昨日、妻がこんなことを言っていました。
思わず発した一言が相手を傷つけてしまったかもしれないと
いうのです。
それは0歳未満の子を持つママ同士の集まりでのことです。
ママ同士の友だちを「ママ友」と言うそうですが、数人のママ
友とおしゃべりしているときです。
「授乳があるから3時間くらいしか外に出られないんだよね」
と私の妻。
「母乳が出るだけいいじゃないの」とママ友。
「そうよ。母乳だと人前で授乳できないから大変かもしれない
けど、うちはミルクだから母乳がうらやましいわ」と別のママ
友。
何気ない会話の中での一言です。でも、母乳が出ないママ友
ふたりの気分を害したかもしれない、と妻は反省していました。
私はふと「見えにくい差別」という言葉を思い出しました。
これは、以前のブログの記事でも触れました社会学の講義で
講師から聞いた言葉です。
「見えにくい差別」とは、例えばこういうことです。
大学生くらいの男性数人が雑談していたとします。大学生の
男が数人集まれば、決まってするのが女の話。
「今、彼女いるの?」という会話はよくある話です。
ただ、よく考えてください。とその講師は言いました。それ
は、同姓愛がいないというのが前提となっている会話ではない
でしょうか。
もし、その場に同性愛がいたとしたらどうですか。差別にな
りかねないのではないでしょうか。
確かにそうだなと思いながらも、ちょっと極端なような気もし
ました。
でも、何か考えさせられるものがあったのです。
何気ない会話のなかで知らず知らずのうちに相手を傷つけて
いるかもしれない。そういう可能性があることを頭の片隅にお
いておく必要がありそうだ。
そして、自分の枠組みや価値観を前提に相手とコミュニケー
ションを図ろうとしている。それは裏を返せば相手も同じこと。
コミュニケーションとは、お互いがそれぞれ持っている枠組みや
価値観が前提に成り立っていることであり、それを忘れなければ
いらぬ争いを減らすことができるかもしれません。
つねに「見えにくい差別」が起こる可能性、いや、起こしてしまう
可能性を秘めている。
そんなことを考える2つのエピソードでした。
書き出すことで自分の考えがまとまりそう・・と自分もやってみたくなりました。
社会学講義で取り上げられていた話はNHKの「ハートで手をつなごう」で議論されているのを観ました。
"彼氏""彼女"ではなく"恋人"と聞いてほしいそうです。
なかなかそこまで考え付かないですが、言葉一つで傷つく人が減るのなら簡単にできることだなと心に留めていました。
自分の価値感や常識は思っているより偏っているもの。
視野を幅広く持つためには、多くの人との交流、幅広い知識や思想の吸収が必要だと常々思っています。
読書は手軽に多種多様な価値観や思想に触れることができる好手段だと思いますが如何でしょうか。(って最近ミステリ三昧の私が言うのもなんですが^^;)
お越しいただきありがとうございます。
まったくもってruruさんと同感です。
幅広い価値観や考え方を手軽に読書によって
得ることができると思います。ひいてはそれが多様な価値観を持つ人たちを認め、不要な人間関係の衝突も防ぐこともできると思います。
ruruさんのおっしゃるとおり、書き出すことで自分の考えがまとまり、しかも記録に残すことであとで振り返ることができます。
ぜひ試してみてください。
胡蝶さんのアンテナがキャッチした「ネタ」は、情報や知識だけではなくて、ご自分の体験や意見も伝わってきます。
書き手のことを想像できる文章というのは、読んでいても楽しいものですね。