攻撃させようとしたために、起こった「事件」なのだが、お互いに持て余すミサイルの多さゆえに恐怖が生まれ、それが核戦争への引き金になっていく。
現代の国際情勢にのっとったリアルさを感じた。
しかしこの事が逆に裏目に出ている。
国家間の戦争をメインに置いたために、実際に息づく国民が蔑ろに描かれているのだ。
主に展開する舞台はあくまで大統領室だ。もしくはエア・フォース・ワンだ。
ロシアとアメリカの激しいやりとりも会議室の中で行われ、ほとんど国民という存在が無視され続ける。
それが一番顕著に表れるのが原子爆弾が爆発するシーンだ。
誰もが期待する爆発シーンが、
「大統領が乗る車が横転する」
「主人公が乗るヘリが落ちる」
「主人公の恋人が勤める病院のガラスが割れる」
この三つしかない(僕の記憶では)。
次のシーンは、もうきのこ雲ができている。
これでは本当に爆発したのかどうかさえ疑わしい。
街の様子はどうなったのか?
殆んどの観客はそれまで複雑で鬱積した前置きを、吹き飛ばすべく期待しているのに、全然爽快(映画内では、という意味。
勿論、現実に爆発して欲しいという願望ではない)じゃない。
期待のカタルシスは見事に裏切られる。
しかもその後の国民がどうなったのかも全然わからない。
大統領が救い出されるシーンが先行し、その報復について議論が交わされる。
病院で手当てを受ける被爆者が登場するが、それは観客に主人公の恋人が無事である事を見せるためだけだ。
これでは全く「恐怖」が伝わってこないし、何万人という人間が死んだという実感がない。
だから物語にも緊迫感が欠如したまま進む事になる。
その後アメリカのF16がロシアに攻撃を仕掛けるが、それも白黒の衛星からの映像しか見せない。
全然リアルじゃない。そして実感できない。
そもそもこの映画のカットに上空からの街の映像が多い。
にもかかわらず、そうした街の爆発が全くない。
ボルチモアの街の大きさを爆発前に示しておきながら、爆発後は安い映像で済ましている。
このためこの映画の根本が揺るいでいる。
つまり「国民の命を救うための政治か」という疑いが出てくる。
これだけ国民無視で展開し描写される映画で、世界平和的なことは訴えられない。
そもそも人間の命が軽く扱われる映画は嫌いだ。
「アルマゲドン」も殆んど意味もなく都市に隕石が落ちた。
「ディープ・インパクト」のように大量に死んだとしても、そこに意味を持たせなければ不愉快なだけだ。
そういう意味でこの映画は好きになれない。
国の会議室だけで起こった戦争を描いた作品のようにみえる。
ものすごいスケールがちっこく、そして軽い。
これだけSFXが進歩していてこの映像では納得できない。
(2002/08/23執筆)
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