今回はマテーラのサッシ(洞窟住居のある歴史的地区)での観光の話の続き。(前回の話)
遠くから見えた教会に向かって歩いて行ったところで話が終わっていた。画面左の教会だ。
正面にたどり着いてみたら、こんな感じだった。
案外普通だと思ったら、ファサードは17世紀に付け足されたものだった。13世紀に建てられた教会だが、17世紀に全面的に改築されたらしい。
「サン・ピエトロ・カヴェオーゾ教会」
内部の写真がフォルダーに見当たらないので、中に入らなかったか、入ったけど撮影禁止だったかのどちらかだと思われる。もう記憶が靄の中・・・
教会付近でお土産物を売っていたフレンドリーなおじいさん
父親の土産に竹笛と鳥笛を一つずつ買ったのだが、試しに値切ってみたら、7ユーロのところをあっさり5ユーロにしてくれた上、葉書もおまけしてくれた。この鳥笛は、素焼きの笛に彩色したもので、「Cuccu'」(クックウ=「カッコウ」)という名前だが、なぜか雄鶏の形をしている。かつては家の中の赤ん坊のゆりかごの上などに吊るして、悪い精霊を遠ざける役割を果たしていたらしい。つまり、お守りなのだ。
おじいさんが写真に撮りなさいと言ってくれたパンフレット。
この鳥笛についての説明がある。彩色する前のはだかの状態でもキュートだなあ。
いいお土産が買えたので、うふうふ笑いながら(不気味)ぶらぶら歩いていたら、洞窟住居があったので、3ユーロの入場料を払って見学することにした。
洞窟住居(Casa Grotta)の表示。なんと日本語表示もある。日本語のパンフレットもあった。
他の見学者はイタリア人の国内旅行者が多かった。音声ガイドが流れていた。
一室の中に大きなベッド、台所スペース、機織り機などが並ぶ。かつてここに一家と家畜が暮らしていたのだ。
テーブルに鎮座しているのは、マテーラ名物の岩みたいなパン。
この洗い桶に入っている洗濯板、懐かしい。(かつて実家にあった)
そういえば、昔は「洗濯板のような胸」という表現があったなあ。私もそうだったが。
ベッドの下にあるこの容器は・・・
洞窟住居の隣りには、氷室(Neviera)があった。
日本の氷室のイメージとだいぶ違う。
日本の氷室のイメージはこれ。(ウィキペディアから拝借した写真、天理市福住町の復元された氷室)
外に出て、上の方に登ってから辺りを見渡した。
正面に見えるドア付きの岩の塊みたいなのが、洞窟教会「マドンナ(サンタマリア)・デ・イドリス教会」
入場料3.5ユーロを払って入ったが、中には特に何もなく、説明もない上に撮影も禁止だった。
1ユーロくらいでいいかな・・・
沢山歩いて疲れてきたので、ぼちぼち戻ることにして、サッシの出口に向かって歩いた。
道すがら、また微妙な雨樋の家を発見
入り口に募金用の入れ物が置かれている家も見かけた。
「私たちには助けが必要です。年金では足りません。私たちは病気です。夫は目が見えないし、私もありとあらゆる不具合を抱えています。(募金)ありがとうございます!」
つまり、現代のサッシにも貧困は存在するということだな・・・
サッシ観光の振り出し地点に戻ってきた。
ここで、サッシ観光の最後の目玉ともいうべき、ラブリーな教会に遭遇した。「プルガトリオ(=煉獄)教会」(Chiesa del Purgatorio)だ。
近寄ってみると、ガイコツちゃんたちがいっぱい!
ラブリーじゃないですか??
この教会の向かいにバールがあったので、外のテーブルに座ってビールを飲みながら、しばらく骸骨たちを眺めて楽しんだ。今思うと、かなり疲れていたのだろう。
ビールを飲み終えたら、ちょうどいい時間になっていたので、宿に戻って荷物を引き取り、バスターミナルに向かった。
途中でパン屋に寄り、ハムとカルチョーフィ(carciofi、アーティチョーク)のピザを買う。
こういうやつ。ちらり
聖アンナ・ホリデーハウスの敷地にあるマリア像。1泊しかしなかったが、いい宿だった。
暑い中を歩き回ってへなへなだったが、なんとか力を振り絞ってスーツケースを転がしつつ、バスターミナルに到着した。
学校帰りの子供がいっぱいいた。
14時のアリアーノ行きのバスにはまだ少し時間があったので、先ほど買ったピザを食べ、ペットボトルに詰めてきたワインの残りを飲みつつ、大きなリュックを背負う子供たちを眺めて過ごした。
ちなみに、私がマテーラを訪れたのは去年の9月半ばだったが、11月には豪雨による洪水が発生し、サッシはエライことになっていた。
(続く)