工房 明泉(meisen)× 目に見えない世界のこと

陶芸について書くつもりがスピリチュアルなことメインになってます。


それでも生きることを選んで生まれてきた魂のお話

2022-11-25 | 日記

今回のお話の中には、生命の選択” といった内容が含まれます。人によっては不愉快に感じる内容かと思いますが、私にとっての真実(=霊的体験)を語る上で必要な情報でもあります。そのことをご了承の上、お読みいただければと思います。


  

 これは2度目の流産の時のお話です。この時は、4週目で受精卵が成長してないという事実を医者から告げられて、肉体(受精卵)”  との別れが訪れました。しかし、” とのお別れは、その1週間前の3週目の時に訪れました。


 そのお別れは夢の中の、あの世とこの世の狭間で行われました。

 私がこの世から狭間に出向くと、そこにはあの世から天使と天使に付き添われた男の子がいました。

 そして天使が男の子に代わって、私にこう告げました。

 「この子は障害があります。あなたはこの子を産みますか?」

  天使の言う障害というものが、心臓部の病気だということが伝わってきました。男の子がその病気を抱えているということは、元気に成長する姿を見ることができないかもしれない、ということを意味していました。

 狭間では、自分を取り繕うことができません。というものがありのままに出るところです。この空間では、自分の心に嘘をつくことができません。

 天使の投げかけに対する私の答えはNOでした。

 「せっかく生まれてきてくれるのであれば、元気に成長する姿を見たい。」

  これが私の答えでした。

 私が答えると、会話は終わり、私たちはそれぞれの場所へ〜天使と男の子は天へと、私はこの世へ〜と帰っていきました。


 このやり取りから1週間後の検診で、受精卵が成長していないとの診察結果が下り、堕胎の処置を受けることになったのです。


 そして、このお話は9年後の2021年へと続きます。


 2021830日、彼は私の元に現れました。

 

 その日の夜中、私はベッドから起きてトイレに行き、部屋に戻ると、私の枕の上で、赤い光がついたり消えたりしているのが見えました。

 よく見るとその光は人の横顔の形をしていました。目、鼻、ほっぺ、口、顎の辺りの輪郭が見えて、それが赤い光の状態で現れたかと思うと消え、でもまた赤く光っては消えて、を繰り返していました。

 私はとっさに、この“子” をこのまま行かせてはならない、と思い、必死でその横顔を両手で抱き上げようとしました。何度も何度も抱き上げようと試みたのですが、なかなか横顔に触れることが出来きません。それでも、「行かせてはならない!」と必死で、何度も何度も両手で彼の横顔に触れようとしました。

 すると、ふとした瞬間、彼の顔がふっと私の両手に触れて、その勢いで私は彼の身体全体を私の胸元に引き上げました。私は彼をそのまま私の膝の上にのせて、両腕で抱きしめました。


 彼は、幼い男の子でした。身長は側で眠る私の6歳の息子と同じくらいでした。ですが、私にはすぐ分かりました。

 私が今、膝の上で抱きしめているこの子は、9年前、私が産むことを拒んだあの時の男の子だと。

 彼の身体は、未来を描いた映画に出てくるホログラムのように、透き通って、立体的な光の状態で私の膝の上にのっていたのですが、その重みや抱きしめている時の感触などが生々と伝わってきました。

 私の腕の中で横たわりながら、彼は自分の名前は「まもる」だと教えてくれました。

 彼を膝の上にのせて抱きしめながら、別のパラレルワールドの私が彼を産み、育てている、そう思いました。

 彼は、私が産むことを断っても、自分が決めてきた生き方〜病とともに生きる生き方〜を変えずに、別のパラレルワールドで生を受け、生きていた、、、私の中でそう理解した時、彼の身体は私の前からゆっくりと消えていきました。

 

 彼は、自ら計画した通りの人生を歩んでいたのだと思います。私に断られても、別のパラレルワールドでその目的を達成したのだと思います。もしかしたら、天使に連れられて私の元にやってきた時点で私が産み育てることを断ることも、9年後に私の元に現れるということも、彼の計画の中にあったのかも知れません、、、。

   

 彼が成長した姿で現れてくれてから、ずっと疑問に思っていたことがあります。

 

 何故、2021年8月30日に彼は現れたのか?

