外国で一時的個人的無目的に暮らすということは

猫と酒とアルジャジーラな日々

エジプト・カイロ滞在記・2010年3月末~2010年9月末(1)

2019-05-31 16:41:27 | エジプト

 

しばらく前、過去に撮った写真を整理していて、エジプト滞在中に撮った写真をまとめてブログにアップしていないことに気が付いた。何らかの記事は書いたかもしれないが(もう記憶の彼方)、そもそも「エジプト」というカテゴリーを作っていなかった。

 

そういうわけで、2010年3月末から半年の間滞在したカイロで撮った写真に説明を添えて、何回かに分けて載せようと思う。といっても、枚数は非常に少ないので、すぐ終わる予定(インシャーアッラー・・・)。なにしろ、生まれて初めてカメラを買ったのが2010年6月上旬、エジプトからイタリアに2週間旅した時だったもんで、それ以前の分はないのだ。私は2003年春以降、イタリア約5年→シリア約1年半→トルコ2か月と、長期滞在・移動を繰り返し、トルコからエジプトに入ったので、エジプト以前の時期に関しては一切写真がないわけだ。トルコやイタリアは、その後に何度か訪れて、写真を撮ることが出来たからまあいいとしよう。しかし、シリアは私が出た後に旅行できない状態になり、紛争のため変わり果ててしまったので、あの時写真を撮っておかなかったのは非常に残念だ。私ったら、おばかさん。

 

カメラを買ったと言っても、安物のデジカメだった上、メカ音痴のため使い方がよくわからなかったので、その後もしばらくは、ろくに撮っていなかった。しかも大半がピンボケだという・・・それでもいいという方は、お付き合いくださいませ。

 

前置き(言い訳)が長くなったが、そういうわけで、お蔵入りしていたエジプトの写真を引っ張り出してきた。今回は2010年6月に撮影した分。時系列順に載せる。

 

カイロで住んだアパートの部屋

 

部屋の内装は白でまとめられており、一見優雅だが、けっこう古くてぼろかった。そして、致命的なことに、最上階なのにエアコンが付いていなかった。3月末に到着した時、カイロは既に初夏で、6月以降本格的な夏に入って猛暑が続くと、眠れない日もあった。マットレス自体が触るとホカホカな状態で、その上で眠るなんて不可能だったのだ。しかも、日本とは比べものにはならないにしても、砂漠気候のはずのカイロには、なぜかそれなりに湿気もあった。但し、耐え難いほどの猛暑はせいぜい2週間ほどしか続かず、後は眠れないほどではなかった。日本の夏の方が長くて蒸し暑くて厳しいと思う。

 

このアパートは外国人向けの家具付きの部屋貸し物件で、3部屋と共有スペースの居間・台所・トイレ等からなり、エジプト人男性と婚約しているフランス人の若い女性が借り切って、自分は住まずに別の3人に又貸ししていた。彼女の婚約者(後に結婚したそうだ)が不動産屋を営んでいたので、彼を経由して借りたのだ。

 

私はカイロに到着した当時、安ホテルに滞在しながら家探しをした。まず中心地のタハリール広場のすぐそばにあるカイロ・アメリカン大学の事務室に行き、外国人向けの物件を紹介していないか質問してみた。学生向けのアパート情報があるはずだと思ったからだ。残念ながら、アパート紹介はやっていないと言われたのだが、事務員のおばさまの1人が、知り合いの男性の住所と電話番号をくれて、「この人に連絡してみて。物件を持ってるかもしれないから」と親切に言ってくれた。その住所は大学のすぐ近所だということだったので、人に道を聞きながら、そこを目指して歩いた。

 

たどり着いてみたら、その男性は留守だったが、建物の前で椅子に座って暇そうにしていた肝っ玉母さん風の女性に、アパートを探しているのだと説明したら、誰かに電話してくれた。しばらくしたら、ガラベイヤ(伝統的な長衣)を着た小柄で日に焼けたヌビア人っぽい男性(40~50代くらい)が現れて、私について来るように言うと、服の裾を風にはためかせながら、背筋を伸ばして颯爽と歩きだし(一瞬惚れそうになった)、先に書いたフランス人女性の婚約者の不動産屋に連れて行ってくれたのだ。3か所ほど回って見せてもらった結果、彼のおススメのこのアパートを借りることにしたのだ。すぐに住むところが決まってラッキーだったが、シリアでもヨルダンでも家探しはこんな感じで、地元の人々が世話を焼いてくれるので、ぜいたくを言わなければ比較的簡単に見つかった。

