外国で一時的個人的無目的に暮らすということは

猫と酒とアルジャジーラな日々

パレスチナぼんやり回想(7)~イスラエル領内への旅・後編~

2024-05-17 19:09:38 | パレスチナ

 

 

今日はお天気が良くて、風が爽やかだけど肌寒いというほどでもなく、昼寝していて幸せな気分になった。穏やかで完璧な幸福感。起きたら、一瞬で過ぎて行ってしまったが。幸せって、そんなものよね…ふっ(目を覚ませ)

 

最近なるべく午前中に起きるようにしているのだが(活動時間を増やすため)、2時間くらいしたら眠くなるので、午後はお昼寝タイムになるのだ(結局活動時間短い)。昼寝するために朝起きているのかもしれない、という気さえする。夕方まで寝ていると、当然昼寝は出来ないのでね。昼寝は朝起きる人(そして暇な人)の特権ですね。気候のいい今のうちに、せっせと昼寝しなければ…(出かけるという発想はない)

 

さて。

 

前置き(?)はこれくらいにして、今回はイスラエル領内への小旅行の話の続き(前回のお話)。ハイファ観光を終えて、ナザレに移動するところからだ。

 

 

テルアビブ、ハイファ、ナザレ、西岸地区の位置関係はこんな感じ

 

 

ハイファからナザレには、バスで行った(ような気がする)。所要時間は2時間くらい(たぶん)。旧市街で修道院が経営しているゲストハウスに宿を借りた。受胎告知教会のすぐそばだったと思うので、ここかもしれない。違うかもしれないが…

 

広い部屋にいくつかベットが置いてあるドミトリーには、誰もいなかった。とりあえず真ん中の辺のベットに荷物を置いて、受胎告知教会を見学に行くことにした。

 

ナザレはアラビア語で「الناصرة」(アンナーセラ)と呼ばれ、イスラエル領内(グリーンラインのイスラエル側)の街だが、住民の大半がアラブ人だ(ウィキのアラビア語版には「全員アラブ人」とまで書いてある)。ムスリムの方が多いが、キリスト教徒も比較的多いことで知られている。ここはイエスが少年時代を過ごした地であることから、キリスト教において非常に重要な聖地とみなされ、世界各地から巡礼客が訪れる。(なお、イスラムでもイエスは預言者の一人とされ、「عِيسَى」イーサーと呼ばれる)

 

そんなナザレの見どころと言えば、「受胎告知教会」だ。(他に見どころあるんかな)

 

ウィキペディアの説明:

「受胎告知教会は、イスラエル北部・ガリラヤ地方の町ナザレの、カトリック教会の伝承で受胎告知が行われたとされる、マリアの少女時代の家があったと伝わる場所に建てられている」

 

例によって、ちゃんと写真を撮らなかったので、ウィキペディアから拝借した受胎告知教会の写真をご覧くださいませ。

 

 

 

 

やっぱり他人が撮った写真は美しいねえ…

 

なんしか、広かった気がする。(そんな感想しかないんかい)

 

私が撮った写真はこちら。

日本から送られた聖母子像(長谷川路可の「華の聖母子像)

 

 

こちらは韓国の聖母子像

 

各国から送られた聖母子像は、それぞれのお国柄が出ていて興味深かった。

 

教会見学を終えたら、辺りを適当に散歩し、見つけたスーパーで夕食の買い出しをした(食費節約)。ナザレはアラブ人の街とはいえ、イスラエル領だけあって、西岸などよりもずっと街が整備されていて綺麗で、スーパーもいくつもあった。ここもハイファと同様に、平穏な空気が流れていたが、ちょっと不穏なものも見かけた。

 

受胎告知教会のすぐそばにあった看板

「イスラム以外の宗教を望むものは、神に決して受け入れられず、来世に敗北者となるだろう」(コーランの一節)

 

これ、ナザレのアラブ人のキリスト教徒や世界中から巡礼に来るキリスト教徒に喧嘩売ってるやん…こういうのは止めていただきたい。コワいから…

 

 

散歩の後は宿に戻り、適当に食事して早めに寝た。寝る時は相変わらず広いドミトリー(女性用)に私一人だったが、夜中に誰か入ってきた。その人は、しばらく荷物を取り出したりして、ごそごそしていたが、やがて静かになった。

