社会人のネタ探し生活~ネタの倉庫~

ありふれた日常からネタを探しています。会話のとっかかりやアイデアの素材、自分の成長などに役に立てたいです。

見えにくい差別

2009年01月18日 22時57分43秒 | 人生

 昨日、妻がこんなことを言っていました。
 思わず発した一言が相手を傷つけてしまったかもしれないと
いうのです。
 それは0歳未満の子を持つママ同士の集まりでのことです。
ママ同士の友だちを「ママ友」と言うそうですが、数人のママ
友とおしゃべりしているときです。

「授乳があるから3時間くらいしか外に出られないんだよね」
と私の妻。

「母乳が出るだけいいじゃないの」とママ友。

「そうよ。母乳だと人前で授乳できないから大変かもしれない
けど、うちはミルクだから母乳がうらやましいわ」と別のママ
友。

 何気ない会話の中での一言です。でも、母乳が出ないママ友
ふたりの気分を害したかもしれない、と妻は反省していました。

 私はふと「見えにくい差別」という言葉を思い出しました。
 これは、以前のブログの記事でも触れました社会学の講義で
講師から聞いた言葉です。

「見えにくい差別」とは、例えばこういうことです。

 大学生くらいの男性数人が雑談していたとします。大学生の
男が数人集まれば、決まってするのが女の話。
 「今、彼女いるの?」という会話はよくある話です。
 ただ、よく考えてください。とその講師は言いました。それ
は、同姓愛がいないというのが前提となっている会話ではない
でしょうか。
 もし、その場に同性愛がいたとしたらどうですか。差別にな
りかねないのではないでしょうか。

 確かにそうだなと思いながらも、ちょっと極端なような気もし
ました。
 でも、何か考えさせられるものがあったのです。

 何気ない会話のなかで知らず知らずのうちに相手を傷つけて
いるかもしれない。そういう可能性があることを頭の片隅にお
いておく必要がありそうだ。
 そして、自分の枠組みや価値観を前提に相手とコミュニケー
ションを図ろうとしている。それは裏を返せば相手も同じこと。
 コミュニケーションとは、お互いがそれぞれ持っている枠組みや
価値観が前提に成り立っていることであり、それを忘れなければ
いらぬ争いを減らすことができるかもしれません。
 
 つねに「見えにくい差別」が起こる可能性、いや、起こしてしまう
可能性を秘めている。

 そんなことを考える2つのエピソードでした。