外国で一時的個人的無目的に暮らすということは

猫と酒とアルジャジーラな日々

サマル先生の思い出~寺子屋編~

2012-01-13 23:07:56 | イタリア



サマルの授業はいつも私に、「寺子屋」という言葉を思い出させた。

江戸時代に普及した、庶民の子どもたちに読み書きそろばんなどを教える民間の教育施設が、「寺子屋」と呼ばれていましたね。この名称の起源は、中世にお寺で行われていた、僧侶たちによる子供たちの教育だそうな。

サマルの授業は、この元祖・寺子屋っぽい雰囲気だ、と私は常々思っていた。ただしお寺はお寺でも、イスラームのモスクである。なにしろサマルは熱心なムスリマ(イスラームの信徒の女性)で、なにかとイスラームの行事や風習について教えてくれたのだから(生徒に改宗を勧めることは一度もなかったが)。

あるとき、一般市民の方が、私たちのアラビア語の授業を見に来られたことがあった。
サマルはまずその女性を私たちに紹介し、それから、「この方は今日、私たちの授業を見学に来られました。こういうとき、アラビア語で何て挨拶するのかな~?」と、大きな目をいたずらっぽく輝かせて、私たちの顔を見回した。私たち生徒がすかさず、「アハラン ワ サハラン(ようこそいらっしゃいました)!」と大きな声で合唱すると、サマルは満面の笑みを浮かべ、「みんな、よくできました~!!」と褒めてくれた。まるで幼稚園か小学校のような情景で、自分たちでもおかしくなり、生徒たちの間で笑いの渦が巻き起こったのを覚えている。

サマルは非常に厳しい教師で、簡単な文法の質問に見当違いな答えをする男生徒がいようもんなら(女生徒には手加減してくれた)、メドゥーサのような恐ろしい顔でキッと睨みつけて石に変えるか、あるいは激しいショックを受けた顔をして、「私はいま、世界がひっくり返って、天が落ちてきたかと思ったわ」と大げさに非難するのが常であった。しかし質問に上手く答えられた時は、最高に優しい先生になり、「よくできました~!ご褒美にアメあげるわね!」と目を細め、大きな黒い革のカバンをごそごそかき回してアメを取り出し、手渡してくれるのだった。アメではなく、チョコレートの時も多かった。私もご褒美にチョコレートをもらったことがある。ホントにここは大学なのか?なんだか、すっごく寺子屋なんだけど・・・と思いながら食べるチョコレートは、とても甘くて美味しいのだった。

その後、シリアに滞在していた時に、私は文字通りの寺子屋も体験した。
それはダマスカス郊外にある、アブンヌールというモスク主催の、外国人向けアラビア語講座だった。男女別クラス編成、女生徒はヒジャーブ着用が義務、サウジアラビア製のバリバリに宗教色の強い教科書使用という、硬派な学校だった。先生はもちろんのこと、生徒も私以外全員ムスリマ。私は初日の自己紹介の時に、自分は無神論者だと宣言して(わざわざ言わなくてもいいものを)、教室にどよめきを引き起こしたが、そんな私に、みんな優しく接してくれた。結局、ヒジャーブをつけるのがイヤなのと、授業内容がかったるいのとで、途中で行かなくなってしまったが、あれはあれで貴重な体験だといえましょう。

このように、本物のモスクでのイスラーム寺子屋も体験したわけだが、私にとっての寺子屋体験の原点(?)は、やはりサマルの授業である。アメとムチを上手に使い分けるマトリョーシカ先生の、愉快なアラブ・イタリア寺子屋。お菓子とカルチャーショックの接待付きよ!
コメント
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