 

翌朝目を覚まして起き上がったら、少し離れたベットから、誰か近づいてきた。夕べ入ってきた人だ。彼女はなんとなく南米っぽい外観の小柄な女性で、穏やかな表情で私に微笑みかけて、「あなたにとって、今日が良い一日になりますように」というようなことをスペイン語で言ってから、スーツケースを引いて出て行った。巡礼に来たキリスト教徒だろう。彼女の微笑みは、なんとなく私の中に余韻を残した。特にいい一日にはならなかったが。

 

少し旧市街の商店街などを見てから、エルサレムに帰るため、西岸地区に向かうバスを探したが、そんなものはなかった。

 

私はナザレから西岸地区の北端の街ジェニンに南下する直行便のバスがあると思い込んでいたのだが、よく考えたらそんなものがある訳なかった。西岸地区は分離壁に囲まれているので、検問所を越える必要があるし、一般のイスラエル人は西岸の都市には入れないのだ。ジェニン難民キャンプは、2002年にイスラエル軍が突入して激しい軍事作戦を行い、キャンプを瓦礫に変えて多くのパレスチナ人を殺害したことで知られている。最近でも、イスラエル軍はジェニンを始めとする西岸地区各地の難民キャンプをしばしば攻撃しており、それによるパレスチナ人の死者が増えている。

 

とりあえず、ジェニンに最も近いアフラという街まで行くバスを見つけて乗った。すぐ着いたので、バス停の近くにある商店で水を買い、店の人達にジェニンの方に向かうバスがあるかどうか聞いた。そんなものはないと言う。歩ける距離かと聞くと、無理とのことだった。

 

12月なのに、良く晴れて気温が高い日だった。体力のない私が、無理やり長距離歩くと行き倒れるかもしれない。でも、イスラエルでタクシーに乗るようなお金はないし、そもそもタクシーなど走っていない。

 

しばらく考えた結果、ヒッチハイクしてみることにした。私は慎重というか臆病というか、なるべくリスクを排除して旅をするタイプなので(ホントなのか)、今までヒッチハイクはしたことがなかった。しかし、他に手段はなさそうだから、試してみるしかないだろう。中年になって、人生で初めてのヒッチハイクとやる羽目になるとは。長生きはするもんじゃな…

 

お店の人に教えてもらったジェニンの方角を目指して歩きつつ、車が来たら手を上げて合図した。不審がられるのか、何台も素通りして行ったが(そりゃそうだよな)、やがて1台止まってくれた。

 

運転手はフレンドリーな(チャラいとも言う)若いイスラエル人男性だった。ジェニンの近くまで行くというので乗せてもらったが、会話しているうちに、「ジェニンになんか、なんで行くんだ。それは止めにして、どこかに遊びに行かないか」などと言い出したので、丁重にお断りして降ろしてもらった。やっぱりヒッチハイクは面倒だよな…

 

その次に乗ったのは、アラブ人の車だったが(どんな人だったか失念)、西岸地区には行かないということで、検問所の手前で降ろされた。ジェニンの検問所は徒歩では通れなかったので、もう一回ヒッチハイクして、アラブ人の若者2人の車に乗せてもらって、検問所を通過した。やれやれ…

 

その2人は気の良さそうな人たちで、これからエリコ(ジェリコ)に帰るところだと言って、一緒に来ないかと誘ってくれた。エリコはメジャーな観光地の割には、公共交通機関が発達していなくて行きそびれていたから、一瞬心が動いたが、結局やめておいた。この人たちは問題なさそうだったが、そもそも親しくない人と長時間車に乗ること自体が面倒だったからだ。

 

そんなわけで、ジェニンから乗り合いバスを乗り継いで、ラーマッラー経由で東エルサレムの下宿に帰った時には、すっかりくたびれていた。慣れない旅をすると疲れるねえ・・・

 

 

これにて、イスラエル領内の旅の話は終わり。あとは、西岸地区の諸都市を訪れた時の話と、エルサレムについて書いたら、パレスチナブログは終了する予定だ。がんばろう~

 

 

(おまけのガーデニング写真)

キャンドゥで220円で買ったミニトマト栽培セット

 

出芽するかな~(どきどき)

 

 

(続く)

 

コメント
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