社会人のネタ探し生活~ネタの倉庫~

ありふれた日常からネタを探しています。会話のとっかかりやアイデアの素材、自分の成長などに役に立てたいです。

「今を生きる力」~五木寛之氏の講演~

2009年12月05日 21時54分42秒 | 人生

 「今を生きる力」と題した作家の五木寛之氏の講演に行きました。
 五木さんの著書を読み、その考え方に同感し、講演があればどこ
にでも行くようになってから10年が過ぎたのか、と時の早さを身に
しみながら講演開始の待ち時間を感慨深く過ごしていました。
 おっかけ歴10年です。

 講演の内容はこれまでの著書で五木さんが繰り返し述べてきて
いることです。

 今は病める時代。心病むことは自然なことである。逆にこんな時代
に何も悩みもなく明るく過ごせることが病気ではないかと言います。

 優しい人ほど心萎えているのです。
 かの有名な金沢の兼六園の雪吊り。雪吊りをする枝は、固くて
柔軟性のない枝だといいます。柔軟性のある枝は雪が積もっても、
ぐうぅとしなって、雪を払いのけるのです。 
 
 心にうつを感じているのは、心がぐうぅとしなっているということ
ではないでしょうか。しなるから折れずに生きていける。ため息は
心がしなっているから出てくるもので、人生を生きていく知恵なの
です。

 ため息は大いに結構。悲しみがあって喜びがあるのです。
人間はプラス思考だけでは生きていけない。マイナス思考だって
大事なのです。


 初めて知った内容といったものはありませんでしたが、五木思想を
再確認し、生きる勇気を与えてくれた講演でした。

  五木さんへの尊敬の念がさらに高まりました。

 


ベストコンデション

2009年10月27日 21時47分04秒 | 人生

 体調が悪いのにもかかわらず仕事に行かなければいけないことを
思うといつもこの言葉を思い出します。

「ベストコンディションで試合に臨めるアスリートなどほんのわずかです。
怪我をしていたり、疲れがたまっていたり、だましだましだけれど、それでも
ベストなパフォーマンスを目指していくのです。ベストコンディションだからこそ
ベストパフォーマンスができるかといったらそれもまた違うのでしょう。
欠点を欠点のままで終わらせずに、それを逆手にとったり、新しい方法を
切り開いたりしてプラスに転じていく、そのメンタリティこそが必要。」

以前、Mr.Childrenのファンクラブの会報誌に載っていたボーカルの
桜井さんの言葉です。
 


実るほど頭をたれる稲穂かな

2009年08月25日 14時36分01秒 | 人生
 「実るほど頭をたれる稲穂かな」
 皇太子妃 雅子さまの座右の銘だそうです。
 中学時代に「謙虚さがなければ本当の賢さはない」と
学んだそうです。

 飲食店などで年配の方が若い店員に向かって横柄な
態度でため口で話しているのを見ると、このことわざを
思い出します。

 この光景を「他山の石」として雅子さまの座右の銘を実践
したいものです。

今、感謝できることは何だろう?

2009年03月14日 23時36分28秒 | 人生

「感謝の気持ちを常に持つ」ことをモットーにしています。
物事がうまくいったときほど、自分の力を過信するのではなく、
周囲の人への感謝の気持ちを忘れないように意識しています。

 さらには、雨露がしのげる家があり、毎月一定の収入を得
ることができる仕事があり、決して豪華ではないが空腹を満
たす食事がとれる生活。そういった生活を送れるだけでも、
日々、感謝をしなければいけないと思っています。

 イッパイアッテナさんのブログで紹介されている「今、感謝で
きることは何だろう?」という言葉。この言葉には、感謝できる
ことを自分から主体的に探しだそうとする姿勢を感じ、そこに
惹かれました。

「今、感謝できることは何だろう?」
 常に自分に問いかることができたなら、毎日を穏やかに生きて
いけるような気がしています。


見えにくい差別

2009年01月18日 22時57分43秒 | 人生

 昨日、妻がこんなことを言っていました。
 思わず発した一言が相手を傷つけてしまったかもしれないと
いうのです。
 それは0歳未満の子を持つママ同士の集まりでのことです。
ママ同士の友だちを「ママ友」と言うそうですが、数人のママ
友とおしゃべりしているときです。

「授乳があるから3時間くらいしか外に出られないんだよね」
と私の妻。

「母乳が出るだけいいじゃないの」とママ友。

「そうよ。母乳だと人前で授乳できないから大変かもしれない
けど、うちはミルクだから母乳がうらやましいわ」と別のママ
友。

 何気ない会話の中での一言です。でも、母乳が出ないママ友
ふたりの気分を害したかもしれない、と妻は反省していました。

 私はふと「見えにくい差別」という言葉を思い出しました。
 これは、以前のブログの記事でも触れました社会学の講義で
講師から聞いた言葉です。

「見えにくい差別」とは、例えばこういうことです。

 大学生くらいの男性数人が雑談していたとします。大学生の
男が数人集まれば、決まってするのが女の話。
 「今、彼女いるの?」という会話はよくある話です。
 ただ、よく考えてください。とその講師は言いました。それ
は、同姓愛がいないというのが前提となっている会話ではない
でしょうか。
 もし、その場に同性愛がいたとしたらどうですか。差別にな
りかねないのではないでしょうか。

