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ハレノヒ

日々の生活の、あわのようないろいろ。

大晦日

2011-12-31 20:45:00 | にちじょう


クリスマスが終わって、そこから大晦日まで。
雪が降って、いかにも年越しが近づいてる感じがして
意味も無く慌しい気持ちになって。



今年は本当にいろいろなことがあって、いろいろなことを考えた
一年でした。
年末になって一年を締めくくろうと、震災以降のことを扱った
特番なんかがテレビで放送されましたが、見るにつけなんて一年
だったんだと切なくなります。
悲しかったことやつらい思いをしたことをわざとらしくドラマチックに
飾ることはないけど、いろいろな人のいろいろな思いは現実にそこにあって、
何も解決しないまま一年が終わる事だってあって。

だったらせめて、明日は、来年は、少しだけでもいいことがありますように。
悲しい気持ちが少しだけでも薄まるような、そういう時間が1分でも増えますように。

みなさま、よいお年を。

12月24日から1月3日までの音楽

2011-12-23 20:35:02 | きょうのいっきょく
メリークリスマス
というと、わたしはこの曲がとても好きです。
(この記事を書きたいがためにUP。ホントにこのためだけで、どこにも
リンク貼らないから再生回数が低い…。)

Mountain Christmas/16TONS


世の中にはいろいろなクリスマスソングがあって、その中のいくつかは
わたしもすごく好きなんだけど、でもどうしても1曲だけとなれば
この曲かもしれない。

1990に発売された16TONSのミニアルバム。
この曲以外もすばらしく、今でも本当のよく聞く曲ばかり。
21年前当時、中学生…田舎で今みたいにインターネットなんてものも
普及してなくて、情報源は雑誌だけ。
つくづく、どこでこういうバンドを知って聞くようになったのか、その
頃の自分に聞いてみたい。(おぼえていないので)

和製POGUESとの呼び声高く、でも、早すぎたのかなぁ…。
今も活動してるのかどうかよくわからないけど、個人的には途中でだいぶ
音が変わってしまったので、そのあたりまでしか興味が無いのかもしれない。

クリスマスって、世の人達は、華やかな街に繰り出して…みたいな物
なんだろうか、本当に。(そういうクリスマスってどこにあるんだろうか…)
わたしはクリスマスというのは家族イベントのイメージが強いし、雪国の
田舎育ちなので、わーわー言ってるハッピーなクリスマスソングというのが
どうにもピンと来ない。
そのかわりに、こういう静かに深く深く雪が降り積もるようなイメージ。
本当に本当に名曲だと思う。
アコーディオンの旋律がすばらしい。


UNICORN 雪が降る町 ユニコーン


そしてクリスマスが終わった12/26から12/31までの1曲。
こちらは1992リリース。
もはや定番でしょう、この時期の。
ラジオなんかでもよくかかるし。
なんか別にたいしたことは歌ってない気もするんだけど、何でこんなに年末感
たっぷりなんだろうか。

わたしはクリスマス前よりも、12/26から12/31までの間が凄く好きなんですよ。
テレビの情報番組の年末特番なんかでアメ横あたりの賑わいを中継してたり、
買い物に出た先でも同じように皆が楽しそうな感じが。


堀込高樹 - 冬来たりなば


そして年が明けて、お正月の1曲。
キリンジの兄、堀込高樹のソロアルバムから。

本当にこの兄弟の描く世界って、こんなにさりげないのにくっきりと状景が
イメージできてしまうのはどうしてなんだろうか。

「無駄遣い 覚えるのは易しい そしてまた楽しい
アーモンド ピスタチオを割って 落花生を放って
日が暮れていくよ」

このくだりが特にお正月っぽい。
お正月には落花生だ。ちゃんと殻つきの。

晴れだとは歌ってるけど、都会の晴れという感じ。
薄ぼんやりした水色とグレーの間くらいの晴れ。
そういうぼんやりした空気感。

この年末年始は、何年ぶりかで世の人並みの年末年始を送れそう。
人間、お正月くらいは休める人生を送りたい。



日々のこと028

2011-12-18 20:30:00 | にちじょう


本格的な冬到来。
自分の中で去年までと季節の進み方が違うので、なんだかいつになっても
冬にならないなぁという感じがしてた。
ここ2~3日雪が降っていて、部屋の外の廊下のサッシも結露が凍る。

いや、去年までは毎日雪山に出かけていかなくてはならなくて、それが
もう本当にいやで。
真冬はもちろん、4月頃に里では春になってるのに山はいつまでも冬な
感じとか、長すぎる冬が苦痛だったのです。
しんしんと降る雪が、こんなにも静かできれいなものだったとは。