 

 彼が現れてからずっとどうしてあの時だったのだろうと考えていました。そしてある時ふと、もしかしたら、と心をよぎるものがありました。

 あの日、あの時が、彼が生命を終えようとしていたタイミングだったのではないかと。

 枕の上に映し出されていた横顔は眠っているように微動だにしませんでした。私が抱き上げた息子は、身長に見合わないほど体が細く、体重も軽く、パジャマ姿で、力無く横たわっている状態でした。その手は骨格がわかるほど痩せ細っていました。もしかしたら、彼の魂が地球を旅立つ前に会いにきてくれたのかもしれない、そう連想されるのです、、、。



 ということで、次回は第一子妊娠に至るまでの不思議な体験を書いていきます、、、、、、、、、黒い影が出てきます⁈


 それでは、長文お読みいただきありがとうございました。



 



 


生まれることが目的ではない魂

2022-11-22 | 日記

今回は生まれることが目的でない魂のお話です。

 

 私は2度の早期流産を経験しているのですが、これはI度目の流産を経験した時のお話になります。

 I度目の流産は、4週目の時に着床していた受精卵が剥がれ落ちてきてしまったことによる早期の流産でした。

 卵というかたちでこの世に存在していた子供の肉体” とのお別れは4週目でしたが、私のお腹に宿った子供の” とのお別れは、その1週間前の3週目の時にやってきていたのでした。


 妊娠から3週目に入ったある晩のこと。寝支度をして、ベッドの縁に腰を掛けていたら、目の前に男のビジョンが浮かび上がってきました。

 その男は多分、二十代前半くらい、東ヨーロッパの田舎の方で生まれ育った、という感覚が伝わってきました。

時代は1900年代前半くらいでしょうか。

 男は手に血のついた斧のようなものを握りしめ、ぼーっと立っていました。そして男の周りには血を流した女や子供たち(彼の母親、祖母、そして幼い弟や妹たち、、、)が横たわっていました。

 その情景をみて私が受け取った情報は、男が働き手として幼い頃から愛を受け取ることなく働き続けてきたこと、父親がなんらかの理由で不在であり、男が唯一の男手として家族を支えていたということ、男の中に感情というものが欠けていること、犯行そのものは突発的であった、ということでした。


 それらのビジョンを見た後、犯行を犯してしまった後の彼の” が留まっていた領域が伝わってきました。

 そこは一寸の光も通さない闇の中で、骨の髄まで凍てつくような冷たさのなかでした。そんな闇の中に、疲れ切った、でも相変わらず無感情な表情の男の顔がぼーっと浮かんできたのでした。


 今、私が目の前に見ているのは、私のお腹にいる子の前世だと思いました。そして、今この子に必要なもの、それは愛だと思いました。そこで私はお腹を両手両腕でつつみこみながら、「私があなたを愛してあげる!いっぱいいっぱい、愛してあげる!」とお腹の子に伝えました。


 すると、私のお腹の奥の方がぽかぽかと温かくなってきたかと思うと、お腹全体が暖かい光で包まれました。

そしてお腹の中からソフトボールを一回り小さくしたくらいの光の玉がピュンっと飛び出してきて、部屋の西側の天井と壁の境目あたりにビュンっと飛んで行って、壁にガツっと鈍い音を立ててぶつかったかと思うと、そのまま壁を通り抜けて外へと飛んでいってしまいました。


 ほんの一瞬のことに、ただただぼーっとしていると、隣の部屋にいた夫が心配そうに寝室のドアを開けて、「大丈夫?」と声をかけてくれました。

 夫は普段、私の不思議っぷりには距離を置いてあまり関心を示さないのですが、この時は何かを察したのでしょう。何か心配に感じたようで、「大丈夫?」と声をかけてきたのです。