 確かにそうだなと思いながらも、ちょっと極端なような気もし
ました。
 でも、何か考えさせられるものがあったのです。

 何気ない会話のなかで知らず知らずのうちに相手を傷つけて
いるかもしれない。そういう可能性があることを頭の片隅にお
いておく必要がありそうだ。
 そして、自分の枠組みや価値観を前提に相手とコミュニケー
ションを図ろうとしている。それは裏を返せば相手も同じこと。
 コミュニケーションとは、お互いがそれぞれ持っている枠組みや
価値観が前提に成り立っていることであり、それを忘れなければ
いらぬ争いを減らすことができるかもしれません。
 
 つねに「見えにくい差別」が起こる可能性、いや、起こしてしまう
可能性を秘めている。

 そんなことを考える2つのエピソードでした。


江戸しぐさの「うかつあやまり」

2009年01月15日 22時56分08秒 | 人生

 江戸時代の商人や町人の心くばりを主体とした行動規範と
される「江戸しぐさ」というものがあります。

 そのなかに「うかつあやまり」というものがあります。

 それは、道で人とぶつかったとき、ぶつかったほうは「ごめん
なさい」と言いますが、ぶつかられたほうも「うかつでした」と返す、
いわゆる気配りや気遣いを大切にした考え方です。


 江戸時代はこういった心配りが江戸の町の秩序を保っていた
ようです。

 現代も忘れてはいけない考え方だと思います。

(『女の子が幸せになる子育て』より)


常識を鵜呑みにしない生き方

2009年01月12日 11時41分38秒 | 人生

「みなさんは、現在、離婚って多いと思いますか?少年犯罪は、
どうですか?」
 どちらも多くなってきてるんじゃないの、新聞やニュースで
報道されているし、と何の疑問もなくそう思っていました。

 「実際のところ、そうでもないんです。」
 社会学の講師のこの言葉で一気に講義に引き込まれました。

 昨年の4月から仕事の関係で社会福祉士の通信講座を受講し
ています。1年のうち数回、学校に出向き講義を受講しなけれ
ばいけませんが、その社会学の講義での講師の言葉でした。

 離婚率は、確かに伸びてきていますが、明治から昭和初期の
方がよっぽど高い。離婚率を表したグラフを見せられて納得し
ました。
 少年犯罪はというと、昭和初期の頃も多かったそうです。
しかも、当時の新聞記事を見せられましたが、親を殺害したり
など今と同じくらい残虐な事件がそこにはありました。時代は
違えど今と同じ悲惨さを感じます。
 ただ、新聞の扱い方が違う。今では一面に載り、マスコミが
騒ぎ立てそうな事件でも、当時は隅のほうにちっちゃく載る程度
だったそうです。マスコミの取り上げ方が違うだけです。今も昔
もそう変わらないんだと思いました。
 ただ、テレビや新聞、雑誌などのマスコミにイメージを作られ
すぎてはいないか、という恐怖感にも似た疑問が湧いてきました。

 そんなことを考えていると、先生はこう言いました。
「社会学の根本は、今当たり前といわれていることを問い直し
ていくことです。少し違った角度から社会を見る。世間のイメー
ジを問い直す
のが社会学です。」

 今のこの情報の溢れた世の中にはとても大切な視点だと思い
ました。
 思い起こせば、常識だと言われていたことが、今ではまったく
逆のことが常識となっていることもあります。

 例えば、運動中の水分の摂取。学生時代、部活でサッカーをし
ていましたが、練習中はコーチから絶対水を飲むなと言われま
した。練習後、水を飲むのは先輩が優先で、なくなれば飲むこ
とができませんでした。よく脱水症寸前までいったものです。
今では、そんな指導をしていたらたちまち問題となるでしょう。
運動中は適度な水分補給が常識です。
 メジャーリーガーのイチローは「振り子打法」で有名ですが、
野球の一般常識からするとあの打法は決して適したものではな
いと言われていたそうです。それをイチローは自分の感覚を信
じて確立させていったのです。

 あたりまえだと言われていることを問い直してみる。
 これだけ情報が渦巻く世の中で、ひとつの生きるの術なのか
もしれません。
 かの有名なアインシュタインは、二時と指している時計の針を
見て本当に二時なのかと疑ったと言います。これは少し大げさな
気がしないでもないですが、常識を無条件で鵜呑みにするので
はなく、自分の頭で少しは考えてみる
、これくらいから始めて
みようと思います。