冬の寝具、防寒対策。
マイクロファイバーの敷パッドと毛布。
これがもう、熱源が無いのにもかかわらず非常に暖かで、今のところ
電気毛布なんかの類はまだいらないかも。
もっともこもこした羊みたいなのもよく見るけど、あれは結局へたっちゃう
し、汚れ(ごみ?)が絡まる感じがどうにも苦手。
マイクロファイバーはひと冬使ってもへたらない。
スーパーでもホームセンターでも、ここ数年のプライベートブランド商品の
質の向上はすばらしくて、これもそれぞれ798円とかそのくらい。
しかも、安価なものにありがちな変な柄とかファンシーな色使いではなくて
ちょっとくすんだ黄緑とブルーグレー。
これに挟まって寝ると、朝まで暖かい。本当に。



でもそうは言っても、もう少ししたら湯たんぽも必須。
わたしのはお湯を入れるんではなくて、中に入ったジェルを電気で温める
やつ。
本体は幼稚な柄でカバーもよくないので、無印の湯たんぽカバーを購入。
わかりづらいけどブラックウォッチ柄です。紐がロープみたいでかわいい。

それと最近布団を買った。
軽い布団が好きなのです。
今まで使ってたのがもうずいぶん…もちろん干したり洗濯したりはしてるけど。
これも、最近はホームセンターのプライベートブランドとかニトリなんかで
ずいぶん安く売ってるし。いい時代だ。



あと、結構前から気になりつつも買うのを迷ってた「NIMES」のブランドムック。

(こういうブランドムックって、気になってしまう。
「正規の商品を買えないから持ってるって感じがして、貧乏くさい」という
意見もある様子。
うーん、物によってはいいと思うんだけどな。
こういうのはバッグなんかが多いけど、別にメインとして持つわけではないし)

ラバーの湯たんぽ+カバーセットと、使い捨てカイロを入れるポケットつきの
ひざ掛け。(どこでもこたつと書いてあった。)
湯たんぽカバーは三種類あって、でもこのボーダーがどうにもかわいすぎて。
中の湯たんぽも、アイボリーでクラシカルで凄くかわいいヤツ。(水枕にもなる)
凄く小さいんだけど、電気蓄熱式の湯たんぽ以外にも、いざという時の為に
ひとつ持ってたら安心かなとか言い訳しながら購入。

だってかわいいから。
ひざ掛けだって何枚も持ってるし、ほんとに使うのかどうかという部分で
悩んだんだけど、かわいいんだもの、しょうがない。





SPITZとげまる2011@會津風雅堂

2011-12-08 21:07:20 | にちじょう


震災の影響で3月末に予定されていた郡山公演が中止になり、その後
スピッツなりの支援として他の県と合わせて、この会津公演が追加
されたのです。

ですが。
始まって30分ほどでしょうか。
マサムネののどの調子が悪いらしく、公演中止に…。

会津としては10年ぶりの公演だったし、3月からの今までの経緯とか、
今この時期に福島県ということとか、やる方も見る方もそれなりに
思うところはあったはず。
その無念さとか悔しさとかは、相当なものであったでしょう。
(いまやとても大きなバンドだから、中止という決断もきっと大変
なんだろうなぁと思うし。)
でも今日のマサムネの声は、たいした耳を持ち合わせていないわたし
でもはっきりわかるくらいに辛そうだったので、これはもう仕方ない
んだろうなと。
振り替え公演が行われるとのことで、個人的には「お大事に」という
気持ちだけです。残念ではありますが。
(実は3月の郡山のチケットが取れなくて、今回ぎりぎり2階席を
取ることができたので、楽しみにしてたんですよ。10年前の会津公演
にも行った、同行の母と共に。)

こういうことって結構めずらしいことだと思うけど、そういえばわたし
の人生では2回目だ。
昔、今からさかのぼること21年前、中学2年の時に見に行った初めての
ライブであるレピッシュの郡山公演で、同じように中断、中止、振替公演
という経験をしたのです。なつかしい。

スピッツはもう20年以上聞き続けているので、曲によって浮かんでくる
自分の今までの過去がたくさんある。
今日の冒頭部分で「ロビンソン」をやったときも、昔のことを思い出した。
16年前、高校を卒業して上京したての春にこの曲がはやったのです。
テレビの音楽番組に急に出るようになったり、それまでのスピッツの
知名度からは考えられないくらいに一気にメジャーになったよなぁ。
あの頃の、初めて生活する都会の空気のにおいとか、そういうことを
思い出す。

ついでにサポートキーボーディストのクジヒロコさん。
スピッツのサポートとして名前を知った時に、ここで彼女の名前を目に
することになるとは!と驚きました。
dipというバンドのヤマジのソロ作品(これも中学生くらいの頃に聞いてた
ものだけど、今でもものすごく好き)に参加してたのです。
今もたまに一緒にやってるみたいですが、全くジャンルの違う二つのバンド
がなんかこの人でつながったという感じが不思議な感じ。