 夫に一部始終を話すと、「それって、大丈夫なの⁈」という感じでより心配そうでしたが、当の私は全く呑気で、飛んでいった魂は「また戻ってくるだろう」くらいに、安易に捉えておりました。しかし、夫の本能的な心配が的中し、一度去った魂が戻ることはなく、1週間後、肉体” とのお別れとなったのです。


 この時のことを思い浮かべると思うことがあります。私が受け取った男のストーリーそのものは、私から愛を引き出すためのフィクションだった可能性もある、ということです。

 いずれにせよ、お腹の子は愛を受け取る” という目的を達成し、天へと還っていったのでした。


 魂は自らの目的を遂行しにこの地球上にやっきています。その目的を達成するのに、この世に生を受けて何十年と要する場合もあるし、私のところにやってきた魂のように、生まれなくとも目的を達成して帰っていく魂もある、というお話でした。

 

 

 

 次回は2度目の流産の時のお話をしたいと思います。

 長文お付き合いいただきありがとうございました。


過去の不思議体験をつづりに戻ってまいりました〜!

2022-11-19 | スピリチュアル

存在する” ということ〜私たちの生命ひとつひとつが天の川銀河の緻密な均衡を保っている


私の父は70年代、80年代を働き盛りの世代として過ごしました。

子供の時から貧しく、大学に進学したくてもできなかった父にとって、家族にお金の苦労をさせないことが家族への愛の形でした。

だから私が物心ついた頃には父は残業ばかりで家にいない人でした。

早く帰ってきても、イライラしてて、しかめっ面で、怖くて、私にとっては家にいて欲しくない存在でした。

そんな父も歳の離れた弟が生まれると、心を入れ替えたように家族との時間を大切にする様になりました。

父を避けるように過ごしていた思春期の私に対しても、辛い思いをさせて悪かった、と詫びてくれるほどでした。


そんな父ですが、私が23歳の時に単身赴任先の海外で脳内出血で亡くなったのです。

その頃には私も父に心打ち解けていて、働き尽くめの父が1人海外で暮らすことを心配していました。

そんな矢先の突然の死の知らせ。


父は実家の親兄弟のためにも、自分が築いた家族のためにも、本当に身を粉にして働き尽くめの人生を送りました。


そんな苦労ばかりの父の人生って、いったい何だったのだろう、そう思い、胸が込み上げてきた時、私の視界の前に宇宙のビジョン〜星屑がキラキラと集まったように見える天の川銀河〜がひろがって見えました。そして、その星屑の集合体を目にした時、思ったのです。この星屑の一粒一粒は、私たち個々の生命そのものなのだと。

この星屑は、一粒でも欠けると均衡が崩れてしまう、それほどに、微妙なバランスで星屑は存在し、この天の川銀河の均衡は保たれているのだと。

父の生命はこの一粒の星屑に等しく、父の生命が欠けていたら、この天の川銀河も成り立っていなかった。それくらいに、私たち一人一人の生命はこの天の川銀河全体、そして宇宙全体にとって、尊く、欠くことのできないものなのだと。


そして、そんな父の生命は、私に生命を繋いでくれたのだ。


存在し、生命を繋いでくれた、、、。

それが父が存在した価値なのだと。


父は苦労したかもしれないし、大変な人生を送ったかもしれないけれど、存在することで宇宙的存在意義を全うし、しかも私に生命を繋でくれたのである。


そう思った時、父の人生がどうあったにせよ、それでよかったのだと、全て受け入れられたような気がしたのです。


人はどうしたって欲があるために、時に生きることに絶望を感じることもありますが、究極、存在している、それだけで宇宙的にみれば十分なようです。


〜私たち人間一人一人は、天の川銀河を形成する組織の一部である。〜