今回は一昨年の旅行記の続き。トルコ南東部のワンに到着した翌日からだ。
ワン(Van)はイラン国境に近いトルコの都市
(ネットで見つけた貧血っぽい色の地図)
今回ワンには3泊する予定だった。
ワンを訪れるのはこの時が2回目。私は2010年にトルコ語学習のためブルサに2か月滞在した際、ワンにバスで旅したことがある。その時のルートはたしか、ブルサ→コンヤ→アダナ→ディヤルバクル(+マルディン、ハサンケイフ)→ワン→ドーバヤズット→ワン→イスタンブール→ブルサだった(例によってうろ覚えだが)。
当時、バスがワンの市内に入る前に見かけた、今にも崩れそうな日干し煉瓦の家々が並ぶ貧しい地域が強く印象に残っている。ああいう家屋は翌年10月の地震(トルコ東部地震)で倒壊してしまったのではなかろうか。市内中心部も、西部のブルサや途中で寄ったコンヤなどに比べてインフラが整っておらず、雑多で薄暗い感じだった。あの頃のトルコは西部と東部の経済格差が大きく、西部の都市はヨーロッパ風、東部、特に南東部のクルディスタン地域はアラブ寄りに見えた(つまり私好みなわけだが)。商店に入って店主と会話を交わすと、その場にいた他のお客たちも一緒になって、「クルド人の街は政府に差別されていて、お金がかけられていない。失業率が高くて、生活が大変だ」などと訴えかけられたりした。通りすがりの外国人旅行者にも自分たちの受けている不当な扱いを積極的に訴えてくるあたりがパレスチナ人に似ていると、後に西岸地区を訪れた時に思ったものだ。去年訪れたイランもわりとそうだった。
そういえば、当時ワンで泊ったホテルの階段で、長い銃を持った男とすれ違って心底ビビった記憶がある(ビビりっこなんで)。慌ててフロントに降りて、「さっき階段で銃を持った人を見たんだけど!!ここヤバいホテル??」と率直に聞いたところ、フロントにいた人たちは顔を見合わせ、曖昧な微笑を浮かべて、「ああ、イラン国境に近いからね。大丈夫だよ、危険はないよ~」と言っただけで、軽くいなされて終わった。実際、特に危険はなかった。そのホテルは国境を越えて密輸する商人などの定宿になっているのかもしれないと思ったが、本当のところはわからない。
それから十年余り経って、ワンの街はどうなっているのか。それを確かめるのが今回の訪問の主な目的だった。それと、日本でも有名な「ワン猫」を見ることだ。2010年に訪れた時は、ワン猫の保護・研究施設である「ワン猫の家」は閉まっていて、外側からしか見られなかったので(参考)、今回は余裕をもって滞在し、ちゃんと中に入って見学することにした。
なお、ワンはクルド人の住民が主体だが、第一次世界大戦の頃まではアルメニア人も住んでいたという。ワンはアルメニア人の反乱やその後の集団避難、虐殺など歴史的な事件の舞台になったので(参考1)(参考2 歴史の項目の末尾)、記念碑などがあれば訪れたいとは思ったのだが(ハルプットのリベンジで)、バスの便がなさそうなのであっさり諦め、普通に観光するだけにした。
私はあまり一日に何か所も回れないので(体力も気力もない)、2日目は「ワン猫の家」を訪れ、3日目にアクダマル島を観光するだけにした。4日目はイスタンブールに移動だ。
前置きがやたら長くなったが(いつものことよね)、そういうわけで、この日はワン猫を見に行って、その帰りにワン湖に寄ったのだった。
では、まずこの日の朝食から。トルコのホテルなので、朝食は当然ビュッフェだ(ビュッフェじゃないとこってあるんかな)。ワンは朝食が有名らしいが、そのせいか、安ホテルなのにこれまでのところとは違って、内容が充実していた。
ワン名物のハーブ入りチーズなど、チーズの種類が多い。
蜂蜜やゴマペースト、ペクメズなど
私にしては、たくさん取った。ちなみに私はゆで卵が大好きだ。
たくさん食べたら体に悪いかもしれないから、1個しか食べないけど~
女性のヒジャーブのかぶり方や、顔立ち、話し声から察するに、他のお客は、ほぼイラン人観光客だと思われた。
朝食後、手持ちのトルコリラが少なくなっていたので両替しに行ったが、日本円を替えてくれる両替所が見つからず、結局ATMで引き出して、戻って来て残りの2泊分の宿代を払った。その際、ツインの部屋に移動してほしいと言われたので、荷物をまとめてお引越し。今度の部屋はツインだ。前日はトリプルの部屋しか空いてなくて、そこになったが、翌日以降別の部屋に代わってもらうかもしれないと言われていたのだ。シングルはそもそも存在しないと思われた。
ベッドが広いと、色々物が置けて便利