わたしの中の20年選手は、スピッツ以外にもフィッシュマンズ、ピロウズ、
エレカシなんかがあって、なんかそれぞれにいろいろ思い出す。
気づくと自分の人生の半分以上聞き続けてるわけだけど、たぶんこうなったら
一生聞いていくんだろうと思う。

今日も小学生くらいの子供連れのお母さんもいたし、わたしの母だって62歳。
見た感じもうちょっと上のお客さんもいた。
母は「わたしみたいなおばさんは笑われるかなー」と言ってたけど、最近、
特に9月の「風とロック」のイベント以来強く思うけど、そういう風にお客さん
の層が広いライブって、それでこそだと思う。
まぁ若者たちであふれてるようなものだってそれはそれでいいんだけど、自分の
親世代の人が好んで聞いてくれてるなんて、自分がやってるわけでもないのに
なんとなく嬉しい感じがする。

そういうわけですので、待ってます。
万全の状態で、ぜひまた会津の地を訪れてください。

AIR JAM2011を見て思う

2011-12-03 20:30:00 | にちじょう



なぜ今頃になってAIR JAMの話を書くかというと、スペースシャワーで
今年のイベントの様子が放送されて、それを見たのが今だから。

思い起こせば1998。AIR JAM98。
13年前の豊洲に、当時高校生の弟と一緒に行ったのです。
そんな弟も、今はもう30歳。わたしもまだ20代前半で若かった…。
(ちなみにGARLIC BOYS、RUDE BONES、SCAFULL KINGとか好きでした)

スペシャの特番でインタビューされてた若者は「リアルタイムで
ハイスタを見てないので、絶対見たいと思っていた」というような
ことを言ってた。
出演したバンドの一組は、最後のAIR JAMが開催された11年前頃に結成
されて、もろにそのあたりの影響を受けてきたと言った。
…自分も年取るはずだよな…と、なんか空恐ろしくなってしまった。

この手の話のときにいつも思うけど、たとえば今25歳の人が「10年前は…」
と思っても、10年前の15歳の頃のことって「子供の頃」の範囲だという
気がする。(まだ物心がついたりついてなかったり)
でも、わたしの10年前は25歳で、既に大人だった。(とっくに物心がついてた)
さらに、20年前までさかのぼってやっと中学生。
もちろんこれが80歳になったら60年前でも既に大人なんだけど、ある程度
の年齢以降、その感覚が怖い。
「自分が若い頃はなぁ~」みたいな話をしたいわけじゃなくて、ある種の
恐怖なのです。この感覚は。

今回の話と全然関係ないけど、大好きなフィッシュマンズの歌詞に
「20年前に 見てたような 何もない世界が見えた」というのがあって、
その曲をリアルタイムで聴いてた当時は年齢から20を引けない年だった
から、歌詞そのものは凄く引っかかってたけど意味が理解できなかった。
それがわかるくらいの年齢になってからの感覚。


もともとハイスタの音楽は好きだけど、思想というかまぁ歌詞が苦手
だった。
なんというか結局のところ、そうありたいという理想はあっても
そうなれない自分がいて、うらやましかったんだな。
ハイスタ自身もそうだけど、そのまわりにたくさんいた若い「キッズ」
たちが輝いてる感じが。
わたしはひねくれた人間だから、たとえばライブに行ってもモッシュの輪
に入るのはなんとなくためらったし、好きだけどまぶしくて見てらんない
感じだったんだと思う。
でも当時は自分も若いから、そういうのは認められなかった。
それが30を大幅に越えた今、イベントの様子を見たりしてふと思う。

幸せなんだよな、こういう方が、結局は。

ハイスタの面々はわたしよりもひと世代上。
もう40を越えたというのに、全くぶれてない。

昔から理想だとか自由だとか、あるいは世の中にあるいろいろな問題
だとかに真剣に立ち向かう人達ではあったけど、そういうものも当時の
わたしにはちょっとわからなかった。
そして2000年以降ハイスタが活動休止して、それぞれがそれぞれの活動を
していく中、他の二人の活動は自分の中で好感持てたけど、難波章浩だけは
ちょっと受け付けなかった。
宗教的というか精神世界というか…とにかく「あ、そっち行っちゃうのかぁ…」
というような残念な思いが、個人的にはあった。

でもやっぱり。変わらないのかも、基本的には。

なんでもそうなんだけど、本当だったらごちゃごちゃ言う前にまず一歩
踏み出した方がいいんだよなぁ。
そうした方が生きる上で、たぶん楽しいんだろうと思う。
そして、あの頃に「STAY GOLD」って曲そのままに輝いてた「キッズ」たち
みたいに、そういうことに若いうちに気づけた人は、幸せなんだと思う。
時間がかかりすぎてしまったよ。わたしは。

今回のイベントは、特に東日本大震災を受けての開催で、来年には東北での
開催も約束してくれている。

そういうことを、できる人は凄い。

生きてる以上「もう遅い」なんてことはあんまりないのかもしれない。