 

ガラベイヤはこんな服(ネットから拝借した写真) これは男性しか着ないものだが、パジャマ用に買って帰ればよかった。っていうか、これパジャマやん。

الجلابية البلدي.. زي الصعايدة الرسمي

 

住み始めた時の同居人は、フランス人とアメリカ人の若い女の子たちだったが、彼女たちは私よりも早くアパートを出て帰国し、その後にフランス人とアルジェリア系フランス人の男の子の2人組が入ってきた。考古学を学んでいるというアメリカ人の女の子とはそれなりに仲良くなったが、残りの3人とは生活習慣や行動パターンが合わなかったので、あまり交流することはなかった。

 

フランス人の女の子がよく残飯を放置していたせいか、やたらゴキブリが多かったし、電気のコンセントが突然火を噴いて使えなくなったり(使えるコンセントが次第に減っていった)、若者たちがしょっちゅうパーティーをして騒いだりして、あまりいい思い出がないアパートだが、カスル・アイニーというタハリール広場から近い通りにあり、地下鉄のサアド・ザグルール駅にも近く、周辺に市場や24時間スーパー、インターネット屋さんもあって、便利ではあった。家主であるフランス人の彼女も不動産屋のエジプト人の彼氏も、親切でまっとうな人たちだった。

 

窓からの風景 大雑把に建てられた今にも崩れ落ちそうな住宅が無造作に立ち並ぶ、非常に私好みの風景だった。

 

地下鉄のサアド・ザグルール駅

 

サアド・ザグルール駅はエアコンが効いていた記憶がある(駅による)。列車自体は、エアコン付きのものと扇風機のみのものがあった。日本が贈呈した列車は扇風機のみの旧式だった。エアコンをつけてあげてほしかった、私のためにも・・・。一般車両と女性専用車に分かれており、私はいつも女性専用車に乗っていた。女性専用車は、見た目が暑苦しくないし、色とりどりのヒジャーブで頭髪を覆った女性に満ちていて、まるでお花畑みたいなんですもの。女性専用車に乗るたびに、「ああ私、女に生まれてよかった~」と思ったものだ。数は少ないものの、エジプトにはキリスト教のコプト教徒もいるし、私のような外国人も存在するわけなので、ヒジャーブをしていない女性もそれなりにいたが、少数派だった。かつてはイスラム教徒でもヒジャーブをかぶっていない女性がけっこういたが、年々減ってきていると、当時誰かに聞いた。あれから10年近く経つが、今はもっと減っているのかもしれない。

 

こちらは鉄道の中央駅、ラムセス駅

 

電車に乗ることはめったになかったが、一時期この駅の付近から乗り合いバスに乗って語学学校に通学していた関係で、よく通った場所だ。この駅では、テロ防止用の金属探知ゲートを通らなければならないのだが、ビーっと鳴っても警備員に止められることは一切なく、完全にノーチェックだった。今年の2月の終わりに、この駅で大きな火災があり、日本のテレビでもニュースで取り上げられたので、ご存知の方も多いかもしれない。

 

カイロ中心部の建物 イギリス植民地時代の建物が残っていて、風情がある。

 
 
 
 
 
 
これは、ピザハットならぬ「フィーノハット」という名のパン屋さん。
 
 
 
 
エジプトのパンは、「アエーシ」と呼ばれるピタパンが主流だが(ちなみに、今まで食べた中東のパンではアエーシの全粒粉のやつが一番好き)、他にも様々な種類があった。「フィーノ」は小ぶりのバゲット風のパンだ。
 
 
 
エジプト猫。アパートのそばのクロちゃん
 
 
 
 
カイロの路上はゴミだらけで、ゴミを漁っている野良猫さんたちが沢山いた。頭が小さい子が多い気がしたが、エジプト猫の特徴だろうか。可愛いのだが、イスタンブルの猫に比べると、ずっと汚れていてやせっぽちで、撫でさせてくれる子が少なかった。境遇の差が歴然としていて、不憫だ…
 
 
というわけで、カイロ滞在記の第1回目はこれにて終了。こんなに長々と書くつもりはなかったのだが、写真を見ているうちに色々思い出してしまって…(なぜか言い訳)
 
 
 
 
<参考>
 
ラムセス駅での恐ろしい火災に関する記事
 
 
エジプトのパンについての記事
 
 
<おまけ>
 
古代エジプトのネコの女神バステトさん(ウィキより) この服、歩きにくそう。
 
 
 
(終わり)
 
 

 

 

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