休憩してから11時頃に出かけて、ドルムシュ(乗り合いミニバス)乗り場に行き、「Kampüs」行きのドルムシュに乗る。市バスもあるらしい。「ワン猫の家」(Van Kedisi Evi)は、市内中心部から約13㎞離れた「Yüzüncü Yıl Üniversitesi」(ユズンジュユル大学=「100周年大学」)のキャンパス(kampüs)内にあるのだ。
使い古したモップみたいな犬さんがホテルのそばの鶏肉屋でエサをもらっていた。
ワン猫ではないワンの猫さん、なぜイカ耳
ワンは「ワン猫の街」ではあるが、路上で見かけるのは、犬の方が多い。そもそもワン猫は保護対象なので、その辺を歩いていたりしないし。
市内中心部で目立っているワン魚串刺しモニュメントのあるロータリー
通りかかった公園にいた香水売りのおじいさん(1つ買った)
Kampüs行きのドルムシュ乗り場
Kampüsは終点で、約30分ほどだった。最後まで乗っていたのは私だけで、フレンドリーな若い運転手さんにどこに行くのか聞かれ、ワン猫を見に行くと答えたら、「ワンは歴史の古い街で、見どころが多いよ!ワン城やアクダマル島にも是非行ってね!」とおススメされた。なんでも、ワンはウラルトゥ王国ゆかりの地で、楔形文字(ウラルトゥ文字)の碑文なども残っているということだった。ウラルトゥって、大学で習ったような気がするけど、遠い昔のことだからよく思い出せない。
ユズンジュユル大学のキャンパス内の終点でドルムシュを降り、運転手さんに教えられた方向に歩き出す。この大学は町一個分くらいあるのでは、と思うほど広大で、その中に大きなスーパーも、立派なモスクも、博物館などもあった。
構内のモスク
「KEDİEVİ」(猫の家)というシンプルな標識を発見
すずめさん「今日は暑いチュン」
暑かったが、あたりの風景は、どことなく秋の気配を漂わせていた。
道に迷って、人に聞いたりしながら、やっとたどり着いた。
手作り感満載の三白眼のワン猫様の看板がお出迎え
入場料は当時で3.5リラ。市内中心部からのドルムシュ代(5リラ)より安かった。今はもっと上がっているだろうが。
中に入ったら、中央にフェンスで囲まれた広めの空間があって、そこに十数匹ワン猫がいた。ワン猫は毛の色が真っ白で、左右の目の色が違うオッドアイであることで有名だが、両目が同じ色の子もいる。泳ぐ猫としても有名で、ここにもプールが設置してあったが、この時は泳いでいる猫はいなかった。フェンスの周囲には通路がめぐらされ、ぐるりと回って見学できるようになっていた。その外側には、いくつか小部屋があって、子育て中の母猫と子猫用の部屋や分娩室などに分かれていた。建物の外の庭の一部も、猫が出入りできるようになっていたはずだが、この時は見学できなかった。後でネットで検索したら、有料でエサをあげることができると書いてあったが、私が行った時は、そういうサービスの案内はなかった。
フェンスで囲まれたメインスペース
ワン猫、ほんとに泳ぐんだろうか…
やっと入れたワン猫の家だが、フェンスで囲まれた動物園の檻のような空間に、いくつかキャットタワーとクッションが置いてあるだけで、猫が身を隠せるこじんまりとした箱的なものや、くつろげるソファーなどの家具がないのが気になった。夜は別の部屋に移動させるんだろうか。あと、ワン猫は普通の猫以上に愛情を必要とするらしいが、ここには誰か愛情をもって彼らの世話をしている人がいるんだろうか。一緒に遊んであげたり、ブラシをかけたり、話しかけたり、体調を細かく気にかけてくれる人が。
寝ている猫も多かった
ワン猫たち、かわいいんだが毛並みが荒れて、なんだか不憫な感じ
明らかに眼のあたりに何か病気を持っていそうな子もいた。野良の子猫によく見かけるタイプ
この子はひっきりなしに鳴いていた。
隔離部屋の猫たちは、私を見るとみゃあみゃあ鳴きながら駆け寄ってきて、ドアをカリカリ引っ搔いた。
世話係の男性は、水用の容器を運ぶ時、重ねて地べたに置いて、足で蹴って移動させていた。床にはドライフードがこぼれていたりして、不潔というわけではないが、少し乱雑な印象だった。トルコ人の母娘が見学していたので、「ここ、掃除が行き届いてないと思いません?元気じゃなさそうな猫もいるし~」と話しかけてみたら、彼女たちもうなずきながら、「そうね、ちょっと臭いわね」と言っていた。
猫がこんなにいたら、多少雑になるのはしょうがないだろうとは思いつつも、見ているうちに、どんどん疑心暗鬼になり、この子たちを解放してあげたい!という欲求が高まってきたが、そう言う訳にもいかないので、早めに外に出た。私の考え過ぎで、ちゃんと愛情をもって世話をされているのならいいのだが…
ワン猫の家を出てから、適当に歩き回ってバス乗り場を探し、市内中心部行きのバスに乗った。
