メソポタミア文明の人々の生活には宗教が密接していました。
現代のように一定の安全性を確保できるわけではない古代だからこそ、自分の将来、自然に対する脅威等について不安も多かったのではないでしょうか。
メソポタミアでは、土着の神、自然界にある神等、各自が信じる神を自由に信仰する事が出来ました。
しかし、その最高神は国家の守護神で、守護神を祭るための"ジグラッド"と呼ばれる神殿や祭壇が国家の重要な事業の一つで、それぞれ統治した各王朝で独自の建築様式で建てられました。
又、段状にデザインされた"ジグラッド"は、旧約聖書に記載されている"バベルの塔"のモデルと考えられています。
又、後年になるにつれ、王の権威誇示の為、宮殿建築事業に費やされる度合いが高まりました。
とりわけ統治範囲が広まったアケメネス朝ペルシア時代のペルセポリスは後にマケドニアのアレクサンダー大王が焼却し廃墟にしてしまいましたが、壮麗で大規模な宮殿でした。
一般の人々の住まいについては、日干し煉瓦を泥や粘土をこねたもので接着した構造で壁を作り、そのような構造上、あるいは気候風土などの要因もあったでしょうか窓は小さく、屋根は植物の葉を重ね合わせた程度の簡易な構造で作られましたので、現在ではあいにく遺構が乏しいです。