なぜ今頃になってAIR JAMの話を書くかというと、スペースシャワーで
今年のイベントの様子が放送されて、それを見たのが今だから。
思い起こせば1998。AIR JAM98。
13年前の豊洲に、当時高校生の弟と一緒に行ったのです。
そんな弟も、今はもう30歳。わたしもまだ20代前半で若かった…。
(ちなみにGARLIC BOYS、RUDE BONES、SCAFULL KINGとか好きでした)
スペシャの特番でインタビューされてた若者は「リアルタイムで
ハイスタを見てないので、絶対見たいと思っていた」というような
ことを言ってた。
出演したバンドの一組は、最後のAIR JAMが開催された11年前頃に結成
されて、もろにそのあたりの影響を受けてきたと言った。
…自分も年取るはずだよな…と、なんか空恐ろしくなってしまった。
この手の話のときにいつも思うけど、たとえば今25歳の人が「10年前は…」
と思っても、10年前の15歳の頃のことって「子供の頃」の範囲だという
気がする。(まだ物心がついたりついてなかったり)
でも、わたしの10年前は25歳で、既に大人だった。(とっくに物心がついてた)
さらに、20年前までさかのぼってやっと中学生。
もちろんこれが80歳になったら60年前でも既に大人なんだけど、ある程度
の年齢以降、その感覚が怖い。
「自分が若い頃はなぁ~」みたいな話をしたいわけじゃなくて、ある種の
恐怖なのです。この感覚は。
今回の話と全然関係ないけど、大好きなフィッシュマンズの歌詞に
「20年前に 見てたような 何もない世界が見えた」というのがあって、
その曲をリアルタイムで聴いてた当時は年齢から20を引けない年だった
から、歌詞そのものは凄く引っかかってたけど意味が理解できなかった。
それがわかるくらいの年齢になってからの感覚。
もともとハイスタの音楽は好きだけど、思想というかまぁ歌詞が苦手
だった。
なんというか結局のところ、そうありたいという理想はあっても
そうなれない自分がいて、うらやましかったんだな。
ハイスタ自身もそうだけど、そのまわりにたくさんいた若い「キッズ」
たちが輝いてる感じが。
わたしはひねくれた人間だから、たとえばライブに行ってもモッシュの輪
に入るのはなんとなくためらったし、好きだけどまぶしくて見てらんない
感じだったんだと思う。
でも当時は自分も若いから、そういうのは認められなかった。
それが30を大幅に越えた今、イベントの様子を見たりしてふと思う。
幸せなんだよな、こういう方が、結局は。
ハイスタの面々はわたしよりもひと世代上。
もう40を越えたというのに、全くぶれてない。
昔から理想だとか自由だとか、あるいは世の中にあるいろいろな問題
だとかに真剣に立ち向かう人達ではあったけど、そういうものも当時の
わたしにはちょっとわからなかった。
そして2000年以降ハイスタが活動休止して、それぞれがそれぞれの活動を
していく中、他の二人の活動は自分の中で好感持てたけど、難波章浩だけは
ちょっと受け付けなかった。
宗教的というか精神世界というか…とにかく「あ、そっち行っちゃうのかぁ…」
というような残念な思いが、個人的にはあった。
でもやっぱり。変わらないのかも、基本的には。
なんでもそうなんだけど、本当だったらごちゃごちゃ言う前にまず一歩
踏み出した方がいいんだよなぁ。
そうした方が生きる上で、たぶん楽しいんだろうと思う。
そして、あの頃に「STAY GOLD」って曲そのままに輝いてた「キッズ」たち
みたいに、そういうことに若いうちに気づけた人は、幸せなんだと思う。
時間がかかりすぎてしまったよ。わたしは。
今回のイベントは、特に東日本大震災を受けての開催で、来年には東北での
開催も約束してくれている。
そういうことを、できる人は凄い。
生きてる以上「もう遅い」なんてことはあんまりないのかもしれない。