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ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

アレックス(V)

2010-07-13 22:56:29 | 映画(あ)
評価点:78点/2003年/フランス

監督:ギャスパー・ノエ

正しい表現構成と、正しい人物描写、そこにある〈真実〉の物語。

レクタム(直腸)という名のゲイバーに乗り込んだマルキュス(ヴァンサン・カッセル)は、テニアという男を必死で探していた。
その奥地へ進むにつれてヒートアップするマルキュスは、ついにテニアを見つける。
連れのピエールは「アレックスのことが心配だ、もう馬鹿なことは辞めよう」と必死に止めようとするが、マルキュスはテニアに殴りかかる。
反撃にあったマルキュスに代わり、ピエールが消化器でテニアの顔をつぶしてしまう。
その数十分前、レクタムというゲイバーを探していた2人は、ついに、その場所を見つける。
怒りに満ちたマルキュスは、ピエールの制止を聞こうとしない…。

最近「エンター・ザ・ボイド」という作品が日本で公開されたが、同じ監督がその前に撮った作品がこれだ。
「とにかくすごい映画。重たいけれど良い映画」と聞いていた僕は、前評判を確認せずにとりあえず借りて観た。
タイトルと、パッケージ(ポスター)は見たことがあった。

この映画については、あまり予備知識は必要ないだろう。
ただ、えげつない映画であることは間違いない。
18歳未満は借りることさえできない。
時計仕掛けのオレンジ」でも主人公の名前に使われていた「アレックス」。
確かに「時計仕掛けのオレンジ」を彷彿とさせるシーンもある。
序盤につらいシーンが多いが、とにかく全てを見てからこの映画についての評価を下すべきだろう。
映画祭でも途中退出した人がたくさんいたという。
どういう映画なのかは、やはり自分で確かめるしかない。

誰でも薦められる映画ではないが、肯定するか全否定するかは別にして、見る価値はあるだろう。

▼以下はネタバレあり▼

批評という形は文章という形式を当てはめざるを得ない。
この映画はそういった形式に当てはめることがいかに無意味かを教えてくれる、そんな映画だ。
僕は下に批評という形で〈解体〉を進めるが、大切なのは自分の感性で味わうことだ。

僕にとって、リバースムービーは「メメント」以来だろうか。
この映画も数十分のシークエンスを、戻りながら進めていく。
そんな構成をもっているのに、印象的に語られるのは「時はすべてを破壊する」というテーゼだ。
端的に言うなら、なぜ壊れたか、どのように壊れたか、ということを探っていく物語となっている。
後にも触れるが、おそらくこの構成でなければ、この映画は映画であったかどうかさえ疑わしい作品だ。
だが、それをリバースさせただけで、これだけ深い作品になった。
表現とは不思議なものだ。

結果がまず示されると言うことは、観客はそれに至る経緯であり、原因を追うことになる。
なぜテニアをそれほどまでに執拗に追うのか。
アレックス(モニカ・ベルッチ)という名前が出てくるかその人は何者なのか。
2人の男、マルキュスとピエールはどういう関係なのか。

次第に明かされていくのは、アレックスという人が何らかの被害者であり、2人はその知人であるということ。
警察では解決しきれない問題なので、テニアを追っているが、2人とその男は面識がなかったこと。
テニアがアレックスに何かをして、その復讐であること。
アレックスはマルキュスの恋人であり、暴行を受けて昏睡状態になったこと。
通り魔によって、レイプされてしまったこと。
次々と明かされていく事実には、目を背けたくなるシーンが連続する。
冒頭の復讐のシークエンスは、人が何処まで残酷になれるのかということを嫌と言うほど思い知らされる。

その原因となったレイプのシーンも、途中退席者が出たという話はあながち嘘ではないことを感じさせる。

マルキュスとアレックスは幸せの絶頂にあった。
ようやく2人は巡り会い、アレックスには妊娠を示す簡易検査の結果も出ていた。
ピエールとは元恋人で、微妙な立場であっても、3人は善き友人同士だった。
ラストの描写は幸せの絶頂にあるアレックスの姿だ。
そして、その仕合わせの絶頂は、その日の夜に壊されてしまう。
もうすでに失われた幸せである。

あまりにもまぶしいその様子は、二人の関係だけではなく、子どもも、家族も、友人も、未来も全てを同時に失ったという重さを示している。
そしてもう一度悲しみで覆い尽くすかのように、「時は全てを破壊する」というメッセージが表れる。

この映画には特別な物語はほとんどない。
先にも述べたように、これが逆回し映画でなければ、単なる残酷映像で、物語性は皆無だっただろう。
だが、逆回しにしたことで、一気に映画となったのだ。

マルキュスは復讐しなければ良かったのだろうか。
それともピエールはやはり彼を必死で止めるべきだったのだろうか。
あるいは、マルキュスは彼女と喧嘩してしまったことを後に悔やむのだろうか。
関節を逆に折られた彼の腕はおそらく治るまい。
ピエールは殺人罪で刑務所に入れられるだろう。
マルキュスも同罪かもしれない。
罪を償うはずのテニアは死んでしまっている。
アレックスは、良くて流産、悪ければそのまま死んでしまうかもしれない。
三人の関係は一気に崩れ、二度と再生できない状況に陥るだろう。

マルキュスは幸せをかみしめるために、滅多にしない薬に手を出した。
気分が良かったのは、アレックスとの関係がうまくいっていたからだ。
アレックスは友人に妊娠したことを伝えようとしていた。
マルキュスはそれをこの事件の後に知ることになるのだろう。
薬をしなけば、アレックスは1人家に帰ろうとはしなかったはずだ。
ピエールは無理にでもアレックスをひきとめるべきだったのかもしれない。

「たられば」をいえばきりはない。
悪意は完全にテニアにある。
彼が気まぐれであれ、レイプという犯罪を犯さなければ、これほど残酷な結末を向かえなかった。
だが、出会ってしまったし、事件は起こってしまった。
そこに善悪などは存在しない。
ただ、行為だけがあるだけだ。
そして、その行為によってすべては逆回しできない事態に至るのだ。

人はそれを運命と呼ぶのだろうか。
そんな言葉は役に立たない。

確かに、アレックスにはアガペーはなかった。
隣人を愛するような視野の広さも、不幸を分かち合うような献身的な態度もなかったのかもしれない。
その意味では倫理的に、道徳的に、宗教的に、「罪」を背負っていたのかも知れない。

だが、そんな言葉は役に立たない。
描き出される失ったものの大きさは、どんな言葉でも言い尽くすことはできない。
あり得たかも知れないその未来の大きさと、どす黒い悪意と偶然性。
そこに人の意志は存在せず、ただどうしようもない行為と時間だけがある。

どんな常識やきれい事もここでは無力だ。
そしてそれは〈真実〉である。

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