運転手さんに聞いたら、ワン湖の岸辺に寄るというので、そこで降ろしてもらうことにする。運賃を払おうとしたら、いらないよと言われた。トルコでは、時々そういうことがある。バスやドルムシュにタダで乗せてくれたり、なぜか運賃を負けてくれたり。外国人観光客に優しい。
湖畔の小さな公園のところで下車した。「7月15日殉教者公園」という名前の公園だ。
2016年7月15日の軍事クーデター未遂事件に由来する名前だ。同じ名前の公園や広場などがトルコ全国に出来ていると思われる。
ここにはカフェが一軒あって、多少の遊具もあったが、後はいくつかベンチや東屋が並んでいるくらいだった。前回ワンに来た時は、同じワン湖畔でも、もっと大きなレストハウスや食堂のある賑やかなところにいって、屋台で焼かれていたワン魚(İnci kefaliインジケファリとも呼ばれるコイ科の魚)のサンドイッチを買って食べたのだが、ここには屋台はなかった。ワン魚、炭火焼で美味しかったから、もう一度食べたかったな~
綿菓子売りの子供が巡回する。
屋根付きのベンチに座って湖を眺めた。ビールを持って来ればよかったと思ったが、家族連れが多いので、酒を飲める雰囲気ではなかった気もする。
トルコで3番目に高い山、標高4,058メートルのスュパン山(Süphan Dağı)
湖の岸辺は、岩がごろごろしていて、水も濁っていた。そのせいか、泳いでいる人はいなかったが、ピクニックをしている家族連れは何組かいた。
カモメさん達も食事中
ハトさんは巡回中
犬さんは死んだふり中
しばらくぼんやり湖を眺めてから、またバスに乗って中心部に戻り、スーパーBIM(庶民の味方)と酒屋に寄って、買い物してからホテルに帰り、ビールを飲んで果物(サクランボと杏)を食べてから昼寝した。
夕方にまた出かけて、街を少し歩き回る。
ジャズカフェがある
バーガーキングも
大きなショッピングモールもあった
メイソウも入っている
モールの中に酒が買えるスーパー・ミグロスが入っていたので(BIMやA-101などに酒はない)、酒コーナーを見学。必要な分はもう買ってあるので、見るだけ。
私がよく買う最低価格帯のワイン
日本でもお馴染みのチリワインはやや高級
この日に歩き回った印象では、ワンの市内中心部に限って言えば、西部の諸都市とそれほど変わらず、それなりにインフラに投資されているように思われた。大通りに綺麗な店が並び、大きなショッピングモールもあり、カフェやチェーン店もあって、賑わっている。イラン人観光客が増えたおかげもあるのかもしれない。お店の人達も、外国人観光客が珍しくないので、特に話しかけてきたりしない。10数年前とは違う。郊外や田舎の方には行っていないので、どうなっているのかわからないが。
安食堂が集まっている小路を見つけたので、夕食はそのうちの一軒でとることにした。大型モールが出来ても、昔ながらの食堂街や商店街も残っているのだ。
小さい食堂だが、店の外にテーブル席がいくつかあって、若者で賑わっていた。
外のテーブルでは猫さんが食事中
クルファスリイェ(Kuru Fasulye 白いんげんのトマト風味煮)と、チキンピラフ(Tavuklu Pilav)を頼んだ。チーキョフテはサービス
ファンタでご飯を食べると、落ちぶれた気分になれるのでおススメ✨(トルコの安食堂には酒がないので、後でホテルで飲む)
クルファスリイェは特に好きじゃないのだが(豆の煮込み料理は腹がふくれやすくて酒が美味しくなくなるから)、トルコのソウルフード的な料理なので、なんとなく食べなきゃいけないような気がして、時々注文してしまい、毎回「あ、失敗した…」と思う。それなのに、何年かしたら、ついまた頼んでしまう。そういう呪いがかかっているのか。
宿に帰ってシャワーを浴び、酒を飲みながら日記をつけていたら、停電があった。前日もあったので、この当時ワンは停電が多かったのかもしれない(今どうなのかはわからない)。停電はすぐ終わったが、Wi-Fiは切れたままだった。フロントに言いに行くのも面倒だし、翌日はアクダマル島に出かける予定だったので、早めに寝ることにした。
今、この記事の内容を見直していて思ったけど、私はどうしてこんなにいつも酒の事ばかり考えているのか。もしや、アル中なのかしら(違うんかい)…
(おまけの室内園芸写真)
うちの立ち枯れ寸前のミニトマト型観葉植物さんがなんと、ここに至っていくつかつぼみをつけきた。ずっと前に1つだけ花が咲いたが、凍り付いたように変化せず、実を付ける気配が一切ない状態での新たなつぼみの登場だ。
なんという健気さ…
花を咲かせるのを手助けするべく、ダイソーで植物活力剤なるものを買ってきてドーピング
効果なさそうだけど…
(続く)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます