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「ガザ地区」についてわかりやすく解説

2009年01月10日 22時13分05秒 | 雑学

 新聞やニュースで連日のように報道されている「ガザ地区」
での戦争。民間人や子どもまでもが被害にあっていると言わ
れていますが、この「ガザ地区」についてどれだけ理解でき
ているでしょうか?

 新聞やニュースってけっこうむずかしくありませんか?

 そこで、誤解を恐れず、かみくだいたわかりやすい言葉で
「ガザ地区」についてまとめてみました。

 ガザ地区を含めた中東の情勢は非常に複雑ですので、今の
イスラエルのある地域の変遷を通じてガザ地区についてまとめ
てみたいと思います。

○イスラエルという国があるあたりは、2000年ほど前まで
ユダヤ人の王国がありました。しかし、王国が滅ぼされて、ユ
ダヤ人たちは世界の各地にバラバラになって流れていきました。
 
○その後、このあたりにはアラブ人が住み、「パレスチナ」と
呼ばれるようになった
のです。

○ユダヤ人のうち、ヨーロッパに移り住んだ人たちは、差別を
受けたり、ナチスによる大量殺害などの被害を受けました。

○ユダヤ人たちは、こういった被害を受けるのは自分たちの国
がないからだと考え、第2次世界大戦後、2000年前に自分
たちの王国があった今のパレスチナの地に国をつくることを決
めました。(ユダヤ教徒が信じる『旧約聖書』には、「神様が
この土地をユダヤ人に与える」と書いてあった)

○国連はこれを認めましたが、パレスチナにはアラブ人が住ん
でいますので、パレスチナに「ユダヤ人の国」と「アラブ人の
国」をつくることを決めました。
ただ、エルサレムだけは、ユ
ダヤ教を信じるユダヤ人にとっても、イスラム教を信じるアラ
ブ人にとっても聖地なので、国連が管理することになりました。
 

○1948年、ユダヤ人たちは「イスラエル」という国を作っ
のです。

○しかし、まわりのアラブ人たちは、自分たちの土地に別の国
ができたことに怒り、イスラエルを攻撃しました。(「第1次
中東戦争」)

○この戦争の結果、イスラエルは、国連が決めた「アラブ人の
国」の地域も占領
してしまいました。
また、エジプトとヨルダンがも「アラブ人の国」の一部を占領
しました。パレスチナが、3つに分けられてしまったのです。

○エジプトが占領した土地は「ガザ地区」と呼ばれ、ヨルダン
が占領した土地は「ヨルダン川西岸地区」と呼ばれました。 

○イスラエルが占領した土地に住んでいたアラブ人たちは、自分
たちと同じアラブ人が支配しているガザ地区とヨルダン川西岸
に逃げ込みました。このアラブ人たちは、パレスチナに住んで
いたので、「パレスチナ人」
と呼ばれるようになりました。

○その後も、イスラエルとまわりのアラブの国では戦争を繰り
返し、その結果、イスラエルは、ガザ地区とヨルダン川西岸地
区も占領しました。

○イスラエルが、もともとのパレスチナの土地を全部占領して
しまったことに対して、パレスチナ人たちは抵抗しました。世
界の国々もパレスチナ人たちに土地を返すべきだと主張しまし
た。

○その結果、イスラエルのシャロン首相と、パレスチナ人のリー
ダーであるアラファト議長が話し合い、ガザ地区とヨルダン川
西岸地区をパレスチナ人たちに渡して、パレスチナ人たちが、
自分たちの政治をすることを認めることになりました。この2
つの地区を「パレスチナ自治区」と呼びます。(ガザ地区とヨ
ルダン川西岸地区)

ガザ地区はほとんどがパレスチナ人に渡されましたが、ヨル
ダン川西岸地区は、少しずつパレスチナ人に渡されることになっ
ています。

○ただし、このヨルダン川西岸の残りの土地をパレスチナ人に
渡す話合いがなかなか進んでいません。イスラエルの中には、
「ヨルダン川西岸もユダヤ人の土地だ」と主張する人たちがい
るのです。

○話合いがいつまでもつかないことにしびれを切らしたパレス
チナ人たちの中には、イスラエルの国民をねらって爆破事件を
引き起こす人たちも出るようになっているのです。